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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第五部 捲土重来(けんどちょうらい)

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ソールドール偵察・四編

「ど…どうして……カルリナさんが……?」


 どれほど逃げ惑っただろうか。裏路地という裏路地を走り回ってようやく彼らの姿が見えなくなった頃、息も絶え絶えにアーリアはそう問いかける。余程走ったのか、なかなか息が整わないアーリアとは違って、見ればカルリナは軽く息が弾む程度だ。その弾む息を含んでカルリナは答える。それも、いかにも不機嫌だと言わんばかりに眉間にしわを寄せて。


「…どうしてもこうしてもないだろう…!よりによって裏路地に逃げ込むやつがあるか…!!」

「……だ…だって……」

「だっても何もない…!私が『この街は今、治安が悪い』と言った言葉を忘れたのか…!!」

「そ…それは……っ!」

「逃げるなら裏路地ではなく大通りを行け!!大通りなら人目があって大っぴらに追って来られないし、人ごみに紛れれば相手を撒ける!!上手くいけば周りの誰かが助けてくれるだろう!!逃げるなら、それだけの事を考えてから逃げるんだっ!!!」


 矢継ぎ早に叱咤するカルリナに、アーリアは見開いた目を唐突に恍惚とさせた。


「…!そっか…!そうよね…!!カルリナさんって頭いいのね…!!」

「……………………頭が痛い…」

「……?……大丈夫?カルリナさん」


 軽はずみな行動を叱ったはずなのに、ひどく喜んでいるのはなぜだろうか。

 年頃の娘のやる事は理解できない、と頭を抱えて、カルリナは呆れと疲れをふんだんに乗せたため息を落とす。そうして、アーリアを小さく一瞥した。


「……怪我はないな?」

「…!あ……はい」


 たどたどしく答えたアーリアの返答に胸を撫で下ろして、カルリナは周囲を見渡す。大通りを目指したはずだったが、アーリアを探し回った事と彼らから逃げ惑った際に方角を見失ったようで、結局裏路地を出る事は叶わなかった。その現状に、カルリナはたまらずため息を落とす。


 本来なら、身を潜めて静かに街を下見する予定だった。ソールドール側の出方を窺い、情報を得、そして可能ならば隠密にガーランドと密会し、我々に戦う意思がない事、それでも争っているふりをしてほしいと願い出るはずだった。なのに蓋を開けてみれば身を潜めるどころか、こうやって追われる身になっている。


 厄介なことになった、と内心でもう一度嘆息を漏らして、カルリナはそっと路地の角から顔を出して辺りの様子を窺った。撒いたはずの彼らはもう間近に迫っているのか、人の気配がする。そればかりではなく、当初五人だった彼らはいつの間にやらその数を増やして、そこかしこからカルリナ達を探す声が漏れ聞こえ始めた。


「…!……どうしてあんなにたくさん………?」

「…ああいう連中は意外に仲間意識が強いからな。大方、騒ぎを聞きつけて集まってきたのだろう……」

「……そんな……!」


 絶望にも似た声を上げてカルリナの服を握るアーリアの手は、カタカタと震えている。それに気づいたカルリナは、この厄介な現状を作ったアーリアに、だができるだけ穏やかな声を努めて揶揄するように告げた。


「…もう私から逃げるつもりはないのか?アーリア」

「…!そ、それは……!…………ごめんなさい……もう逃げません……」


 バツが悪そうにそう告げるアーリアに、カルリナは小さく笑みを落とす。


「…そうか。ならば命に代えても、私がアーリアを守ろう」

「…!」


 カルリナの言葉に、アーリアは目を見開いた。


 思えば彼にはひどい暴言を吐いたはずだった。そのまま放置すればいいものを彼はわざわざ自分を探して、その上、あの男たちからもこうやって守ってくれた。


 彼がどういう目的をもってこの街にやって来たか定かではない。それでもきっと、彼は悪い人間ではないはずだ。少なくとも、意味もなく誰かに危害を加えるような人物ではない。

 そう確信を得たアーリアは、カルリナの背を視界に入れてぽつりと呟く。


「………やっぱりカルリナさんって、お父さんみたい」

「…!……………頼むからよしてくれ……」


 それを言われると、一気に老けたような気になる────そう言わんばかりに肩を落とすカルリナの姿に、アーリアは小さく笑いを落とした。もちろん、自分の父親に似ている、と言う意味ではない。彼の誠実さが、父性というものによく似ていると思えてならないのだ。


 アーリアは未だバツが悪そうに額に手を当てるカルリナに、謝罪と礼を言おうと口を開く。だがその口から呼気と共に声を出そうとするよりも早く、男たちの声がそれを制した。


「見つけたぞっっ!!!!ここだっっ!!!」

「!!?見つかったか…っ!!!逃げるぞ、アーリア…っ!!!!」

「え…っ!!?ま、待って…!!まだ足が……!!」

「言っている場合ではない…!!!」


 カルリナはアーリアの言葉を遮って、すぐさま腕を掴み駆け出す。だが先ほど逃げ惑った時の疲労が、未だアーリアの足から消え失せてはいなかったのだろう。思うように動けず足がもつれて転びそうになるアーリアの体を慌てて支えている間に、通路という通路から押し寄せるように傭兵くずれのならず者たちが周囲を取り囲んだ。その数、ざっと見渡して二十人弱ほど────。


「…追い詰めたぞ…!!」

「…っ!!くそ…っ!!!」


 カルリナはアーリアを守るように背に隠し、逃げ道がないか周囲を見渡す。唯一、カルリナ達の背後に続く道にだけ、彼らの姿はない。だが今彼らに背を向け走り出したところで、捕まるのが落ちだろう。


 一人であれば、これほど狼狽える事もなかったのだ。彼らを見れば判る、努力を惜しむことなく鍛錬を続けているような輩ではない。言ってみれば烏合の衆だ。十人いようが二十人いようが、物の数ではない。だが、誰かを守りながらとなると、また話は違ってくる。自分が彼らを蹴散らしている間に、きっとアーリアは捕らわれるだろう。そうして彼女を人質として、自分の動きを封じてくるのだ。


(……考えるまでもない。それが彼らの常套手段だ……)


 舌打ちをして、カルリナは腰に下げた剣を構えた。


「は…!見ろよ!!こいつ俺たちとやり合うつもりだぞ?」

「多勢に無勢って言葉を知らないとみえる!!」

「…烏合の衆、という言葉を知らないようだな?」

「…!何…!!!?女の前だからって、カッコつけんなよ…!!」

「なら、やってみたらどうだ?私が本当に虚勢を張っているだけかどうか、剣を交えればお前たちの頭でも理解できるだろう」


 カルリナは必要以上に彼らを挑発する。そうする事で、彼らの目的をアーリアから自分に向けさせるためだった。


(…かかってこい、私に)


 そうしてわずかでもアーリアの存在を失念してくれれば、その隙を突いてアーリアを逃がすことが出来る。

 そんなカルリナの思惑に、彼らはまんまと乗せられる事になる。


「何だと……っ!!?」

「何様のつもりだ…っっ!!!?」

「だったら見せてもらおうじゃねえかっっ!!!あんたの実力とやらをっっ!!!!」


 怒り心頭に発した彼らは、剣を構えてカルリナに向かう。カルリナの背中越しにそれが垣間見えて、アーリアは思わず悲鳴にも似た声音でカルリナの名を呼んだが、当の本人は妙に涼しげだった。


 細い路地では多勢に無勢と言う言葉が意味を為さないという事を、彼らはまず理解していない。

 どれほど人を集めたところで、細く狭い路地では一度に襲い掛かれる数に限りがある。加えて彼ら一人一人の実力は、お世辞にも高いとは言い難い。その程度の戦力で四、五人ずつ相手にする事など造作もなかった。


 カルリナは襲い掛かる彼らを軽くあしらうように苦も無く切り伏せていく。伊達に騎士たちの剣術指南をしているわけではないのだ。軽い身のこなしで彼らを造作もなくあしらうカルリナの様子にアーリアは目を瞠り、反面ならず者たちの表情は面白いほどに曇り始めた。


「すごい…!!カルリナさん、強い…っっ!!!!」

「くそ…っっ!!!何だ、こいつ…!!!!強すぎだろ…っ!!!」


 お前たちが弱すぎるのだ、と呆れたように心中で呟きながら、カルリナはちらりと背後のアーリアに目線を送る。彼らに気づかれないように小さく顎を背後にある道に示して、暗に逃げろと告げる。アーリアはそれを察して一度目線だけを背後に送り、了承を示すように小さく頷いて彼らに気づかれぬよう少しずつ後退していった。そうしてわずかに距離を取ってから、アーリアは意を決したように駆け出す。


「…!女が逃げたぞ…!!」


 一呼吸置いてからその事実に気がついたが、後の祭りだろうか。追おうにも目前には恐ろしいほど強い男が一人。この男の目を盗んでアーリアを追うのは至難の業だ。回り込めばアーリアが向かった路地に続く道もあるが、今からそこに向かったところでもう遅い。


 アーリアを追いかける術がなく指をくわえてただ見ているだけの悔しそうな彼らに、カルリナは内心安堵した。だがそれも束の間、逃げ延びたと思われたアーリアの悲鳴がカルリナの耳に届いて、慌てて背後を振り返った。


「…乗り遅れたと思ったら、向こうからやって来たな」

「は…離して……っっ!!!!カルリナさん…っっ!!!!」


 カルリナの視界に入ってきたのは、すでに彼らの手に落ちたアーリアの姿。掴まれた腕を持ち上げられ、アーリアはほとんどつま先立ちで、じたばたと足掻いている。


(くそ…っ!!遅れてやってきた奴らの仲間か…っ!!)


 これで全てと思い込んだ自分の考えが甘かった。まだ仲間がいると想定して動くべきだった。


 自分の甘い考えを痛感しつつ、カルリナはすぐさまアーリアの元へと向かう。そのカルリナの動きを妨げるように、背を向けたカルリナに好機だと言わんばかりに彼らは襲い掛かった。物の数ではないとは言え、引っ切り無しにたかられては思うように前に進めない。もどかしさと苛立ちを必死に抑えながら、カルリナは苦渋の表情でアーリアを視界に入れた。


「アーリア…っっっ!!!!!」

「カルリナさん…っっ!!!!」


 その叫声きょうせいに応えるように、凛とした、だけども場にそぐわないほど静かな声が路地に響く。


「目を閉じていろ、アーリア」


 その涼しげな声の主が誰かを瞬間的に悟って、アーリアは言われるがままその声に従う。固く瞳を閉じたアーリアの耳に聞こえたのは、空を切る音と、同時に捕まれていた腕が解放される感覚、そして何かほどよく重い物がゴトリと音を立てて地面に落ちる生々しい音だった。


(あれは…!?)


 襲って来る男たちを切り伏せながら、カルリナは視界の端でアーリアが助かった事を見止め安堵すると同時に、彼女を助けたであろう黒髪の青年の姿が視界に入った。ここからではその容姿が判然としない、低魔力者の青年───。カルリナが認識できたのは唐突に解放された事で思わず尻もちをつくアーリアと、同時に路地内に響いた、けたたましいほどの男の悲鳴だった。


 尻もちをついたアーリアは、そのつんざくような悲鳴に一瞬体を強張らせ、咄嗟に目を開く。だが瞬間、誰かがアーリアの顔を別の方向へと向けさせた。外の様子を知る間もなくアーリアの視界一面を奪ったのは、ずっと待ちわびていたユルングルの綺麗な顔だった。


「…怪我はないな?アーリア」

「ユ…ユルン…!!!?」


 自分が今どういう状況であったのかもすっかり失念して、アーリアはあまりに近すぎるユルングルの顔に鼓動が早鐘を打つ。盛大に赤面を作って思わず顔を背けたい気分に襲われたのに、自分の顔を他へ向けさせまいと両頬にあてがうユルングルの大きな手が、それを頑なに阻止した。おかげでアーリアの視界はずっとユルングル一色に染められて、心臓はもう破裂寸前だった。


「…………え……えっと……?……ユ……ユルン……?……手を離してほしいんだけど………?」


 離してほしい気持ちと、離してほしくない気持ちがせめぎ合いながら、結局自身の心臓のためにアーリアはそう告げる。だがそんなアーリアの高鳴る鼓動など一切意に介さず、ユルングルは躊躇いもなく一蹴した。


「だめだ。余計なものを見る必要はない」

「…!……………も、もしかして……こ……殺しちゃったの………?」


 先ほどからずっと路地に響く男の悲鳴に、アーリアは今更ながら気づく。ユルングルの『余計なもの』という言葉が、まるで恐ろしいもののように聞こえて、アーリアは真っ青な顔で躊躇いがちに訊ねた。

 それにはユルングルも、思わず目を瞬いて吹き出すように笑う。


「殺したなら悲鳴すら上げられないだろうが」

「…!そ、そっか…!そうよね…!」

「………ま、多少痛い目を見てもらったがな」


 そう言って、ユルングルはちらりと視界の端で、未だ痛みに悶える男の姿を捉えた。


 その男の右腕は、肘から下がない。つい先ほどユルングルが切り落としたばかりだ。正直殺しても良かったが、アーリアの前でそれをする事ははばかられた。なので制裁と言う意味合いも込めて、ユルングルはその腕を切り落としたのだ。


 この男の未来は、虐殺と強奪にまみれている。片腕を失えば全員とはいかないまでも、救える命は多少なりとも出てくるだろう。


 今まで散々他者を傷つけ悪事の限りを尽くしたくせに、自分の痛みにはいつまでも叫声きょうせいを上げる男に、ユルングルは目を細めて侮蔑の視線を送る。そのユルングルの耳に、駆けて来る足音と荒い息を乗せた声が届いた。


「ユルングル様…っ!!彼らを私一人に押し付けて先へ先へとお進みにならないでください…!!何かあったらどうなさ─────…わ…っ!!?」


 ユルングルが居るであろう角を曲がったところで、血の海の中に片腕を切り落とされた男が横たわっているのが見えて、アレグレットは思わず声を上げる。


「……………これ、まさかユルングル様がなさったのではないですよね……?」

「俺がやったとして何か問題があるのか?」

「……問題云々の話ではございません…!もう少し手加減なさってください…!!」

「手加減してどうする?こいつらにはいい薬だろうが」

「貴方には血も涙もないのですか…!?」

「そんなもの腹の足しにもならないだろ」


 すぐさま男の止血を行いながらユルングルをたしなめるアレグレットに、ユルングルは相変わらず飄々とした返答を繰り返す。暖簾に腕押しなのだと悟ってうんざりとした嘆息を漏らしたアレグレットの視界に、何やらそのユルングルが目に痛い光景を見せまいと気遣っている相手が見えて、目を恍惚とさせた。


「おや…!その彼女が例のおろ____いえいえ、愛おしい人ですか?」

「い、愛おしい…!!!!?」


 言い直す前の言葉と、何やら吹き出すように笑いながら肯定を示すユルングルの様子が気にはなるが、そんな事などどうでもよくなるほどの嬉しい言葉がアーリアの耳を奪う。これが異性としての感情ではない事も、ぬか喜びして結局落ち込む羽目になる事も頭では嫌と言うほど理解しているのに、そんな事すら意に介する必要もないほどアーリアの心は有頂天になった。


 もう周囲がどういう状況だったのかも、アーリアの念頭からは綺麗に消え失せている。

 ユルングルの顔を直視できなくて、だが未だユルングルの大きな手が動きを制する中、アーリアは火照った顔をわずかに俯かせて堪らず目を閉じる。そんな真紅に染め上げられたアーリアの耳に、ようやく現状を思い出させる声が届いたのはそんな時だった。


「誰かは判らないがっ!!そのままアーリアの事を頼んでも構わないか…っ!!?」

「…!そうだ…!!!カルリナさん…!!!!?」


 引っ切り無しに彼らの相手をさせられているおかげで、カルリナは悠長に後ろの状況を把握する暇もない。剣撃けんげきが絶えず鳴り響いて彼らの会話も聞こえぬまま、だが何やら和んでいるような雰囲気だけが伝わって、カルリナはそう願い出た。


 その声にようやくカルリナの存在を思い出して、勢いよく振り返ったアーリアの座ったままの体を、ユルングルはすぐさま抱えて立ち上がらせる。そのあまりに軽やかな所作に、アーリアはまた懲りずに胸を高鳴らせた。


(………ユルンって意外と力持ちなのよね…)


 この細く病弱な体の一体どこに、これほどの力を隠し持っているのだろうか。

 またその印象の乖離が、心をときめかせて止まないのだ。


 そんな心ここにあらずのアーリアを尻目に、男の止血を終わらせたアレグレットはすぐさまカルリナの加勢に向かおうと立ち上がる。


「ユルングル様は彼女をお願いいたします…!!私が彼の加勢に────」

「必要ない」

「…!」

「加勢ならすぐに来る。───向こうからな」


 にやりと笑って見据えた先は、カルリナと対峙する彼らのさらにその奥────。

 すぐさま男たちの背後が騒然となって、皆一様に眉根を寄せて後ろへと振り返った。


「あーっっ!!!くそ…っっ!!!!何だよっ、次から次へとわんさか湧いてきやがって…っっ!!!!」

「お前がこの道を行くと決めたんだろうが!!文句を言うな、文句を!!」

「まさかこんなに害虫がたかってるとは思わねえだろーがっっ!!だいたい害虫駆除は師父の仕事だろ…っ!!?俺に手伝わせんなよ…!!!」

「成り行きだ!!我慢しろ!!」


 二人仲良く応酬を繰り返しながら、まるでたかる蠅を追い払うように軽くあしらっていくガーランドとミシュレイの姿にまず目を見開いたのは、『師父』と言う言葉に強い反応を見せたカルリナだった。


(師父…っ!!?まさか…!!?)


 そのカルリナの疑念が確信に変わる後押しの言葉を、アレグレットが告げる。


「ガーランド様…!!?それにミシュレイまで…っ!!」

「げ…っ!!何でアレグレットまでいんだよ…っ!!!」

「…………いちゃ悪いか…っ!!」

「俺はお前じゃなくてユルンちゃんに─────…っ!!?ユルンちゃんだ……っっっ!!!!!!」


 アレグレットのすぐ後ろにようやく探し回ったユルングルの姿を捉えて、ミシュレイはたかる蠅には目もくれず恍惚な瞳ですぐさまユルングルに駆け寄り頬ずりするように抱きしめる。


「会いたかったよ───っ!!!ユルンちゃんっっ!!!!」

「…………………………何だ、この茶番は…!!!」


 ぞわぞわと背筋を這うような悪寒が走るのは気のせいだろうか。

 不快を盛大に表した顔で、すり寄るミシュレイの顔をしきりに引き剥がそうとするユルングルの視界に、最後の一人を叩き落とすカルリナの姿が入った。


 小さく息を吐いて、カルリナは一段落ついたように言葉を落とす。


「…これで最後……か?」


 汗を拭いながら告げるカルリナに、だがユルングルは否と答える。


「…まだわんさか出て来るぞ」

「…何…っ!?お前まさか、わざとここまで放置して事を大きくしたんじゃないだろうなっ!!?ユルン…っっ!!!」

「良かったじゃないか、師父。これでようやくこの街の膿が一掃されるぞ」

「お前という奴は……!!」

「………ユルンちゃんってやる事派手だよなー……」

「ちまちまと正攻法で駆除するより、一度で綺麗に一掃する方が楽だし手間がかからないだろうが。………それよりもいい加減離れろ…!!ミシュレイ…!!!」

「えー………せっかく会えたのに…………」


 一連の緊張感のない会話の応酬に何やら懐かしさと既視感を抱きつつ、カルリナの脳裏に昼に別れたばかりの彼らの顔が浮かぶ。


 ユーリシアに無茶はするなと言われたばかりだ。無茶をしているつもりはないが、結果だけを見ればかなり想定外な展開だと言わざるを得ないだろう。これを報告した時のユーリシアの渋い顔を想像しながら自嘲気味な笑みを落としたところで、カルリナはふと気づく。


 今目前にいる、会話の中心にいる黒髪の青年。

 彼の容姿が、今はもう遠い記憶の中にしか存在しないの人と、瓜二つな事に─────。


 カルリナはすぐさま彼が誰であるかを悟って目を見開き、威儀を正そうと咄嗟に体が動く。それを制したのは、カルリナが動くよりも先に彼に視線を送って口元に立てた人差し指をあてがうユルングルの仕草だった。そうしてわずかに目線でアーリアの存在を示唆するユルングルに、カルリナは何が言いたいのかを悟って小さくこうべを垂れるに留めた。


 そんなカルリナの様子に、ユルングルはたまらず嘆息を漏らした。


(……まったく、厄介な顔に生んでくれたものだな)


 誰も彼もがこの顔で自分の正体を悟る現状に嫌気が差しつつ、ユルングルはアレグレットに告げる。


「…アレグレット、お前はミシュレイと一緒にアーリアを家まで送り届けてくれ」


 それにすかさず異議を唱えたのは、当然ミシュレイだった。


「…!!?何で俺がアレグレットと一緒なんだよ…!!!!師父とアレグレットでいいだろ…っ!!?」

「だめだ。師父にはカルリナ=バークレイと会談する予定がある」

「…!?……なぜ、私の名を……?」

「いや、待て待て待て!!!勝手に決めるな、ユルン!!だいいち誰だ?カルリナ=バークレイというのは…!!?」


 ガーランドの言葉に応えるように、カルリナは遠慮がちに小さく会釈をする。


「ユーリシアからの使者だ。お互いつてを探していたんだろう?せっかくお膳立てしてやったんだ。有効に使え」

「……………この為に俺にお前を探させたのか………。まったく、お前という奴は………」

「感謝で言葉も出ないか?」

「何が感謝だ!これからは口頭で伝えろ!」


 どれだけお前を探し回って、どれだけやきもきしたと思ってる、と続けてしかめっ面を取るガーランドを、ユルングルはくつくつと笑う。


 やはりアレグレット同様、ガーランドも暖簾に腕押しなのだと悟って、諦観のため息を落としつつカルリナに向き直った。


「…悪いな、身内のごたごたに付き合わせたようだ」

「…いえ、成り行きでしたので」

「これが終わったら話をさせてくれ」

「ぜひ」


 短く答えて、カルリナはユルングルに向き直り小さくこうべを垂れる。


「…ご配慮に感謝を」


 言いながら、思う。

 なぜ第一皇子には、何もかもが判っていたのだろうか─────?


 彼らの会話を聞く限り、これら一連の騒動すべての成り行きを第一皇子は把握していたようだ。自分とアーリアが成り行きで共に行動する事も、アーリアが裏路地に逃げ込む事も、それが発端となって街に巣くうならず者たちを一掃する事も、そして第一皇子を探していたというガーランドが偶然にもここにやってくる事も───。


(……ただ卓識たくしきがあるという言葉では足りない……。まるで未来が視えておられるかのようだ……)


 だからこそ、ユーリシア達から絶大な信頼があるのだろうか。


 そう内心で思案していたカルリナは、彼らの会話の半分も理解していないながらも、ただカルリナが想像と違う人物であったという事だけが判って茫然自失とカルリナを見つめるアーリアの姿にふと目が留まる。


「……カルリナさんって……本当に悪い人じゃなかったんだ……」

「…『本当に』と言う言葉を付けてくれたという事は、薄々気づいてはいてくれたのだな?」

「う…っ!………ごめんなさい」


 痛いところを突かれてバツが悪そうに俯くアーリアを、カルリナは小さく笑う。

 彼女に出会えた事は僥倖だと、カルリナは思っていた。ひと騒動あったものの、蓋を開けてみれば想像以上の収穫があったと言ってもいい。目的のガーランドだけではなく、第一皇子にもこうやって相まみえることが出来た。これは己が抱いた勘の如く、まさしく僥倖だろうか。


 満足げな、そして感謝とも取れる視線を送りつつ、カルリナはアーリアを促す。


「…さあ、アーリア。そろそろ行った方がいい」

「…!……で、でも…!」


 言いながら視線を向けたのは、もちろんユルングルだ。それを受けて、ユルングルも同じく促す。


「心配するな。行け、アーリア。アレグレットが家まで必ず送り届けてくれる」

「……………………何で俺の名前は言わないのさ…!!」

「後で判る」


 苦虫を潰したような顔でユルングルを睨むミシュレイに、くつくつと笑うユルングルは楽しそうだ。それがいかにも、ダリウスとユルングルの仲を半ば無理やり取り持とうとしたミシュレイへの意趣返しのように思えて、ミシュレイはなおさら渋面を取った。


「……覚えとけよ…!!ユルンちゃん!!!後で必ず仕返しに来るからな…!!!」

「来るならこの近くにある『紫苑しおん亭』という宿に来い。そこで待ってる」

「………宿?…何で宿なんだよ?」


 怪訝そうに眉根を寄せるミシュレイにやはり「後で判る」とだけ告げて、彼らを追い払うようにユルングルは手を払う。それがまた癪に障って、ミシュレイはまた渋面に捨て台詞を吐いた。


「ならそこで待ってろよ!!!散々文句言ってやるからな…!!!!首洗って待っとけっっ!!!」


 それには、にやりと笑って、ユルングルはこう応酬した。


「やれるものならやってみろ」


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