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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第二部 中央教会編
14/144

皇太子の告白

「おはようございます。昨夜はよくお眠りになられましたか?」


 ラヴィは執務室の窓から外を眺めている自分の主にそう問うてみた。


 今日は各国要人たちが集まる討議会だ。数日前から準備を進めてようやく迎えた討議会だが、今自分の主が端から見ていても判るほど緊張しているのは、それが理由ではない事をラヴィは承知していた。


「…あまり眠れなかった。どうしても気が急いてしまって…」


 ユーリシアは高ぶった緊張感をほぐそうとため息に似た深呼吸をする。これほど気が高ぶるのは六日ぶりにミルリミナに会えるからだ。


 いや、会ってくれるかはまだ判らない。ティーナに協力を求めて庭園までミルリミナを連れてきてもらうよう頼んだが、話をしてくれるか不安で仕方がなかった。


 どう話し始めようか?

 何を話そうか?

 どのように謝れば許してもらえるだろうか?

 そんな考えばかりが頭をよぎって寝る機会を逃してしまったのだ。


 だが不思議な事に未だ眠気が訪れる事はなかった。気が高ぶっているからだろうか。中央教会に向かう時間が迫れば迫るほど、心臓が高鳴り極度の緊張でめまいが起こりそうな感覚に襲われる。


 ミルリミナが皇宮を去って六日、婚約解消を伝えられた日からだともう十三日になる。たった十三日だが、ユーリシアにとっては気が遠くなるほど長い時間のように感じられた。


「ユーリシア殿下、少し紅茶でもお飲みになって落ち着かれてはどうですか?」


 あまりの緊張で倒れてしまわないかとひやひやしながら、ラヴィは入れた紅茶をテーブルに準備してユーリシアを促す。


「…ああ、そうさせてもらおうか」


 ラヴィの心遣いに感謝しながら、ユーリシアはラヴィの入れてくれた紅茶を一口すすってほっと一息ついた。


「…生き返った気分だ」


 ようやく顔がほころんでラヴィは安堵のため息を落とす。


(…それにしてもあの殿下が恋ひとつでこれほどまでに動揺されるとは…)


 少なくともラヴィの知るユーリシアは決して動揺しない人物だった。どんな事態にも冷静に対処し、いつでも皆の手本になる皇太子であろうと、人前で弱い自分をさらけ出すのを何よりも嫌っていた。

 それがラヴィの前ではこうやって動揺する姿も弱い姿も見せるようになっている。ラヴィにはそれがひどく好ましかった。


「…ミルリミナは私と話してくれるだろうか?」

「…お話になられる事はもうお決まりなのですか?」

「いや…どれだけ考えても最適な言葉が思い浮かばないのだ」


 言って深いため息をつく。一睡もできなかったところを見ると一晩中考えていたのだろう、とラヴィは心中で苦笑する。


「…最適な言葉などないのかもしれませんね」

「…え?」

「きっとミルリミナ様とお顔を合わせれば、自然とお言葉がお出になるやもしれません」

「そういう…ものなのか?」

「お慕いしている方のお姿を拝見すれば様々な感情が溢れるのは皆同じです。殿下はただご自分のお心に従って、素直にお心内を言葉にすればよろしいのですよ」

「……恋とは厄介だな」


 困惑したように、またため息を落とす。ここ数日でどれだけのため息をついたか計り知れないだろうとユーリシアは思う。


 どれだけの難題を吹っ掛けられてもこれほど悩んだ事はない。おそらく人生でこれほど悩む事は後にも先にもないだろう。ただ自分の想いを伝えるだけの事がこれほど難解な事だとは思ってもみなかった。そしてこれほどまでに恐ろしいと思う事も。


(…ミルリミナに想いを伝える事を考えただけで手が震える…。我ながら情けないな)


 自嘲しながら震える手を抑えるように強く握る。


「お時間です、ユーリシア殿下」

「………」


 もう逃げも隠れもできない。いや、そもそもしたくもない。例え嫌われていようともミルリミナに想いを伝えるまでは諦めないと誓ったのだ。

 自分を奮い立たせるように、ユーリシアは握った拳をもう一方の手のひらに打ち付けた。


「…よし、行こう」


**


 穏やかな風に乗って、庭園の甘い花の香りがミルリミナの鼻をくすぐった。昨日までの喧騒が嘘のように消え、今は静かで穏やかな時を過ごしている。


「風が気持ちいいですねぇ」


 庭園の木陰の下で敷物を広げながらティーナはひとりごちる。

 まだ討議会が開かれる時間ではないが、皆、会場となる聖堂に集まっているのだろう。中央教会内は閑散とし、ミルリミナを護衛する騎士もウォクライではなく二人の若い騎士に変わっていた。


「今日は庭園でお食事をなさいませんか?」


 そう提案したのはティーナだった。


「お花見のように敷物を引いてお食事なさいましょう!きっと楽しいと存じますよ」


 そう誘われて、ミルリミナは庭園で車いすに座りながらティーナが淡々と準備しているのを眺めていた。


(お花見…ユーリシア殿下とお約束を交わしたのに……)


 ここへ来る途中、ユーリシアが中央教会に来てはいないかと無意識に探している自分がいた。たったひと目だけでもユーリシアの姿を見たいと願ったが、この広さだ。偶然会う確率は皆無に等しい。


(…もう聖堂に行ってしまわれたわね)


 ミルリミナは諦めに似た笑みをこぼす。


「さあ!準備が整いましたよ、お嬢様!」

「…ありがとう、ティーナ。とても楽しそうだわ」


 気落ちしているときは、元気なティーナの存在がとても有難い。どれほどこの笑顔に救われたかとミルリミナは思う。

 いつもミルリミナの代わりに怒り、ミルリミナの為に泣いてくれた。この笑顔はミルリミナにとって太陽なのだ。


「おや?庭園にいたのですね、ミルリミナ様」


 ちょうどミルリミナがティーナの手を借りて敷物の上に座った時だった。ふと背後から声をかけられ、振り返ってみるとシスカがいつもの笑顔をたたえながら木の陰から覗き込んでいた。


「シスカ様!…申し訳ございません、お探しになられましたか?」


 申し訳なさそうに謝罪するミルリミナに、シスカは優しい笑顔で応える。


「いいえ、すぐにこちらだろうと予想がつきましたよ。ティーナがお弁当を持って行ったと聞きましたからね。外で食事をするのなら庭園が一番です。ですがさすがに敷物の上でお食事をされるとは予想できませんでした。とても楽しそうですね」

「ティーナがお花見をしようと誘ってくれたのです」

「…お花見?」

「はい、東の国では桜を見ながらこのように敷物の上で食事を摂るのだそうです。…ここには桜はありませんが、花々がとても綺麗ですので。…もしよろしければシスカ様もご一緒されませんか?」

「…私もご一緒してよろしいのですか?」

「はい、もちろんです!」


 よりにもよって今日お花見などしなくても…とシスカは内心狼狽したが、こう満面の笑みで誘われては無下に断れない。


(…計画実行までにはまだ時間はある。しばらくは大丈夫だろう。…ただティーナを庭園の入口で待機させるはずだったんだが…少々厄介だな…)


 できるだけ焦りを顔に出さないよう平常心を保ちつつ、ミルリミナの満面の笑みにシスカも同じく破顔してみせた。


「では喜んで」

「ありがとうございます!」


 嬉しそうに喜ぶミルリミナに反して、内心狼狽している者がもう一人いた。


 後ろに控えていたティーナだ。


 そもそもお花見に誘ったのも、この時間に庭園に連れてくるようラヴィに頼まれたからだ。そしてもうすぐここにユーリシアが来る事をティーナは知っていた。

 護衛をしている騎士には皇太子が来たら目立たぬよう少し離れた所で控えてほしいと事前に頼んでいたが、さすがにミルリミナの前でシスカにそう頼めるはずもない。ここでシスカが来る事は、ティーナにとって全くの誤算だった。


「…お嬢様。シスカ様はいろいろとお忙しい御身ですから、無理にお誘いしてはご迷惑ではございませんか?」


 ティーナは苦し紛れにそう提案してみる。


「あ…そうね。申し訳ございません。配慮が足りませんでした…」

「いえいえ。私は今日は非番なのですよ。討議会にも出席いたしませんから暇を持て余していたところです。このような席に誘っていただいて感謝しております。ティーナにもお礼を。気を遣ってくれて感謝します」


 シスカは穏やかな笑みで、申し訳なさそうにするミルリミナを気遣う。おまけにそんなシスカを追い出そうとしたティーナにまで謝意の言葉をかけるものだから、ティーナはさすがに後ろめたさを感じてしまった。


(…ああ、でも早くシスカ様をどうにかしないと皇太子さまが来てしまわれるわ!)


 偶然、決行日が重なってしまったのが不運なのだろう。


 計画実行の為にどうしても留まって好機を作りたいシスカと、一刻も早くシスカを遠ざけたいティーナの静かで小さな攻防は、お互いがそうと自覚しないまましばらく続く事になる。


「…あ、そういえば先ほどシスカ様をお探しになられている神官様がいらっしゃったような…」

「おや?誰でしょう?」

「…あ、いえ!お名前までは存じ上げなくて…!」

「では待っていれば向こうから来るでしょう」

「…さようでございますね」


 にっこりと正論で返されて、ティーナは苦笑いしてしまう。


「おや?飲み物は冷たいものだけですか?」

「あ、はい。本日は気温が高く冷たいお飲み物の方がよろしいかと」

「…申し訳ありませんが、暖かい飲み物も用意してもらってもよろしいですか?冷たい飲み物は少々苦手でして」

「…あ、はい…承知いたしました」


 さすがにこう言われては断れない。狼狽しながらも承諾の意を伝えた後、ティーナはふと名案を思い付いた。


「では!僭越ながらシスカ様もお手伝いしてはいただけないでしょうか!?他に忘れ物をしてしまいまして、私一人では少々難しいのです!」


 言わなくても判るが力押しだ。それも猪突猛進なティーナだからこそ成し得る妙技だと言ってもいい。


「ティーナ!さすがにそれはシスカ様に失礼だわ!」

「いいえ!是非ともシスカ様にお手伝いしていただきたいのです!」


 あまりに不躾な願いに、さすがのミルリミナも笑って見過ごす事はできなかったが、それでもティーナは無理やりシスカの腕を取って連れて行こうとする。

 さすがにこの力押しにはシスカも狼狽したが、ふとティーナの顔を見ると何やら自分に向けて目配せしている事に気づいた。


(!…これは…)


 それと同時によく見知った魔力をシスカは感じた。


 皇太子ユーリシアの魔力だ。


 おそらく中央教会の敷地内に入ってきたのだろう。元々シスカの感知能力は高かったが、高魔力者であるユーリシアの魔力はある程度離れていても感知できるほどあまりに膨大だった。


(…なるほど。だからおれをこの場から離れさせたがっているのか)


 ティーナの思惑が見て取れて、シスカは目配せするティーナに小さく頷いて見せた。


「ティーナ!あまり無理強いをしては…」

「いえ、大丈夫ですよ。私でよければお手伝いしましょう」

「…!ありがとうございます!」

「…よろしいのですか?」


 気分を害してはいないかと心配そうにシスカを見るミルリミナに、シスカは穏やかに笑って見せた。


「構いませんよ。女性の願いを断るわけにはいきませんからね」

「…!」


 この容姿で優しげにこう言われては、どきりとしない女性はいないだろう、とティーナは思う。


(…でも40を超えていらっしゃるのよね…)


 さすがに父でもおかしくないほど年の離れた男性にときめくのは、何とも表しがたい気分だ。


「ではミルリミナ様は少しこちらでお待ちいただけますか?さあ、行きましょう、ティーナ」

「…あ、はい…!」

「お二人とも、ミルリミナ様をお願いしますね」


 傍に控えている騎士にシスカはそう声をかけ、二人が頷くのを確認するとティーナと共に足早にその場を離れた。


「…不躾な事をしてしまい申し訳ございません…!これには訳がございまして…」


 ミルリミナの姿が見えなくなったのを確認して、ティーナは小声で小さく謝罪する。


「判っています。皇太子殿下が先ほどいらしたようですからね。お二人の仲を取り持ちたいのでしょう?」

「…!」


 もう皇太子が来たのかと慌てて周りを見渡すが、その姿を見止める事はできなかった。不思議そうにしているティーナに、シスカは少し意地悪そうな笑みをこぼす。


「殿下の魔力を感じたのですよ。ここに来るまでにはしばらくかかるでしょう。ちょうど先ほど中央教会の敷地にお入りになったばかりのようですから」

「…魔力で個人を特定できるのでございますか?」

「神官ならば誰でもできますよ」


 嘘ではない。その感知能力に大小はあれど訓練次第で身に付けられる能力だ。勘がいい者であれば訓練しなくても感知できる者もいる。それほど各々の魔力には個性が出るのだ。


(…リュシテアに行けばおそらく皇太子とはもう会えないだろう。せめて最後の逢瀬くらいは二人きりの方がいい…)


 ミルリミナはまさかこれが最後の逢瀬になるとは微塵も思ってはいないだろう。それを考えるとシスカの心は罪悪感でいっぱいになった。




 一人残されたミルリミナは、庭園を流れる風に身を委ねていた。


「気持ちのいい風…」


 花々の甘い香りをミルリミナのところまで運んでくれる。爽やかで暖かい風に心が癒される一方、ミルリミナには不安な事が一つあった。


 聖女からの啓示だ。

 聖女は言った。教会に来れば導く者が現れると。だが教会に来てから六日経った今も、その導く者が現れる気配はなかった。


 自分が聖女になった意味も、聖女となって何を為せばいいかも判らない。唯一の道しるべが聖女からの啓示だったが、それも未だに判らない事に不安ばかりが募る。


(それとももう出会っているのかしら?…私がそうと気付いていないだけ…?)


「…判らないわ……」

「…何が判らないのだ?」

「…!」


 ただの独り言に返事が返ってきた事にミルリミナは動揺する。そして同時にその声の主が誰なのかも、ミルリミナにはすぐに判ってしまった。


 ずっと会いたいと願った人物。決して忘れられない、低音でありながら穏やかな優しい声。ミルリミナはこの声がたまらなく好きだった。

 目線を上にあげれば、おそらく目の前にいるのだろう。だがその勇気が出ない。胸が締め付けられ鼓動が向こうにまで聞こえてしまうのではないかと思うくらい大きい。


 ひと目だけでもと思ってはいたが、まさか目の前に現れるとは思ってもみなかった。来てくれた嬉しさももちろん大きかったが、次第に不安が心を支配した。


 何をしに来たのだろうか?

 まさか別れを言いに来たのだろうか?

 婚約解消の話が進んだのかもしれない。

 そんな事ばかりが頭をよぎり、さらに目線を上げる事ができなくなった。


「…顔を上げてくれないか?ミルリミナ…」


 怯えさせないように優しく声をかけたつもりだったが、それでもミルリミナは俯いたままだった。


(…やはり私とは会いたくないのだろうか…?)


 ユーリシアの胸がたまらなく疼く。ユーリシアにはミルリミナの態度が、全身で自分を拒否しているように見えて仕方がなかった。


「…私と会うのが嫌ならこれが最後にすると誓おう。だから顔を上げてほしい…」

「……!」


 嫌ではないと思わず叫びそうになって慌てて顔を上げる。


「……ああ、ようやく貴女の顔が見られた」

「……ユーリシア殿下」


 破顔して安堵のため息を落とすユーリシアの姿に、ミルリミナは涙が出そうになる。それをグッと堪えてユーリシアの次の言葉を待った。


「…貴女に話したい事がある」


 そう切り出した後、ユーリシアはそのまま黙ってしまった。

 いや、どう話せばいいのか未だユーリシアには判らなかったのだ。


 ラヴィはミルリミナに会えば感情が溢れるからそれを素直に言葉にすればいいと言った。確かにその通りだ。ミルリミナの顔を久しぶりに見る事ができて感極まった。だがあまりにいろいろな感情が溢れすぎて、何から言葉にすればいいのか逆に判らなくなってしまったのだ。


 加えて以前は特に気兼ねなく話せたはずが、自分の想いに気づいてしまった今は妙に意識して、ミルリミナを直視する事ができなくなっていた。

 心臓が早鐘のように鳴り響き、顔が紅潮していくのが自分でも判る。本当に恋という感情は厄介だと、ユーリシアは改めて思った。


「……ユーリシア殿下?」


 あまりに長い沈黙で、ミルリミナは心配になっておそるおそるユーリシアの名前を呼んでみる。


「…あ、すまない。……もう幾日も貴女にどう話そうかと考えていたのだが…なかなかうまくまとまらなくて……」


 それほど言いにくい事を告げに来たのだとミルリミナはさらに不安になった。

 このまま逃げ出したい気分だが、あいにく車いすまで距離があって逃げるに逃げられない。


「…お別れを、告げにいらしたのですね?」

「…!違う…っ!」


 たまらず自分から切り出したミルリミナだったが、慌てて否定するユーリシアに目を丸くした。


「そうではない!私はただ…っ!……私はただ、貴女と共にいたいと願っているだけだ」

「………え?」

「…傲慢だろう?…貴女が私を嫌っていると判った今でも、この願いだけはどうしても手放せなかった。…婚約解消だけは絶対に受け入れたくはなかったのだ。…貴女と私を繋ぐ唯一の繋がりだ。絶対に手放したくはない…!」


 自分の心内こころうちを絞り出すように告げるユーリシアに、ミルリミナは心臓の高まりを抑える事ができなかった。同時に夢ではないかと耳を疑った。


 これは自惚れてもいいのだろうか?まるで自分の事を慕っているように聞こえる。

 いや、そんなはずはない。こんな自分が慕ってもらえるなどと自惚れていいはずがない。


 ミルリミナの中で否定と肯定が代わる代わる心を支配する。どちらが正解でどちらが間違いか、ユーリシアの態度を見れば火よりも明らかなのに、ミルリミナにはどうしても判断がつかなかった。


「…一つだけお聞きしたい事があります」


 たまらずミルリミナはユーリシアに問いかける。


「…もし私が聖女でなくても、同じ事をおっしゃってくださいますか?」

「!それは困る!貴女が聖女でなければ…!」

「…!」


(……ああ、やはり…)


 彼が望んでいるのは私ではない。聖女という冠を被った私が必要なのだ。

 一瞬でも自惚れてしまった自分が急に恥ずかしく、いたたまれない気持ちになった。


 だが、ユーリシアの口から思いがけない言葉が続けられた。


「…貴女が聖女でなければ、この婚約関係はおそらく維持できない…」

「………え?」

「もともとこの婚約は反対意見が多かった。魔力至上主義者が多い国だ。容易に想像できるだろう。…貴女には不快だろうが、貴女が亡くなった時も喜ぶ貴族が多かった…」

「………」

「だが貴女が聖女として息を吹き返して以降はむしろ国として聖女を繋ぎとめておきたいという意見が多い。…私としては正直、聖女など邪魔でしかない」

「…!」

「生き返らせてくれた事には感謝するが、聖女になったおかげでこうやって離れて暮らさなければならなくなったのだ」


(…おまけに聖女であるがゆえに婚約に賛同する一方、聖女のせいで教会との癒着になるのではと問題視する声も多い……聖女などたった一利に対して百害あるのと同じだ)


「…だが、婚約は私と貴女を繋ぐ唯一の繋がりだ。その為なら聖女としての貴女を受け入れるしかないのだろう…」


 忌々しそうにユーリシアは拳を握る。


 誰もがミルリミナを聖女と呼ぶ現状がユーリシアには耐えられなかった。まるで聖女との婚姻を望んでいるように聞こえるが、自分は聖女と婚約をしているのではない。ミルリミナ=ウォーレンという一人の女性と婚約しているのだ。


 そんなユーリシアの想いが伝わって、ミルリミナはどうしようもなく嬉しい気持ちになった。

 ずっと聖女としての自分にしか興味がないのだと思っていた。優しい言葉をかけてくれるのも、自分の前で笑顔を見せてくれるのも聖女に対する態度なのだとばかり思っていた。


 だがそうではなかった。

 初めから聖女としてなど見てはいなかったのだ。ミルリミナ=ウォーレンとして接していてくれた事に、ミルリミナはようやく気が付いた。


「あ…すまない。これは、貴女が望む答えではなかっただろうか?」


 ふと我に返り、余計な事を口走ってしまったのではないかと慌てて口元を手で押さえる。

 これでは聖女に対するただの愚痴だ。その自覚があってバツが悪そうに目線をミルリミナから外した。


「…いいえ」

「!」

「望んだ以上の答えを頂けて、ミルリミナはとても幸せです…!」


 今まで見た中で一番の笑顔を見せるミルリミナに、ユーリシアはたまらず顔が紅潮するのが判った。

 この笑顔は反則だ。

 もともと照れてミルリミナの顔もろくに直視できないのに、そこに至ってこの笑顔だ。あまりに愛らしく、また別の意味で目線をミルリミナから外した。


「…ただ一つだけ、ユーリシア殿下は思い違いをされております」

「…思い違い?」

「私は殿下の事を嫌ってなどおりません。むしろ……」

「!…むしろ……?」


 ユーリシアは一瞬どきりとし、その先の言葉を促す。だがミルリミナは無言のまま次第に顔を赤らめた。


「…この先は…その……ひ、秘密、でございます…」


 赤らんだ顔を隠すように両手で顔を覆いそむける。

 これもまた反則だとユーリシアは思う。その姿がまたもや愛らしく、気を抜けば抱きしめたくなる。

 平常心を保とうとユーリシアは小さく咳払いをした。


「…ではいつか、その続きを聞かせてくれないか?」

「!…はい、お約束いたします」


 二人はお互いに顔を赤らめながらも笑顔を交わす。もう二人の間にわだかまりはない。

 ずっとすれ違っていたミルリミナとユーリシアは、今ようやく初めて互いに向かい合ったのだ。少しの誤解も偏見もない状態で。


 そして、この先に別れがあるとも知らないで。


「ユーリシア殿下。お時間です」


 なかなか戻らないユーリシアを迎えに来たのだろう。ラヴィが少し離れた場所から控えめに声をかけてきた。


「ああ、判った。…すまない、ミルリミナ。私は討議会に出席しなければならない。…終わったらまた、会ってくれるだろうか?」

「はい、お待ちしております」


 ミルリミナの返事を聞いて、ユーリシアは満足げに頷いた後ラヴィを連れて足早に聖堂に向かう。


 だがこの約束が果たされる事はなかった。

 ミルリミナは失念していたのだ。自分に宿った聖女の力があまりよくないものであった事に。

 そしてこの力の所為で、自ら望んでユーリシアから離れる決断を下さなければならないなどとは夢にも思わずに。


 そんな未来が足音を立ててすぐそこまで訪れている事に気づかず、ミルリミナはただ初めて訪れた幸せを噛みしめていた。

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