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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第五部 捲土重来(けんどちょうらい)

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ソールドール偵察・三編

「この街の住人はあまり低魔力者に対して侮蔑の感情を抱いていないのだな」


 さも意外そうにそう告げて、カルリナは街を見渡す。


 ここまでの道中、色々な人間に声を掛けたが低魔力者の集落の話が出ても誰一人として眉間にしわを寄せる者はいなかった。それどころか皆笑顔で低魔力者の話をする様子に、カルリナは驚きを隠せないでいた。


 それは、皇都では決して見られない光景だろうか。


「…商人はあまり低魔力者とか気にしないみたい」

「…そうなのか?」


 アーリアの言葉に、カルリナは小首を傾げる。


「低魔力者を下に見る国ってここだけなんでしょ?商人は外の国とも商いをする人が多いから、低魔力者だなんだって気にしてたら商売にならないってお父さんが言ってた」

「…なるほど」

「ソールドールはそんな商人が多く集まる場所だし、騎士団長の師父が低魔力者を蔑む事を嫌うから自然と低魔力者に寛容な街になったんだって」


 得心して、カルリナはひとつ頷く。

 だから彼らは分け隔てなく低魔力者を扱うのだ。


 この街の住人と話していると、彼らが魔力量をさほど重要な事だと感じていない事がよく判った。やれ低魔力者の集落の工房はとても良質な防具を作るだの、低魔力者の誰それはとても腕のいい職人だの、聞いてもいないのに彼らを誉めそやす声は意外に多い。特によく出てくるのは集落を作ったとされる『ミシュレイ』という若者の名だった。


(……低魔力者に限らず、彼を慕っている者は多い。ずいぶんとできた人物のようだな)


 話を聞く過程で、この街を守る傭兵たちの話を何度も耳にした。この『ミシュレイ』と言う人物は騎士団長であるガーランド=シルフォードから直接手ほどきを受けた古参の傭兵で、低魔力者でありながらとても強く、傭兵稼業で得た報酬を惜しげもなく低魔力者の集落運営につぎ込んでいるらしい。低魔力者たち同様、他の傭兵仲間からも信頼が厚く彼らの取り纏めに近い事もしていると聞いた。


 どうやら最近はその取り纏めを、新しく傭兵になった別の者が担うようになったそうだが、あのガーランドと交友関係にあると聞いて、俄然カルリナの興味はミシュレイなる人物に大いに惹かれる事になる。


(…ガーランド殿と顔見知りならば、その若者に伝手つてを頼むのも悪くはない。できれば新しく傭兵の取り纏め役に就いたという人物とも会っておきたいが___)


 そこまで望んでは欲張り過ぎだろうか。


 そう一人思案するカルリナを訝しげな視線で見つめながら、アーリアは核心を突く一言を告げる。


「…………やっぱりカルリナさんって、商人じゃないのね」

「…!!!?」


 夢中で思案していたカルリナは、その一言で現実に引き戻されたかのように目を見開いた。その大きく開いた視界に飛び込んできたのは、怪訝を通り越して、疑念が確信に変わったかのように強く見返すアーリアの姿。その視線からは否応なく敵愾心が見て取れて、カルリナは思わず眉根を寄せた。


「…商人に変装して何をするつもりなの?」

「ま…待て…!!確かに私は商人に扮していたが…なぜそれほど敵視している…!?何か思い違いをしていないか…!?」

「嘘をいてる時点で思い違いも何もないじゃない…!!」


 それもそうだ、と内心で肯定しつつ、カルリナは弁明をするように続ける。


「とにかく…!!私は敵ではない…!!そんなに警戒しないでくれ…!!!」

「嘘よっ!!!カルリナって名前もどうせ偽名なんでしょ!!?」

「本名だ…!!!」

「それが本当だって証明できるの!!?」

「…!………そ、それは…」


 一度、商人だと嘘を吐いてアーリアを騙したのだ。今さら何をどう弁解しても、彼女からの信頼を得るのは難しいだろうか。


「…ずっと不思議だったの。師父の事を執拗に訊ねてきてたし、ミシュレイの事も街の人たちに聞いて回ってた」

「…!ミシュレイという人物の事も知っているのか…!?」

「ほら見なさい!!!やっぱりこの街の事、探ってたんじゃない…っ!!!!」


 それは紛れもない事実だ、とやはり内心で肯定して、カルリナは思わず閉口する。


「…判ってるのよ…!!あなたが狙っているのが誰か…!!」

「…?ね…狙って……?一体何の話だ…?」

「しらばっくれないでっ!!!師父の事を調べてるのも、ミシュレイの事を調べてるのも、本当はユルンを狙ってるからなんでしょうっっ!!!!!!」

「………は??」

「とぼけないでっっ!!!だってユルンの名前にすごく反応してたじゃない…!!!!」


 あれか!!と思わず内心で叫んで、カルリナは文字通り頭を抱えた。


 確かにあの時の自分の反応は、今思い出しても過剰だと言わざるを得ないだろう。ガーランドの名が出てすぐ、立て続けに第一皇子とおぼしき名が出てきて、思わず強く反応してしまった。これは重々、反省すべき点だろう。____反省すべき点ではあるが、ここまで盛大に勘違いされるのはいかがなものだろうか、とカルリナは半ば呆れたようにため息を落とした。


「…いいから一旦落ち着いてくれ、アーリア。私はそのユルンと言う人物に危害を加えるつもりはない」

「そんなの信じられないわ!!!私に近づいたのだって、本当は警戒されずにユルンに近づくためなんでしょう…!!!」

「………いや、私は君に近づいたつもりはないが……」


 むしろアーリアからぶつかってきた気がするが、気のせいだろうか。


「とにかく…!!ユルンには絶対に会わせたりしないんだから…っっっ!!!!」

「…!!!待てっっ、アーリア…っっ!!!!」


 そのまま踵を返して走り出すアーリアに目を丸くして、カルリナは慌てて後を追う。


 この街は今、治安が悪い。騎士たちが警戒の目を光らせてはいるが、それは主に大通りでの事。裏道に入ると騎士の姿はなく、そこかしこにガラの悪い連中が身を潜めている。その裏道に躊躇いもなく逃げ込んだアーリアを、カルリナは慌てて追いかけた。


「戻ってくるんだ、アーリア…!!!!一人では危ない…っっ!!!」


 懸命に呼びかけたカルリナの叫びは、どうやらアーリアには届かなかったらしい。入り組んだ道を必死に追いかけたつもりだったが、角を曲がったそこにアーリアの姿はなく辺りを見渡してもすでに彼女の姿を捉えることはできなかった。


「………っ!まったく…!!何て思い込みの激しい娘なんだ…!!!」


 小さく舌打ちをして、カルリナはアーリアが通ったであろう入り組んだその通りを、再び駆け出した。


 **


 アレグレットは、ぎくりとした。


 どこに行くのかと問うても明確な答えが返ってくることもなく、ただユルングルに任せるままついて行ったその先に、この八年間ずっと避け続けた道があったからだった。


「……ユルングル様、この道は……。……いえ、この先に向かうのでしたら右の通りを行く方が近道ですので____」

「この道が怖いか?アレグレット」

「…!」

「…怖いだろうな。ここはミシュレイからの信頼を失った場所だからな」


 さりげなく別の道を行くよう促したアレグレットの言葉を遮って、ユルングルは鋭くアレグレットの核心を突く。そのあまりに容赦のない言葉に、アレグレットは諦観を示すように小さくため息を落として顔を背けた。


「………ご存じなのですね。…それは、ミシュレイから……?」

「ミシュレイと、お前からだ」

「……え?」

「どちらも別の未来でだがな」


 その返答に得心したようにもう一度ため息を落として、アレグレットは自嘲気味な笑みを浮かべた。


「……忘れていました。貴方には隠し事が何一つできないのですね……」

「そんな事はない。お前が本当に隠したいと思っていれば、たとえどんな未来であろうとお前は口を閉ざしただろう。そうでなかったという事は、お前は心のどこかで思いを吐き出して誰かに縋りたいという気持ちがあったという事だ」

「…!…………縋りたい、気持ち……」


 呟いて思い出す。先ほどユルングルは、ミシュレイからも聞いたと言っていなかっただろうか。


「……では、ミシュレイも……?」


 ぽつりと落とした独白に近いアレグレットの言葉に、ユルングルは答える。


「…お前と違って、ミシュレイが自分の気持ちを吐き出したのは後にも先にもたった一度だけだがな」

「……え?」

「お前の墓の前で気持ちの整理をつけるように、ぽつりぽつりと呟いていたな」

「…!?は、墓…!!!?私の…!!?ですかっ!!!!?」


 これでもかと目を見開いて、アレグレットは聞き捨てならない言葉を拾い上げる。看過できないとばかりに食い入るように詰め寄るアレグレットに、ユルングルは笑い含みにしれっと答えた。


「ああ、落ち着け。今はもうなくなった未来だ。お前が死ぬことはない」


 くつくつと笑うユルングルが嫌に楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。

 思ってアレグレットは、うんざりしたように言葉を続けた。


「……ちなみに、その時の私の死因はやはりこの謀反の騒乱で?」

「…ああ、その時は師父がいなかったからな。お前はあの馬鹿領主の命に逆らえず、結局俺たちと敵対した」

「…そして討たれたのですね?____ミシュレイに」


 淀みなく答えたアレグレットを、ユルングルは一度小さく一瞥して呆れたように息を吐いた。


「…お前はどうやらその願望があるらしいな」

「…?……願望、ですか?」

「…自覚がないのか?お前はその時、自ら進んでミシュレイの剣に切られたんだぞ」

「…!」


 ____師父がいなかった事でソールドール騎士団とユーリシア率いる騎士団の衝突は結局避けられぬまま、ミシュレイたち傭兵はユーリシア側について互いに争う事になった。ミシュレイとアレグレットは、他には目もくれず互いに互いを見つけ出しすぐさま剣を交えた。二人のその胸中と思惑がどこにあるかは定かではない。だが少なくともアレグレットだけは、ミシュレイを助けるためなのだろうとユルングルは思っている。その証拠に、ミシュレイと剣を交えてしばらくした後、アレグレットは避けられたはずのミシュレイの剣をあえてその身に受けた。そしてそれを合図に、ソールドール騎士団は降伏したのだ。


「…ずいぶん無慈悲な事をすると思ったもんだ。お前にはミシュレイに対する罪をあがなうためという大義名分があったのかもしれないが、お前を手にかけた時のミシュレイがどんな様子だったか想像できるか?」

「…っ!……それは……」


 返答に窮して押し黙るアレグレットに、ユルングルはぴしゃりと告げる。


「お前は知っているはずだぞ?八年前にも見たはずだからな」

「…!」


 瞬間、アレグレットの脳裏に浮かぶ、血まみれになったミシュレイの姿____。

 すでに息絶えた仲間の亡骸を抱きかかえ、絶えず流れる涙と仲間の血で汚れたその顔に、絶望と憎しみを強く滲ませていた。そのあまりに痛々しいミシュレイの姿を、アレグレットは直視できず思わず目を背けたはずだった。なのにこの八年間、アレグレットの記憶の奥底に深く刻まれて離れない、忌々しい光景______。


(………私はまた、ミシュレイにあんな顔をさせたのか……!)


 なくなった未来とはいえ、自分の行為があまりに愚かしい。

 無意識にか拳を強く握り、持て余した自分に対する怒りをぶつけるように、あるいは救いを求めるように、アレグレットは胸の内を吐き出し始めた。


「……では…!…では私は、あの時どうすればよかったのです…!?…直前で知ったのです…!低魔力者を虐殺する計画があったのだと……守れるのはミシュレイだけだった……。当時の私では、それが限界だったのです…!!」


 時間的余裕はなかった。

 助けられるのはたった一人。その一人を、アレグレットはミシュレイと決めた。

 まさかその所為で、八年もの間、後悔と責苦せめくに苛まれるとは____。


「……今でも考えるのです……あの時助けたのがミシュレイ以外の誰かだったなら、あいつは満足したのかと。…だけどもどれほど考えても、私の中で答えは出ない……出ないのに、ミシュレイの態度を見ているとまるでそうだと言われているようで、無性に腹が立つのです…!」


 この八年、ミシュレイにどれだけ頭を下げたか判らない。どれだけ謝罪の言葉を送ったかアレグレットはもう覚えていなかった。それでも、ミシュレイの頑なな態度が軟化する事はなかった。


 何のために助けたのだろうと、どれだけ自問自答しただろうか。

 その答えが見つからないまま、時間だけが無為に過ぎていった。

 自分の行為が正しかったのかさえ、八年経った今でも判らないままなのだ。


「……低魔力者全員を救うことが出来れば、きっとミシュレイは満足したのでしょう。あいつからの信頼を失う事もなかった……。だけど、俺に一体何が出来たのです…?まだ副団長にもなっていない一介の騎士が、何が出来たというのです…!」

「嘘をけ」


 唐突に清々しいほどの明朗な声がアレグレットの言葉を切って、弾かれたように俯かせている視線をそちらに向けた。


「たとえ出来る事があったとしても、お前はするつもりなんてなかっただろうが」

「………え?」

「お前はそもそも、低魔力者を守るつもりなんてなかったんだからな」

「…!?」

「お前が守りたかったのは低魔力者じゃない。ミシュレイだけだ。…そうだろ?アレグレット」

「…!それは____!」


 違う、と言いかけた口は、その先の言葉を飲み込んで思わず閉口した。


 否定しなければ、と思う。

 自分はそんなに非情な人間ではないはずだ。そもそも魔力至上主義者ではないし、低魔力者に対して侮蔑の感情を持っているわけでもない。


 なのに、否定の言葉がなぜか口をいて出なかった。

 ユルングルの言葉が、否応なく胸に刺さる。

 否定したい感情とは裏腹に、心の奥底で認めろと訴える自分がいた。


 何か弁明を、と思うのに、アレグレットの思考はいたずらに宙を滑るだけ。強い動揺を見せながら、急に自分が卑怯な存在に思えて恥じ入るように俯くアレグレットを、ユルングルは呆れたように眺めた。


「勘違いするなよ。俺はお前を責めているわけじゃない」

「…………え?」

「誰だって赤の他人よりも自分に近しい人間を助けようとするものだろ。それを誰かが咎める事も、ましてや責める事もできないはずだ」

「…………ですが、私は今でも自分がした事が正しいことなのか…その答えが出ないのです……」


 特にたった今、自分の中に眠る卑怯な自分をユルングルに暴かれたばかりだ。迷うのは、なおさらだろうか。

 そんなアレグレットに、ユルングルは盛大に呆れと辟易を乗せた表情を返した。


「答えなんて最初から出てるだろうが」

「…?」

「……お前の墓の前で、ミシュレイが言っていた。…お前に助けてもらって感謝しているはずなのに、結局礼を言わずじまいだ____と」


 ____礼を言えば、死んでいった仲間を裏切るように思えた、とアレグレットの墓に小さく触れるミシュレイの姿を思い出す。


(……馬鹿みたいに意固地になって、言えなかった…。ホント馬鹿だよな……何で大切なものって、失ってからじゃないと気づかないんだろ………。本当……人間って愚かだ……兄貴____)


 泣きはらした目に自嘲気味な笑みを仄かに乗せて、ミシュレイはそう呟いていた。


 _____今はもう、消えていった未来の話だ。


「………ミシュレイが、そんな事を……?」

「…ミシュレイの命が助かった。それ以上の答えが必要か?お前もミシュレイも、俺からすればくだらない事に時間を浪費しすぎだ。八年だぞ?…まったく、本当に人間は愚かな生き物だな」


 呆れたように言い捨てて、ユルングルは踵を返す。そうして後ろのアレグレットを小さく振り返った。


「でもだからこそ、腹が立つくらい愛おしいんだろ?」


 そう言ってにやりと笑うユルングルを、アレグレットは見開いた目で視界に収めた。

 八年間、悩みに悩んだ事の答えをあっさりと導き出したユルングルから、目を離すことが出来なかった。


 そんな呆然と立ち尽くすアレグレットを促すように、ユルングルは再び前を向いて、アレグレットが八年間避け続けた道を進み始める。


「ほら、昔話はもうお終いだ。さっさと行くぞ。…せっかく命を助けたのに、自分から危険に飛び込む思い込みの激しい愚か者がいるからな」


 うんざりしたようにそう告げるユルングルの言葉に、アレグレットはようやくユルングルの行動の意図を理解して、思わず吹き出すように笑い声を上げた。


「でもだからこそ、愛おしいのでしょう?」

「うんざりするくらいな。だから、助けるんだろ?」


 その通りだ、と内心で同意して、アレグレットは八年ぶりにその道に足を踏み入れた。


**


「…ここまで来れば、もう大丈夫かしら…?」


 弾む息を整えながら、アーリアは後ろを振り返る。その視界にカルリナの姿はない。ほっと胸を撫で下ろしながら、だが見覚えのない景色に途端に不安が頭をもたげた。


「……ここ……どこかしら……?」


 カルリナを振り払うために、アーリアはとにかく目につく道を手あたり次第に走った。できるだけ人目が付かないように裏道を選んで進んだおかげで、目的の人物は撒けたが代わりにさらに迷子になった。途方に暮れて、アーリアは周囲を見渡す。


 そこは、細く暗い路地。道が細いおかげで建物に陽の光が遮られ、冬の乾いた空気とは裏腹に、じめじめとした湿気がそこかしこに身を潜めているような、そんな路地だった。


 そんないかにも不穏な空気が漂う裏路地に、アーリアは今更ながら恐怖がこみ上げてきた。


「…や…やだ……!どうしよう……!…と、とりあえず大通りに出なきゃ……!」


 思ってはみたものの、もうどちらに向かえばその大通りがあるのかさえ定かではない。周囲を見渡してみても目印などがあるわけでもなく、なおさら途方に暮れるアーリアの脳裏に、カルリナの言葉が蘇った。


 彼は、『この街は今、治安が悪い』と言っていなかっただろうか。


 よりによってこんな時に、わざわざ思い出さなくてもいい事を思い出して、アーリアの恐怖はさらに助長される事になる。


 膝がカクカクと震えて仕方がない。

 体の奥底から湧き上がる震えを止めることが出来なかった。


 アーリアは縋るように壁に手をついて、何とか震える足を一歩進ませる。どちらが大通りに繋がる道かは判らないが、それでも進まなければここに留まる事になるだけだ。そう自分に言い聞かせて、奮い立つように進むアーリアの背に、野太い声が掛けられた。


「…おい、見ろよ。子猫が迷い込んだみたいだぞ?」


 笑い含みに掛けられたその言葉に反応するように、数人の男たちの嘲笑が嫌でもアーリアの耳に届いた。振り返らなくても判る、決して品性があるとは言い難い者達の声_____。


 アーリアは強張った体と強い動揺を示すように激しく波打つ鼓動を自覚しながら、できるだけ平静を装ってゆっくりと振り返った。その視界に入る、傭兵とおぼしき五人の男たち_____。


「………あ…あの……!……ま、迷子になっちゃって……!その…!……お、大通りってどっちに向かえばいいか判りますか……?」


 震える声でそう問いかけた瞬間、男たちの嘲笑はさらに大きく裏路地に響いた。


「聞いたか!?迷子だってよ!!俺たちに道を聞くか、普通っ!!!!」

「大した玉だな!!!お嬢ちゃん!!!」

「それとも自分が置かれた状況が判ってねえのか?」

「あ………ご、ごめんなさい…!や、やっぱり大丈夫です…!!私一人で____」


 慌ててその場を去ろうと踵を返してそう言い差したアーリアの前を、壁に手をつく男の太い腕が唐突に遮った。


「…まあ、待てよ。つれないな。道案内して欲しいんだろ?」

「……え……い、いえ…!本当に大丈夫ですから……っ!!」

「それで素直に帰してもらえると思ってんのか?」

「…っ!」

「俺たちと遊んでくれたら、その後に大通りに案内してやるよ。…歩けたらの話だけどな」


 ケラケラと笑うこの言葉に、アーリアの顔から血の気が失せる音が聞こえた気がした。


 このままここにいれば、死ぬよりもひどい目に遭う____。


 そう瞬間的に悟ったアーリアは、衝動的に動いた体に身を任せるようにその場から逃げ出そうと駆け出した。だが恐怖が邪魔をしてこけまろびつ逃げ惑うアーリアの腕をすぐさま男たちに掴まれて、もう逃げ場がないのだと否応なく悟った。


「は、離して…っっ!!!離してってばっっ!!!!」


 真っ青の顔で必死に抗うアーリアの耳には、もう彼らの嘲笑しか聞こえない。

 周囲を見渡しても、彼ら以外の人間は見当たらなかった。

 きっと助けを呼んでも、誰も助けに来てくれはしないのだ。


 それが判っていても、アーリアは心中で叫ばずにはいられなかった。


(助けて…っっ!!!!ユルン……っっ!!!!!)


 その心の声に呼応するように、聞き覚えのある声がアーリアの耳に届く。


「その手を離せっっ!!!!」


 その怒声と同時に飛んできたナイフがアーリアの腕を掴む男の腕に見事に命中して、その男の悲鳴と一緒に解放されたアーリアの腕を、代わりに掴む手があった。


「逃げるぞっっ、アーリアっっ!!!」


 自身の手を掴んで引っ張るその力強い男の背は、待ち望んだの人ではない。

 自分がつい先ほど逃げるために撒いた人物であった事に、アーリアは目を丸くした。


「カルリナさん…っ!?」

「いいから走れ…っ!!」

「くそ…っ!!!逃がすな…っ!!!!!」


 アーリアはカルリナに腕を引かれながら、安堵と共に遠ざかる彼らの姿を小さく振り返った。


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