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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第四部 リュシアの街編

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レオリアとユーリ

 ユーリシアは少年の手を握ったまま、小道の奥へと疾走した。

 途中何度か少年が手を振り払おうと試みたのが判ったが、ユーリシアは構わず繋いだままにした。


「…待って…っ。足が…っ」


 そう息も絶え絶えに告げた少年の言葉を聞いて、ユーリシアはようやく今手を引いている少年が杖をついていた事に思い当たった。


「すまない…っ。失念していた、大丈夫か?」


 慌てて立ち止まって、苦しそうに息を切らしている少年に謝罪する。息を整えながら少年は、繋いだままになっている手をさも不思議そうに眺めているのが、妙に印象的だった。


「…男に手を繋がれるのは嫌か?」


 軽く揶揄して、ユーリシアは手を放す。いえ、と歯切れ悪く答えた少年は、いかにも困惑しているようだった。


「…無茶をする少年だな。俺がいなければ怪我どころでは済まなかったぞ」


 ユーリシアは半ば呆れながら、小さく息を吐く。


「…力を持っている方には、力を持たぬ者の事など判りません」

「…そうだな、俺には判らない。だが無茶をしていい言い訳にはならない。…君にも心配してくれる誰かがいるんだろう。今後は控えろ」


 たしなめたつもりだったが、どうやら少年の気に障ったようだった。


「では、助けを求める者がいても見過ごせとおっしゃるのですか!」


 食ってかかるその姿が、再び誰かを彷彿させる。毅然と、だが確かな強い意志でユーリシアを見据えるその瞳を、五年前にも見た覚えがあった。


 それは、彼女と初めて会った、顔合わせの日____。


 遠い記憶にある少女を彷彿させる、そんな少年にユーリシアは不思議な懐古の念を抱かずにはいられなかった。


 そんなユーリシアの心中も知らず、少年はふと我に返って慌てて目線を下げた。


「申し訳ございません…っ!助けていただいたのに無礼なことを…っ!」

「…いや、君の気持ちも判る」


 頭を下げる少年に、軽く笑って首を振る。


「なら言葉を変えよう。今後は自分の体を大事にしなさい。君の周りの人たちの為にも。…いいね」


 今度は諭すように、だが穏やかに告げると、少年はここでようやく躊躇いながらも笑顔を見せてユーリシアの言葉を嚙みしめるように頷いた。それを見てユーリシアはわずかばかり安堵する。


 どうも少年の様子がおかしいように見える。

 ひどくおどおどして、怯えているようにさえ感じるのは気のせいだろうか。あからさまな警戒心ではないが、それでも妙に距離を取って隙あらば逃げていきそうな勢いだ。ゼオンの隣で目まぐるしく変わる表情を見せていた少年とは打って変わって、その全てがぎこちない。


 これはゼオンに何か吹き込まれた所為せいなのだろうか。それとも、単にユーリシアを警戒しているだけなのだろうか。もし後者であれば、心外な事だとユーリシアは思う。少年に対して横柄な態度を取ったわけでも、無礼な言葉を投げたわけでもない。助けこそすれ、にもかかわらず、あのゼオンよりも警戒しているのは非常に納得がいかなかった。


「…君はずいぶんかしこまったものの言い方をするんだな。俺は貴族でも何でもないんだぞ?」

「…あ、いえ…ですが…恩人、ですので…」


 そう答える少年は、なおいっそうぎこちない。


「なら恩人からの頼みだ。普段通りにしてくれ。俺はありのままの君と話がしたい」


 言ってユーリシアは奥にある小さな階段に目線を移す。


「無理をさせて悪かったな。疲れただろう」


 先に階段に座って、その隣に座るよう促す。だが、やはり少年は逡巡して、まるで誰かに助けを求めるように何度も周囲に目線を向けた。その姿がいかにも小動物を苛めているようで、何故だか自責の念に駆られてしまう。何もしていないのに理不尽極まりない事この上ない。


「…君はよほど俺の事が怖いらしい」


 悄然と俯き、大仰にため息をつくユーリシアに、少年は慌てて否定する。


「いえ、違います…っ!怖いわけではありません!」


 その言葉を待っていたかのようにユーリシアは屈託のない笑顔を見せると、再び己の隣を軽く手で二回叩いて見せた。さすがにこれで躊躇う事はできなかったのだろう。少年はおずおずと近づき、ユーリシアの隣に座る。それを見届けてユーリシアは満足そうに頷くと、顔を覗き込むようにして少年に声をかけた。


「俺はレオリアという。君の名前を聞いても構わないか?」


 『レオリア』は市井に下りた時のユーリシアの別名べつみょうだ。五年前に初めて市井に下りて以来、この名前を使い続けている。時折、息抜きに市井に下りる事もあったおかげか、『レオリア』の知り合いも少なくはない。


 問われた少年は、ややあって何故だか妙に気恥ずかしそうに口を開いた。


「…ユーリ、といいます」


 少年の態度に、人に告げるのも恥ずかしい名前なのかと邪推してしまったが、自分の名前にひどく似ている事に妙な親近感を抱いた。


「…いい名前じゃないか。恥ずかしがる必要はないだろう?」


 まるで自分の名前を褒めているようで、なんとも面映ゆい。言われた少年も、いっそう恥ずかしそうだった。


 わずかばかり少年の緊張がほぐれてきた事を見て取って、ユーリシアは本題に移ろうと、改めて少年に向き直った。


「すまない、ユーリ。君に訊きたい事があるんだが…」


 そこまで告げたところで、ユーリシアはその先をどう続けたらいいものか言い淀んでしまった。

 素直にゼオンの事を訊いてもいいのだろうか。だが、彼がゼオンの知り合いならば、なおさら警戒して口をつぐんでしまうかもしれない。


 では、遁甲の事は?入る方法をこの少年は知っているだろうか。

 だが、それを訊いてしまっては、いかにも怪しいだろう。考えれば考えるほど墓穴を掘ってしまいそうで、ユーリシアは二の句が継げなかった。


「あの…レオリア、さん…?」


 急に黙りこくったユーリシアを不審に思い、少年は遠慮がちに声をかける。その声に我に返ったユーリシアは、何とか話のぎ穂を見つけようと当たり障りのない話題を振ってみる事にした。


「…ユーリは、この街に住んで長いのか?」


 あからさまに話題を変えた感は否めないが、それでも少年は小首を傾げながらも律儀に返答する。


「いえ…越してきたばかりで、まだ慣れません。先ほども道に迷ってしまって親切な方が送ってくださったんです」

「!…親切な方って、赤黒い髪の?」


 思わず訊き返したユーリシアに、少年はきょとんとする。


「…ああ、すまない。さっき見かけたんだ。連れに高魔力者がいただろう?彼はよく目立つ」


 慌てて取り繕った言を、少年は素直に受け止めたようだ。ああ、と小さく呟いて納得したようだった。


「はい、そのお二人です。とても親切な方で、わざわざ送ってくださったんです」


 まるで特別な事のように嬉しそうに話す少年に、そうか、と呟くように返答する。その屈託のない姿が、三度みたび、彼女を彷彿させた。姿形は違っても、その心根はひどく似ていると、ユーリシアは思った。


「…フェリダンよりも、こちらの方が住みやすいだろう」


 越してきた、という事は住みづらいフェリダンを嫌って、こちらに移ってきたのだろう。申し訳なさそうに、そして自嘲気味にユーリシアは息を吐いてそう告げる。


 低魔力者にとってフェリダンが住みやすいなど、お世辞にも言えないだろう。あの街は魔力至上主義者の吹き溜まりだ。かつて横行していた奴隷制度は撤廃させたが、今でも低魔力者を虐げる者は少なくない。改革を進めようと何度も試みたが、その因習いんしゅうはあまりに根深かった。

 いっかな進まない改革は己の力不足によるものだろう。そう思うと、ユーリシアはいっそう情けなかった。


 そんなユーリシアの心中を察したのだろうか。少年は悄然と俯くユーリシアの顔を軽く覗き込むようにして、笑った。


「高魔力者の方が皆さん悪い人というわけではありません。いい人もたくさんいますよ。私は…僕は、そういう人たちにたくさん助けてもらいました。そして今日も、助けてもらったんです。水色の髪をした方と、そしてレオリアさんに」

「…!」

「きっとフェリダンにもそういう方はたくさんいます。捨てたものではありませんよ」


 少年の声はどこまでも穏やかだった。その声音は、ひどく耳障りがいい。


 ユーリシアは目を閉じる。

 少年の、ユーリの声を覚えるように、そして言葉を心に刻むように、ユーリシアは目を閉じた。



「ミル!よかった!」


 青年に連れられて去った小道を探し回って、モニタはようやくミルリミナの姿を見つけた。大きな声でそう叫ぶモニタを、ミルリミナは慌てて振り返って、口の前で人差し指を立てる。


「しーっ。モニタさん、静かにして」


 そう告げるミルリミナの声は密やかだ。何事かとモニタは怪訝に思いながらも、言われた通り静かに歩み寄ってみると、ミルリミナの肩を枕代わりに、すっかり熟睡している青年の姿があった。


「…あら、やだ。寝ちゃったの?」


 予想だにしていない結果に、モニタは小声で素っ頓狂な声を上げる。


「…ひどくお疲れのご様子だったから……」


 寝息を立てて眠るユーリシアの顔へ、ミルリミナは愛おしそうに視線を落とした。


 ユーリシアの顔はミルリミナが見て判るほど憔悴しきっていた。あの騒動で割って入ってきたユーリシアを見た時、いるはずのないユーリシアの姿に驚き、次いであまりに弱々しい横顔に言葉を失った。その原因が自分にある事は、言わずもがなだろう。


 ユーリシアは気がかりな事があると、夜眠れなくなる。眠る事よりも、その気がかりを何とかしようと躍起になるからだ。それは皇宮に滞在していた頃にミルリミナが学んだ一つだった。


 そして今のユーリシアが、眠る事よりも優先にする事は一つしかない。おそらくは昼夜を問わず、自分を探してくれていたのだろう。そしてようやく、辿り着いたのだ。


 ここに至るまでのユーリシアの心痛を思うと、あまりに心苦しい。そう思う反面、これほど憔悴しきってもなお自分を探し続けてくれた事に、ミルリミナはただただ愛おしさを感じずにはいられなかった。


 そんなミルリミナの恋慕の視線を感じたのだろう。モニタは青年が誰なのかを悟った。


「…もしかして、皇太子…?」


 ミルリミナは苦笑しながらも頷く。


「…愛されてるのねぇ、ミルは」


 軽く揶揄するモニタに、ミルリミナは赤面することで返答する。そんなミルリミナとユーリシアを微笑ましそうに見つめながらも、モニタの視線には憂慮さが滲み出ていた。


「…ミルが嬉しいのは私も大歓迎だけど、困ったわねぇ…」


 何を憂慮しているかは判る。他でもない、ユルングルの事だ。


 ユーリシアがここにいると判れば、間違いなくユルングルはその命を奪いに来るだろう。それほどユルングルのユーリシアに対する憎しみは深い。


「…モニタさんは、ユルンさんがなぜあれほど殿下を憎んでいるのか、知っているんですか?」


 その質問に、モニタはかぶりを振る。


「ここに来る前からよ。…ユルンの皇族嫌いは有名なのよ。大体いつもダリウスがユルンをたしなめるんだけど、こと皇太子の事に限ってはあのダリウスも決して口を挟まないの」


 そうですか、とミルリミナは小さく返答する。


「…とにかく隠すしかないわ。目が覚めるまで私の家で匿うから、その後は悪いけど帰ってもらうわね」


 モニタの提案に、ミルリミナも同意する。


 少し前ならミルリミナは、考えるまでもなくユーリシアの肩を持っていただろう。

 だが今はユルングルの事を知ってしまった。彼の笑った顔も、怒った顔も、照れくさそうに憎まれ口を叩く姿も知っている。時に友人のように、時に兄のように、ミルリミナは彼と親交を持った。そんな二人が殺し合う姿など、決して見たくはない。


 頷くミルリミナを見届けてから、モニタはユーリシアを家まで運ぶ手を借りに、いったんその場を離れた。


 残されたミルリミナは、ひどく念を押していたダスクを思い出す。ダスクには判っていたのだ。ユーリシアがこの街に来ている事を。判っていて、それでもダスクは自分を信じて行かせてくれた。その信頼が、自分がミルリミナだと告げたい気持ちを何とか押し留める抑止力になった。


 ミルリミナは眠るユーリシアの頬に触れようと手を上げ、触れる直前でその手を止める。聖女の力が発動する気配はない。ユーリシアが手を握って走り出した時は、それを恐れて何度も手を振り解こうとしたが、結局叶わないままとなった。

 だが、ついぞ聖女の力が発動する事はなかったのだ。


(殿下の莫大な魔力なら、喉から手が出るほど欲しいはずなのに…)


 体の中に存在する聖女からは、今こうして肩に触れているはずのユーリシアから魔力を奪う意思は感じられない。それが、わずかばかり操魔を使う事ができるようになったおかげなのか、あるいは別の要因によるものなのか、ミルリミナには判断がつかなかった。


 ミルリミナの内に存在する聖女は依然として沈黙を続けている。その静けさが、ミルリミナにはひどく不気味に感じられた。

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