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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第四部 星火燎原(せいかりょうげん)

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それぞれの旅路 ユーリシア編・終七編

「意識を保て!!決して下を見るな!!!」


 皇太子の後を追い、意を決して飛び降りた騎士たちを鼓舞するように、ユーリシアは声を上げる。


 思ったよりも速い降下速度とそれに伴って体を包み込むように感じる浮遊感が、否応なく恐怖心を煽った。その上、下まで見ようものなら地面に激突するさまをどうしても想像して、いよいよ意識を保つことが難しくなるのだ。


 険しい顔で必死に耐える皆を視界に入れた後、ユーリシアは自身の腕の中に抱え込んでいるユーリに視線を下ろす。さすがに女性なのだから怖がっているだろうか、と思って向けたその視界に入ってきたユーリの様子に、さしものユーリシアも目を丸くした。


 怯えるどころか、皆あえて下を見ない中でユーリだけが強い眼差しで下を注視していた。皆を無事下に降ろすために必要な事かもしれなかったが、それが出来るだけの彼女の心の強さに、ユーリシアはただ感服した。


(……恐れ入った)


 内心で感嘆と苦笑を落としつつ、ユーリに声を掛ける。


「ユーリ!いけそうか?」

「はい!ですが、まだしばらくは耐えてください!私の操魔はダスク兄さまに比べてまだ拙いですから!」

「…!操魔…!」


 そこでようやく、ユーリが何をするつもりなのかを悟る。


 彼女の足は、未だ不自由なままだという。

 その足を問題なく動かし彼女の体を支えているのは、他でもない操魔という技術だ。周囲の魔力を操って、足の機能を再現させているのだ。


(…人ひとりの体を問題なく支えられるほどの力があるのなら、その規模を広げれば九人の体を支えられる、ということか…?)


 だが、果たしてうまくいくのだろうか。

 彼女自身も言った通り、ユーリの操魔の技術はあのダスクに比べれば、まだまだ拙いのだろう。その操魔でユーリの体のみならず、大の男八人の体を支えるほどの力を出せるのだろうか____?


 わずかによぎった不安は、だがユーリの確信めいた強い眼差しに見事に払拭されることになる。

 ユーリシアは無用な不安を抱いた自分を嘲笑するように小さく笑みを落とすと、崖下へと視線を落とした。


 もう底まで幾ばくもない。あと数秒もすれば底に着くだろう。思ったユーリシアの思考を悟ったように、ユーリは声を上げた。


「始めます…!!!!」


 言うと同時に周囲の原始の魔力を操り、自身の足に纏わせるのと同じように魔力を崖下へと集めていく。次第に魔力が濃く大きく広がり、まるで絨毯のように敷き詰められたそれで落下する皆の体をふわりと包みこむように纏わせた。


「…!!?…何だ、これは…!!?」

「体が…浮かんだ…!?」


 当然、魔力の動きを視覚化されない者たちには、何が起こったのか知る術はない。ただ間違いなく落下速度が急激に減速して、崖下に激突する事態が回避された事だけは、否応なく理解した。それが、自分たちが蔑み罵倒したユーリの所業である事も____。


 皆、一様にユーリを注視する。

 皆が安堵に似た心境でいる中で、ただ一人ユーリだけが何かに耐えるように渋面を取っていた。


(…っ!…やっぱり私の操魔では、九人の体は重くて支えきれない…っ!)


 何とか皆の体を包み込む事は出来たものの、完全に体を浮かせたわけではない。落下速度を急激に減速させるのに成功しただけで、まだ落下はしている状況だった。


 本来であればこのままゆっくりと地面に降ろすつもりだったが、どうやらそこまで操魔が保ちそうにない。弾けて飛び散ってしまいそうになるのを必死に耐えて、何とか保っているに過ぎなかった。


(………だめ…っ!…もう……っ!!)


「…!!?」


 パン…っと弾けるように魔力が散開して、ふわりと宙に浮かんだと思われた体が再び急激に落下を始める。崖下までは十メートルほど。高魔力者にとってそれほどの高さではないが、それでも不意にその高さから落とされれば、やはり怪我は免れない。


 再び落下を始めた事に騎士たちは目を丸くし狼狽したが、地面に落ちる直前、今度はふわりと風に包まれてそのまま無事足から着地する事に成功する。ユーリは何が起こったのかをすぐさま理解して、目を瞬きながらユーリシアに視線を向けた。


「…!……風魔法…?」

「少し手伝わせてもらった。…大丈夫、ユーリが落下速度を落としてくれたから、それほど力は使っていない」


 申し訳なさそうな、それ以上にユーリシアの体を気遣ったような視線を送るユーリに、ユーリシアは微笑みを返して抱きかかえているユーリの体をそっと下におろす。


「皆も怪我はないな?」


 無事、崖下まで下りられた事に信じられないと言った面持ちで驚嘆を落とす騎士たちを見渡す。皆、茫然自失となりながらも首肯を返すのを見て取って、ユーリシアはその視線を崖上へと移した。


「……さすがに魔獣でもこの高さは下りられないと見える」


 ユーリシアの言葉に応じるように、皆同じく上を仰ぎ見る。遠く先にある崖上から下を見下ろし、どうする事も出来ず右往左往する魔獣たちが豆粒ほどの小さな影となって見えるのが判って、なおさらこの崖を無傷で下りられた事に驚愕した。


「……こんな高さを下りてきたのか……我々は……」

「しかも……五体満足で……」


 自然とユーリに視線が集まり、その視線にどう応えたものか判らずわずかに狼狽する。ユーリシアは労うように、そんなユーリの頭に手を載せた。


「ユーリには驚かされる事ばかりだな。…こんな事をしたのはユーリも初めてだろう?よく確信を持つことが出来たな?」


 その質問の明確な答えをユーリは当然持ち合わせていたが、それを説明するわけにもいかず、ただ困惑めいた笑みを返す。


「……それでも最後は、ユーリシアさんの力を頼ってしまいましたから……」


 そう言ってお茶を濁したのは、確信を得られた理由が身の内に宿る聖女にあるからだ。


 聖女は、近い将来に死ぬ未来を有する高魔力者の魔力を奪う事はしない。それは、わざわざ奪わなくとも自然に魔力が体を離れ、世界に回帰するからだ。


 そして今ここには、前日ユーリに食って掛かった三人組が随行している。アラン=フィルフィールドとジス=メドリー、そしてフォーリー=チョーカー。彼ら三人には間違いなく、魔力を奪う力が発動しかけた。そして崖から飛び降りる直前でさえも、やはり力が発動する事を確認したのだ。


 _____つまり彼らはまだ、死ぬ運命にはない、という事。


 未来が視えるユルングルとはまた違った方法だが、こと高魔力者の生死に関してだけは、この忌々しい聖女の力で未来を視ることが出来た。その皮肉さに、ユーリは自嘲気味な笑みを落とす。


「…そう気落ちするな。私が手伝ったのは最後の最後だ。ユーリがあそこまで下ろしてくれなければ、決して皆無事では済まなかった。もっと胸を張っていい」


 自嘲気味な笑みを、自分の力不足に対するものだと捉えたのだろう。気遣ってそう励ましてくれるユーリシアにユーリは軽く目を見開いた後、花がこぼれるように破顔する。たとえ勘違いであっても、そうやって自分をおもんばかってくれるユーリシアの気遣いが、たまらなく嬉しい。


 ユーリシアはその不意打ちに思わず赤面を取って、それを誤魔化すように一度咳払いをした。


「…とりあえず、ここを離れよう。もうすぐ霧が出てくる。彼らが追って来ても厄介だ。…霧が出る前に、安全な寝床を探すぞ」


 ユーリシアの言葉に賛同を示すように、騎士たちは一度胸元に握った拳を当て敬礼をした後、踵を返して歩を進めるユーリシアとユーリの後を追って、深い森の中へと再び足を踏み入れた。


**


「…!ゼオン様…っ!!!!ダスク様とアルデリオ様もよくご無事で……!!」


 森を出る手前で陣営を張っていたカルリナは、ゼオン達一行の姿が見えたという騎士の報告に慌てて天幕を出て、彼らを迎え入れた。


「バークレイ卿、わざわざここで待っていてくださったのですか?」


 ずっとここで彼らが歩を止めている事を、ダスクは承知していた。それが立ち往生しているためだと思っていたダスクは、想像と違って天幕を張り体を休めている騎士たちを視界に入れて、目を瞬いたのだ。


「…こちらであれば、何か不測の事態が起きたとき駆けつけやすいですから」


 森を出て安全な場所まで離れて陣営を張ってしまえば、駆けつけるのに時間はかかるし何より不測の事態が起きているかどうかすら判らなくなる。かと言って森を出たすぐ傍で陣営を張るのなら、ここと危険度はさして変わらない。それならばまだ、森にいる方が事態を察しやすいだろう。


 それに____。


「…それに、確認したい事がございましたので」


 声を潜めてそう続けるカルリナの様子に、三人は無意識にこの騎士団に入り込んだ密偵の姿を視界の端に捉える。確認したい事が何かは判らないが、十中八九ゼオンの姿を見て小さく舌打ちをする彼らに関する事だろう。


 それが判って首肯を返すダスク達を見やってから、カルリナは怪訝そうに眉根を寄せた。


「…ところで、レオリア様のお姿が見えぬのですが……どちらに?」


 レオリアだけではない。ユーリの姿もなく、見れば後に続く騎士たちの中にさえ、姿が見えない者が幾人かいる事に気がついた。


 怪訝そうなカルリナの視線を受け取って、三人はバツが悪そうな表情で互いに顔を見合わせる。


「……レオリア様は、我々を逃がすためにユーリ達と共に囮として魔獣たちを引き受けてくださいました」

「…!!?囮…っ!!?なぜよりによってレオリア様が…っ!!?」


 カルリナの怒号に近い声が陣営中に広がって、騎士たちにどよめきが起きる。


「レオリアが自分から言い出したんだ。…あいつが言い出したら聞かない性格なのは、お前もよく知っているだろ」

「それは……そうですが……」


 言い淀んで、カルリナは後ろに続く騎士たちを視界に入れる。

 馬上にいるのは、軒並み怪我人ばかりだ。その彼らを逃がすためならば、あの正義感の強い皇太子は迷わず囮を買って出るだろう。ユーリは当然そんな皇太子について行くと言い張るだろうし、低魔力者の彼がついて行くとなれば、矜持が高い高魔力者たちも黙ってはいまい。


 その光景がありありと想像出来て、カルリナは諦観を込めたため息を落とす。


「…とりあえず怪我人の手当てをいたしましょう」


 周囲にいる騎士たちに怪我人の対応を命じ、カルリナはゼオン達を休ませるために天幕へと案内する。その最中さなか、ゼオンが動くたび聞き慣れた鈴の音が耳に入って、カルリナは眉をひそめた。天幕を閉じ、周囲に人がいない事を確認した上で、カルリナは声を潜めてゼオンに問う。


「…ゼオン様、鈴の音が聞こえますが、それは一体……?」

「…!…ああ、これだ」


 言って懐から出されたそれを、カルリナは注視した。


「……これは……魔道具……?」

「魔獣除けのな。心当たりがあるところを見ると、あの鼠たちも同じ物を持っていたか?」


 察しのいいゼオンに軽く目を見開いてから、カルリナは首肯を返す。


「…同じ物かは存じ上げませんが、鈴の音が彼らから絶えず聞こえておりました。……やはり、魔獣除けの魔道具なのですね。…これを一体どちらで…?」


 少なくともカルリナが知る限り、森に入る以前には見た覚えも聞いた覚えもない。むしろ森に入る前にこれを持っていたのなら、あのユーリシアならば迷わず使っただろうし、ましてや隠すなんて事は間違ってもしないだろう。加えて言うならば、ユーリシアが囮になる事を買って出る前にゼオンの手元にあったのならば、彼らが囮になる必要さえなかった。現状を鑑みるに、この魔獣除けの魔道具を手に入れたのは、彼らがユーリシアと別れてからだろう。それがどうやって降って湧いたのか、カルリナは小首を傾げた。


 カルリナの訊きたい事を悟って、ゼオンは一つため息を落とす。


「…ユルングルからルーリー経由で送られてきた」

「…!」


 以前から度々耳に聞いた名前___『ユルングル』。

 まるでこちらの現状を把握しているような彼の動きに、カルリナはかつて一度躊躇したはずの質問をたまらず投げかけた。


「…ユルングル様とは一体どういう方なのです?」


その質問にも、やはりゼオン達は顔を見合わせる。


「レオリアは何も言わなかったか?」

「はい、何も伺ってはおりません」

「兄がいる事もか?」

「…!」


 そこでようやく、まだレオリアがレオリアだと思っていた頃、彼が自分には兄がいると言った事を思い出す。彼がユーリシアだと判明してからは、この話はあくまで『レオリア』という架空の人物の信憑性を増すために必要な設定に過ぎないのだと思っていた。そう思ったのは、皇太子に兄がいるという事実が公式には存在しないからだ。


「……兄君が……本当におられるのですか?」

「…葬られた第一皇子が、な」

「…!」


 ゼオンのその言葉で、カルリナは思い至る。


 皇太子ユーリシアが生まれる五年ほど前、皇妃ファラリスは第一子を身籠った。その御子が低魔力者であったがゆえに国民から出産に対する非難が相次ぎ、その心痛が祟ったのか流産したという。カルリナがまだ七つの頃の話だ。


 だが皇王派の貴族の間では、まことしやかに囁かれる噂があるという。

 『皇妃の面差しを強く受け継がれた第一皇子が、未だご存命だ』____と。


 バークレイ家は皇王派ではなかったが、この噂を聞いたのは他ならぬカルリナ自身が皇王派だからだ。それでもこの荒唐無稽な噂は、ただの噂に過ぎないのだと思っていた。まさかそれが事実を言い当てていたとは___。


「……では、その方が?」

「ああ、だが本人の前では口にするなよ。あいつはその肩書が死ぬほど嫌いだからな」

「……?…嫌い……?」

「考えてもみろ。その肩書のせいであいつは何度も命を狙われた上に皇族を追い出されたんだ。そりゃ、嫌いにもなるだろう」

「…もしや……その方は陛下や殿下にあまりいい感情をお持ちではない…?」


 躊躇いがちに問われたその質問に、すかさず「そうかもな」と返すゼオンの不機嫌そうな声に重ねて、「そのような事は決してありません」とダスクがぴしゃりと告げる。互いに意に反する答えを返した相手を、無言のままめつけるようにしばらく見返した後、ダスクがまず口火を切った。


「…ゼオン、いい加減な事を口にしないでください」

「なら、これは何だ?たまたま!偶然!レオリアが囮になった後に送ってきたのか?あのユルングルが、だぞ?…そんなわけないだろう!あいつは判っててあの時間にルーリーに運ばせたんだ!お前も判ってるだろう!」

「何か理由がおありなのでしょう。ユルングル様が意味のない事をなさるとは思えません」

「理由なら判り切っているだろう!あいつは結局、皇族に対する恨みが捨てきれずにいるんだ!!」

「ゼオン…っっ!!!」


 ゼオンの言葉を窘めるように、あるいは打ち消すようにダスクは怒気と共にゼオンの名を叫ぶ。

 思わぬ台詞がゼオンの口から突いて出て、カルリナは耳を疑うように目を白黒させた。


「……皇族に対する恨み……?」


 ぽつりと呟くカルリナを一瞥して、ダスクは呆れたようにため息を落とす。


「…感情的になるなんて貴方らしくありませんよ、ゼオン。それほどユルングル様が信用できませんか?」

「逆に訊くぞ。お前はなぜそれほどユルングルを信用できる?あいつには前科があるんだぞ?」


 ユーリシアの暗殺計画_____それをいち早く察知し、皇王に報告したのは他でもないゼオンだ。察するのが少しでも遅ければ、あのユルングルの事おそらくユーリシアの命はなかっただろう。あの時あそこで命を散らしたのはミルリミナではなく、ユーリシアだったに違いない。


 そう思えるほど、かつてのユルングルの皇族に対する恨みは大きかった。

 そのユルングルが、たった数ヶ月、共に暮らしただけで恨みを捨て、情にほだされるだろうか。

 演技などいくらでもできる。ことユルングルに関しては、元々感情を表に出す事が苦手だった分、自分の気持ちを隠す事に長けている。


 『リュシテアの首領』であるユルングルと何度も対面したゼオンの中では、未だにその時の印象が強かった。


 そんな疑心暗鬼なゼオンの心を払拭するように、ダスクはさもありなんと返答する。


「だって、ユルングル様ですから」

「………………は?」

「『ユルングル様は決して道を違えない』___ダリウスの口癖ですが、最近になっておれもようやく得心を得られるようになりましたよ」

「……?……何の話だ?」

「思い出してください。…すべての始まりは、あの婚姻の儀にあったと思いませんか?」

「…!」

「あの時ユルングル様が暗殺計画を立てなければ、そしてそれを貴方がシーファス陛下に報告しなければ、きっとミルリミナの体に聖女が宿る事はなかったでしょう。そうなれば『ユーリ』と言う存在を我々が得る事はなかったでしょうし、ユーリシア殿下とユルングル様も未だに敵対したまま、この謀反を迎えていた。『リュシテア』という第三勢力が、この機に乗じて謀反に加担してきてもおかしくはなかったでしょうね」


 ミルリミナに聖女が宿ったからこそ、彼女はユーリシアから離れてリュシアの街に来たのだ。

 そしてミルリミナがユルングルと交流を重ねたからこそ、ユルングルはユーリシアを知らず知らずのうちに身の内に内包した。

 何の繋がりもないような事が、こうやって挙げ連ねていくとさも意味のある事のように感じるのは、きっと思い違いではないのだろう。


「……ユルングルがそこまで先を読んで、ユーリシアの暗殺を計画したとでも言いたいのか?」

「…さあ、どうでしょう?ご本人に自覚がおありだったかどうかは判りませんが、あの方は元々、神がかり的な勘が働く方だという事は貴方も知っているでしょう?」

「……無意識下でもその神がかり的な勘が働いたとでも?…はっ、まさかな」


 自分で言いながら、あまりの荒唐無稽さに鼻先で笑いを落としつつ、それでも心のどこかでそうかもしれないと肯定する自分に内心で呆れてしまう。


 そんなゼオンの心情を察したように、ダスクはくすりと笑って明朗と告げる。


「少ない情報から推論を立てる、という事は、想像力を膨らませるって事ですよ、ゼオン」


 自分の言葉をそっくりそのまま流用されて苦虫を潰したような顔を向けるゼオンを一瞥して、ただ一人カルリナだけは彼らの会話について行けず、ただただ小首を傾げていた。


**


「ユーリシア殿下、お食事をお持ちいたしました」


 言って、ほらを塞ぐように出入り口に垂れ下げた外套をめくって、アランが顔を出す。

 「ありがとう」と謝意を伝えるユーリシアの言葉を聞いてからジスと共に洞の中に入り、二人分の食事を地面に置いた。


「毒見は____」

「必要ない。私はお前たちを信頼している」


 一点の曇りもない真っ直ぐな瞳でそう明言されて、さしものアラン達も面映ゆそうにこうべを垂れた後、話の接ぎ穂を探そうと何気なく洞窟内に視線を向けた。


「…それにしても、よくこの洞窟を見つけられたものです」

「ここは我々が昨日泊まった洞窟によく似ておりますね。この辺りには多いのでしょうか?」

「…そうかもしれないな」


 言いながら、ユーリシアも同じく洞窟内を仰ぎ見る。


 あの崖下からある程度離れた場所に、この洞窟はあった。まるで自分たちが通る事を事前に知っていたかのように待ち構えていたこの洞窟は、やはり昨日の洞窟と同じく小さな小部屋で区切られた洞窟だった。それも今度はきっちり九人が入れるだけの、その規模を小さくした洞窟だ。


(…これだけ合致していると、ゼオン殿が言った仮説もあながち間違いではないのかもしれないな)


 恐れ入った、と内心で感嘆を落として、ユーリシアは自分の後ろで寝息を立てて眠るユーリの体に被せてある外套をかけ直す。


「……彼は……その、眠っているのですか……?」


 バツが悪そうに問いかけるアランに、ユーリシアは首肯を返す。


「…ああ、ずいぶんと無茶をしたからな。疲れているのだろう」

「………我々は、認識を改めるべきなのでしょうか?」

「…!」


 思いがけない言葉がユーリシアの耳に入って来て、思わず視線をアランに向ける。その視界に入ったアランは、やはり苦虫を潰したような渋面を取っていた。


「……恩義を感じていないわけでも、彼を認めていないわけでもないのです……。ですが、どうしても心が素直になる事を拒む……。…おそらくこの感情は、自分たちでどうにかなるものではないのでしょう……」

「……魔力至上主義は長らくこの国を蝕み続けたものだ。そう容易くは消せないのだろう」

「……彼は低魔力者の中でもかなり特異な存在です。他の低魔力者は彼のような才能があるわけではない……そう考えてしまうと、やはり低魔力者に価値を見出す事が難しくなるのです……」


 素直に心の内を話してくれる二人にユーリシアは軽く目を見開いた後、小さく笑みを返す。


「……ユーリも最初から才能溢れる人物だったわけではない。私と初めて出会った頃の彼は、まだ杖を突いてたどたどしく歩く事しかできない、弱々しい子だった」

「…!彼は……足が不自由だったのですか…?」

「だった、ではない。今もそうだ」

「…!!?」


 アラン達は思わず、眠るユーリを注視する。


「……ですが…我々には問題なく歩いているようにお見受けいたしますが……」

「そうなるように努力したのだ」

「…!」

「操魔、という。大気にある魔力を操作して、足を動かし体を支えている」

「……我々を崖下まで下ろした、あの力……?」


 ぽつりと呟くように落としたその言葉を肯定するように、ユーリシアは笑みを返した。


「ユーリはダスクに師事し、死に物狂いで操魔の鍛錬に勤しんだ。たとえ才能があっても、努力なくしてはその力が表に出る事はない。…お前たちがユーリを才能があると評すると言う事は、他人から見てもそうと判るほどユーリが努力したという事だ」


 ユーリシアの言葉が、否応なく胸に刺さる。

 それは彼に限った話ではない。剣術においても、努力を怠らなかった者だけが賞賛を手にする事ができるのだ。それを理解していたはずなのに、そんなユーリに自分たちは昨日どんな言葉を投げつけたのだろうか。


 恥じ入るように俯く彼らを見て取って、ユーリシアはやはり諭すように穏やかな声で続ける。


「…それに、低魔力者にも才能溢れる者たちは沢山いる」

「…!」

「体が弱くとも武に長けた者はいるし、手先が器用で優れた職人も多い。ゼオン殿は低魔力者だが、彼の情報収集力と分析力は群を抜いているだろう。…人には得手不得手があるだけで、魔力差で違いが出るものではない」

「……それは…以前仰られていた、殿下よりも強いという低魔力者のことでしょうか…?」


 躊躇いがちに訊ねられたその質問に、ユーリシアは首肯を返す。それでも半信半疑の二人は、互いに顔を見合わせた。


「…ですが……本当に殿下よりも強い低魔力者などおられるのですか?正直に申し上げれば、とてもではございませんが信じられません」


 この数日で、皇太子ユーリシアの強さをまざまざと見せつけられた。正直この皇太子よりも強い低魔力者が本当に存在するならば、それはきっと人ではないのだろう、とさえ思ってしまう。


 そんな二人の心情をわずかに見て取って、ユーリシアは困惑気な笑みを落とした。


「…確かに、魔力や魔法を惜しげもなく使えば私の方が強いだろう。だが純粋な剣術の腕としては、私は彼に遠く及ばない」

「…魔力や魔法も実力の一部です。それを除外して考えるべきではないと存じますが」

「そういう意味では、なおさら私は彼に太刀打ちできないだろうな。あの人はありとあらゆる才能に満ち溢れている」


 小さな笑い声を出してそう答える皇太子を、二人は訝しげに見つめた。皇太子が口にした内容は、まるで魔力至上主義者である自分たちに是が非でも低魔力者を認めさせようと、誇張して伝えているような気がしてならない。


 やはり半信半疑な眼差しを持て余すように、どう返答したものかと困惑する二人をユーリシアはくすりと笑った。


「…彼に会えば、私の言ったことが判る」

「それは……確約いたしかねます。…我々の心にはまだ、低魔力者を受け入れるだけの余裕も隙も存在いたしません……」

「…判っている。人の心はそう簡単には変わらない。だが、変わろうという意思を持つことはできる」

「…!」

「ゆっくりでいい。人の言葉に惑わされるのではなく、自分の目で彼らを見て感じて、自分なりの答えを出せ」


 頑なな自分たちに対して命じる事も非難する事もせず、ただ諭すように『答えを出せ』と言ってくれる。その皇太子のどこまでも寛容で誠実な心に、二人は自然とこうべを垂れた。




 二人が去った後、ユーリシアは眠るユーリに視線を落とす。


 この国の魔力至上主義を払拭するのは難しい。長年培われたものだけに、その根は深い。

 だがそれでも、ユーリと言う存在がわずかな波紋を呼んだ。

 少なくとも騎士団の中で、ユーリの存在は一石を投じたに等しい。


 この波紋が、ゆくゆくはこの国全土を覆ってくれるだろうか。


 そんな淡い期待を抱きながら、ユーリシアは用意してくれた食事を手に取った。


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