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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第五部 捲土重来(けんどちょうらい)

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もう一人のユルングル・一編

 ユルングルの居室は、アレグレットの屋敷から要塞の一室に移される事になった。


 元よりそのつもりだったのだろう。ガーランドには秘匿とするよう念を押し、困惑する騎士を恫喝してべドリーが事前に準備をさせていた一室へと、アレグレットはユルングルを支えながら向かっていた。


(………憔悴しきっておられる………)


 それもそのはずだ。

 つい先程、体に鞭を打ち皇太子との決闘を終え、その最中に起きた大きな心臓の発作を抱えたまま、皇王にあれほど激しく思いの丈をぶちまけたのだ。


 ちらりと視界に入れたユルングルはもう意識を失う寸前なのか、弱い吐息を繰り返し、蒼白な顔で虚ろに視線を泳がせている。その姿は今にも倒れてしまいそうで、見ていてひどく心許ない。彼の命の灯火が今まさに消えてしまうのではないかと湧き出る不安を打ち消しては、また脳裏を支配するという事をアレグレットは心中で繰り返していた。


 そんな中で、アレグレットはつい先ほどの皇王との対峙を思い浮かべる。


(……あれは、ユルングル様の本心なのだろうか……?)


 ユルングルのその声音も、表情も、体全身から皇王に対する憎しみが見て取れた。あれが演技であれば、間違いなくユルングルは名優だろう。そう思えるほど、誰が見ても彼は復讐を成そうとしているように見えた。


 なのに、なぜだろうか。アレグレットにはユルングルがひどく無理をしているように感じるのだ。それはおそらく、この数日間を彼と共に過ごし、ユルングルという人物がどういう人間であるか、アレグレットの中で確固たるものとして確立したからだろう。


「……ユルングル様、こちらになります」


 部屋の前についたアレグレットは、ユルングルに静かに告げる。声をかけられたユルングルは聞こえているのかいないのか、ただ虚ろな瞳で地面を眺めていた。


「………ユルングル様?大丈夫ですか?」

「…………大丈夫……だ……もう………ここで…いい………」

「…!」


 そのままアレグレットを押しのけるように離れて、ユルングルはアレグレットが開けた扉からすり抜けるように中に入る。アレグレットは慌ててその後を追った。


「ユルングル様…!?お一人では危険です……っ!!私が──────」


 言いながら閉じていく扉の隙間をやはりすり抜けるように、アレグレットもまた部屋に入る。ぱたんっと後ろで扉が閉じる音がアレグレットの耳に入ると同時にその視界に映ったのは、もう限界を迎えて意識を失いくずおれていくユルングルの姿と、その彼の体を支えようと手を伸ばす、見も知らない男とも女とも取れる青銀髪の隻腕の人物────。


「…!?」


 アレグレットは咄嗟に腰にある剣を手に取って、有無を言わさず剣先をその相手に向けた。


「誰だ!!!?ユルングル様から今すぐ離れろ!!!!」


 叫んだアレグレットには見向きもせず、その青銀髪の人物は自身の腕の中で完全に意識を失ったユルングルに憂いた瞳を落とす。


「……本当に無茶ばかりなさって……どれだけ貴方の事を心配している者がいると思っているのです、ユルングル様……!」

「────……」


 その、まるで我が子を心の底から慈しみ心配しているような素振りを見せる人物を、アレグレットは目を瞬きながら注視した。


 ────彼は何者だろうか。少なくともユルングルに対して敵意があるようには見えない。むしろダリウスがユルングルへと向ける感情と、ひどく近しいものを感じる。


 そんな戸惑いを見せるアレグレットにようやく視線を向けて、彼は穏やかに笑いかけた。


「貴方は先ほどユルングル様を迎えに来た方ですね?」

「………え?」


 先ほど、というのはおそらく皇太子との決闘を終えた直後の事だろう。それはすぐに察しがついたのだが、アレグレットには目の前にいる人物に心当たりが何一つなく、訝しげに眉根を寄せた。


 青銀髪ともなれば、嫌でも視界に入るはずだ。皇太子の銀髪が遠目からでもよく判るのと同様に、彼の青く輝く髪色は嫌でも目を惹く色だろう。


 なのに、覚えがない。それが解せない────そう思った直後、アレグレットはふと思い出した。


 あの時、怪我をした皇太子に駆け寄っていたうちの一人が、彼と同じく隻腕の人物ではなかっただろうか。


(……いや、だが違う)


 あの時の彼とはその容姿どころか髪色まで違う。彼であるはずがない───そう思うのに、なぜかアレグレットの脳裏からその彼の姿が嫌に焼き付いて離れなかった。


 茫然自失と青銀髪の人物を見つめているアレグレットに、彼はわずかに困惑したような笑みを浮かべて声を掛けた。


「…申し訳ありませんが、ユルングル様をベッドに寝かせてはもらえませんか?片腕ではそれも叶いませんので」

「…!」


 言われてようやく気付いたアレグレットは、慌てて構えていた剣を鞘に戻して、意識のないユルングルの体を青銀髪の人物から受け取る。あまりに軽い体を難なく抱き上げ、そのままベッドに静かに寝かせた。


「すぐにラン=ディア様を呼ぶよう手配いたします…!」

「いえ、その必要はありません」


 寝かせてすぐさま部屋を出ようと踵を返したアレグレットを、青銀髪の彼はやんわりと制した。そのままベッドの脇に座り、ユルングルの手を取って瞳を閉じる。それはラン=ディアがいつもユルングルに神官治療を行う時の仕草とよく似ていると、アレグレットは思った。


「……貴方は、神官なのですか?」

「…『元』ですが」


 目を閉じたまま、くすりと笑みを落として答える彼の姿に、アレグレットは記憶の中に一人だけ思い当たる人物がいる事に気付く。


(……そういえば、少し前に亡くなられたと言う皇宮医が確か、青銀髪の大司教であらせられたはず────…)


 皇太子に次ぐ稀有な青銀髪を有する皇宮医の容姿は、男とも女ともつかないとても綺麗な顔立ちをしていると、ここソールドールにまでその噂は風に乗って届いていた。


 その、彼なのだろうか─────?


(……亡くなってはおられなかった、という事か……?)


 訝しげな表情で神官治療を施す青銀髪の彼を視界に入れていたアレグレットは、だが次第に表情を険しくする彼の様子になおさら怪訝な表情を向けた。


「……ユルングル様のご容態に……何か……?」


 アレグレットは思わず、遠慮がちに訊ねる。その問いかけに彼は、ユルングルの手をゆっくりと布団の上に置いて、盛大に嘆息を漏らした。


「……心不全を起こしかけています。これでは何のために心臓を補佐する魔道具を体内に入れたのか、判ったものではありませんね、まったく……」


 怒っているのか呆れているのか、あるいはその両方とも取れる表情でそうぼやいて、彼は隣で不安げに顔を覗き込んでくるアレグレットに顔を向けた。


「この建物内に医務室はありますか?」

「…!…ございます」

「ではこちらを用意してください」


 言いながら、ベッドの脇に備え付けられた小さな卓の上に置かれているペンと用紙の束を手に取り、何やら流れるように書き記していく。その一番上の紙だけ破り取って、アレグレットに手渡した。


「これは?」

「心臓の機能が落ちた事で胸水が溜まり始めています。これでは呼吸がお辛いでしょう。胸に溜まった水を取り除く機器が医務室にあるはずです。もし医務室になければディア─────ラン=ディアかダリウスが持っているはずですから、すぐに借りてきてください」

「…!承知いたしました…!」


 アレグレットはその紙を受け取って、すぐさま部屋を飛び出す。そのまま医務室へと飛び込むように駆け込むと、驚き目を丸くする医官に簡単に事の顛末を話して、青銀髪の彼が書いた紙をそのまま手渡した。幸い目当ての物は医務室にあったようで、準備をしてくれた医官から奪うようにそれを受け取ると、アレグレットはユルングルの部屋へと取って返した。


「失礼いたします…!!医務室にございました!!!これでユルングル様を─────……」


 そこまで言いかけて固まったように言葉が詰まったのは、扉を開いた先に広がる光景の中に、本来ならばいないはずの人物の姿がアレグレットの視界に飛び込んできたからだった。


 青銀髪の人物の隣に、同じくユルングルを心配そうに見つめる、窓から射す陽光を反射するように銀に輝く髪を持つ、一人の青年の姿─────。


「…!!?」

(なぜここに……っ!!!?)


 アレグレットは後ろの扉が閉じると同時に、体が反射的に動いた。膝をつき、こうべを垂れて、まるで沙汰を待つかのように黙したまま声をかけられるのを待つ。その間も鼓動が激しく波打つのは、唐突に現れた皇太子の存在にただ狼狽しているからだろうか。それとも、皇王を拉致監禁しているのが己の主である領主ペドリー=カーボンだという事を、紛れもない事実として明確に認識してしまったからだろうか────。


 アレグレットの姿を見止めた皇太子ユーリシアは、ベッドに横たわる実兄から視線をアレグレットに移し、おもむろに立ち上がってゆっくりと歩み寄った。


「……貴殿は確か、つい先ほどユルンを迎えに来たうちの一人だな?」

「………はい…!アレグレット=ヴァーンズと申します。……先ほどはご無礼をいたしました事、お詫び申し上げます。そして───…我が主、ペドリー=カーボンの愚かな行為に関しましても……!」

「それは貴殿が謝罪すべき事ではない」

「……っ!ですが─────…」

「それよりも礼を言わせてくれ」

「…………え?」


 思いのほか柔らかい声音に、アレグレットは許しもないのに思わず顔を上げる。その視界に映ったのは、アレグレットのすぐ傍で膝をつき、労うように穏やかな微笑みを向けて来る、皇太子の姿─────。


「ユルンを────兄を手助けしてくれて感謝する。兄は見ての通り本当に体の弱い人だから、また無茶をしないかと内心ヒヤヒヤしていた。……まあ、実際無茶をしていたようだが────それでも、ここに兄の体を気遣ってくれる者がいてくれて、本当に助かった。兄に代わって礼を言わせてくれ。ありがとう、ヴァーンズ卿」

「……!そ、そのような勿体ないお言葉……!!身に余る光栄です……!!」


 再びこうべを垂れて恐縮するアレグレットにユーリシアはくすりと笑みを返して、アレグレットが今しがた持ってきたばかりの床に置かれた機器を手に取った。


「これが胸水を取り除く機器だな?」

「…!私がお持ちいたします…!!」

「これくらいは持てる」


 笑い含みにそう言って、ユーリシアはそれを青銀髪の元神官に手渡す。


「シスカ、これでいいか?」

「ええ、申し訳ございませんが少しお手をお貸し願えますか?」

「ああ、私に出来る事なら」


 頷き、そのまま青銀髪の元神官────シスカと呼ばれた彼の指示通りユルングルの処置を手伝うユーリシアを、アレグレットは膝をついたまま呆然と眺めていた。


(……お怒りでは……ないのか……?)


 てっきり不興を買ったのだと思っていた。─────いや、間違いなく不興は買ったのだろう。どう取り繕うとも、自分は謀反に加担しているソールドール側の人間だ。加えて先ほど傷を負った皇太子に対して、自分はずいぶんと不遜な態度を取った。怒りを向けられる事はあっても、笑顔を向けられる謂れは─────。


「─────…!」


 そこでようやく、思い至る。

 皇太子はあの決闘で、左腹部を実兄であるユルングルに貫かれたのではなかっただろうか─────?


「……あの、皇太子殿下」

「ユーリシアでいい」

「…!……ユーリシア殿下、僭越ながら先ほど受けられた腹部の傷の具合は大丈夫なのでしょうか……?治療をお受けになられた方が……」


 おずおずと遠慮がちに訊ねてくるアレグレットをちらりと視界に入れて、ユーリシアはくすりと笑う。


「見てみるか?」

「……え?」


 言って貫かれたはずの左腹部の服の裾を、ユーリシアは軽くまくり上げる。そこには傷一つない綺麗な腹部だけがあって、アレグレットは目を大きく見開いた。


「……………ユルングル様に、貫かれたのでは……?」

「ああ、見事に貫かれたな。私が用意した、血のりの入った袋だけだがな」

「……!?……血のり……?……では、あの決闘はあらかじめ、ああなるようにお二人で打ち合わせを……?」


 アレグレットのその言葉にユーリシアは思わず吹き出すように笑う。この台詞を耳にするのは今日だけでもう二度目だ。


「皆、同じ事を言うのだな。ユルンには打ち合わせなど必要ないのに」

「…!………予見の力……?」

「…!?」


 ぽつりと落とされたアレグレットの呟きに、今度はユーリシアとシスカが目を見開いてアレグレットを振り返った。


「……予見の力の事まで貴殿に伝えているのか。ずいぶんとユルンの信頼を得たようだな」

「……いえ、成り行きで知ったまでのこと。決してユルングル様の信頼を得られたわけでは───」

「ユルンは成り行きで、伝えなくてもいい事を伝えたりはしない。ユルンのする事には全て意味があるからな」

「…!」


 ダリウスと一言一句同じ言葉を落とす皇太子を、アレグレットは目を瞬いて視界に留めた。

 自分を見返してくる彼のその強い眼差しには、やはりダリウスと同じくユルングルに対する強い信頼が見て取れる。それも、一分いちぶの疑いさえ割って入れないほどの、強固な信頼─────。


「………ユーリシア殿下はユルングル様がこの機に乗じて皇王陛下をしいする可能性を、少しもお考えになってはおられないのですか……?」


 思わず訊ねたアレグレットの問いに、ユーリシアはやはりくすりと笑みを返した。


「私には兄を疑う理由が何一つないからな。たとえユルンが今、父に対してぞんざいな態度を取っていたとしても、それはきっと後々必要な事なのだろう」

「……もし……もしこの先、ユルングル様が皇王陛下に剣を向ける事があったとしても、そのお考えに変わりはございませんか……?」

「変わりはない。私は兄を────ユルンを信じている」

「─────…」


 その揺らぎのない真っ直ぐな視線を寄越す皇太子の姿に、アレグレットは瞠目した。それはユーリシアが、頑なに皇族を恨んでいる素振りを見せ続けているユルングルを無条件に信じているからではない。今まさに自分自身が、目の前にいる皇太子と同じ心持ちをユルングルに対して抱いているからだろう。


 それを見透かしたように、ユーリシアはくすりと笑う。


「どうやら貴殿と私は、同じ穴のむじなのようだな」

「…!……恐れ多い事です」


 バツが悪そうにこうべを垂れるアレグレットを笑ったところで、ユルングルの処置を終えたシスカが静かに声を掛けてきた。


「ユーリシア殿下、ユルングル様の処置が終わりました」

「…!……そうか。……どうだ?ユルンはやはり、しばらく動けそうにないか?」

「はい、たとえ動くとおっしゃられてもおれが力づくでお止めします」

「………お手柔らかに頼む」


 ダリウスとは違ってこういうところは本当に遠慮がないのがシスカだ。なまじ高魔力者なだけに性質たちが悪い─────もとい、力の加減を知らないので心底不安でたまらない。


 ユルンも言って聞くような性格ではないからな、と心中でぼやいて、ユーリシアは嘆息を落としつつ言葉を続ける。


「ユルンはいつ目覚める?」

「明日の夕刻か、明後日の朝にはお目覚めになられるでしょう。……できれば最低でも目覚められてから三日は休んでいただきたいのが本音です。─────もっと申し上げるならば、ひと月は絶対安静をお願いしたいところではございますが」


 『絶対安静』と言う文言だけ嫌に強調するそのシスカの物言いに、ユーリシアとアレグレットは苦笑を漏らす。きっとさらに本音を暴露してもいいのなら、数か月は安静にしてほしいのだろう。それは医学の心得のない二人でさえ、それほどの時間がユルングルには必要だという事が明確に判るからだ。


 だがそれでも、そういうわけにはいかないのだ。

 それほどの時間が与えられるような余裕は、現状どこを探してもない。


 アレグレットの脳裏に、今朝ユルングルが口にした言葉がふとよみがえる。


 ─────『必死に耐えて体を動かしてるんだよ。なのに休めと誘惑する奴があるか。……頼むから、甘やかしてくれるな』


 ユルングル自身、本当は休みたくて仕方がないのだ。

 そんな誘惑に背を向けて、歯を食いしばり、必死に耐えている。


(……出来る事なら休ませて差し上げたい)


 ひと月は無理でも、せめて三日くらいは─────。


 思ったアレグレットの心の声を拾うように、ユーリシアはそのよく通る声で明朗に告げた。


「では休ませよう、ユルンを。ひと月は無理でも、三日くらいは」

「─────え?」

「そのために私はここに来たのだからな」

「…?……それは一体、どういう意味です……?」

「もちろん私がユルンの代わりをするという事だ。私が代理を務めても差し障りのない範疇だけだがな」

「で、ですが……!さすがにユーリシア殿下がこの要塞の中を大手を振って歩かれるわけには……!」

「判っている。だからシスカに用意してもらったのだ」


 言いながらシスカと二人目を合わせてくすりと笑い、懐から何やら腕輪を取り出す。それは七色に輝く石が印象的な腕輪だった。


「……それは?」


 小首を傾げて怪訝そうに訊ねるアレグレットの質問には答えず、ユーリシアは代わりに笑みを落としたままその腕輪を自身の腕に着ける。瞬間、アレグレットの視界が唐突にぼやけた─────いや、ぼやけたように感じた、と言うのが正解だろう。


 銀に輝く髪が闇を思わせる黒に、そして凛々しく端正な顔が目鼻立ちのはっきりとした、見慣れた見目麗しい顔に変わっていく。時間にして、おそらく秒もかかってはいないだろう。つい先ほどまで目の前にいた皇太子は、その面影を少しも窺い知れないほど、どこからどう見ても第一皇子ユルングルにしか見えない姿に変わっていた。


「─────…」


 目を見開き唖然とするアレグレットに、先ほどまでは皇太子だった、ユルングルとおぼしき人物はにやりと笑う。


「アレグレット、と言ったな?しばらくは私の────俺の補佐として傍に付き従ってもらうぞ?」


 その仕草も声も、もうアレグレットにはユルングル以外の人物に見る事は、ひどく難しかった。


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