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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第四部 星火燎原(せいかりょうげん)

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それぞれの旅路 ユーリシア編・終編

 翌朝、激しい雨音でユーリシア達は目が覚めた。


 昨日、小雨で済んだ天気は一変して、嵐のような様相を呈している。おかげで霧はすっかり晴れたが、それ以上に洞窟を出る事が躊躇われた。


「…どういたしましょう?ユーリシア殿下」


 アランの問いかけに、ユーリシアは渋面を返す。


「…正直、この洞窟に滞在したい気持ちはやまやまだが……」


 そういうわけにはいかないのだ。


 本来八時間でこの森を抜けるはずだった予定は、延びに延びて今日で三日目に突入した。先に発ったカルリナ達はもう森を出ただろうし、その後を追ったダスク達ももうカルリナ達と合流しているだろう。父を助けるためにソールドールに向かっている以上、ここでいつまでも足止めを食らっている場合ではないのだ。


 そう気持ちがはやりつつも、ただ一つ、ここを発つのに問題があった。


 ユーリシアは気まずそうに視線を逸らして、躊躇いがちに言葉を続ける。


「………そもそも、道を見失ってしまった。この雨の中を彷徨い歩くのは、さすがに体力が消耗し過ぎる。あまりいい選択とは言えないだろう…」


 不測の事態を想定して、森の地図を頭に叩き込んだはずだった。だが、さすがに崖下から続く道まではその範疇ではない。ここはユーリシアの中で決して通らない道だった。それは決して自分の失策ではないと思っている。よもや、崖を下りて道を進むとは誰も想像出来まい。


 途方に暮れたようにため息を落とすユーリシアに、躊躇いがちに助け舟を出したのはユーリだった。


「……あの……」

「…?ユーリ、どうした?」

「……多分、道は判ると思います…」

「…!」


 その場にいた全員が目を見開き、驚きと希望に似た感情をその顔に表す。


「地図を覚えたのか?ユーリ」

「いえ、地図は見ていませんが、魔力が道を教えてくれています」

「?魔力が?」


 小首を傾げるユーリシアに、ユーリは首肯を返す。


「ソールドール周辺はどうやら魔力が濃いみたいなんです。ソールドール側から常にその魔力が、この森の道沿いを這うように漂っています。特にソールドールに続く道は、他と違って濃く明るい」

「…!つまり、その魔力を追って行けば、森を抜けられるという事か?」

「はい。…ですが、必ずしも元々行くはずだった道に出られるという確証はありません。全く別の道から森を抜ける可能性もあります」

「森を抜けられるのなら、道にこだわるつもりはない。出られさえすれば、いくらでもカルリナ達と合流できる」


 そうして、皆に視線を向ける。


「ユーリの手引きでこの森を出るぞ」


**


 豪雨は想像以上に、ユーリシア達の行く手を阻んだ。

 洞窟を出て幾ばくも経たぬうちに、服という服は水分を含んで体に纏わりつくようになった。外套もすでに外套としての役目を放棄し、雨を吸って、もはや動きを妨げる重しに為り変わっている。激しく打ち付ける雨が容赦なく体温を奪い、足元はひどくぬかるんで歩きづらい。ただ森を歩くという行為すらままならない状況に、ユーリシアは渋面を取った。


(…できれば、魔獣と遭遇する事は避けてほしいが……)


 おそらく無理だろう、と思うのは、自身の中で嫌な予感が絶え間なく襲ってきているからだ。


 この広い森の中で、偶然同じ魔獣に二度も遭遇するだろうか。____いや、洞窟の中から初めて人型の魔獣の姿を見た時を加えれば、三度目だ。あの人型の魔獣は自分たちに固執しているように思える。そう思うとやはり、どこかで自分たちを待ち構えているのではないかと思ってしまうのだ。


 次に遭遇した時は、覚悟を決めなければならない___自身の中で人知れずそう決意を固めるユーリシアの視界に、ぬかるみに足を取られたのか倒れそうになるユーリの姿が入って来て、慌ててその華奢な体躯を支えた。


「ユーリ…!?大丈夫か…!!?」

「す、すみません…!ぬかるみに足を取られて…!!」


 見ればユーリの足は、くるぶしの近くまでぬかるみに沈み込んで抜け出せないようだった。ユーリシアはユーリの体を支えながら、その足に伸ばそうとした手がピタリと止まる。


「我々がいたします」


 ユーリシアを遮ったのは、あのアランとジスだ。誰に命じられるまでもなく、二人は率先してぬかるみに取られたユーリの足を引き抜く。それも優しく、そしてひどく丁寧に____。


 ユーリは今までとは態度の違う二人に目を丸くして、茫然としたまま、たどたどしく呟いた。


「……あ、ありがとう……ございます……」

「……勘違いするなよ。我々はユーリから、借りたくもない借りが散々溜まっている状態だからな。それを少し返しただけだ」

「…低魔力者に借りがあるなんて堪らないからな。いつか必ず利子を付けて返すから覚悟していろ。………ユーリ」

「…!」


 言った二人の耳は赤い。それ以上に初めて自分を名前で呼んでくれたことに、ユーリは大きく目を見開いた。


「………私の……名前……」

「…!な、名前くらい呼ぶだろう…!!」

「いちいち反応するな…!」


 やはり真っ赤になって照れ隠しに憤慨する二人を、ユーリシアはくすりと笑う。まだ素直ではないが、どうやら二人なりに変わろうという意思を持ってくれたようだ。


 ユーリシアはユーリの頭に手を載せ、顔を覗き込むように軽く首を傾けた。


「…良かったな、ユーリ」

「…!……はい…っ!」


 やはり花が咲きこぼれるような笑顔を見せるユーリに、ユーリシアの眉がぴくりと動く。


 二人のユーリに対する態度が軟化した事は素直に喜ばしいと思うが、他の男に名を呼ばれてこの笑顔を見せるユーリが嫌に気に障って仕方がない。別にユーリは自分のものと言うわけではないのだが、こうやって悋気を起こしてしまうのは自分が狭量だからだろうか。


 ユーリシアはその悋気を振り払うように小さくかぶりを振って、だが二人から離すように自分の傍へとユーリの体を寄せる。


「…さあ、急ごう」


 ぶっきら棒な物言いにはなったが、おそらく不機嫌な表情は外套のフードで何とか隠せただろうか。そんなささやかな不安を胸に抱きつつ、一行は再び足を進めた。


**


「…少しずつですが、レオリア様たちはこちらに向かっておいでのようです」


 天幕の中で、森の中にいるユーリシア達の魔力を感知しながら、ダスクは告げる。


 皆が無事かどうかはユーリシアの魔力が邪魔をして定かではないが、ことユーリシアに関してはどこにいようともその位置を把握できる。あのユーリシアが健在という事は、おそらく全員無事であると思っても問題はないだろう。


「これほどの豪雨の中を歩いておいでとは……」

「止むまで待っていては、いつまで経ってもこの魔獣の森から出られませんからね。あと二時間もすれば、こちらと合流できるでしょう」


 ダスクのその言葉に、カルリナはほっと胸を撫で下ろす。

 そのカルリナにくすりと笑みを一つ零して、ダスクはおもむろに立ち上がった。


「…さて、では迎えに上がりましょうか」


 言って外套を手に取るダスクに、ゼオンは目を丸くする。


「待て!この雨の中を行くつもりか?」

「何も貴方についてこいとは言っていませんよ?」

「そういう事じゃない!お前が行ったら誰が俺を守るんだ!!」


 ここに入り込んだ鼠たちは、明らかに自分の命を狙っている。ユーリシアがいない今、ダスクだけが頼りの綱だ。そのダスクまで失うわけにはいかない。


 そう言わんばかりのゼオンの態度に、ダスクは呆れ顔を返す。


「アルデリオがいるでしょう」

「アル一人だと頼りないだろうが!!」

「……心外ですね、統括」


 じとりとした視線をゼオンに送って、アルデリオはいかにも不本意そうな顔を向けている。確かに自分は逃がし専門だが、今まで散々、護衛としての役目を果たしてきたのに、この扱いはいかがなものだろうか。


 ダスクはそんな情けないゼオンに、呆れをふんだんに乗せたため息を落とした。


「…まったく、貴方は相変わらず臆病者ですね。この天幕には幾重にも結界を張っていますので、彼らが入り込むことは不可能ですよ」

「そんなこと判らないだろうが…!不測の事態ってのは、いつも必ず予測の範疇を越えて来るんだぞ…!」

「……判りました」


 やれやれ、と呆れ顔に二度目のため息を落として、諦観を示すように一度手にした外套を卓の上に置く。そしてなぜかおもむろに小刀を手に取って口にくわえ、そのまま自身の指を真一文字に切りつけたのだ。


「…!?何してる…!!?」

「動かないで」


 仰天して反射的に立ち上がろうとするゼオンを制し、ダスクはゼオンの額に己の血で、陣を施す時に使う文字を刻む。そのまま互いの額と額を当てると、その間からふわりと魔法陣が浮かんで、代わりにゼオンの額に書かれた血文字はまるでゼオンの体内に溶けるように、すー…っと淡く消えていったのだ。


 ゼオンはすぐさま自分に何を施されたかを悟って、目を白黒させながら慌ててダスクの体を突き飛ばした。


「よせ…!!お前は馬鹿か…っ!!?俺はここまでしろとは言ってないぞ…っ!!!!」

「ここまですれば貴方も安心でしょう?一蓮托生、死なば諸共です。貴方の身は、おれが死んでも守りますよ」

「…!待て…!!シスカ…っっ!!」


 にこりと微笑んで返事も聞かぬまま外套を羽織り、そのまま天幕を出て行くダスクの後を追おうと、ゼオンは慌てて天幕の出入り口に手を当てる。そうして出るに出られない状況に苦虫を潰したような渋面をその顔に深く刻んだ。


「くそ…っ!!シスカの奴…!!」

「……えー…っと……先生は統括に何を施したんです?」

「…血束けっそくの結界陣だ…!!自分の命を代償にする代わりに強固で堅牢な結界を俺に張ったんだよ…っ!!!」

「……命を…代償に……?」

「この結界が破られる時が、あいつが代償を支払う時…!!つまり!!あいつは俺を籠の鳥にしやがったんだっ!!!」


 そこまで聞いて、アルデリオはようやく得心を得たように内心で、なるほど、と呟く。

 臆病な割に、じっとしている事が苦手で、好奇心を惹かれるものがあると危険がある事も忘れて自分勝手に動き出す。そんなゼオンの動きを封じるのに、ダスクの命はうってつけだろうか。


(…さすがは先生。統括の性格をよくご存じだなあ)


 ダスクの命を盾に取られて二進にっち三進さっちもいかなくなった事に憤慨するゼオンを視界に留めて、アルデリオはあの性格のねじ曲がったゼオンのさらに一枚も二枚も上手なダスクに、ただただ感嘆の息を漏らした。


**


「…ユーリ、あとどれくらいで森を出られるか判るか?」


 洞窟を出て三時間。

 皆、疲労困憊になりつつ、それでも歩みを止めずに進む中、ユーリシアは隣を歩くユーリにそう問いかける。


「…もう少しです。多分、一時間と少し……」

「…そうか。終わりが見えてきたな」


 ユーリの返答に、皆一様に希望が差したように胸を撫で下ろす。


 この三日、正直生きた心地がしなかった。

 ここがただの森なら、まだいい。ただの森を雨の中歩くだけなら何の苦痛もなかった。だが、ここは普通の森ではない。魔獣が跋扈する森で、忌々しい事にその魔獣に気に入られたのか、ずっと付き纏われている。いつまた魔獣たちに遭遇するのかと内心気が気ではなかったが、ようやくこの状況の終わりが見えた。


 わずかに気が緩んで笑みを零す騎士たちが再び嫌な緊張感で表情が強張ったのは、ユーリシアが何かの気配を察したのか守るように前に立って、身を潜めるように指示したからだった。


「…ユーリシア殿下、まさか……あの魔獣たちですか…?」


 周りを見渡すが魔獣の姿はない。彼らに勘付かれないように、ある程度の距離を保っているのだろう。

 声を潜めて問うたアランの言葉に、ユーリシアは顔を前に向けたまま神妙に頷いた。


「…ああ、やはり私たちを待ち伏せしていたようだな……」

「…!待ち伏せ…!?」

「我々を待っていたのか……?」

「…なぜあの魔獣たちは、それほど我々に執着するのです…?」

「…さあな。…ただ、獣の中には一度標的に定めると、その獲物を討ち取るまで執拗に追いかける習性がある者もいると聞く。あの魔獣も、そういった類なのかもしれない…」


 ユーリシアの話を聞くともなしに聞きながら、皆、渋面と共に拳を強く握る。


「…あと…!あと少しだというのに…っ!!」


 ようやく、終わりが見えたところだった。安堵する気持ちをわずかに持った途端、その心を弄ぶかのようにぬか喜びとなった。それがあまりに腹立たしく、悔しい。


 切歯扼腕するように歯を食いしばる騎士たちを見据えて、ユーリシアは躊躇いもなく凛とした声で告げた。


「お前たちは先に行け」

「…!」

「私が彼らの注意を引く。その間にユーリは結界を張って道を塞ぎ、アラン達と共に森を抜けるんだ」


 最初からそのつもりだったのだろう。少しの迷いもない強い眼差しにそう悟って、皆、目を白黒させながらそれでも強くかぶりを振った。


「嫌です…!!私も残ります…!!」

「そうです…!!我々も命尽きるまで共に戦う所存です…!!」

「…だめだ。それは許さない」

「ユーリシアさん…!!お願いです…!!私たちを逃がして一人残ろうとは思わないでください…!!!」

「…ユーリ、判ってくれ」

「嫌です…!!絶対にだめ……!!!せめて私だけでも残って____」

「足手まといだ」


 懇願するように、あるいは縋りつくように訴えるユーリの言葉を遮るように、ユーリシアは明朗な、だけれども強い意志を込めた声で告げる。その拒絶するような声音と言葉に目を見開き、弾かれるようにその視界に入れたユーリシアの表情は、やはり拒絶するかのように険しい表情を向けていた。


「…もう一度言う。残られると足手まといだ。ユーリだけではない。お前たちも同じく邪魔でしかない」

「…!」

「思うように動けず力も制限される。一人なら難なく逃げることが出来ても、お前たちがいると逃げるに逃げられない。お前たちの存在は足枷でしかないのだ。私の身を案じてくれるなら、まず先に安全な所まで逃げてくれ」


 あまりにはっきりと告げられたユーリシアの言葉に、ユーリ達は二の句が継げず口を閉ざした。それはあまりに無遠慮な物言いに心が痛んだわけでも、怒りが表出したからでもない。的を射たその言葉に、反論する術を完全に奪われたからだった。


 意気消沈したように俯くユーリ達の姿にわずかに胸が疼いたが、ユーリシアはそれをおくびにも出さず、言葉を続けた。


「私が先に彼らの前に姿を現わす。おそらく出口に続く道を塞ぐように立っているだろう。お前たちは森の中を静かに迂回してその道に向かってくれ。機を見て道を塞ぐ魔獣たちを蹴散らし私が道を背にしたら、すぐさまその道を進み結界で塞ぐんだ。…判ったな?」


 皆いかにも納得していない、と渋面を取りつつも不承不承と首肯するのを見て取って、ユーリシアもそれに頷き返した。




 ユーリ達と別れたのは、魔獣から距離を取った木々が深い森の中。

 できるだけ身を屈め静かに移動するように指示を出し、対するユーリシアは堂々と歩を進め、悠然と魔獣の前に歩み出た。


「…ずいぶんと気に入られたものだな。だが執着されるのはあまり好きではない」


 言ったユーリシアの手には、すでに氷属性付与された剣が握られている。


 予想通り森の出口に繋がる道を塞ぐように立つ魔獣の数は、初めて魔獣と遭遇した時の数に人型の魔獣を加えたくらいだろうか。それほど多くない数に安堵しつつも、この人型の魔獣はいつでも他の魔獣を呼べる事が忌々しい。


(…相変わらず、感情が見えないな)


 ほんの僅か開けた空間、ガロウに囲まれ佇む人型の魔獣を視界に入れる。


 隠れることもせず堂々と姿を現したユーリシアの姿を、人型の魔獣はその真紅の瞳でただ眺めていた。その表情にはやはり感情が見えず、姿が見えないユーリ達を訝しげに思っているかどうかさえ定かではない。それがまた底気味が悪いとユーリシアは心中で思いながら、ユーリ達がいるであろう場所を視界の端で小さく一瞥した。


 このまま対峙したままでは埒が明かない。先にユーリ達を逃がさない事には、安心して闘う事すらままならないのだ。


 ユーリシアは剣を下に構えて、臨戦態勢を整える。


「…そちらが来ないのなら、私から行くぞ」


 跳躍するように駆け出し、それに反応するようにガロウ達も人型の魔獣の指示に従うように飛びかかる。ユーリシアは躊躇う事なく剣を大きく払った。今ここに、ユーリ達はいない。彼らはある程度距離を保って移動している。


 思う存分力を込めて薙ぎ払った瞬間、辺り一帯は氷の世界と化した。雨は雪と氷に変わり、濡れた地面はユーリシアを中心に次第に氷が根を張っていく。同時に剣先から大きな氷柱が広がって、無情なほど躊躇いもなくガロウ達の体を突き刺していった。


 いとも容易くガロウの群れを払うユーリシアに、人型の魔獣は今度は出し惜しみする事なく魔法を放った。ユーリシアは四方八方から襲い掛かってくるガロウを薙ぎ払い、あるいは攻撃を避けながら、その動きの先を読むかのように放たれた魔法を紙一重でかわし続けた。


「…凄い……っ!!」


 思わず漏れた感嘆の息は白い。離れていても凍える空気が、辺り一帯を支配している。

 遠巻きにユーリシアの立ち回りを見ていたアラン達は、見惚れるように足を止めて交戦の一部始終を視界に納めていた。その動きは明らかに、自分たちが傍にいる時とは違って見える。足枷から解き放たれて自由に動く様は、いかにも今までの彼の動きが自分たちを守りながらの闘いだった事実を如実に物語っているようで、胸に痛い。


 不甲斐ない自分たちを責めるように眉根を寄せるアラン達に、交戦を注視し続けているユーリがぽつりと呟いた。


「…だけど、ユーリシアさんはまだ本気ではありません」

「…!」

「…私たちがいるから、本気を出せないんです」


 慌てて魔獣との交戦を再び視界に入れる。

 言われてみれば、ユーリシアの動きは襲い掛かるガロウを薙ぎ払うだけに留めて、攻撃は最低限に抑えている。ここであまり魔獣たちを追い詰めてしまえば、前回のように森に棲みつく魔獣たちを呼び兼ねないからだろう。そうなればユーリシアだけならまだしも、自分たちはもう逃げることは叶わなくなる。だからこそ自分たちが迂回して森の出口に続く道の近くに着くまでの間、時間稼ぎをしてくれているのだ。


 それを理解して、皆顔を見合わせて頷き合う。


「…ユーリの言う通りだ。我々がいればユーリシア殿下の足手まといになる。迅速かつ慎重に進むぞ」



 攻撃をかわして襲い掛かるガロウを薙ぎ払いながら、ユーリシアは森の中を静かに進むユーリ達の気配を読んでいた。


(…そろそろ、か)


 頃合いを見計らってユーリシアは今までの受け身一方の動きから一転、人型の魔獣の周囲に集まる魔獣たちの上部へと大きく跳躍する。その勢いのままくるりと回転しながら下にいる魔獣に向かって剣を一振りし、そうして魔獣たちの後方へと着地するまでの間にさらに勢いよくもう一振りした。上と後ろからの強烈な氷柱の攻撃に防ぎきれないと判断したのだろう。道を塞いで悠然と佇んでいた人型の魔獣とガロウ達はその位置を変え、不承不承とユーリシアに道を明け渡したのだ。


「…今だ!!行け…っ!!!」


 すかさず自身の背に声を上げる。そのユーリシアの声を号令に、アラン達はすぐさま森から姿を現わし後ろを振り返ることなく駆け出した。それを阻もうと十数匹のガロウ達が勢いよく駆けたが、その半数以上がやはりユーリシアの氷柱の餌食に、そして残りはユーリが張った結界によって大きく弾き飛ばされる事になった。


「振り返るな…!!そのまま行け…っっ!!!!」


 後ろ髪を引かれるように眉根を寄せてユーリシアを振り返るユーリに、ユーリシアは叫ぶ。

 こちらを振り返らないユーリシアの背が、なおさら胸の疼きを刺激して堪らない。


 ユーリシアを一人残して行くために、ついてきたわけではないのだ。

 足手まといになるために、ここにいるわけではない。

 すべての努力は、ユーリシアの隣に立ち彼を守るためだったはずなのに_____。


 そう思うとなおさら足取りが重く、次第に歩みを止めるユーリの腕を、アランが勢いよく引いた。


「ユーリ…!!殿下の想いを無駄にするな…!!」

「…!」


 ユーリは弾かれるようにアランの顔を見返した後、ユーリシアを再び視界に入れる。


 ユーリシアがここに一人残ると決断したのは、他ならぬ自分たちを逃がすためだ。そしてこれが唯一、全員が生還できる可能性が高い選択_____。


 そう頭で理解していても納得できない自分を振り払うように、ユーリは強くかぶりを振る。ユーリシアの傍にいたい気持ちを抑えるように瞳を固く閉じ、胸の疼きを抑えるように歯を食いしばって、ユーリは引かれる後ろ髪を振り払い嫌がる足を再び進ませた。


 その一部始終を背で感じて、ユーリシアは心中で謝意を告げる。


(…アラン、ありがとう。ユーリを頼む)


 そうしてユーリシアは再び、目の前にいる人型の魔獣と対峙した。

 露を払うように剣を軽く一振りし、魔獣たちを威嚇するように鋭い視線を送る。


「…さあ、これでもう足枷はなくなった。思う存分暴れさせてもらうぞ」


**


 雨脚が若干弱まったのか耳に届く喝采のような雨音が心なしか小さくなったように感じつつ、それでも彼らの足取りはひどく重かった。


 このまま進めば無事にこの森を抜けられる。

 その安堵よりも、皇太子を置いて敵前逃亡した事実が重い。

 たとえそれが皇太子の指示であっても、それが最善だと頭では理解していても、心と矜持がそれを許してはくれなかった。


 そしてなおさら彼らの心を重くしたのは、最後尾を歩くユーリの存在だった。


 皇太子と別れてから、彼はただの一言も口を利いてはいない。思いつめたようにただ下を見つめて、茫然と皆の後をついて歩いている。そのあまりに悄然と肩を落とす様が見ていて妙に胸に刺さり、かと言ってかける言葉も見つからず、皆気にかけるようにチラチラと後ろに視線を送っていた。


 そんな彼らの視線にも気付く様子のないユーリに、アランはたまらず大きくため息を落とした。


「…ユーリ、いい加減にしろ。ユーリシア殿下をお一人で残して行くことに後ろ髪を引かれているのは、お前だけではない…!!それでも皆、これが最善だと己を納得させて進んでいるのだ」

「…そうだぞ。それに、騎士団と合流できればダスク様に助けを求めることが出来る。あのダスク様ならば、必ず殿下をお助けできるはずだ…!」


 ユーリシアと共に一トンもある荷馬車を軽々と持ち上げたダスク。彼は最初の魔獣たちの襲撃をいち早く察知し、そして魔獣に対する攻撃もやはり抜きんでていた。彼ならば間違いなく、ユーリシアの足手まといにはならないだろう。


 そう思って口にしたダスクの名に、ユーリはピクリと反応を示した。


「………ダスク兄さま……?」


 ぽつりと名を呟いて、ユーリの耳にダスクの言葉が蘇る。

 ダスクは、自分を『鉄壁の盾』と呼んではいなかっただろうか____?


(……そうよ。私は殿下の盾……なのにその盾が、どうして闘っておられる殿下の隣にいないの?)


 自問自答して、すぐさま己の中に答えを見出す。


 意気消沈して死んだように虚ろだった瞳が、唐突に強い意志を含んだ輝きを放っている事に、アラン達は訝しげな表情を向けた。


「…ユーリ?お前、一体何を_____」


 言った時にはすでに遅かった。

 ユーリはすぐさま自分とアラン達との間に結界を張り、そのまま踵を返して元来た道を駆け出したのだ。


「…!?ユーリ…!!?」

「アランさん、ごめんなさい…!!!私はユーリシアさんの元に戻ります…!!!アランさん達はそのまま道なりに進んでください!!!森から抜けられるはずですから!!!」


 叫びながら道を引き返すユーリの後を追おうと、慌てて駆けた彼らの行く手を阻んだのは目に見えない壁だった。何もないはずの空間に、まるで空気の層が出来たように悠然と佇む、大きな壁。それに阻まれて、アラン達は目を白黒させながら見えない何かに手をかざした。


「…!?何だ、これは…っ!!!?」

「結界か…!!?前に進めない…っ!!!!」

「ユーリ…っっ!!!戻って来い…!!!!!ユーリっっっ!!!!!!」


 アラン達は必死に抗うように、その見えない壁を叩く。その間も何度もユーリの名を呼んだが、ただ虚しく雨音にかき消されユーリの背に届く気配はない。次第に小さくなって見えなくなるユーリの背に、アランは苦虫を潰したような渋面と舌打ちを落とした。


「……くそ…っ!!ユーリの奴…っ!!!」


 油断も隙もあったものではない。

 つい先ほどまで、見るからに意気消沈していたのだ。不承不承と、だが仕方がない事だと諦めて後ろをついて歩いていた。____そう、諦めたのだと思っていた。それはアランだけではない。ここにいる全員が、そう思っていた。


 なのに次の瞬間に彼は、思いもよらない暴挙に出た。

 引き返すだけではなく、後を追ってこられないように結界まで張る念の入りように、アランはたまらず嘆息を漏らした。


(…何て諦めの悪さだ…!!)


 思えば、ユーリは出会った当初から諦めが悪かった。

 歯が立たないと判っていても、絡まれれば高魔力者相手に決して屈しないし、皇太子の剣術の指南を受けている時でさえ、どれだけ傷だらけになっても諦めずに立ち上がり続けていた。それを思えば、こうなる事はむしろ予測の範疇だろうか。だけれども、変に実力をつけただけに性質たちが悪い、とアランはたまらず頭を抱える。


 皇太子はきっと、ユーリの事を自分に託したはずだ。ならば、このまま放っておくわけにはいかない。


 諦観を含んだため息を落としつつ、何か打つ手はないものかと見えない壁をめつけたアランの耳に、ようやく待ちわびた声が後ろから届いた。


「どうしましたか?」


 慌てて振り返った彼らの視界に入ったのは、いかにも優男といった風体の白菫しろすみれ色の長髪を携えた隻腕の男。自分たちと同じく外套の役目を放棄した水浸しのフードの端を持ち上げてこちらを見返すダスクの姿に、アラン達は目を丸くしながら、それでも胸を撫で下ろす心地がした事を自覚した。


「ダスク様…!!迎えに来てくださったのですね…!!」

「よかった…!!」


 何やら喜びの中にただならぬ雰囲気を感じて眉根を寄せつつ、だがすぐさまここにユーリシアとユーリがいない事に気が付いて、ダスクは大きく目を見開いた。


「レオリア様とユーリはどうしたのです…!?」

「ユーリシア殿下は我々を逃がすためにお一人で残られました…!!ユーリも一度は諦めて我々とここまで来たのですが、突然ユーリシア殿下の元へ戻ると言い残して…!!!」

「…!?」


 ダスクは見開いた目をさらに大きく見開く。

 ユーリがユーリシアの元に引き返した愚行にも驚きだが、それよりもなおジスが口にした『ユーリシア殿下』という言葉に吃驚し、おもむろに頭を抱えた。


「……あの方は身分を明かされたのですね……まったく」


 頭の痛い事ばかりだ。

 何があったか定かではないが、そうせざるを得ない状況だったのだろう。あれほど身分を隠せと口を酸っぱくして何度も忠言したゼオンの言葉は、どうやらユーリシアの正義感には太刀打ちできなかったらしい。


 そう諦観のため息を落としながら、ダスクは何とはなしにユルングルの意図を理解する。


(……『レオリア』ではなく、『ユーリシア殿下』が必要という事か…?)


 思いながら、不安げな視線を向けて来るアラン達に頷き返す。


「…判りました。二人は私が助けに行きます」

「ですが、この先へは進めません…!!ユーリが張った結界が行く手を阻んでおります…!!」


 これには得心したように首肯して、ダスクは結界があるであろう場所に手をかざす。先ほどまでアラン達がいくら抗っても行く事の叶わなかったその先にダスクの手がすー…っと入っていくのが見えて、アラン達は目を白黒とさせた。


「……なぜ…?」

「結界は任意の相手だけを通さない術です。今回おれはそれに含まれていないのでしょう」


 にこりと微笑んで、ダスクはアラン達に鈴の付いた魔道具を手渡す。


「……これは?」

「魔獣除けの魔道具です。これをもって貴方がたはこのまま進みなさい。道なりに進めば騎士団が陣営を張った場所まで出られるはずです。…大丈夫、二人は必ずおれが連れ戻しますよ」


**


 雨が降っていた事が幸いした、とユーリシアは人知れず心中でひとりごちる。

 雨と氷は相性がいい。普段ならば空気中に含まれる水分を利用して氷柱を作り出していたが、雨が降っていれば材料に事欠かない。空気を凍えさせるだけで簡単に無数の、それも際限なく氷柱が生み出せた。


 ユーリ達が去った後、この小さく開けた決戦の場は、先程とは打って変わった戦場へと変容していた。


 完全に氷に閉ざされた世界へと変わり、地という地には身の置き所がないほど、無数の氷柱がガロウの体を地に縫い留めるかのように突き刺さっている。


 文字通り氷の雨を降らせたその戦場に佇んでいるのは、人型の魔獣とユーリシアだけだった。


「…魔獣を呼ばないのか?」


 無表情のまま赤い瞳をこちらに向けて来る人型の魔獣に、ユーリシアは声を掛ける。声を掛けたところで返答がないのは判っているが、それでもこうやって話しかけてしまうのは、彼が人の形を象っているからだろうか。


 案の定、返答がない事にユーリシアは小さくため息を落とした。

 なぜか魔獣を呼ばない彼の行動が、底気味が悪い。

 何か策を弄しているのだろうか____思ったユーリシアの視界に唐突に魔法陣が現れて、ユーリシアは紙一重で魔法を避ける。魔属性の魔法が通った道は、無数に突き刺さった氷柱を物の見事に更地へと変えていた。


(…相変わらず威力が凄まじいな……)


 直撃すれば無事ではすまないだろう。そして何より厄介なのが、予備動作が何一つない事だ。いつも必ず魔法陣が浮かぶと同時に魔法が放たれる。それも唐突に、だ。おかげでどうにも攻略法が思い浮かばず、ユーリシアは攻めあぐねていた。


 彼には、剣から放たれる氷柱では歯が立たない。

 どれだけ強大な氷柱を放っても、四方八方から無数の氷柱の波で襲っても、あの魔属性の魔法の前では赤子に等しかった。容易く破壊され、彼は微動だにする事さえしないのだ。


 ただ一つ判った事は、彼の体はガロウと違って生身の人間に近い、という事。

 破壊された氷柱の欠片が彼の体に一筋の切り傷を作った場面を、ユーリシアは何度も目撃していた。彼を攻略する方法はただ一つ、物理的にこの剣で彼を攻撃する____だがそれが一番、難易度が高いのだ。


 この魔属性の魔法が尽きない限り、人型の魔獣へ間合いを詰める事は自殺行為に等しい。間合いを詰めれば詰めるほど、あの魔法が発動して避けるまでの時間が短縮されるという事だ。油断して間合いを詰めれば、間違いなくあの魔属性の魔法の餌食になる。


 だが間合いを詰めなければ、この剣の切っ先が人型の魔獣の体に届くことはない。彼を見る限り、魔法が尽きる事は期待しない方がいいだろう。このまま逃げるという選択肢もあったが、彼の執着心を鑑みるに、このまま逃げれば間違いなく森の外にまで追って来る事は想像に難くない。


 ここで人型の魔獣を切る____この一択しか残されていないのだ。


(…最悪、刺し違えるしかない)


 ユーリシアは覚悟を決めて、剣を握る手に力を込める。そのまま躊躇いもなく跳躍して、一気に間合いを詰めた。何度も氷柱を放ち、人型の魔獣の注意をそちらに向けて距離を縮める。ユーリシアは彼に余裕を与えなかった。間髪入れず攻撃を繰り出し、手を緩めない。彼に余裕も隙も与えず一瞬にして間合いを詰め、跳躍して剣を大きく振りかぶる。もう剣の切っ先が届く範囲だ。このまま振り切れば勝負はつく____だが人型の魔獣はそれを許容しなかった。


 ユーリシアと人型の魔獣の間に、魔法陣が敷かれる。ユーリシアの眼前、目標は明らかだ。だがユーリシアは意に介さなかった。こうなる事は判っていた。自分が剣を振り切るのが先か、あるいは人型の魔獣が魔法を放つのが先か_____その勝負を制したのは、やはり人型の魔獣だった。


 ユーリシアの眼前に敷かれた魔法陣から、黒い稲妻が見えた。目が眩むほどの光を放つ、黒い稲妻___もうこれを避ける時間はない。放たれれば、おそらく自分の体は灰と化すだろう。それでもユーリシアは剣を振り切る事を諦めなかった。灰と化すと同時に、彼の体も切り伏せる____ユーリシアのその決死の覚悟を邪魔したのは、唐突に現れたユーリシアを守る鉄壁の壁だった。


「!!!!?」


 ユーリシアに向かって放たれた黒い稲妻は、放たれると同時にまるで最後の灯火のように強い光を放って、見事に飛散した。それが誰の仕業であるかを、ユーリシアはすぐさま理解した。


「ユーリシアさん!!!そのまま振り切ってくださいっっ!!!!!」


 耳に馴染んだ声が、ユーリシアの耳に届く。

 自分に張られた結界は、前回のような心許なさがない。あの黒い稲妻を飛散させるほどの、鉄壁の盾。ユーリが何をしたのかは定かではないが、ユーリシアはその天の声にも等しいその声に従うように、振りかざした剣に力を込めた。


 そのユーリシアの猛追に、人型の魔獣は抵抗を見せる。

 黒い稲妻をかき消された直後、間髪入れずに魔法陣を敷いたのだ。____その数、三つ。


 今まで一つの魔法陣だけを敷いていた人型の魔獣は、ここに至って新たな力を見せた。同時に三つの魔法陣___それは三方向から同時にあの黒い稲妻がユーリシアに向かって放たれるという事だ。それは前回の三倍の力が、結界に襲い掛かるという事。


 ダスクがユーリに追いついたのは、ちょうど三つの魔法陣が浮き出た時だった。


(…!!?無理だ…っ!!!さすがにユーリの結界だけではもたない…っっ!!!)


 瞬時に判断して、ダスクはすぐさまユーリの結界の上にさらに自身の結界を重ねる。魔獣の放つ魔法に、普通の魔力で作った結界が意味を為すのかは判らない。それでも、ただ指をくわえてユーリシアが灰になる瞬間を目の当たりにする事だけは受容できなかった。


 ユーリシアの視界に、三つの黒い稲妻が姿を現わす。それでも振り払う剣の勢いを緩めるつもりが微塵もないのは、死を覚悟したからだ。


 ここでこの人型の魔獣を討ち取らなければ、次に標的にされるのは間違いなくユーリだ。

 それだけは命に代えても、阻止しなければならない。


 二度目の奇跡が起きたのは、そんな覚悟を決めたユーリシアが剣を振り切ろうと握る手に力を込めた時だった。


「!!!!?」


 森の奥で、獣の咆哮が響いた。

 ここではない、どこか。


 今まで何にも反応を示さなかった人型の魔獣は、ここに至って初めて反応を示した。弾かれるように、その咆哮が聞こえた方へと顔を向ける。瞬間、意識が他に向かったのだろう。浮かんだ三つの魔法陣は空気に溶けるよう、すー…っと掻き消えたのだ。


 彼が隙を見せたのは、時間にしてわずか一秒にも満たない刹那。すぐさま次の瞬間には剣を振り払おうとするユーリシアに意識が戻ったが、その時にはもうすでに時機を逸していた。ユーリシアの剣の切っ先が、彼の首を捉えたのだ。


 そのまま勢いに任せて、ユーリシアは剣を振り切る。一瞬の内に首と胴体が二つに分かれて、ごとりと生々しい音が雨音の中に響いた。切断された首からは、やはりガロウ達と同じく黒い靄のようなものが外に出ているのか、あるいは中に入っているのか辺りに漂っていた。


「……終わった……のか…?」


 膝をついて肩で息をしながら、ユーリシアは倒れた人型の魔獣を視界に入れる。ゼオンはこの状態を『死んでいない』と言っていた。ではこの人型の魔獣も、死んでいる可能性は低いだろう。再び動き出す前に早くこの場を離れなくては____思って何とか立ち上がったユーリシアの体を、いつの間にやら傍まで寄っていたユーリが支えた。


「…ユーリ……っ!!」

「ユーリシアさん…!!無事ですかっっ!!!?怪我は…っ!!!!」


 なぜ戻って来たのだ、と問い詰めるはずだった口は、矢継ぎ早に質問を繰り返し今にも泣きそうな顔を向けて来るユーリに諸手を上げる事になる。困ったように微笑んで、ユーリの額に自身の額を当てる。


「…ユーリのおかげで助かった。ありがとう、ユーリ」


 思わぬ感謝を告げられて、ユーリはユーリシアの額が当たった自身の額に手を当てて赤面を作る。その耳まで真っ赤にするユーリに再び笑顔を送ったところで、後ろに控えていたダスクが声を掛けた。


「まったく……揃いも揃って無茶ばかり……」

「…!シスカ、迎えに来てくれたのか?」

「ええ、助力をと思ったのですが、その必要はなかったようですね」


 ダスクの言葉が何を指し示したものなのかを悟って、ユーリシアは頷く。


「…ああ、どうやら魔獣の中にも味方をしてくれる者がいたらしい。……魔獣かどうかも怪しいが」


 だがあの咆哮は間違いなく、意図的に上げたものだ。それもユーリシアを助けるという意思を持って___。

 思ったユーリシアの心中を悟ったかのように、ダスクもまた思議するような仕草を見せた。


「…心当たりがあるのか?シスカ」

「…いえ、確実な事はまだ言えませんので、所見は控えさせていただきます」


 言いながら、思う。

 あの咆哮はどことなく聞き覚えがあるような気がする。

 獣の鳴き声に聞こえる反面、それと重なって人語が聞こえるような感覚____。


 その懐かしさに後ろ髪を引かれつつ、ダスクは二人を促す。


「…さあ、早くこの場を離れましょう。もうこの森にいるのはうんざりですよ」


 くすりと笑みを零しながら落としたその揶揄に、二人もまた笑い声を小さく上げて同意を示すように首肯する。

 いつの間にか雨は止んだのか、耳に聞こえるのは自分たちの足音だけ。その中に時折聞こえる魔獣たちの呻くような小さな声が耳をかすめて、ユーリは後ろを振り返った。


 無惨にも横たわる、無数の魔獣たちの骸___いや、死んだわけではないので正確には骸ではないのだが、そう表現しても差し障りがないほど、ここは凄惨な現場のように思えた。


 ユーリは以前、ユーリシアから言われた言葉を思い出す。


 ____(優しさを向ける相手を間違えないでくれ)


 その通りだ。

 ユーリは己の中に棲み着いた情と妄執を振り払うように小さくかぶりを振って、ユーリシア達と共にその場を後にした。


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