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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第五部 捲土重来(けんどちょうらい)

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ソールドール偵察・一編

「ようやく人心地ついたな」


 カルリナ達と合流した翌朝、霧が晴れてから早々に森を出て、ユーリシアは誰にともなく告げる。


「そうですね。…正直、帰りもまたあの森を通るのかと思うと憂鬱になりますけど…」

「そうだな、できれば御免被りたい」


 苦笑を交えながら答えるユーリに、ユーリシアもまた笑い含みに返答する。

 ユーリがいる場所は、馬上にいるユーリシアの前。皇都を出た時と同じく元の鞘に収まったのは、ラジアート帝国皇弟ゼオンが乗る馬車を森の中に乗り捨ててきたからだ。怪我人たちを馬に乗せ、その馬を引く騎士たちの空いた馬を、ゼオン達は使わせてもらっている。


「帰りはサザネの港から船で帰ればいいだろ」

「本格的に雪が降る前であれば可能ですけどね」

「この国は帝国と違って、冬は移動が不便ですからねえ」

「ってわけだから、本格的な冬が来る前にこの馬鹿げた謀反を終わらせろよ、ユーリシア」

「……善処しよう」


 苦笑を落としながら困惑げに答えて、ユーリシアは後ろに続く騎士たちを振り返る。

 森を出た瞬間、久しぶりに拝んだ太陽の温かさに皆胸を撫で下ろしているようだった。


(…誰一人欠けることなく、無事森を出られたな)


 怪我人を出してしまったが、魔獣に遭遇しながら軽傷で済んだのは御の字だろうか。

 思って、これからの事を考える。


 謀反人である皇太子を捕らえるべく皇都を出立した騎士団は、今やその皇太子が率いる騎士団に取って代わってしまった。昨日、皇太子の姿で騎士団の陣営に戻ったユーリシアを、カルリナ率いる彼らは膝を折って忠誠を誓うように迎え入れてくれた。おそらくアラン達が事前に知らせてくれたのだろう。それを心底有難いと思いつつ、自分が着せられた濡れ衣を彼らにも背負わせる事になるのが申し訳ない。


 ソールドールでは、皇太子率いる騎士団がソールドールを攻めるという噂がある。進軍の道中でソールドールの斥候せっこうらしき者たちがこちらの様子を窺っていたところを見ると、この噂は事実として認知されているのだろう。その上、本当に自分が騎士団を率いて姿を現せば、誰もが真実だと認識してもう言い逃れもできなくなる。彼らに『謀反人にくみする咎人』という汚名を着せる事になるのだ。


 どうしたものかと悩んだ挙句、昨夜自ら壊した変化の魔装具を直せないものかとダスクに申し出てはみたが、どうやらそれも叶わないらしい。


 だからこそ、ユーリシアは決めあぐねていた。このまま騎士団に残留し続けるのか、あるいは彼らと別れて一人で行動するべきなのか。その決断が迫られたのは、森とソールドールの街から一定の距離を保ったところに陣営を張り終えた後だった。


「…さて、これからどういたしましょうか?ユーリシア殿下」


 天幕の中で行われた、今後の方針を決めるための合議の場でカルリナは訊ねる。


 そもそもこの進軍は、謀反人である皇太子を捕らえるためのものだった。だが肝心の皇太子はソールドールにはいない。他でもないこの騎士団を率いていたレオリアが、その皇太子だからだ。ソールドールに着いたところで本来の目的を果たす事は不可能だった。


 なので当初の予定ではソールドールに皇太子を匿っている嫌疑をかけ、それを捜索するという名目で街に入り込み隙を見て皇王を救い出す手筈てはずだった。____だが、それはもう成立しない。姿をくらましていた皇太子は、今や噂通りに騎士団を率いて、ここソールドールに姿を現わしてしまったのだ。また新たに策を練り直す必要があった。


 問われたユーリシアは軽く思議するような仕草を見せてから、ゼオンに視線を向けた。


「ゼオン殿、ソールドール側はすぐにでも開戦するつもりだと思うか?」

「…あの領主が指揮官ならすぐさま開戦するつもりだろうな」


 ゼオンの言葉に、ユーリシアも首肯を返す。


 ここソールドールの領主は、『愚者』という言葉が最もふさわしい人物だった。すべてにおいて軽率で、感情のままに行動する。その上デリックの信奉者で、その中でもとりわけ魔力至上主義の傾向が強かった。八年前に彼が起こした低魔力者に対する虐殺とも呼べる愚行は、当時まだ十二だったユーリシアの記憶にも強い憤りを感じた事として未だに残留し続けている。


 その彼が未だにソールドール領主という立場を失っていないのは、他でもないデリックが彼を擁護したからだ。何よりこの国は魔力至上主義国家、低魔力者に対する虐殺など皆些細な事だと気にも留めない。むしろよくやったと彼を褒め称える声まで上がった時は、世界に対していかにこの国が愚かしい国かと宣伝しているようなものだと、子供ながらに心底呆れ返った事を覚えている。


 ユーリシアは沸々と蘇った当時の怒りを持て余すように、無意識に拳を強く握りしめた。


「…ならば、もう私たちの存在は向こうに知られていると思って行動した方がいいだろうな」


 斥候を出していたくらいだ。騎士団の動向は筒抜けだと思った方がいい。


 思って、ユーリシアは小首を傾げる。

 果たして愚者と言われるあの領主が、わざわざ斥候を出して騎士団の動向を探らせ、警戒を怠ることなくこちらの居場所を把握するという、腰の落ち着けた指示を出せるほど頭が回るのだろうか。


 そもそもこの謀反に加担しているのだから、わざわざ斥候を出して騎士団の動向を探る必要などないはずだ。騎士団の進軍は、あのデリックの指示で行われたもの。当然、どういう目的でソールドールに向かっているかも把握していて然るべきだろう。


 何より今この時点で、ソールドール側から兵の一人も姿を見せない事が解せない。

 ソールドールの領主は深く考える事など一切せず短慮で、何でも軽率に思ったまま行動する人物だ。ソールドールからある程度距離を取っているとは言っても、あの城壁の見張り台からならば苦も無く我々の姿を捉えることが出来るだろう。


 こちらの存在は向こうに知られている____その認識はきっと間違ってはいない。ならばなぜ、今もまだ開戦に至っていないのだろうか。


「……指揮官が、別にいる………?」

「だから言っただろうが。『領主が指揮官なら』ってな」

「あの馬鹿領主が指揮官なら、全滅させる事なんて造作もないでしょうね」


 嘲笑を交えながら茶々を入れるアルデリオを一度視界に入れて、ユーリシアは訊ねる。


「知っているのか?ここの指揮官を」

「十中八九、ソールドール騎士団団長ガーランド=シルフォードが指示を出しているだろうな。ここソールドールは、実際にはこの男が治めていると思っていい」

「…!武官が執政を?」

「シーファスが特例として認めた唯一の場所だ。あまり広く知られると厄介だから、この件に関しては緘口令が敷かれている。言えば厳しい罰則が科せられるから知らなくても当然だろうな」

「………それをなぜ貴方は知っている?」

「…さあ、何でだろうな?」


 皇太子である自分ですら知らない事を、さも当然の事のように知っているゼオンに半ば呆れたような視線を送る。人の口に戸は立てられぬ、と言うが、同様に彼に耳に戸を立てる事もまた不可能なのだろう。


 ユーリシアは、まあいい、と感嘆にも似た嘆息を漏らして、構わず言葉を続けた。


「そのガーランド=シルフォードというのはどういう人物だ?」

「闊達な人物だそうだ。豪傑と言った方がいいかもな。やる事は何でも豪快だが、反面、執政者としてはかなり慎重派で、正義感が強く曲がった事を何よりも嫌う。…お前とは馬が合いそうだな」

「…そのようだ」


 そう返答して、ユーリシアは残念そうに笑う。

 敵として出会う事がなければ、きっと互いによき理解者となった事だろう。


「執政者としても騎士団長としても、臣からの信望は厚いようだな。この男が指揮官を務めているのなら間違いなく即時開戦はない。わざわざ街を戦火に巻き込む愚行は犯さないだろうからな」

「その人物像から鑑みるに、この謀反に加担しているという事はなさそうですね」

「まずないだろう。馬鹿領主が独断専行している可能性が高い」

「そのガーランドという方を仲間に引き入れる事は出来ませんか?」


 ユーリの提案に、皆同様の事を考えていたのだろう。首肯を返す皆とは裏腹に、ゼオンだけはかぶりを振った。


「大っぴらにそういう事をしようと考えない方がいい」

「なぜだ?」

「忘れたのか?俺たちには人質がいるんだぞ」

「…!?」


 未だ捕らわれたままの、皇王。おそらく、こちら側が意に反する動きを見せれば、皇王の命をちらつかせてくるだろう。元より命を奪うために皇王を攫ったのだ。彼の体に刃を突き立てる事を躊躇うとは思わない方がいい。


「…やるなら秘密裏にだ。それも徹底して、決して余人に知られちゃならない」


 『余人』が誰を示しているのかを、皆悟る。今ここには、居てはならない鼠が三匹紛れ込んでいる。彼らを一掃しない限り、これはあまり現実的ではないだろう。


 ゼオンの話に深刻そうに顔を俯かせながら耳を傾けていたユーリシア達をよそに、だが言った当人だけは飄々とした様子でにやりと笑った。


「…まあ、その辺りの事は気を回すだけ無駄だと思うぞ」

「…?…どういう事だ?」

「向こうには誰かさんがいるからな。あいつが本当にシーファスを救うつもりがあるなら、裏で手を回している頃だろう。もうすでにガーランドと繋がっているかもしれん。…救うつもりがあれば、な」


 その含みと皮肉を込めた言いように、ダスクはじとりとした視線をゼオンに送る。


「…何ですか?その含みを持たせた言い方は」

「ない、とは言ってないぞ?」

「信じていない、とは言っていますね」

「俺は根拠のないものを信じるほど甘くはないんでな」

「あの方を疑えば後悔しますよ」

「なら大いに後悔させてもらおうか」


 二人の間で火花が激しく散る様子を見るともなしに見ながら、皆同様に呆れ顔に苦笑を滲ませる。


(…仲がいいんだか、悪いんだか)


 心中でそんな言葉が飛び交う中、その火花が急に飛び火した先は、ユーリシアだった。


「お前はどう思う?ユーリシア。あいつに命を狙われた張本人として、奴を信じるべきか否か」

「…!…私、か?私にはユルンを疑う根拠がないからな」

「…!」


 急な問いかけにわずかに狼狽えたものの、返答自体は淀みなく即答するユーリシアに、ゼオンは目を丸くする。


「ユルンはいつも言葉ではなく、態度と行動で示す人だ。彼が行う事には必ず意味がある。それが何かは、私では推し量る事は難しいだろう。だが、たとえユルンが見えるその先が私には見ることが出来なくとも、私は彼を信じている。ただ信じて、彼が見ているものに近付けるよう全力で手を貸すだけだ」

「…っ!………………ちっ、お人好しが」


 思惑が外れて悩む事すらしないユーリシアに小さく舌打ちを返し、ぼそりと呟くゼオンをダスクはくすりと笑う。その小さな笑い声が耳に入って今度はゼオンがじとりとした視線を送ったが、送られたダスクはさらりと受け流すように顔を背けた。それに再び、今度は失笑があちこちで巻き起こった事は言うまでもない。


 ゼオンは苛立たしそうに頭を掻きながら、荒々しく息を大仰に吐いた。


「……まあ、いい。とにかく俺たちはできるだけ奴らの意に添うように動く方がいい。それも、とりわけ奴らの目を引くようにな」


 目立てば目立つほど、ユルングル側の動向に気づきにくくなる。奴らの注意を引くことが、皇王救出の近道だろう。____ユルングルが皇王救出をする気があれば、だが。


 再度、心中で念を押すように呟いて、ゼオンはやはり途方に暮れたように嘆息を漏らす。


「…とは言え向こうの状況が判らないうちは、こちらも手の出しようがないな……」

「ならば私がソールドールの街に潜入して______」

「だめだ!!!」

「だめです!!!!」

「いけません!!」


 ユーリシアの言葉をみなまで言わせまいと、申し合わせたように声を揃えて意見をはねつけるゼオン達の勢いに、さしものユーリシアも後ずさる。


「何でもかんでもお一人で何とかしようとお思いにならないでください!!!」

「そうですよ!!!大体、殿下では目立ちすぎでしょう!!!」

「ユーリシアさんに何かあったらどうするんですか!!!」

「お前が捕まれば元も子もないんだぞ!!!少しは自重しろ!!!!」

「……………判った、今回は大人しくしよう」


 森での一件で過敏になっているのだろうか。あまりの剣幕に諸手を上げるように引き下がって、ユーリシアはたまらず降参する。


 その彼らの様子をずっと一歩下がったところで黙したまま見ていたカルリナは、ようやくその重い口を開いた。


「…では僭越ながら、私がソールドールの偵察をして参りましょう」

「…!…カルリナが?」

「私ならばそれほど面が通っているという事もないでしょうし、怪しまれる事もないでしょう。特に今の時期は商人の出入りが激しい。商人に扮して街を歩く分には、何も問題はないと存じますが」

「…ずいぶんと屈強な商人だな」

「街から街へと流れる商人の中には、自衛をするために自ら剣を振る者も多いと聞いております。私程度でしたら、さほど疑われることはないかと」


 『私程度』という文言は甚だ疑問だが、それでも確かにカルリナが言う通り、この面々では彼が一番この役目に適しているだろう。実力はあっても彼はずっとあの騎士団の補佐役に徹してきた。彼の父は名が通っているが、息子であるカルリナは目立つことを嫌い、故意に表舞台に立つことを避けるように生きてきた節がある。単独で行動させられるほどの実力を伴い、かつ無名である彼は潜入には打ってつけだろうか。


 そう思議してユーリシアに頷くゼオンを確認してから、ユーリシアも承諾を示すようにカルリナに首肯を返した。


「…判った。だが、くれぐれも無茶はしないでくれ。危ないと思えばすぐに街から出るんだ、いいな?」


 誰よりも無茶をしたのは自分自身だと自覚はありつつ、それでもそう告げるユーリシアに、カルリナは了承の意を含んで恭しくこうべを垂れた。


**


 カルリナが商人に扮して陣営を出たのは、昼食を終えた頃。ユルングルから送られてきた魔獣避けの魔装具を身に着け、馬に跨って城壁の見張り台から見えないように森の中に身を隠して進み、ソールドール門前の入街検査の列に並ぶ。


(…商人に混じってガラの悪そうな連中も多いな)


 列に並ぶ顔触れを軽く見渡して、カルリナは思う。その約半数が不穏な空気を纏った輩で占められていた。まるで並んでいる者たちを値踏みでもしているかのようにめつすがめつする彼らの様子が、嫌に目を引いて仕方がない。


 ここソールドールでは、魔獣討伐のための傭兵を募り雇う事が認められている。本来であれば領地ごとに有する事を許されている武力は、各々の騎士団だけ。だがここはその土地柄もあって、騎士団とは別に対魔獣用の私兵を持つことを許された土地だった。それでも誰でも雇い入れるわけではなく、最低限の分別を持つ者だけを選別していると聞いていただけに、この荒くれ者たちがこぞって列をなしている現状が解せない。


(…こんな者達ばかりを雇い入れてしまっては、街の治安が乱れる一方だろう…)


 思った通り、入街検査を行っている騎士が念を押すように何度も、街中での無法な振る舞いは厳しい罰則が科せられると警告している。本来であれば門前払いしたいところだが、確証もなく外見や態度だけを理由に突っぱねるわけにはいかないのだろう。その苦々しさが騎士たちから見て取れて、哀れに思いつつ入街検査を終えて門をくぐる。


 馬を引きながら、カルリナは街並みを大きく見渡した。


(…臨戦態勢を整えている、という感じではなさそうだな)


 殺伐とした雰囲気は一切なく、むしろ活気があって誰一人としてここが戦場になるなど微塵も思ってはいない様子だろうか。


 商人たちが集まるこの時期、ここは一年の中で最も活気にあふれるという。そこかしこで客引きの声が上がり、ひしめくように集まった商人たちが露店の食べ物に舌鼓を打つ姿があちらこちらで見受けられた。賑わい、行き交う人々は同様に生き生きとしている。


 反面、否応なく目についたのは、街のあちらこちらに立って警戒するように周囲に目を配っている、騎士たちの姿____。


(…戦を警戒して、というわけではなさそうだ)


 それがいかにも治安の悪さを物語っているようで、カルリナは細い路地をちらりと視界の端に捉えた。その奥で、周囲に目を光らせている騎士たちから身を隠すようにたむろする彼らの存在が、カルリナの胸をざわつかせる。


(……嫌な気分だ)


 鬱々とした気分を吐き出すようにため息を一つ落としたところで、背中に誰かがぶつかる感触と、少女らしき者の小さな悲鳴がカルリナの耳をかすめた。慌てて振り返ったカルリナの視界に、鼻を抑える少女の姿が映る。髪に付けられた、細かな細工が施されたエメラルドの髪飾りが妙に目を惹く、十代後半くらいの少女だった。


「すまない…!大丈夫か…?」

「だ、大丈夫です…!ごめんなさい!私がよそ見していたの…」


 余程強くぶつけたのか、しきりに鼻を抑えて目は軽く潤んでいる。


「…怪我はないか?」

「大丈夫です、鼻を打っただけだから」

「…?…連れは?どこにいる?」

「……え…っと……」

「まさか一人で街を歩いているのか?」


 それにはおずおずと頷くので、カルリナは呆れたようにため息を落とした。


「…今この街は治安が悪い。嫁入り前の娘が一人で出歩くのは感心しないな」

「…何だか、お父さんみたい」


 思わず吹き出すように笑う少女に、カルリナは困惑と呆れをふんだんに乗せた複雑そうな表情を落とす。

 まだ三十路を過ぎたばかりだ。彼女ほど大きな子供がいると思われるのは心外だし、何より口下手な自分では年頃の娘にどう切り返したものか、さっぱり判らない。


 カルリナはとりあえずため息を落として、未だ笑い続ける少女に声を掛けた。


「…とりあえず家まで送ろう。このまま何かあっては目覚めが悪い」

「…!」

「家はどの辺りだ?」

「ち、違うの…!!私、家に帰るんじゃなくて、今人を探しているところで…!!」

「人?人探しをしているのか?」

「人探しというか……その…低魔力者の集落の近くに住んでいる友人を訪ねようと思ったんだけど……思っていた場所と違ってて……だから……その、つまり……」


 しどろもどろと言い訳に近い説明をする少女の様子に、カルリナは悟る。


「…迷子になった、と?」

「…………………はい」


 赤面を俯かせながら申し訳なさそうに肯定を示す少女を、カルリナは半ば呆れながら、だけれども軽く考え込むように視界に入れる。


(……ちょうどいい。一人で歩くよりも彼女を伴った方が怪しまれることもないだろう)


 少女には悪いが、少し利用させてもらおう。

 何よりこの治安が悪い場所に、彼女一人放っておくこともできない。できれば彼女から何かしら有益な情報が得られれば、なおいいのだが。


 そんな打算を胸に抱きつつ、カルリナは諦観を込めたため息を落として見せた。


「…仕方がない。ここで会ったのも何かの縁だ。私もその友人の家探しを手伝おう」

「…!本当に…!?」


 目を輝かせて素直に喜びを表現する少女の姿が、わずかにカルリナの罪悪感を刺激する。それを皇王救出のためだと自分に言い訳をして、カルリナは少女に問いかけた。


「私はカルリナという。…名を訊ねてもいいか?」

「私はアーリアです。手伝ってくれてありがとう、カルリナさん!」


**


 要塞にあるガーランドの執務室に、一人の騎士が慌ただしく訪問した。


「師父…!!!いえ、ガーランド様…!!」

「何だ?騒々しいな」

「ご報告いたします…!!!皇太子殿下率いる騎士団がソールドールの西方約七キロ先に姿を現わしたと監視役から報告を受けました…!!!」

「…!」


 目を通していた書類をめくる手を止めて、ガーランドは目線をその騎士へと向ける。


「…今、その騎士団はどうしている?こちらに向かっているのか?」

「いいえ、陣営を張って静観しておられるようです」

「…斥候から皇太子殿下のお姿は見られなかったと報告を受けていたが?」

「どこかで合流されたのでしょう。皇太子殿下のお姿を確認したと」

「間違いないな?」

「世界中探しても銀の御髪を有しておられるお方は、皇太子殿下ただお一人です」


 その上よく目立つ、と騎士の言に得心したように心中で呟いて、ガーランドは首肯を一つ返す。


(…ユルンの言った通りだな)


 ガーランドは、アレグレットから報告を受けていた。

 八日後に皇太子率いる騎士団が到着し、その翌日ユルングルと皇太子が立ち合いをするのだと。


(…あいつはもう立ち合いが出来るほど体力が回復したのか…?)


 彼がここソールドールに到着してから、今日でまだ九日目だ。たった、九日間___その短い期間で、立ち合いが出来るほど体力を回復したとは到底思えない。特にユルングルは馬車での旅路の間、意識を保っている時間よりも眠っている時間の方が多かった。そして何より、その心臓があまりに弱い。たとえ体力が回復していたとしても、あの弱りきった心臓が立ち合いに耐えられるとは思えなかった。


 その不安を表すように、ガーランドは小さくため息を落とす。


「…領主にはもう報告はしたのか?」

「いえ、ガーランド様にご指示を仰ぐつもりでおりました」

「いい判断だ。領主には今日の夕刻____いや、明日の朝に報告をしろ」


 一分一秒でも、ユルングルが体を休める時間を確保したい。本来であれば、しばらくは領主への報告を控えてユルングルの体力の回復を待つのが一番の得策だろう。だが、それは選択肢にはない。未来が視えるユルングルが明日立ち合いをすると言えば、もうそれ一択なのだ。


 そうしなければ、きっと皇王を救い出す事は出来ないのだろう。


 思って、ガーランドは皇王がいるであろう場所へと目線を流す。皇王がいるという確信を得てから今日まで、結局皇王の姿をその目に捉えることは叶わなかった。


 あれから何度か上に上がって説得なり脅しなりをやってはみたが、当然のごとく門前払いをされた。階段からはおろか外からの侵入を試みてはみたものの、それらの対策は万全で、判った事と言えばどうやら彼らに虫一匹通すつもりはない、という事だけだった。


 あそこに上がれるのは、おそらくユルングルが領主の信頼を得た時だけ。そのための皇太子との立ち合いなのだと、ガーランドは確信している。


 ただ一つ懸念材料があるとすれば、アレグレットから報告を受けたダリウスとの不仲の件だ。

 正直あの兄弟が不仲になるなど信じられないが、領主との話し合いの場から不仲になった事を考えると、十中八九あの領主が二人の仲に水を差したのだろう。何を言ったのかは判らないが、ユルングルがつい数か月前まで皇王と皇太子の命を狙っていた事を鑑みると、彼の憎しみを助長させる材料を突き付けたのかもしれない。それがもし、ダリウスが故意にユルングルに対して秘匿にしていた事なら_____?


 そう思うと、いよいよ不安に駆られるのだ。

 ユルングルが皇太子と立ち合いをするのは、皇王を助けるためではなくしいするためではないのか__と。


 その疑心を振り払うようにかぶりを振りつつ、まるでその疑心を抱かせるように情報を小出しにした彼らの手腕に、ガーランドはたまらず感嘆の息を落とす。


(…これが本当にすべて計算尽けいさんずくなら、末恐ろしいな……)


____(大事な事は『疑心を抱く』という事です)


 以前、ダリウスが告げた言葉。聞いた時はさも難しい事だと思ったが、蓋を開いてみればいつの間にやら自身の中に疑心が棲みついている。


 彼らにとって人心を掌握する事など、造作もないという事だろうか。


 何やら額に冷や汗を浮かべて、長く思案しながら嘆息を漏らすガーランドの姿に、報告に来た騎士は開戦の是非を迷っているのかと小首を傾げる。


「……ガーランド様、皇太子殿下と一戦交えるおつもりなのですか?」

「…!ああ、そのつもりだ」

「…!」

「…まあ、フリだけだがな」

「…?……フリ……ですか?」


 再び首を傾げる彼の姿に、ガーランドは困ったように苦笑する。


 彼ら騎士団員たちはまだ知らない。

 第一皇子とすでに盟約を交わしている事も、この要塞の最上階に皇王が捕らわれている事も。

 まだ、話すわけにはいかない。だが話さずに彼らの理解だけを得る事は至難の業だろう。

 唯一の救いは、彼ら騎士団員たちに皇太子と敵対する意思は見られない事だろうか。


「…お前は本当に、あの皇太子殿下が謀反を起こされたと思うか?」

「…!!いいえ!!皇太子殿下は清廉潔白な方と聞いております!!愚かな我が領主と皇太子殿下のどちらに信を置くかと問われれば、おそらく皆が皆皇太子殿下と答えるでしょう!!」

「………気持ちは判るが、正直すぎるのも考えものだと思うぞ」


 苦笑を漏らしつつ、だが自分も全く同じ意見を持っているだけに、ガーランドは言うに留める。


「…あちらさんも静観を決め込んでいるところを見ると、本気でこちらを攻め入るつもりはなさそうだからな」

「とは言え、ずっと睨み合っているわけにはいかないでしょう?」

「それもそうだ。かと言って、こちらが兵を出せば、向こうは間違いなく剣を向けてくるだろう」

「では、和平交渉の場を作られてはいかがですか?こちらに戦う意思がないとご理解いただければ___」

「だからそれは駄目だと言っただろうが。向こうとは一戦交える。あくまでフリでな」

「…?」


 なぜか一戦交える事に固執するガーランドに、やはり騎士は怪訝そうな顔を返す。これに適した返答は、残念ながらガーランドには持ち合わせていない。


「……あまり難しく考えるな。とにかく、騙すために一戦を交える必要があるんだ」

「騙す?どなたをです?」

「本当の謀反の首謀者」

「…!?」


 詳細は判っていなさそうだが、その一言でどうやらある程度の得心を抱いてくれたらしい。それを察して一息吐くと、ガーランドは「さて」と仕切り直す。


「…できれば向こうと秘密裏に合議の場を設けたいが……容易くはないだろうな」


 おそらく向こうの騎士団の中に鼠が隠れていると思った方がいいだろう。軽々しく使者を送れば、謀反の首謀者に情報が渡ってしまう。一番いいのは向こうの騎士団から秘密裏に、このソールドールに一人使者を送ってもらう事だが、それをしてくれと連絡する手段さえないのだ。


 途方に暮れたようにため息を落として、ふと一人の人物がガーランドの脳裏をかすめる。


「……ユルンはどうしてる?」

「…ガーランド様、あの方は仮にも第一皇子殿下なのですから____」

「あいつには畏まった態度の方が不興を買うぞ。いいから、ユルンは今どうしてる?アレグレットの屋敷か?」


 領主が第一皇子と謁見した、という話は、もう騎士団員の中では周知の事実だ。何よりこの騎士は以前、アレグレットと共に入街検査に並ぶユルングル達を迎えに行っている。面識がある、とまではいかないまでも、第一皇子と聞いて明確に本人を思い浮かべられる数少ない人物だ。


 その数少ない人物に数えられた騎士は、諦観を示すようにため息を落とした。


「…そのように伺っておりますが、今現在どこにおられるかまでは把握しておりません。アレグレット様がご一緒ですので、滅多なことはないと存じますが…。急に第一皇子殿下の事をお聞きになって、一体どうされたのです?」


 その質問に、ガーランドはにやりと笑みを返す。


「決まっているだろう。幸運の女神にあやかりに行くんだよ」


 それでさらに騎士は、眉根を寄せて怪訝な顔を深くするしかなかった。


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