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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第五部 捲土重来(けんどちょうらい)

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ソールドール偵察・終編

 アーリアは困惑していた。

 家まで送ってくれるというユルンの言葉を信じてついてきたものの、アレグレットという騎士とミシュレイの仲が妙に険悪だったからだ。


「………え……っと…二人はどういう関係───」

「…きょうだ───」

「赤の他人」


 アレグレットの言葉を遮って、ミシュレイは声を大にして答える。どうやらミシュレイの方が一方的にアレグレットを避けているらしい。赤の他人と言われたアレグレットは、怒っているような、それでいて少し落ち込むような複雑な顔を俯かせている。


「…何だかミシュレイがアレグレットさんをいじめてるみたい」

「…!い、いじめ…!!?人聞きの悪いこと言うなよ…!!最初にいじめられたのは俺の方だぞ…!!」

「…!いじめた覚えはない…!!どうして助けたのにいじめだと言われなきゃならないんだ…!!」

「助けた…!?何様だよ…っ!!?誰も助けてくれなんて言ってねえだろ…!!!」


 自分の言葉がきっかけでついに口論が勃発して、アーリアはなおさら困惑を極める。どうやって仲裁したものかと考えるアーリアの視界に、自分たちを追って来たであろう傭兵崩れのならず者たちの姿が入ってきて、アーリアは体を強張らせた。


「ミシュレイっ!!アレグレットさん…っっ!!危な────」

「邪魔をするなっっ!!!取り込み中だっっ!!!!」


 アーリアの言葉などまったく耳に入っていないのか、二人仲良く一言一句違わぬ怒声を同時に吐き捨てて、やはり仲良く、襲ってくるならず者たちを瞬殺する。そのまま襲われた事実などなかったかのように再び言い争いを始める二人に、アーリアはたまらず呆れたため息をいた。


(……………この二人、見た目は全然違うのに似た者同士よね……)


 口論している割に仲が良さそうに感じるのは気のせいだろうか。いやいや、似た者同士ゆえに衝突が起きるのかもしれない。いわゆる『喧嘩するほど仲がいい』の典型かしら、とどうでもいい事を考察しつつ、アーリアはその場にしゃがみ込んで二人の口論を眺める事に決める。


「…だったら…!私がお前を助けなければ満足だったのか…!!」

「ああ…!!いっそそうしてくれた方がせいせいしたよっっ!!!そうしてくれれば、あいつらの亡骸なんて見なくて済んだんだっっ!!!あいつらと暴れに暴れてっっ!!一緒に殺されてた方がまだましだっっっ!!!!」

「…っ!!!!!………なら、お前は……!!……私にお前の亡骸を見ろと言うのか……っ!!?お前の亡骸の始末を、私にしろと言うんだな……っっ!!?」

「……っ!!」


 怒鳴ると言うよりも、静かな怒りを多分に込めた声音でアレグレットは歯を食いしばりながら言葉を吐き出す。思わぬ切り返しを受けて、ミシュレイは二の句が継げずに思わず口を噤んだ。


(…………ユルングル様の仰った通りだ……)


 アレグレットは、無意識にか拳を固く握る。


 何が正しいのかなど、考える必要もなかった。たとえ自分の取った行動がミシュレイにとっては間違いであっても、自分にとっては紛れもなく正解なのだ。


(…何のために助けたのか、だって……?そんなの、自分のために決まってるだろう…!)


 アレグレットは意を決したように強い瞳をミシュレイへと向ける。


「私はもう二度と、お前に謝ったりはしない」

「…!……何だよ、開き直るつもりか…!?」

「謝る必要がないと判ったからだ。私がお前を助けたのは、別にお前に好かれるためでも感謝されるためでもない」

「…!じゃあ何のために助けたんだよ…!!頼んでもねえのに…っっ!!!!」


 アレグレットの胸ぐらを掴み、勢い余ってアレグレットの体を壁に押し付けるミシュレイを見据えて、静かに答える。


「お前に生きていてほしいからだ」

「…!」

「嫌われていようが何だろうが別に構わない。ただ私が、お前が死ぬところを見たくなかったからだ」

「………な……っ!」

「だから何度でも助けるぞ、ミシュレイ。お前がどれほど嫌がろうが、やめろと叫ぼうが、私は何度だってお前を助けてやる。私はお前が生きてさえいれば、それ以上望むものはないからな」


 最初から、こう言えばよかったのだ。

 ミシュレイがどう思うかなど気にせず、自分がどうしたいかを考えればよかったのだ。この八年、ミシュレイの心ばかりを追って肝心の自分の心はずっとなおざりにしてきた。謝罪して、迷って、後悔して、この八年を無為に過ごした。


 自分本位だと、思う。

 ミシュレイの事情など一切意に介さず、自分の心をただ押し付けているだけに過ぎない。

 それが判っても、アレグレットの心はいっそ清々しかった。

 ようやく自分の本当の気持ちをミシュレイに伝えられたようで、心は妙に晴れやかだった。


(………どのみちこれ以上嫌われたところで、大して違いはないだろう……)


 そう自嘲気味に笑みを落としながら視界に入れたミシュレイの顔は、なぜだか妙に赤らんで見える。あまりに自分勝手な発言に、怒り心頭に発して憤慨しているのだろうか────そう思って眉根を寄せるアレグレットをめつけるように視界に入れて、ミシュレイは怒鳴る。


「な…っ!!な…っ!!!な…っ!!!!何っっだよっっっ、そのキザったらしい理由は…っっっ!!!!!いくら相手が弟だからってなっっ!!!言っていい事と悪い事があんだぞ…っっ!!!!」


 ────別に悪い事ではない。


「…??………ミシュレイ、お前……照れてるのか……?」

「照れるか────っっ!!!!ってか、そんな臭い台詞真顔で言われて照れない奴がいると思うのかっっ!!!!」

「…………どっちなんだ?」

「うるさいっっ、この天然たらしっっ!!!!もういいっっ!!俺はユルンちゃんとこに戻るっっ!!!」


 そのまま踵を返して元来た道を戻っていくミシュレイの背を、アレグレットは目を丸くして見送る。


「……た、たらし……?」


 見送る背にぽつりと呟いて、怒っているのやら照れてるのやらよく判らない反応を示したミシュレイの姿を怪訝そうに見送るアレグレットの耳に、くすくすと忍び笑いする少女の声が届いた。


「…!……ああ、申し訳ない…!君の存在をすっかり忘れていたね」

「ううん、いいの。面白いものを見せてもらったから。…アレグレットさんとミシュレイは兄弟なの?」

「…血の繋がりはないけどね、弟のように思っている。あいつはいつも無茶ばかりするし、怪我をしても放置するから見ていて危なっかしいんだよ。…だからどうしても、目が離せない」

「…アレグレットさんはミシュレイが大好きなのね」

「…!…………語弊があるといけないから念のため言っておくけど、あくまで『弟』としてだから…」


 何やら頬を染めながら温かい目と笑い含みに告げられて、アレグレットは面映ゆそうに告げる。決して間違っているとは言わないが、面と向かって直球で言われると恥ずかしくてたまらない。そんな様子のアレグレットをもう一度笑って、アーリアは去って行ったミシュレイの遠ざかった後姿を視界に入れた。


「…どうして喧嘩してるのかはよく判らなかったけど、ミシュレイも本当はアレグレットさんと仲直りしたいのね」

「……え?」

「だってアレグレットさんの不意打ちの言葉に耳まで真っ赤にしてるんだもの…!本当に嬉しかったのね、ミシュレイは…!」

「…!」


 そうだろうか、と思いつつ、アレグレットはもう一度ミシュレイの姿を視界に入れる。

 今まで何を言っても頑なだったミシュレイの態度は、アーリアの言う通りわずかにだが軟化したようにも思えた。


(…………久しぶりにあいつの口から、弟という言葉を聞いたな……)


 昔はよく、自分を『アレグレットの弟』と公言していた。もしこれが本当に態度の軟化を示しているのなら、なんて容易い事だったのだろう。


 ユルングルの言う通り八年も無駄に時を費やした気になって自嘲と呆れをふんだんに乗せたため息を落とし、アレグレットはふと思い出す。


(……ああ、そういえば……)


 後で判る、とユルングルは告げていた。

 アーリアを家まで送る者の名にミシュレイが入っていなかった理由を、ユルングルはそう答えていた。


(………またユルングル様の仰る通りになったな)


 そうして今度はくすりと笑みを落として、アレグレットはユルングルの予見通り、アーリアを連れて再び路地を進み始めた。


**


 剣が落ちる重々しい音が路地に響いて、ガーランドとカルリナは慌ててそちらに顔を向ける。ちょうどならず者たちをすべて蹴散らした直後の事だった。


「殿下…!?」

「ユルン…っ!!!」


 二人の視界に入ったのは、胸を抑えながら意識を失うようにくずおれていくユルングルの姿。ガーランドよりも近くにいたカルリナは、慌てて倒れていくユルングルの体を支えて驚く。その、あまりに細い体躯────。


「…!?」


 分厚い外套の上からでも判る、骨ばった体。自力で立つ事も出来ないのか、ユルングルの体を支えるカルリナの腕に力なくもたれかかっているはずなのに、その腕にかかる重みが信じられないくらいに軽い。


 カルリナは目を見開きながらユルングルの体をゆっくりと地面に下ろし、上半身だけを支えた。


「おい…!!ユルン…!!大丈夫か…っっ!!?」

「………だいじょ……っ……軽い……発作……っ」

「発作…っっ!!?どっちだっ!!?どっちの発作だっっ!!?」

「………しんぞ……っ」


 ガーランドの問いかけに何とか絞り出すように答えを返すユルングルの顔色は、かなり悪い。血の気が失せたように顔面蒼白で額に冷や汗を浮かべ、胸痛があるのか胸の辺りを必死に抑えている。そのただならぬ様子にカルリナは、眉根を寄せた顔をガーランドに向けた。


「…殿下は何か持病がおありで…?」

「心臓がかなり弱いんだ…!数日前まで歩くことさえ出来なかった…!!」

「…!?そのようなお体で彼らと剣を交えたのですか…!?」

「ああ…!それに血友病って厄介な持病まである…!!」

「…!血友病…!?」


 カルリナの遠い記憶の中にある、その病名────それが他ならぬ皇妃の命を奪った病である事を、カルリナは覚えていた。


(…あの病は万有の血を持つ者だけが罹患する病……ではユルングル殿下も万有の血を…?)


 だとすれば、なんて無茶な事を。

 これほど痩せ細り、病に冒された体で剣を握るとは────。


 あまりに無謀な行いに、カルリナは思わず渋面をユルングルに向ける。己の腕の中にある彼の肩は、あまりにも薄い。


 これほどまでに細い両肩に、この国の命運を背負わせてしまっているのだろうか────。

 思わず憐憫の情が沸々と湧いて、無意識にその細い肩を握る手に力が込められた。


「おい…!!ユルン…!!ラン=ディアはどこだ…!!?判るんだろう…!!?」

「……いい……っ……心臓の薬……ミシュレ…持ってる……!」

「…!?あいつが戻るまで体がもつのか…!!?」


 その質問に蒼白な顔を小さく頷かせるユルングルに、ガーランドは舌打ちをする。


(発作が起こると判っていたな…っ!!)


 判った上で、心臓の薬をミシュレイに持たせたままにしていたのだ。


 本当ならラン=ディアを呼んで処置してもらう方が安心だろう。それでもユルングルがラン=ディアの場所を教えるつもりがない以上、ラン=ディアを探す時間の方が惜しい。


 とにかくユルングルが休める場所に────思ったガーランドの脳裏に、先ほどミシュレイに向けたユルングルの言葉を思い出す。


(だから宿屋なのか…!!?)


 本当にまどろっこしい、ともう一度舌打ちをして、ガーランドは周囲を見渡した。

 ここからならユルングルが告げた『紫苑しおん亭』までは歩いて五分と言ったところだ。すぐさま行きたいところだが、この路地に無数に転がっているならず者たちの身柄をそのままにしておくわけにもいかない。かと言って、この街に詳しくないカルリナに、指定の宿まで連れて行ってくれと頼んだところで迷わず行けるか不安だった。


 判断に迷って二の足を踏むガーランドに、ユルングルは吐息交じりに告げる。


「……アレグレッ……頼んで……ここ……も…すぐ……騎士たちが……」

「!?…アレグレットが手配しているんだな…!?」


 こくりと頷くユルングルにようやくガーランドは決心して、カルリナにユルングルを託したまま紫苑亭へと急いだ。


**


「…少し落ち着いたか?ユルン」


 顔色は依然蒼白なままだが、胸痛は少し収まったのか胸の辺りを抑える手が若干緩んでいるのが見て取れて、ガーランドはベッドに横たわるユルングルに声を掛ける。その問いに無言のままただ頷くユルングルを視界に入れて、ガーランドは安堵と不満を存分に乗せたため息を落とした。


「…無茶をするなと言う言葉を、一体いつになったら理解できるようになるんだ?お前は」


 それには冷や汗がにじむ顔に、にやりと笑みを浮かべる。馬の耳に念仏なのだと悟って呆れ顔に盛大なため息を再び落とし、ガーランドはカルリナに向き直った。


「…馬鹿に付ける薬がないか、皇太子殿下に聞いておいてくれないか?カルリナ」

「……は…っ!……どんな薬だろうが……吐き出してやる…!」

「…減らず口が叩けるなら、まずは一安心だな」


 ユルングルの減らず口は体調に比例するという事を、ガーランドはすでに学習済みだ。とりあえず減らず口を叩けるくらいには回復しているのだろうと理解して、ガーランドは内心で胸を撫で下ろした。


 その二人のやり取りを傍で聞いていたカルリナは、目を白黒とした様子でガーランドに問いかける。


「……ガーランド殿は……その……この方が第一皇子殿下であるとご存じで…?」

「ああ、ユルンから直接聞いた」


 その割に、ずいぶんと気安い────そう言いたげなカルリナの表情を悟って、ガーランドは得心したように告げる。


「…ああ、こいつはかしこまった態度を嫌うんだ。あんまり礼節をわきまえすぎると、こいつの眉間のしわが無限に増えるぞ?」


 闊達な笑い声と共にそう告げられて、ユルングルは不機嫌そうに顔をしかめる。どう返答したものやら困惑するカルリナは、やはり蒼白な顔に不機嫌を表すユルングルをちらりと視界に入れた。


 本当は第一皇子に訊きたい事が山のようにあるのだ。

 ユーリシアの命を狙っていた事、皇室を恨んでいた事、この謀反にどういう形で関わろうとしているのかという事と、何をするためにここソールドールに潜伏しているのかという事────。


 訊きたい気持ちは山々だが、さすがに彼のあまりに病弱な状態を知ってしまった今では、どうしても問い詰める気にはなれなかった。何よりこの宿屋に着くまでの道中、抱えたその腕にかかる、あまりに軽すぎる彼の命────。


(…ユーリシア殿下と、あまりに違い過ぎる……)


 ユーリシアの実兄と聞いて、勝手に屈強な人物を思い描いた。

 皇族は皆、強さと威厳を持ち合わせている。その筆頭と言うべき、歴史上最も多い魔力を有する皇太子。その実兄のはずなのに────。


 強さの象徴と言うべきユーリシアの実兄でありながら、何と儚い事か。

 たとえ彼がこの謀反の後押しを企てていたとしても、力づくで止めるにはあまりに儚く脆い。


 同情とも憐憫とも取れる感情を第一皇子に対して抱いているのだと自覚して、困惑するように自身の手を見つめるカルリナに、ユルングルは声を掛ける。


「………俺に対して妙な情を抱くな……それよりも自分がやるべき事をやれ……」

「…!」

「………師父……カルリナを連れていけ………」

「…!…お前を一人にして大丈夫なのか?」

「……問題ない……すぐにミシュレイが来る………」


 そういうユルングルの額には、未だに冷や汗が浮かんでいる。強がっている事は明白だろうか。


(……だからと言って、素直に助けを求める奴じゃないんだよな……)


 むしろ自分たちがここに居座れば、人前で弱さを見せたがらないユルングルはやはり何でもないふりをして、満足に体を休める事さえしないのだろう。結局ダリウスの代わりは誰にもできないのだと悟って、ガーランドは深いため息を落としながら下ろしたばかりの腰を上げた。


「……判った。隣の部屋にいるから、何かあれば呼べ」

「…!よろしいのですか…!?」

「いいんだ。こいつは人の言う事なんざ聞きゃしないからな」

「ですが……!」


 素直に部屋を出て行こうとするガーランドに驚き、カルリナは後ろ髪を引かれるように蒼白な顔のユルングルとガーランドを互替かたみがわりに見る。


 ただの病人ではない。放っておけば死んでしまうのではないかと思ってしまうくらいの重病人なのだ。そんな第一皇子を本当に一人にしていいものなのかと困惑しながらも、ガーランドに追従して躊躇いがちに部屋を出ようとするカルリナの名を、ユルングルは呼ぶ。


「……カルリナ」

「…!」


 振り返った視界に唐突に現れた剣を、カルリナは造作もなく受け取る。海を思わせる紺碧の色を携えた剣の柄と鞘が、目に鮮やかな剣。つい先ほど、ユルングルが使っていた剣だ。


「…?……これは?」

「……ユーリシアから預かっていた物だ……確かに返したと伝えてくれ……」

「…!…ユーリシア殿下の…」


 道理でどこか見覚えのある剣だと思った、とカルリナは内心で得心して了承したように頷く。

 剣を渡すために体を無理に起こしたのだろう。蒼白な顔がなおさら血の気を失って気怠そうに息を荒くするユルングルに、もう横になるよう慌てて声を掛けようとしたカルリナを、ユルングルは先んじて制した。


「……それと……もう一つユーリシアに伝言だ……」

「…!……承ります」


 了承するように首肯を返すカルリナは、次の瞬間目を大きく見開くことになる。

 その耳に届いた、信じがたい言葉────。


「……明日、ユーリシアに一騎打ちを申し込む……!」

「…!!?…お、お待ちください…!!…一騎打ち…!?…一体、何を仰っておられるのです…!!?そのようなお体で、よりにもよってユーリシア殿下と一騎打ちなど…っ!!!死ぬおつもりですか…っ!!?」

「……お前は、何か勘違いをしているようだな……」

「…?……勘違い…?」

「……俺が皇王を助けるために…ここにいるとでも思っているのか……?」

「…!!?」


 カルリナの脳裏に、ゼオンの言葉が否応なく蘇った。

 彼はずっと、第一皇子が本当に皇王を助ける気があるのかと問い続けていた。

 その疑念が、カルリナの目前に確固たる真実として存在している。


「……ユルングル殿下は……やはり今も皇族を恨んでおられるのですか……?」


 その問いかけに答えない代わりに、見ればその弱々しい体とは裏腹に自分を見据えるユルングルの瞳は強い。たとえ誰に何を言われようとも、それに屈する事も意思を翻すつもりもないのだと語っているようで、カルリナは思わずガーランドを振り返った。


「ガーランド殿…!!よもや貴方も反旗を翻すおつもりなのですか…っ!!?」


 第一皇子とガーランドは明らかに手を組んでいるように見受けられる。それは彼らの親しげなやり取りを見れば明らかだろう。だとすれば、ガーランドの意図がどこにあるかを知る必要があった。


 ゼオンはガーランドが謀反に与している可能性はない、と予想した。その予想が当たっているという前提で、カルリナは動いていた。もしそうでないのなら、早急に軌道を修正する必要がある。


 それを見極めるかのように険しい視線を寄越すカルリナに、ガーランドはたまらずため息を落とした。


「……お前は本当に事をややこしくする天才だな、ユルン」

「……好きでややこしくしているわけじゃない……する必要があるからしているだけだ……」

「…だとしても、もう少し上手くやってくれ。誤解が生まれると面倒だろうが」

「…………誤解があれば…………解けば…いい……………」


 そろそろ体を起こしていられるのも限界が来ているのか、胸を抑えていない方の腕をベッドについて必死に体位を保とうとしている。もっと文句を言ってやりたい気分ではあったが、これ以上ここに居座れば体に障ると判断して、ガーランドは諦観のため息を吐きながらカルリナに視線を送った。


「…聞いての通りだ。誤解を解いておくが、俺に────俺とここソールドールに反旗を翻す意思はない。我々は皇王陛下をお助けするために動いている。…謀反を起こそうとしているのは領主であるベドリー=カーボンだけだ。恥ずかしい話だが、はき違えないでくれ」

「…では、ユルングル殿下は何故……?」

「あいつにはあいつの事情がある。今は判らんだろうが────」


 信じてやってくれ────そう続けようとした口を、ガーランドは思わず噤む。


(……それすら言えないのか……)


 皇王を助けるためには、疑心の種を蒔くしかない。この弱々しい体で一人奮闘するだけではなく、彼に対する疑心と悪意に晒されながら踏ん張るしかないのだ。辛い立場に立たされているユルングルを思って、ガーランドは腹立たしそうに頭を掻きながら小さく舌打ちをする。


「…とにかく、これは避けて通れない道だ。…判ってくれ」

「ですが…!」

「……カルリナ=バークレイ」

「…!」


 そんな曖昧な返答では得心など得られるはずもない────そう言いたげに食い下がろうとするカルリナの名を、ユルングルはひどく静かな声で呼ぶ。そのあまりに冷たい声音に、カルリナは弾かれるように声の主を振り返った。その視界に映る、病弱なほどに青白い、だがそれでいて鳥肌が立つほどの威厳と殺気を多分に含んだ強い瞳────。


「………ユーリシアに伝えろ。……皇王を助けたければ俺を殺す気で立ち合え、と……。…でなければ……俺がお前と皇王の命を絶つ……!」


 その仄暗い声音と突き刺すような強い視線に、カルリナは思わず口を噤む。


 目前のベッドに座する男は、今にも死んでしまうのではないかと不安になるほどの病弱な人間だったはずだ。今も変わらず蒼白な顔に冷や汗を浮かべて、胸を抑えながら肩で息をしている。弱々しい人間────なのに一体どこから、身震いするほどの圧倒的な威圧感を出しているのだろうか────?


 それがいかにも皇族に対する恨みから来る感情のように思えて、カルリナは眉根を寄せる。代わりにガーランドが、やはり盛大なため息を落とした。


「…言いたい事は山のようにあるだろうが、もうそれくらいにしてやってくれ。これ以上はあいつの体に障る」

「…!」


 その言葉に、カルリナは我に返る。もう一度視界に入れたユルングルは、未だ強い光をその瞳に宿してはいるものの、蒼白で息も荒く体を支えている腕も震えている。意識を失う寸前なのだと悟って、カルリナはただうやうやしくこうべを垂れるしかなかった。


**


「…………卑怯だぞ、ユルンちゃん」


 ユルングルがいる宿の一室に通されたミシュレイは、開口一番にそう告げる。


 やれるものならやってみろ、とユルングルは言った。

 散々文句を言ってやる、と毒づいたミシュレイに、ユルングルはにやりと笑ってそう返した。


 言われた通り紫苑亭という宿屋に向かう道中、ミシュレイはユルングルにぶつける言葉を何度も口の中で反芻していた。それはアレグレットから受けた不意打ちの言葉を念頭からかき消すための行為だったが、ユルングルがいるであろう宿の一室を勢いよく開けたその先に、今にも死にそうな顔色でベッドに横たわるユルングルの姿があって、ミシュレイの中の怒りの炎は一気に鎮火する事になる。


 このような状態の人間に、一体誰が悪態をけるのだろうか────。


 やれるものならやってみろ、という言葉の意味をようやく悟って、ミシュレイは憤慨とも心配とも取れる複雑な表情でベッドに歩み寄った。


「…何でさっきの今で死にそうになってんだよ。俺がいない間に何があったんだ?」

「………心臓の……発作……薬……持ってるだろ……?」

「…!」


 ぽつりぽつりと弱々しい声で言われて、ミシュレイはようやくダリウスから預かった心臓の薬の存在を思い出す。


「悪い…!ダリウスの兄貴から預かってたんだった…!待ってろよ…!!」


 慌てて心臓の薬を懐から出し、ユルングルの体を支えて取り出した薬一錠と水を飲ませる。人心地ついたように一つ深呼吸をするユルングルを確認してから、もう一度ベッドにそっと寝かせた。


「…ってか、ユルンちゃんの事だから発作が起こる事も心臓の薬を俺が持ってる事も判ってたんだろ?ならさっさと俺から薬受け取っていれば、こんなに苦しまなくて済んだんじゃねえの?」

「…………薬を受け取って……さっさと飲んでいれば……お前からの小言を聞かされる羽目になるだろうが……」

「………そんな事に命張んなよ。ユルンちゃんって頭くそほどいいわりに、時々馬鹿だよな」

「…………ほっとけ……」


 眉間にしわを寄せるユルングルを呆れたように笑って、ミシュレイは腰かけた椅子の背もたれに盛大に身を預け、足を組む。同じように頭の上で腕を組んで、天井を見上げた。


「……アレグレットに余計な入れ知恵したの、ユルンちゃんだろ?」

「………礼でも言いに来たか……?」

「……余計な事すんなよ。俺は許す気なんてなかったのに……」

「……そう言ってる間に……後悔する事になるぞ……」

「…はっ!そんなのあるわけ────」


 そこまで言って、ふと思い至る。


「…俺が後悔する未来が、あったんだ……?」


 思わず背もたれに預けた背を起こして、ユルングルに向き直る。

 肯定も否定もなく、ただ向けてくるユルングルの視線で何が言いたいのかをミシュレイは悟って、小さくため息を落とした。そのまま再び背を預けて、もう一度天井を見上げる。


「……何で兄貴って、あんなに自分勝手なんだろうな?」


 おかげで許すつもりなどなかったのに、許さざるを得なくなった。あんな事を言われては、もう許すしかない。それを正直に表現するかどうかは、また別の話だが。


「………そういうものだろ……」

「…!」

「………兄貴なんてそういうものだ………弟に何かあると判れば……いてもたってもいられなくなる……」

「………」


 ミシュレイは黙したまま、天井に向けた視線をちらりとユルングルに向ける。


「………もう八年だ……そろそろ……前に進んだらどうだ……?」

「…ダリウスの兄貴と喧嘩してるユルンちゃんに言われたくねえんだけど?」

「………だから喧嘩なんてしていない……!」


 喋る事も億劫なくせに、そこだけ嫌に強調するユルングルを、ミシュレイはくすりと笑う。


「……じゃあ、ユルンちゃんならどうすんだよ?」

「……ん?」

「俺とまったく同じ状況になったら、ユルンちゃんはダリウスの兄貴を許せるのか?仲間を見殺しにしたダリウスの兄貴を怒鳴ったりしねえのかよ?」

「…………怒鳴るだろうな……」

「…そらみろ」

「…………怒鳴って……なじって……なぜだと問い詰める………。……でも…それでも俺は結局……ダリウスを許すしかなくなるんだ………。……俺のためにした事だと…判るから……」

「…!」


 ミシュレイは目を見開いて、ユルングルを凝視する。その言葉を吟味するようにもう一度頭の中で思い返して、ユルングルに視線を戻した。


「…………八年かけて?」

「…………多分…長くて三日……」

「短っっ!!!何だよ、三日って!!」


 それってほとんど怒ったうちに入らないだろ、とケラケラ笑うミシュレイを、ユルングルはぼんやりと眺めた。


(……ミシュレイと俺は…よく似ている……)


 低魔力者の中でも有する魔力が極端に少なく、それゆえに親に捨てられ、実の弟と血の繋がらない兄がいる。実際にダリウスと自分には血縁関係自体はあるという相違点があるものの、義兄との年の差は奇しくも同じ十一だ。


 だからだろう。

 ミシュレイの事を知れば知るほど、自分と重なって見えた。


 だから思うのだ。

 自分には決して訪れない未来を、生きて欲しいと。

 自分の代わりに、後悔する事なく生き抜いて欲しい、と。


「……お前が……幸せになれば……俺も……」


 自分も幸せだったと、胸を張って言えるようになると思うから────。


「…?……ユルンちゃん?」


 小さな囁き声でぽつりぽつりと何かを呟いていたユルングルに、ミシュレイは怪訝な視線を向ける。見ればもう夢現にいるのか、うつらうつらと瞳を閉じては開いてを繰り返している。幾度目かで瞼を完全に閉じて、小さな寝息が部屋に響いた。


「……寝たのか」


 安堵したようにため息を落として、ミシュレイは寝入ったユルングルを視界に入れる。

 つい先ほどユルングルが口にしたのは、きっと寝言だったのだろう。

 あまりに小さすぎて、その内容は定かではない。

 それでも何やら胸の辺りが温かい気分になって、ミシュレイはユルングルの寝顔にくすりと笑みを返した。


「…おやすみ、ユルンちゃん」


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