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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第五部 捲土重来(けんどちょうらい)

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罪悪感と罪滅ぼし

「…こんな豪華な部屋じゃなく使用人の部屋でいいと言っただろうが、アレグレット」


 心底呆れたようなため息を落として告げる相手に、アレグレットは目を丸くして反論する。


「そういうわけには参りません…!!第一皇子殿下をよりにもよって使用人の部屋になどお泊めしては、ヴァーンズ家は末代まで笑われます…!!」

「大げさな…」


 いくら第一皇子とは言っても、たかが低魔力者を使用人の部屋に泊めたからと言って笑い者にするような可愛げがある国か、と内心で皮肉を漏らして、第一皇子ユルングルはベッドに座りながらもう一度自分にあてがわれた部屋を一望する。


 目に入る物すべてが豪華で、目に痛いくらいの煌びやかさが、とにかく落ち着かない。

 部屋の大きさもさることながら、家具のすべてがどれも一級品で揃えられている。これほど豪奢な部屋は幼少の頃に過ごしたフォーレンス家以来だろうか。以降はずっと小ぢんまりとした部屋で過ごす事が当たり前となったユルングルには、ここはあまりに居心地が悪かった。


 ユルングルはもう一度ため息を落として、アレグレットを振り返る。


「使用人の部屋とは言わないから、せめてもう少し質素な部屋はないのか?」

「ございませんし、そのような所にお泊めするつもりはございません」


 やはり四角四面な返答が返って来て、ユルングルは三度目のため息を落とした。


(…よくもまあ、こんな部屋で落ち着いて休めるもんだな)


 それでもあの領主館に泊まるよりは、はるかにましだろうか。

 思って、昨日の領主とのやり取りを思い出す。


 ダリウスに別れを告げて連れてこられたのは、街の宿ではなく領主館だった。


「…俺は宿を手配しろと言ったはずだぞ?」

「まさかっ!!?第一皇子殿下を街の宿になどお泊めするわけには参りませんっっ!!!ぜひ我が屋敷でおくつろぎください!!!」


 嬉々とした笑顔を見せる領主とは反面、ユルングルは激しい嫌悪を示すように眉間にしわを寄せて渋面を返した。


「冗談じゃない…!あのデリックと結託しているお前の屋敷に泊まってみろ。いつ寝首を掻かれるか判ったもんじゃない…!」

「そ、そのような事は決してございません…!!最高のおもてなしをさせていただきます…!!」

「口では何とでも言える。お前は魔力至上主義者だからな。そう簡単に俺が信用すると思うな…!」

「…で、ですが……!」

「もういい…!この話は終わりだ」


 なおも食い下がるように口実を探そうとする領主に辟易しつつ、ユルングルはこの不快な会話を終わらせようと、すぐさま話題を変える。


「…それで?」

「…?」

「俺は一体いつになったら、皇王に会える?」

「…!」


 正直、自分の寝泊まりする所よりも、こちらの方が何より重要な話だ。殺すにせよ助けるにせよ、皇王と会わない事には手の出しようがない。


 返答を迫るように強い視線を送るユルングルに、領主は得心した様子で首肯を返してこうべを垂れた。


「…心得ております。殿下が望めばいつでも皇王にお会いできるよう采配いたしましょう。…ただし、殿下の皇王に対する憎しみが本物だと確信が得られれば、の話ですが」

「…いい度胸だな。俺を試すつもりか?」

「いいえ…!滅相もございません…!!…ですが、どうかご理解ください。我々も寝首を掻かれたくはないのです」


 下卑た笑いを浮かべながら先ほどの自分の言葉を流用する領主のふてぶてしさに鼻を鳴らしつつ、ユルングルは不承不承と話を続ける。


「…何をすればいい?」

「難しい事ではございません。もし皇太子が姿を現わした時、彼と一戦交えて欲しいのです」

「…俺を殺す気か?あのユーリシアと一戦交えて、俺が無事でいられると思っているのか?」

「何も倒せと申し上げているわけではございません。ただ皇太子と決別する覚悟を見せていただきたいだけでございます。殿下ならば必ずや皇王の首を討ち取ってくださるという、信頼と安心を得たいのです」


 いかにも前もって用意していたような模範的解答に、ユルングルは一つため息を落とす。


「……ここに来る途中、噂を耳にした。俺とユーリシアが結託してこの謀反を起こしたらしいな」

「ひどい流言でございます。ですが、そのような流言が流れてもおかしくはないほど皇太子と親交を深めておられるとか」

「…成り行きでたった半月ほど一緒に過ごしただけだ。ユーリシアに対して何の情もない」

「それを証明していただきたいのです。…あの正義感から生まれたような皇太子であれば、必ずや皇王を救うべくここソールドールで姿を見せるでしょう。その時に決して手を緩めず全力で皇太子と剣を交えて、我々に皇王をしいする意思を表明していただきたい」


 簡単に言ってくれるものだと内心で愚痴をこぼして、ユルングルは小さく嘆息を漏らす。


(…よくもまあ、低魔力者の俺に高魔力者のユーリシアと一戦交えろなんて言えたものだな)


 誰が見ても結果は明らかだろう。

 低魔力者で病弱な自分と、歴史上最も魔力を有すると言われるユーリシア____その差は歴然だ。


 この要求を突き付けられることは知っていたが、実際に耳にするといかにも捨て駒にされているようで腹立たしい。彼らにとって、ユーリシアと一戦交える事で第一皇子が傷を負おうが死のうが、知った事ではないのだ。奇跡的にユーリシアを葬れば幸い、くらいに軽く扱われている事が、低魔力者に対する侮蔑を含んでいるようで忌々しい。


 そんな腸が煮えくり返る思いを不承不承と飲み込みながら、ユルングルは不機嫌そうに眉根を寄せつつ、気持ちを落ち着けるようにため息を落とした。


「…自分の身が危うくなれば、すぐに逃げるぞ。皇王を手にかける前にユーリシアに殺されたら元も子もないからな」

「承知しております。せっかく第一皇子殿下のために、皇王への復讐の場を設けさせていただいたのです。その機会を奪われる事は我々としても本意ではございませんので」


(…よく言う)


 いけしゃあしゃあとうそぶく領主の物言いに、ユルングルは虫唾が走ると心中で吐き捨てる。

 皇王に復讐したいのも首を討ち取りたいのも、デリック側の事情だ。そしてこれは紛れもなく、その罪を自分かユーリシアになすり付けるためのお膳立てなのだ。それを恩着せがましく言い放つ領主の言いようが、とりわけ鼻について仕方がない。


(……くそ、まどろっこしいな。知っているのに知らないふりをするのは)


 おかげで意味のない不快な会話を交わす羽目になる。

 ユルングルは苛立ちをため息に変えて髪を掻き上げると、これ以上この男と顔を突き合わせる事も不愉快だと言わんばかりに、すぐさま踵を返した。


「…ユーリシアを見つけたら連絡しろ」

「…!?お、お待ち下さい…っ!!どちらに行かれるのですか…!!?」

「街の宿に決まっているだろう」

「そんな…っ!街の宿になどお泊りにならなくとも、この屋敷で____」

「ユーリシアが見つかるまで俺を軟禁しろとデリックに言われたか?」

「ま、まさか…!!そのような事は決して…!!お、お待ちください!!殿下…!!!」


 引き留める領主に見向きもせず、ユルングルはドアノブに手をかける。扉を開いた瞬間、部屋の前に控えて待っていたアレグレットがユルングルの姿を見つけて、慌てて威儀を正しながらも怪訝そうに眉根を寄せた。


「…殿下、どちらへ?」

「だから宿だ…!同じ事を訊くな!!」


 どうやらすこぶる機嫌が悪いらしい。部屋の中でどういった会話が交わされたかは知る由もないが、あの愚かな領主であれば機嫌を損ねるなと言う方が無理からぬ事だろうか。


 そう心中で呆れたアレグレットの視界に、出て行こうとするユルングルの後を慌てて追いかけながら、あの手この手で執拗にこの屋敷に留まる事を訴える領主の姿が入ってきて、たまらず嘆息を漏らした。


(…領主がユルングル様に執着なさる理由は判るが……)


 あれではなおさらユルングルの不興を買うだけだ。

 見兼ねたアレグレットが、たまらず口を挟む。


「…殿下、僭越ながら申し上げます。領主さまが仰る通り第一皇子殿下を街の宿になどお泊めするわけには参りません。殿下がよろしければ、是非我が屋敷にご滞在いただければと存じますが、いかがいたしましょう?」


 アレグレットの横槍に余計な真似をするなと言いたげな領主の渋面とは裏腹に、助け舟を出してもらえたユルングルはようやく一息吐くように安堵のため息を落とす。


「…お前は確か、入街検査の列に並んでいた時に迎えに来た騎士だな?」

「はい、騎士団副団長アレグレット=ヴァーンズと申します。以後お見知りおきを」


 師父とはソールドールに向かう馬車の中で一緒になり、その師父の命で迎えに来たアレグレットと、一度だけ面識がある____そう口裏を合わせるように、すでに打ち合わせ済みだ。


 ユルングルは肯定を示すように一度頷いた後、思い通りに事が運ばない事に苛立ちを見せる領主に向き直った。


「…ここよりは幾分かましだな。俺はこの騎士の屋敷に厄介になる。…いいな、ベドリー」

「…!!?そ、それは…!!」

「街の宿に俺を泊めるのが不服なんだろう?…それとも、俺がここ以外に泊まると何か不都合が生じるのか?」

「…!」


 威圧感たっぷりに告げられたユルングルの言葉に、領主はもう二の句が継げなくなった。これを肯定してしまっては、まるで二心があると告げているようなものだ。第一皇子からの信頼が何もない今、そこを疑われてはどうしようもない。


 領主は額を伝う冷や汗を拭いながら、不承不承と了承する。それに鼻を鳴らして、ユルングルは視線を領主からアレグレットに移した。


「案内しろ」

「承知いたしました。馬車をご用意いたします」


 その馬車の中でいつの間にやら寝入ったらしく、翌朝この豪奢な部屋で目が覚めて今に至るのだ。



「…まだお体が弱っておいでなのでしょう。あまりご無理はなさらず、ゆっくりとお過ごしください」

「…こんな部屋でゆっくりできるか」

「最高級のベッドですよ?寝心地は最高でしょう?」

「そういう事を言ってるんじゃない」

「ご要望があれば何でも仰っていただいて結構ですよ?」


 生まれながらの貴族には、どうやら言いたい事の半分も伝わらないらしい。ユルングルは諦観と疲労を込めたため息を小さく落として、ぽつりと呟く。


「……俺は、あそこがいいんだ」


 豪華で広い部屋など望んでいない。

 家具などどんな物でもいいのだ。ベッドだってこれほど寝心地が良くなくてもいい。望むのは小ぢんまりとしながらも落ち着く部屋と温かみのある家、そしてそこで穏やかに佇む朴訥ぼくとつとした人柄の家族が一人いれば、それで十分なのだ。


 辛うじてユルングルの呟きが耳に入ったアレグレットは、妙に寂し気に映るユルングルの姿に軽く眉根を寄せる。


「…ダリウス殿下のお傍がよろしいのでしたらお戻りになられますか?ユーリシア殿下と立ち合いをなさるまでは、別にあの家をお出になる必要は_____」

「……………いちいちあいつの名前を出すな…!!!俺は『あそこがいい』と言っただけで、あいつの名前は出してないぞ…!!!」


 アレグレットの言葉を遮って、いかにも不機嫌さを表すように眉間に最大級のしわを寄せる。その苦虫を潰したようなユルングルの表情で、アレグレットは悟ったようにため息を落とした。


(…やはりダリウス殿下と何かおありだったか)


 あの時、あの一室で何を話していたかは判らない。だが部屋から出てきたユルングルは不機嫌そうな渋面で家を出ると告げ、慌てて振り返った視界には扉が閉まる直前、困惑と喪失感が入り混じったような眉根を寄せたダリウスの顔が見えて、妙な胸騒ぎが胸中を蝕んだことをアレグレットは思い出す。


(……ただの兄弟喧嘩ならいいが……)


 二度目の嘆息を漏らしたところで、部屋の扉を叩く音が耳に入ってアレグレットは扉を振り返った。


「どうした?」

「アレグレット様、ミシュレイ殿がいらしております」

「ミシュレイが?」

「よお!!ユルンちゃん!!!」


 執事が促すよりも早く、ミシュレイは扉をくぐって明朗な声を上げる。彼が大人しく待つような人物でない事は、執事もすでに認知しているのだろう。短く要点だけを告げて、さっさと扉の前をミシュレイに明け渡している。


「…私の屋敷に来て第一声がそれか?」

「俺、別にアレグレットに会いに来たわけじゃねえし」


 それでも挨拶くらいはしろと内心で思いつつ、そういう事をする人物でない事は百も承知だとアレグレットは諦観のため息を落とす。同じくミシュレイの登場に、ユルングルはユルングルで呆れたため息を落としていた。


「…よくもまあ、首を掻き切ると言った相手に会いに来られるな、お前は」

「いやあ、俺よくよく考えたんだけどさ、『たとえお前でも』って言葉は特別な相手にしか使わねえよなあって」


 にやりと笑ってベッドに座るユルングルを見下ろすミシュレイに、ユルングルはふくれっ面を返す。


 _____『言えばたとえお前でも、その首を掻き切るぞ、ミシュレイ』


 感情に任せて言い放った言葉だが、そういう時は決まって自分でも気づかないうちに心に宿った感情が、咄嗟に表に出るものだ。それを理解しつつ、それでもミシュレイが言った言葉を素直に認めるのは癪に障る、と言わんばかりにさらに表情を険しくしたユルングルを、ミシュレイは腹を抱えてケラケラと笑った。


「ユルンちゃんって態度は素直じゃないくせに、目だけはバカ正直だよな!」

「うるさい!!何をしに来た!?揶揄いに来たなら帰れ!!」

「あー違う違う。これ」


 言って、手に持った包みを持ち上げる。


「ダリウスの兄貴から。どうせ何も食ってないんだろ?ってさ」


 またもや今、最も聞きたくない名前が出てきて、やはり不機嫌さを返すユルングルにアレグレットは頭を抱えながら心中で、間が悪い、と嘆息を漏らす。思えば昨日から、ユルングルは苛立ちを募らせている。それでまた体調を崩さないものかと内心気が気ではないアレグレットをよそに、二人の会話は進む。


「……………だからあいつの名前を出すな…!」

「やだね。何で喧嘩してんのか知らねえけど、俺はダリウスの兄貴の味方だし」

「…喧嘩なんかしていない…!」

「何?フリ?じゃなきゃ、さっさと謝っちまえよ」

「…どうして俺が謝らなきゃならない?」

「ユルンちゃんが罪悪感を持て余してるから?」

「…!」


 言われて思い出す。部屋を出て行く直前の、ダリウスの顔_____。


「あー、図星なんだ?」

(………くそ、何でこいつには口で勝てないんだ…!)


 つい昨日もミシュレイに言い負かされたところだ。あの時は暴力に訴えて無理やり収拾を付けたが、ミシュレイに的を射られた事は否めない。どうやら、こと自分の気持ちに関しては、自分以上に自分の気持ちをミシュレイの方が理解しているらしい。それも本人に自覚なく正確に核心を突いてくるから、なおさら腹立たしい。


 にやにやと勝ち誇った顔でユルングルを見返してくるミシュレイの視線から逃れるように、ユルングルはバツが悪そうに顔を逸らした。


「………大体…!何で俺が罪悪感を持たなきゃならないんだ…!!」

「だから自分が悪いと思ってるからじゃねえの?」

「……俺は悪くない。なのに何であんな顔をされなきゃならない…!」

「だからユルンちゃんの言葉が、ダリウスの兄貴を傷つけたからじゃねえの?」

「……………」


 ミシュレイと話していると責められているようで気分が悪い。


(…まるで極悪人にでもなった気分だな)


 たまらず嘆息を落として、ユルングルは諦観を示すように頬杖をつく。


「……もういい」

「じゃあ飯食おうぜ」

「………お前の神経は鋼でできているのか?」

「図太いって言われるけど?」

(……自覚はあるのか)


 呆れたようにため息を落としたのは、おそらくユルングルだけではないだろう。同様にため息を落とすアレグレットの姿を見るともなしに見ながら、ユルングルは突き放すように言い放つ。


「……いらない。食べたきゃ一人で食べろ」

「でも何も食べてねえんだろ?食べなきゃ弟と立ち合いなんてできねえぞ」

「…ミシュレイ、ユルングル様が何も召し上がっておられないのは、昨日夕食をご準備なさる前に眠ってしまわれたからだ。今後はこちらで____」

「だからユルンちゃんは食べねえって。ユルンちゃんが食べられるのはダリウスの兄貴が作ったものか自分で調理したものだけだってさ」

「…!なぜそんな______」


 言い差して、アレグレットはすぐさま口を噤む。

 ユルングルは生まれてから___いや、生まれる前からその命を狙われてはいなかっただろうか。


(…毒を警戒しておられるのか…)


 徹底している。それも、かなり。


 そう感服する反面、あまりに不便な状況にアレグレットは再び頭を抱える事になる。普段ならまだしも、こうやってダリウスと離れた上にもしユルングルが倒れでもしたら、一体誰が彼の食事を用意するのだろうか?


 一抹の不安が頭をよぎるアレグレットを横目に、ユルングルはやはり突き放した態度を止めなかった。


「俺は食べないからな。…もう二度と作るなとあいつにも言っておけ」

「やだね。言いたきゃ自分で言えばいいし、いらないなら自分で突っ返すか捨てればいいだろ」


 言って、ミシュレイはそのままユルングルが座るベッドの隣に包みを置いて、身を翻す。


「…!?おい、ミシュレイ…!?これを置いて行くな…っ!!持って帰れ…!!」

「やーだ」


 ユルングルを振り返ることなく、ミシュレイはそのまま扉へと足を進ませる。最中さなか、アレグレットに小さく目配せをするミシュレイに気が付いて、アレグレットもまたミシュレイに倣う。


「…では私もそろそろ失礼させていただきます。何かご入用がございましたら、当家の執事に何なりとお申し付けください」

「…!こら、アレグレット…!!!待て……っっ!!!!」


 恭しくこうべを垂れて部屋を辞去するアレグレットを引き留めようと、ユルングルは声を荒げる。その困惑めいたユルングルの怒声も無視して、アレグレットはミシュレイに続いて部屋を退出し、そのまま扉を閉めた。ユルングルとダリウスの作った食事だけが取り残された部屋の扉を小さく一瞥して、アレグレットは小声で隣にいるミシュレイに声を掛ける。


「………お前、意外に策士だな」


 それには、にやりと笑みを返す。


「今さらかよ」




 部屋に包みと共に取り残されたユルングルは、途方に暮れたように視界の端で包みを捉えた。


 ____『言いたきゃ自分で言えばいいし、いらないなら自分で突っ返すか捨てればいいだろ』


 それが出来れば、これほど苦労しないのだ。

 本人にいらないと言ってこれ以上傷ついた顔を見たくはないし、ましてやダリウスが作った料理を捨てるなど以ての外だ。


 困り果てたようにため息を落として、ユルングルは包みに軽く触れてみる。


(……まだ温かいな)


 冷めた料理を好まない自分のために、ミシュレイに頼む直前に作ったのだろう。

 その心遣いが嬉しく、申し訳ない。


 ユルングルはそれを膝に置いて、躊躇いながらゆっくりと包みをほどく。まだそれほど多くは食べられないユルングルが、今食べられるだけのちょうどいい量が入る大きさの弁当箱の蓋をゆっくり開けると、空腹の食欲をそそる美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。


 その嗅ぎ慣れた匂いに促されるように、ユルングルは料理をつまんで自身の口に運ぶ。


「…………美味いな」


 味わうようにゆっくりと咀嚼して、ユルングルは誰にともなくひとりごちた。


**


「そうか、あの第一皇子から上手く補佐官を離せたか」


 ベドリーからの文を満足そうに眺めながら、デリックは嬉々とした声を上げる。


 ベドリーとのやり取りは、もっぱら文と文のやり取りだ。本来であればフェリシアーナの皇族に伝わる、遠くにいる者と言葉を交わす事のできる魔導具を使いたかったが、そうはいかなかった。あれはフェリシアーナ皇族の宝珠____それを使う権限も、どこにあるかも皇王にしか知り得ない。


 結局それを手にすることは叶わず、独自に作らせた文を瞬時に届ける事のできる魔導具をその代用とした。これはこれで非常に便利だが『文』という物的証拠がどうしても手元に残るのが難だと、デリックは心中で嘆息を漏らす。


「カーボン卿も奮闘なさっておいでのようですね」

「…そうでないと困る___と言いたいところだが、やはり愚か者は愚か者にしかなり得ないようだな」

「…?何か問題でも?」


 眉根を寄せるラットに、デリックはベドリーからの文を手渡す。首を傾げながら受け取ったその文に目を通して、ラットは得心したようにため息を落とした。


「…なるほど。カーボン卿は第一皇子の見目麗しさに心を奪われましたか……」


 ベドリーからの文には、現状の報告もそこそこに第一皇子の処遇を全て自分に委ねてほしいと切実なまでに訴える内容が所狭しと書かれていた。これを見れば、ベドリーが何を思い何を考えているかは明白だろうか。


 ソールドールの領主ベドリー=カーボンは、自他共に認める男色家だった。

 自分の周囲には必ず見目の良い騎士たちを侍らせ、中でも一番のお気に入りが騎士団副団長のアレグレット=ヴァーンズだという事はすでに公然の秘密だ。


 第一皇子を実際にこの目で見たわけではないが、あの傾国の美女とまで謳われた皇妃の面差しを強く継いだと言われる第一皇子ならば、男色家のベドリーが放って置けないことは無理からぬことだろうか。


「…親子そろって、天性の人たらしの才能があると見える」


 嘲るように鼻を鳴らすデリックに、ラットは文を返しながら訊ねる。


「…どうなさるおつもりですか?」

「決まっているだろう。ベドリーに渡すつもりはない。第一皇子は最後には必ず殺_____」


 言いかけて、慌てて口を噤む。

 聖女は、決して第一皇子の命を奪うなと警告していなかっただろうか。奪おうとすれば、因果律とやらが邪魔をして上手く事が進まなくなる___と。


(…これ以上邪魔が入る事は避けたい。奴を殺せないのなら、ベドリーの玩具に身を堕とさせるのもまた一興…か)


 突然口を閉ざして考え込むように沈黙するデリックに小首を傾げつつ、ラットは遠慮がちに声を掛ける。


「……どうかなさいましたか?」

「…いや、今回はベドリーに褒美を与える事にしよう。文を書く。準備をしてくれ」

「よろしければ私が文をしたためておきますが?」

「いや、自分で書く」


 言ってソファを立つデリックの姿を、ラットは訝しげに視界に入れた。

 デリックはベドリーへの文を必ず自分で書いた。他の人間に対する文はラットに準備させる事も多かったが、なぜかベドリーへの文は頑ななまでにラットに準備をさせないのだ。


 その真意が判らず怪訝そうに眉根を寄せるラットの心情を察して、デリックは応える。


「言っただろう。もし計画が失敗した時、お前だけは罪から逃れる手筈は整えている、と」

「…!…それは丁重にお断りしたはずですが?」

「厚意は素直に受け取れ。私が他人に施しをする事など滅多にないのだからな」

「……なぜ、それほどまでに私を?」


 問うてきたラットをちらりと一瞥して、デリックはやはり考え込むように目を伏せる。


 皇王を除けば、彼だけだった。

 昔から不気味だと言われ、今では皇王に次ぐ権力を有している自分に臆することなく進言し諫めて来る者は、後にも先にもラット一人だった。

 誰も彼もが自分を嫌い、外見だけを装って媚びへつらいながらすり寄ってくる者たちとは違って、ラットだけがいつまでも自分と真摯に向き合ってくれた。


 その彼に、せめて最期くらいは恩返しがしたい。


(…自分で巻き込んでおいて、恩返しも何もあったものではないがな)


 自嘲気味な笑みを小さく落としつつ、デリックは返答を待つラットに視線を向ける。


「……怖いもの知らずで馬鹿が付くほど真面目な奴は、地獄に行くには相応しくないだろう?」

「…!」

「地獄に行くのは、私だけでいい」


 すぐさま踵を返すデリックに声を掛けようとしたラットの先を塞ぐように、デリックが先手を打つ。


「私が文を書き終えるまでに、旅支度を整えろ」

「…!……どこかに行かれるのですか?」


 困惑気に訊ねるラットを振り返って、デリックは愚問だと言わんばかりににやりと不敵な笑みを見せて告げる。


「決まっているだろう。私もソールドールへ向かう」


 その顔は、何かを覚悟したような顔だと、ラットは思った。


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