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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第三部 反乱軍『リュシテア』編

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二人の獅子

 ダリウスはひどく途方に暮れていた。


 赤子の頃から育てたユルングルのこと、その気性は嫌というほど熟知しているつもりだ。そして、こうやって機嫌を損ねた時が一番厄介だという事も、長年の経験則で理解していた。


 ユルングルは一度機嫌を損ねると、会話はおろか食事すら摂らなくなる。夜眠る事すらあまりしなくなるので、体の弱い低魔力者のユルングルは最終的に体を壊して寝込む羽目になる事が多かった。それは大人になっても一向に改善されず、操魔によってわずかばかり体が強くなっても、やはり最終的に倒れるまでその反抗は続くのだ。


 だが今回、気がかりなのはそればかりではなかった。

 ユルングルはその口の悪さと不遜な態度で誤解されがちだが、今まで一度たりとも人に対して怒鳴った事はない。どれだけ不機嫌になっても、怒気を露にはするが怒鳴るよりも皮肉で応酬する。それは幼い頃からあまり感情を表に出せなかった『弊害』だと、ダリウスは呼んでいた。


 そんなユルングルがあれほど怒気を露わにして怒鳴ったのは、よほど触れてほしくない事象に土足で入ってきた事への強い怒りか、あるいは彼女相手では『弊害』が『弊害』でなくなったのか。後者であればむしろ歓迎だが、どちらにせよ怒り心頭に発したのだろう。その反抗がいつも通り寝込むところで終わってくれるのか、ダリウスにはそれがひどく心配だった。


 そして、いつもと違ったのは、こればかりに留まらなかった。

 いつも通り、さほど意味を為さない慰めの為にユルングルの元に向かったが、当の本人は突然、車いすを作るとだけ告げて黙々と作業を始めたのだ。


 そのうちライーザが物珍しそうに手伝いはじめ、一人、二人と話を聞きつけた住人達が集まり、最終的にはひどく大所帯の作業となった。結局、ユルングルは朝から一度も食事を摂る事なく血の足りない状態で一日作業し続け、辺りが暗くなってようやく車いすが完成した頃にそのまま意識を失って倒れたのだ。


 車いすを誰の為に用意したのかは言わずもがなだろう。

 あれほど激怒した相手の為に、しかもその直後に作ろうと思えるユルングルの優しさは、低魔力者特有のものだとダリウスは思う。それは、およそミルリミナの存在など知らない住民たちが、こぞって一人の少女の為に車いすを作ろうとした彼らにも言える事だ。


 ダリウスはそんな彼らの穏やかな気性が非常に好ましく、そして時に羨ましくもあった。

 自分はどちらかというと穏やかな人間だと思ってはいるが、自分を怒らせた相手に慈悲を与えるつもりなど毛頭ない。それが激怒した直後なら、なおさらだろう。

 彼らの__ユルングルの傍に仕えていると、自分がひどく冷たい人間なのではないかと思える時がある。そんな時は自分の金色の髪がことさら忌々しく感じるのだ。



 時刻はちょうど暮夜ぼやを過ぎた頃、ダリウスは丸二日眠ったままの主の腕に刺した針を、慣れた手つきでゆっくりと抜いた。

 あまりに顔色が悪く、一向に目覚めない主に結局、自己血輸血を施したのだ。わずかばかり残っていた血液を輸血したおかげか、その頬に幾分かの赤みがさして、ようやくダリウスは安堵する。


 手際よく輸血の後始末をしていると、背後から力なく弱々しい声が聞こえた。


「……どれだけ寝ていた…?」


 振り返ると、どこか虚ろな表情でこちらに視線を向けるユルングルと目が合った。


「丸二日、眠っておりました」

「……輸血したのか…?…どうせ輸血したところで、また抜かなきゃいけないんだぞ……」


 横になったまま、ひどく弱々しく笑う。半ば寝ぼけているのか、そのすべてが鈍麻しているようで、話す事がことさら億劫そうだった。


「どなたの所為せいだとお思いなのです。今回ばかりは無茶をなさり過ぎです」

「……それは、すまなかったな……」


 珍しく眉根にしわを寄せて表情を険しくしたせいか、いつもは不遜な主は素直に謝罪の言葉を口にする。そしてゆっくりと視線を動かした。


「……どうして、それがまだそこにあるんだ…?」


 そう問うた視線の先には、彼らが一日で作った車いすがあった。


 手先の器用な低魔力者がこぞって作った代物なだけに、わずか一日で作ったとは思えないほど、その出来栄えは遥かにいい。教会の庭園で見た車いすは、遠巻きでわずかに見ただけであったが、それでもこちらの方が優れているように、ダリウスは感じた。


 そんな車いすが、二日経ってもまだ自分の部屋にある事に、ユルングルは怪訝そうな顔をしたのだ。


「…ユルングル様がお渡ししたほうが、彼女もお喜びになるでしょう」


 実際、ユルングルを怒らせてしまった事を、ミルリミナはひどく気にしている様子だった。謝りたいがこの体では謝りに行く事もできず、ユルングルが倒れたと聞いてなおさら申し訳なさそうにしていた事を、ダリウスは思い出す。


「…そうかもしれないが……ミルリミナは歩けないんだろう……。これがなければ、部屋から出る事もできないんだ……。閉じ込めるのは可哀想だろ……」


 弱々しく告げる主の心遣いが好ましい。ダリウスは小さく笑んで軽く息を吐くと、承知いたしました、と一礼した。


「……ダスクは?…目を覚ましたか……?」


 そろそろ目が覚めると言われた三日目を過ぎる頃合いだ。当然目覚めていると思った質問だったが、これにはダリウスも眉をひそめた。


「……目覚めて、いないのか……?」


 ダリウスの様子に、ユルングルは目を見開く。無言で頷くダリウスを見て、ユルングルはひどくだるい体を無理やり起こした。


「…いけません、ユルングル様…っ。輸血をしたと言っても残ったわずかばかりの血液です。まだ貴方のお身体は血が足りておられない状態なのですよ!」


 ダリウスの制止も聞かず、体を起こしたユルングルの顔色はみるみる青白くなっていく。強い眩暈を感じたのか、眉根を寄せて目を閉じ、額に強く手を当てた。


「……ラン=ディアを、呼べ…」


 それを告げるだけで精いっぱいなのだろう。額を抑えたままユルングルは動かない。ダリウスは頷くと、慌てて部屋を出ようとしたところでライーザと鉢合わせした。


「ああ、ダリウスさん。ちょうどよかった。ラン=ディアという神官が訪ねてきましたよ」



 ライーザに案内されたラン=ディアは「夜分に失礼いたします」と軽く一礼して部屋に入ると、別れ際よりもさらに蒼白な顔をしているユルングルの姿が真っ先に視界に入って、盛大にため息をついた。


「私は安静に、と申し上げましたが、お聞きになりませんでしたか?」

「……あんた、どうして………」

「そんな事よりも横になられてください」


 あまりに間がいい訪問で唖然としているユルングルは、されるがままになっている。ラン=ディアは怪訝そうな二人を尻目に、構わずユルングルの診察を始めた。


「…一体何をなさったのですか?魔力の流れがひどい有様ですよ」


 ため息交じりにそう告げるラン=ディアは、あからさまに機嫌が悪い。左腕を失ってぐったりしていたダスクに向けた視線と、まったく同じ感情をユルングルにぶつけているようだった。


「…いや、俺の事はいい……それよりもダスクが……」

「いいえ、このままでは治るものも治りません。大人しく治療をお受けになってください」


 有無を言わさず、ラン=ディアはユルングルの手を握り、目を閉じる。


 神官の治療を受けた事は初めてではなかったが、ユルングルはどちらかというと苦手な方だった。体の中を異物が入り込んで、足の先から頭の先まで這いずり回っているようなこの感覚がたまらなく嫌だった。特に操魔が使えるようになってからは、己の魔力を好き勝手いじられている事が手に取るように判って、なおさら嫌悪した。この治療を好き好んでしてもらう人間の気が知れないと、ユルングルは思う。


「…神官の治療は気持ちが悪いですか?」


 心中を察したようにラン=ディアは問いかける。


「ごく稀におられるようです。体中を何かが這いずり回っている感覚に襲われる方が」

「…他の連中もこんな風に感じているんじゃないのか…?」


 さも不思議そうにユルングルは問う。この質問にラン=ディアはかぶりを振った。


「普通は暖かい何かが流れ込んでくるようだと言われます。貴方のように感じる方は、感覚が鋭敏で繊細な方に多いそうですよ。…例えば、シスカのように」


 最後の一言で、ユルングルは盛大に顔をしかめた。

 それを受けてラン=ディアは失笑する。


「…彼は幼少の頃から神官の治療を嫌がっておられたのではありませんか?」


 問われたダリウスは無言のまま頷いた。


 確かに昔からひどく神官の治療を嫌がる子供だった。それはただ医者の治療を怖がって駄々をこねる子供特有のものだと理解していたが、そうでなかった事に唖然とする。思えば大人になってからも露骨に嫌がる事はしなかったが、神官の治療中、苦痛に顔を歪める事がなかっただろうか。


 ユルングルの心中を察する事ができなかった事に恥じ入って、ダリウスは申し訳なさそうにユルングルに頭を下げた。


「…よせ。俺も知らなかったんだ。お前が悪いわけじゃない」


 そう笑って一蹴するユルングルの心遣いが嬉しい。


「…人の感覚など言われなければ気付きませんからね。かくいう私も、シスカから聞かされなければ、そういう方がおられるという事すら存じ上げなかったでしょう」


 それほど、この感覚を持つ者は珍しい。


「…ダスクも盛大に嫌がったか?」

「ええ、最初の頃は」


 嘲笑交じりに問うてみたが、その返答は思っていたものとは若干違った。怪訝そうにしているユルングルに気付いて、ラン=ディアは言葉を続ける。


「神官の治療は体の中に己の魔力を入れて、相手の魔力の流れを修復し補佐するものです。文字通り体の中を神官の魔力が這いずり回る、という事ですね。シスカは這いずり回る私の魔力に合わせて、自分の魔力を動かすそうですよ。そうする事で、這いずり回る感覚がある程度和らぐのだとか」

「…そんな芸当、俺には無理だぞ…」

「同じく、私にも理解できません。ただ私の魔力はよほど素直なのか合わせやすいようです。他の神官だと癖が強くて合わせられないとよく愚痴を聞かされましたから」

「…なるほど、だからダスク専属か」


 合点がいったように頷く。

 ラン=ディアは満足そうに微笑んで応えて、ユルングルの腕から己の手を離した。


「…貴方はどうやら我慢強いお方のようですね。どうですか?お身体の調子は」


 問われて、ユルングルはゆっくりと体を起こしてみる。強い眩暈は綺麗に消え失せ、ひどく体が軽い。まだ軽い倦怠感は感じるが、動く事への億劫さはなくなり、気だるいまでの嗜眠しみんの症状もすっかりなくなっていた。


「…ああ、すいぶんいい。助かった…」

「とはいうものの、血が足りぬ状態なのは変わっておりません。鉄剤をお渡しいたしますので、最低でも三日は飲み続けてください」


 最後の言辞げんじだけ、いやに強調してラン=ディアは告げる。すでにラン=ディアの中でユルングルは、無茶ばかりして体を大事にしないという人物像が出来上がってしまっているのだろう。それが判って、ユルングルは苦笑しながら承諾の意を示した。


「…では、本題に入りましょう」


 ラン=ディアは改めて居住まいを正して、ユルングルを見据える。


「シスカがまだ目覚めぬのですね?」


 言われて二人はようやく思い出した。この男の訪問が、あまりに不自然だった事に。


 確かに呼べとは言ったが、その直後に現れるなどあまりに時宜じぎが良すぎる。思えば初めてラン=ディアが隠れ家に訪れた時も、同じく時宜が良すぎた。まるで、すべてを見通されているようで、ユルングルはあまりいい気分にはなれなかった。


「…どうして判った?あんた未来でも見えるのか?」


 回りくどい言い方は好きではない。ユルングルの露骨な訊き方に、ラン=ディアは困ったように微笑んで小さく息を吐いた。


「私が、ではありません。おそらく教皇様はお判りなのでしょうね」

「教皇が?」


 そういえば、初めて訪れた時も教皇の名前が出てきていたような気がする。


「…シスカが目覚めぬようだから様子を見に行ってほしいと。ついでに獅子が弱っているようだから診てあげなさい、とも仰っておりました」

「…俺の事か?」

「おそらく」


 不快そうな顔をするユルングルに、ラン=ディアは苦笑いで返す。


「ともかくシスカの様子を診てみましょう」



 ダリウスの肩を借りながらシスカの眠る部屋に入ったユルングルは、わずかばかり辛そうに呼吸を乱した。距離にしてわずか数十歩が、今の体では果てしなく遠い。治療をしてかなり体が軽くなっても、数歩歩くだけの体力がない事に、ユルングルは嘆息たんそくした。


「…大丈夫ですか?ユルングル様」


 肩に置いた手に無意識に力が込められたのだろう。ダリウスはユルングルを振り返り、眉根を寄せた。


 この心配そうな目を、一体どれだけ見てきただろうかと思う。幼い頃からこの弱々しい体は、さも簡単に病を受け入れてきた。簡単に寝込んで、簡単に衰弱する体を、それでもユルングルは気力だけで奮い立たせてきた。その度にダリウスに心配をかける事が、ひどく申し訳なく、情けない気分になる。

 それゆえに、ユルングルはこの目が好きではなかった。


「…構うな。大した事はない。…それよりダスクの様子はどうだ?」


 ダリウスから目線を外して、足早に話題を変える。


「…診る限り体に不調は感じられません。ただ目覚めない、と言った感じです」

「…ただ目覚めない?どういう事だ?」

「教皇様が仰っておりました。体に不調がなければそれは、夢に囚われているからだと」

「夢?…悪いが話が見えない。もっと詳しく教えてくれ」


 それにはラン=ディアはかぶりを振って応えた。


「…教皇様が仰る事は時に難しく、我々には理解しがたいのです。これは予言だと思ってください。そしてこの予言には続きがございます。『獅子にだけは、夢への通り道が判る』と」

「!」


 ユルングルは吃驚きっきょうし、息を呑む。

 他ならぬ自分が、『獅子』と先ほどそう呼ばれてはいなかっただろうか。


「……待て、俺が知るわけないだろう」

「いいえ、貴方は行った事があるそうです。不自然なほど、綺麗な花園だと」


 瞬間、脳裏にある光景が浮かぶ。幻想的だが、いやに現実味を帯びた花園と、そこに佇む一人の女_____。


(…あの女……っ)


 忌々しげに顔を歪めるユルングルを見て、ラン=ディアは意を解したように頷く。


「申し訳ございませんが、シスカの事は貴方に委ねるしかすべはございません」

「…どうすればいいか、俺には判らないぞ?」

「いずれ必ず判るでしょう」

「…ずいぶんと自信があるんだな」

「教皇様の予言は外れた事がございませんので。…そしてこれとは別に、貴方に教皇様からご伝言がございます」

「…伝言?」


 ラン=ディアはただ頷く。


「『蘭を摘んではならない』と。『摘めば後悔だけが残る。貴方もまた、蘭なのだから』」


 何を伝えたいのか、ユルングルはすぐに理解した。そしておそらく、ダリウスも。


「…人の事を獅子だと言ったり、蘭だと言ったり、好き勝手呼んでくれるもんだな」


 ユルングルは盛大に息を吐いて、忌々しそうに頭を掻く。

 何もかも、教皇は了承しているのだ。


 ややあって、ラン=ディアに目線を向けた。


「…余計なお世話だが、肝に銘じると伝えてくれ」


**


 帰路に就いたラン=ディアは、夜の静寂に草木を踏みしめる音を聞いていた。

 もう夜半過ぎ、人の気配はない。ラン=ディアの足音だけがため息のように静寂に落ちていく。


 ラン=ディアはふいに足を止めて、後ろを振り返った。シスカが眠る無機質な建物を、改めて記憶に刻むように眺める。その遠い記憶の中に、一つの言葉を見つけた。


 教皇が『獅子』と呼ぶ相手が、もう一人いなかっただろうか。


 思えばシスカとユルングルはよく似ている、と改めて思う。風貌が似ているというわけでも、気質が似ているというわけでもない。ただ、似ているのだ。それは本質的なものではないかと、ラン=ディアは思う。まるで一つのものを二つに分けたような、そんな感覚だろうか。


 それが何を意味するのかは判らない。

 ただ、教皇は二人を『獅子』と呼んだ。それには何かしらの意味があるのだろう。


 ラン=ディアは再び歩みを進める。

 二人の『獅子』に背を向けて、家路へと急いだ。


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