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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第三部 反乱軍『リュシテア』編
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気心の知れた者

 彼らが隠れ家に戻ったのは、もうそろそろ逢魔が時に差し掛かろうという頃だった。


 ダリウスに支えられているシスカ____いや、ダスクにはもう意識はない。変わらず顔面蒼白で心なしか呼吸も浅く感じる。ミルリミナを抱えていたユルングルは、このまま死んでしまうのではないかと内心ひどく怯えていた。


 切れと言われて覚悟を決めたが、それはダスクなら大丈夫だろうと踏んでの事だ。操魔に長け、高い神官治療の技術もある。決して過信しての事ではなかったが、今目の前にいるダスクは死を直前に迎えているように見受けられた。


 少女を抱きかかえる手が、無意識に震えている事に気付いて自嘲する。仲間を自分の手で殺める事がどれほど不快か、それは目の前にいる少女を一度殺めた時に嫌というほど味わった。その苦渋をもう一度味わう事になるのか。


(このまま死んだら墓前で散々悪態をついてやる…っ)


 思いがけない救世主が現れたのは、心中でそんな憎まれ口を叩いた時だった。隠れ家の前でユルングル達の姿を見受けると、その男は軽く一礼した。


 年は30代後半にも見えるし、40代前半にも見える。祭服を着ているので間違いなく神官だろう。もう教会に見つかったのかと一瞬身構えたが、男の様子を見るに、そんな感じではない。ただ、ぐったりして意識のないダスクを、眉根を寄せて不快そうに見つめていた。


「…申し遅れました。私は教皇様の命でこちらに伺いました、大司教ラン=ディアと申します。どうぞお見知りおきを」


 ラン=ディアと名乗ったその男は、もう一度、今度は深々とこうべを垂れた。


「教皇が…?…何しに来たか知らないが、ご覧の通りのんびり自己紹介している暇はない。俺たちを捕まえる気がないなら日を改めてくれ」


 怪訝そうにそれだけ告げて立ち去ろうとする一行に、ラン=ディアは柔和に、だがどこかしら怒りを込めて言葉を続ける。


「ええ、ですからその馬鹿を助けに来たのですよ」




 隠れ家の一室にダスクをゆっくり寝かせると、すぐさまラン=ディアはダスクの診察を始めた。ミルリミナを別室のベッドに寝かせると、ユルングルは急いでダスクを寝かせた部屋に戻り、診察を見守る。


 ラン=ディアは残されたダスクの右腕を握ると目を閉じ、何かを見ているようだった。神官風に言うならば、体内の魔力の流れを見ているのだろう。その間も微動だにしないダスクに、ユルングルはさらに不安になった。


「…大丈夫なのか?」


 たまらず問いかけると、ラン=ディアは小さく息を吐いた。


「…ええ、外見によらず頑強な男ですからね」


 さもありなんと答えたが、まるで人心地ついたようにひどく安堵しているように見える。彼もまた、ダスクの有様に内心動揺していたのだろう。


「さすがは、と言うべきでしょうね。これほどの深手を負えば体内の魔力の流れは修復が難しいほど乱雑になりますが、一切の乱れがない。出血も完全に止まっているようですし、意識を失っていても操魔は完璧なようです。…命に別条はないでしょう」


 そこまで聞いて、ようやくユルングルは安堵した。


 華奢な見た目に反して恐ろしく屈強な男だ、と感嘆する。おそらく自分ならば操魔を使う暇もなく命を落としているだろう。これが低魔力者と高魔力者の差なのだと痛感せざるを得ない。加えてこの男には、操魔という伝家の宝刀がある。この華奢な見た目に騙されて、痛い目を見た人間も多いだろうとユルングルは苦笑した。


「…ただ、少し血を失い過ぎたようです。このままでは目が覚めぬでしょう。…ここにシスカと同じ血液型の方はいらっしゃいますか?」

「なら俺のを使え。俺の血液は『万有ばんゆうの血』だ。問題ないだろう」


 『万有の血』とは、すべての血液型に無制限に輸血ができる非常に稀な血液型だ。だが、自身は決してどの血液型も受け入れられないので、自己血輸血をするしかない。ゆえに定期的に輸血用の血液を採取する必要がある、非常に厄介な血液型だった。


「…『万有の血』を持つ方に会えるなど、死ぬまでないと思っておりました」


 ラン=ディアは恍惚としながら目を丸くして、ユルングルに視線を向ける。


「一生で出会えれば幸運と言われるほど希少な血液のようだからな。とりあえず俺から取れるだけ取って、それでも足りなければ採取してある在庫を使ってくれ。ダリウス、準備を頼む」

「…そうやって簡単に在庫をお使いになるから、なかなか貯まらないのですよ」

「仕方ないだろう。使える時に使わなくて何の為の血液だ」

「貴方の為の血液です。今貴方に何かあればどうするのです?」

「その時は運がなかったと諦めるしかないだろうな」


 さも些末さまつな事のように言い放つユルングルに、ダリウスはため息を落とす。ダスクの為に在庫を使う事が不満なわけではない。ただ己を心配しての言葉だと、ユルングルは承知していた。


 それでも折角ある物を使わないという選択肢はそもそもユルングルの中にはなかった。決して自分を粗末に扱っているわけではない。現状、自分には不要な物だ。ならば必要としている者がいるのなら、それは使うべき時が来たという事なのだろう。ましてや、今回は腕を落とした張本人だ。血液を出し渋っている場合ではない。


 十中八九こうなるだろうと予測はしつつも、ダリウスはやれやれとため息交じりに呆れながら、準備を始める。

 一事が万事こんな調子なのだ。血を採取した日は体がだるいやら、疲れるやら散々文句を言っている割に、使う時は決して躊躇わない。何かあった時の為に少しは在庫を残してほしいとひやひやしているのに、当の本人はいつでも大盤振る舞いだ。おかげで在庫が貯まったためしがない。貯まった矢先にこうやってすぐ使ってしまうのだ。少しは保身に走ってほしいと思うのは、贅沢な話だろうか。


「…ダスクとは気心の知れた仲のようだな」


 ダリウスが輸血の準備を進めている中、手際よく左腕の処置をしているラン=ディアにそう話しかけた。


「…二十年来の付き合いですからね。まあ、彼は私の事を小言のうるさい男だと思っているでしょうが」


 眉根にしわを寄せる姿を想像して、くすくすと笑う。


「どうやら貴方も無茶をするお方のようですが、シスカも同類でしてね。なんの縁か、教会内では私は比較的、神官治療の技術も高かったので、いつの間にやらこの馬鹿の専属医師に収まってしまいました。そのたびにひどく説教するので、内心辟易している事でしょう」


 言われて何となく想像する。付き合いは短いが、すでに無茶を好む人物だと認識している。おまけにどれだけ説教しても自覚がないから、さぞ苦労した事だろう。同情を禁じ得ないとユルングルは苦々しく笑う。


 そしてふと、専属医師、という言葉に妙な引っ掛かりを覚えた。


「…だが、ダスクも神官治療ができるだろう?自分で治療できないのか?」


 神官治療がどういったものなのか詳しくは判らないが、ダリウスからダスクの神官治療の技術は非常に高いと聞いていた。ならば専属医師など必要ないだろう。


 何を疑問に思っての質問か察して、ラン=ディアは軽く頷いた。


「治療はできますよ。ですが効率はひどく悪いですね。他人に治癒を施す場合は、100の力を使えば100回復できますが、自己に対する治癒はそうはいきません。100使ってもせいぜい50が限度でしょう」


 ああ、なるほど、と合点がいく。確かに全力で治癒を施しても、たった半分しか回復しないのであれば、無駄に疲れるだけだろう。ましてや治癒が必要という事はそれなりに負傷しているのだ。明らかに他人に治癒してもらった方が効率はいい。 


 それを隠して自分の腕を落とせと言ったダスクを、ユルングルは恨めしそうにめつけた。


(…よくもまあ、それで大丈夫だと言ってのけたな)


 実際大丈夫だったのだが、内心ハラハラしていただけに腹立たしい事この上ない。目が覚めたら散々皮肉を言ってやろうかと思ったが、言ったところで大して堪えない事を思えば、徒労に終わるだけだろう。


「ダスクさんは昔からそういう方ですからね。諦めてください」


 ユルングルの心情を悟って、ダリウスは苦笑い交じりに声をかける。


「さあ、準備が整いましたので、ソファに横になっていただけますか?」


 言われて横になると、ダリウスは慣れた手つきで腕に針を刺す。定期的に血の採取を行っているユルングルにとって、見慣れた光景だ。


 それを横で見ていたラン=ディアは軽く感嘆の声を上げた。


「ずいぶん手際がよろしいですね。医学の心得がおありなのですか?」

「医学の心得と言うにはおこがましいですが、ダスクさんに師事して最低限の事は教えていただきました」


 採血されながら何とはなしに聞いていたユルングルは、すべては自分の為だ、と自責の念に駆られた。

 ダリウスにとって必要かそうでないかの判断は全て自分が基準なのだ。体の弱い低魔力者の自分にとって医学は必要不可欠で、隠されて育てられただけに誰にでも診てもらうというわけにはいかなかった。ダリウスが医学を必要としたのは必然なのだ。


 何となくダリウスの顔を見るのがはばかられて、ユルングルは採取されていない右腕を目元に乗せる。そんなユルングルの耳に、ああ、なるほど、と何かに思い至ったラン=ディアの声が届き、腕を目元から外してラン=ディアに視線を向けた。


「貴方が噂の金髪のお弟子さんでしたか」

「……噂の…?」


 何の事か判らず、二人は目線を合わせて怪訝そうにする。


「ええ、少なくとも教会内では有名な話ですよ。恐ろしく不器用なシスカのお弟子さんは、驚くほど器用で何でもそつなくこなすと」

「……不器用…?」


 鸚鵡おうむ返しに聞いたのはユルングルで、ダリウスはこれには応えない。見れば何とはなしに気まずそうな顔をしているような気がする。


「シスカは何でもこなすと思われがちですが、実はひどく不器用でしてね。今でこそようやく見れるようになりましたが、昔は注射をしようものなら狙った所に刺せず、包帯を巻こうものなら、どうすればそうなるのか疑わしくなるくらいひどいものでした。縫合などは恐ろしくて任せられませんでしたからね。魔力の扱いは天下一品なのに、手先の器用さもそちらに全て取られたのではないかと、よく笑いの種になっておりましたよ」


 言って笑いながら、ダスクの腕に針を刺す、ユルングルから採取された血液は、管を通ってそのままゆっくりダスクの体内に入っていった。


「…あまりダスクさんをからかわないでくださいね、ユルングル様。ずっと気になさっておいでで、散々練習されていたのですから」


 当時、確かにあまりの不器用さに失笑したことを覚えている。だが、寝る間も惜しんで練習を続けるダスクに、一瞬でも揶揄やゆする気持ちを向けてしまった事を強く後悔したのは、もうずいぶん前の話だ。


(…どうしてこの手は、思い通りに動かないのでしょうね……)


 困ったように、そして少し寂しそうに笑って自分の手を見つめていたダスクがひどく印象的で、今でもよく覚えている。


「だからいいんじゃないか」


 まるで玩具でも与えられた子供のように、ユルングルは目を輝かせた。水を得た魚とはまさにこの事だろうか。


「本当におやめになってくださいね」

「…お前は何かとダスクの肩を持つんだな」

「…妬きもちですか?」

「よせ、気持ち悪い。子供じゃあるまいし悋気りんきなど起こすか」


 二人のやり取りを背中越しに聞きながら、ラン=ディアは込み上げる笑いを必死に堪えた。

 どうやらここにも、気心が知れている者達がいるようだと、次第に血の気を取り戻しつつあるダスクを見て、ほっと胸を撫で下ろした。


**


 治療が終わったのは、もう日もどっぷりと暮れ、辺り一面暗闇に包まれた頃だった。


 市街地であれば、この時間はまだ家や店かられる光で明るかったが、隅に追いやられた低魔力者たちの集落からは零れる光もなく、ただただ暗い。隠れ家を隠すように、うっそうと茂った森がさらに不気味さを際立たせていた。


「だからお見送りは必要ないと申し上げましたのに」


 苦笑いして、ラン=ディアは息を吐く。

 治療を終えて帰るラン=ディアを外まで見送るユルングルの顔は青白い。まだ取れ、まだ取れというので本当にぎりぎりまで血を採取した結果だった。


「…俺が仲間を殺めるのを防いでくれた恩人だからな。見送りくらいはさせてくれ」


 確かに死にそうな有様だったが、実際はほとんどダスク自身が処置を済ませていた。輸血はダリウスができるだろうし、そのまま放置していてもおそらく死ぬ事はなかっただろう。

 それが判っていて、なお礼を尽くそうとしているユルングルを、義理堅い男だとラン=ディアは思う。


「おそらく二、三日で目を覚ますでしょうが、もし目覚めぬようでしたらご連絡ください」

「…なんだ、あんたはやっぱりダスク専属か?」

「シスカがいれば私の手が必要になる事はそうないでしょう。必要とあらば、シスカが私に声をかけるでしょうから」

「…ダスクに伝えた方がいいか?」

「伝えなくてもすぐに判りますよ。私の魔力が嫌と言うほど残っておりますからね」


 神官と言うのは不思議な生き物だと思う。魔力で個人が特定できるなど、操魔を覚えて大分経つが、それでもユルングルには理解できなかった。


「…大丈夫ですか?ユルングル様」


 今にも倒れそうになる体を、ダリウスの肩を借りて必死に堪えているユルングルに、心配そうに声をかける。


「…貴方もしばらくは休養が必要です。決してご無理はなさらないように」


 そう告げて、やれやれとラン=ディアは息を吐く。次いで同情に近い面持ちでダリウスを見た。


「貴方も苦労が絶えないようですね」

 

 シスカに散々振り回された自分を見ているようで、同情を禁じ得ない。


「お察し頂けて何よりです」

「…おい、こら。俺はあれほどひどくはないぞ」


 誰と対比しているかは聞くまでもないだろう。

 ひとしきり笑って、ラン=ディアは深々とこうべを垂れた。


「…どうかあの馬鹿を、よろしくお願いいたします」


 それは同僚としての言葉ではなく、友人としての頼みなのだろうとユルングルは思う。


「…どうしても面倒が見切れなくなったらあんたに突き返すから、覚悟しておいてくれ」


 憎まれ口を叩くユルングルの顔は、よりいっそう青白い。これはシスカに引けを取らないだろうと、ラン=ディアは失笑しながら帰路に就いた。


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