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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第四部 星火燎原(せいかりょうげん)

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それぞれの旅路 ユーリシア編・終六編

「散らばるな!!できるだけ固まって移動しろ!!!」


 深い森の中に数人が駆ける足音と、ユーリシア___もといレオリアの鼓舞するような怒声が響く。

 声を潜める気がないのは、すでに彼らに存在を認知されているからだろうか。思って、ユーリは駆けながらレオリアに訊ねる。


「レオリアさん…!もう彼らには…!?」

「気づかれている!!こちらを追ってきているぞ!!決して油断するな!!!」


 こちらを追ってきているという事は、ダスク達を無事逃がす事が出来たという事だ。

 当初の目的は果たしたが、次はどうやって自分たちが彼ら魔獣から逃げおおせるかが問題だろう。同じくそう思った騎士、アラン=フィルフィールドもレオリアに訊ねた。


「どうなさるおつもりです…!?レオリア様…!」

「このまま獣道を突き進んで、魔獣たちを引き離すしかない…!!迂回する事になるが、左に大きく旋回する…!!!」

「…!?魔獣と交戦するおつもりはないのですか…っ!!?」

「今の私では、貴殿らを守りながら戦うには力不足だ…!!森の地形を利用して彼らを撒くしかない…!!」


 当然、一人であれば交戦するつもりでいた。

 どう戦おうが、独壇場だ。余計な事など一切考える必要もなく好きに動けるし、隙を見て好きな時に逃げることが出来る。

 だが、誰かを守りながらとなると勝手が違う。常に彼らの安全を考慮しながら動かなければならない。制限されることが多く、思うように動けなくなるのだ。


 だがアランはどうやら、そのレオリアの決断に不服のようだった。

 不満を表わすように突然足を止め、そんなアランに吃驚きっきょうしながらもつられるように足を止めた彼らの中心にいるレオリアを、アランはめつけるように見据えた。


「敵に背を向けておめおめと逃げろと仰るのか…っ!?我々はレオリア様の足手まといになるために名乗り出たわけではございません…!!」


 そう高らかに宣言するように声を張り上げるアランの胸ぐらを、レオリアはすかさず掴んで引き寄せる。


「…アラン=フィルフィールド…!その心意気は認めるが、勇気と無謀をはき違えるな…!!己の実力と相手の力量を測り損なえば、貴殿だけでなく仲間の命まで危険に晒す事になるのだぞ…!!」

「…!?」

「逃げる事は恥ではない!!その命、無駄には使うな!!」


 言って、すぐさま踵を返す。


「こっちだ!!!来い!!!!」


 そのまま進路を左に____思ったレオリアの背筋が、ぞわりと凍り付く。


「待て…っっっ!!!止まれ……!!!!」


 すぐさま彼らを押し留め、庇うように前に立ちふさがったレオリアの体のすぐ傍を、轟音を立てながら黒い稲妻のような閃光が走った。まるで周囲にある木々など目もくれず暴れまわるように一筋に走ったその閃光は、当たったすべての物を溶かすように、あるいは腐らせるように初めからなかった物として、稲妻が走った動線を綺麗に形作っている。


 そうして自身の重みに耐えかねて、みしみしと音を立ててくずおれていく木々たちを目の当たりにして、皆、目を見開き震撼した。


「………何だ……?………これは……?」


 誰からともなくぽつりと呟いた言葉に我に返ったレオリアは、すぐさま反対方向に逃げるよう促すが、やはりそちらにも閃光が走って、退路を断たれた形となった。


「レオリア様!!このまま真っすぐ進むしかありません!!!」


 そう、明らかにそちらに誘導しているのだ。

 右も左も,行かせはしない___この黒い稲妻はそう告げている。


(まるで狩りを楽しんでいるようだ……っ!!)


 渋面をその顔に深く刻みながら、レオリアは内心で舌打ちをする。

 なぜ、そこへ誘導しようとしているのか、その理由をレオリアだけは知っていた。それでも退路を断たれた今、そこに向かうしかない。


 レオリアは一度後ろを振り返り、薄暗い中に辛うじて見えるいつか見たあの人型の魔獣の影を視界に入れて、不承不承と首肯する。


「…判った…!そのまま真っすぐに進め…!!」




 魔獣と距離を保ちつつ真っすぐに進んだその先に、木々のない開けた場所が視界に入ってきた。


「レオリア様…!!開けた場所がございます…!!ここでしたら応戦が可能です…!!!」


 騎士、ジス=メドリーは前を指差しながら嬉々として告げる。

 全方向を木々で取り囲まれた今の状況では、剣を抜いて応戦できるだけの空間を確保できなかった。この状況で剣を振っても、木に当って止まるだけ。せめてわずかでも木を切り開いて道らしきものが作られていれば、また別だが、ここは紛うことなき獣道で木々は密集し、足元は茂みが邪魔をしている。


 どう考えても戦うには不向きな場所から脱出できる____皆、ジスと同じく嬉々とした表情に幾ばくかの安堵を載せてはいたが、開けた場所に足を踏み入れた途端、その表情は一瞬にして強張る事になった。


「…!!?そんな……っ!!!」


 目の前に広がった光景に、皆、言葉を失う。

 そこにあるのは、確かに戦いには適したある程度の開けた場所と、そしてその先にはぽっかりと大きな口を開いた___崖。


 それは、もうこの先に逃げ場がない事を如実に物語っていた。


(…ここを避けたはずが、結局ここに追いやられたか…!!)


 レオリアだけが心中でそう吐き捨てる。

 この森に入る幾日も前から、レオリアはこの森の地形を頭に叩き込んでいた。それは当然、不測の事態に備えての事だったが、それが功を奏さなかったのは相手がここを庭にしている魔獣の上に知恵までついているからだろう。この森を熟知している分、相手の方が一枚上手なのだ。


「…っ!!?来るぞ…っっ!!!」


 レオリアたちは、森から姿を現すであろう魔獣たちから一定の距離を保つように、後ろへと下がる。眼前に魔獣、背後に崖を迎えた形となった。


「……文字通り、背水の陣だな……」


 ぽつりと呟くレオリアの言葉を耳に留めながら、皆、固まったように魔獣が現れるであろう森を注視した。


 逃げる場所がもうないと判っているのだろう。その足音は非常に緩やかで、だが確実に近づいて来るのが判る。それがなおさら恐怖心を刺激して、騎士たちの弾けるような鼓動が嫌でも耳に聞こえた。


 雨はまだ小雨。だが分厚い雲で覆われて日の光は届かない。森の中は夜のように暗く、この開けた場所でさえやはり薄暗かった。


 その暗い森から、少しずつ露わになる魔獣の姿。

 最初に見えたのは、ゼオンが『ガロウ』と呼んだ犬とも狼とも取れない黒い大きな獣。その獣たちに守られるように、あるいは従えるように彼らの後ろから悠然と姿を現した_____人型の魔獣。


「…!!!?……人間……っ!!?」

「魔獣の中に……なぜ人間が……!!?」

「違う、あれは人間ではない。___人型の魔獣だ」


 どよめき浮足立つ彼らを制するように、レオリアは凛としたよく通る声で告げる。それがかえってざわついた彼らの心にピンっと張り詰めた緊張感が作られて、波立つ心にわずかな平静さを取り戻させた。


「……レオリア様……人型の魔獣とは一体……?」


 視線を魔獣たちから外すことなく、アランが尋ねる。その質問を受けて、レオリアとユーリもまた、めつけるように人型の魔獣を注視した。


 人型の魔獣の存在を知っていた二人でさえ、陽の光の下で彼を見たのは初めてだった。

 鍛え抜かれたような体格と、そしてそれとは対照的に、病的なまでにその肌の色は悪い。もともと褐色の肌だったものが、血の気を完全に失い土色に変化している、と言い表せばいいだろうか。どう見ても生者と言うより、その肌の色は死者の色と言った方がいいだろう。黒くぼさぼさの長い髪で顔の半分は隠れて、その容姿は判然としなかったが、あの夜に見た血の色を彷彿とさせる赤い瞳だけが異様なほど燦燦と輝いていた。


 そして、特筆すべきはその表情だろうか。

 無表情、無感動、氷のような表情、あるいは感情が見えない____それを形容するに相応しい言葉を挙げ連ねてみても、どれも的を射ているようでどこか腑に落ちない。彼の中にはただ闇のような空虚感だけが広がって、まるで魂が抜けたように抜け殻だけが意志もなく立っている____そう、彼を言い表すのに一番近しい言葉は『虚ろ』だろうか。


 その虚ろさが、なおさら彼の不気味な存在感を際立たせているのだ。


「……どういう存在なのか、厳密には判らない。ただ確実に言えることは彼が人間ではなく魔獣である事と、魔属性の魔法が使えるという事だ」

「…!?魔属性の魔法…!!?魔獣が、ですか!!?」

「…では、先ほどの黒い稲妻が……?」

「ああ、おそらくな」


 隣で会話を聞いていたユーリが、訝しげに小首を傾げる。


「ですが……以前、魔法は使った後の消費が激しいから戦闘には使えないと…?」

「消費するべき体力がそもそも彼らにはない、という事だろう」


 だからこそ、これだけ強力な魔法を何度も際限なく使えるのだ。彼は二度、立て続けに強力な魔法を使ったが、どう見ても疲弊しているようには見えない。


(……甘く見ていた。魔法が使えると予想はしていたが、まさかこれほどとは……!)


 レオリアは剣を握る手に力を込める。

 考えが甘かった。その代償を支払うのが自分だけなら、まだいい。だが、そうではない。今自分に付き従ってくれている彼ら七人の騎士たちと、そして他ならぬユーリの命でさえ危険に晒している。その事実がたまらなく口惜しい。


 双方、対峙しながら、まるで値踏みでもするようにレオリア達の姿をゆっくりと視界に留めていく人型の魔獣を強く見据えて、レオリアは手に持つ剣に氷の属性を纏わせる。


「…ユーリ、結界であの魔法を受け止められるか?」

「…判りません。あれほど強いものを受け止めた事はありませんので……」


 小さくかぶりを振って、ユーリは答える。

 素直に返答したのは、出来ると言い切ってもし結界が壊れてしまった場合、死者が出てもおかしくはないからだ。それならば結界は効かないものと思って動いてもらう方がまだいい。


 レオリアは半ば予想していた返答に、短く「そうか」と返す。その間も、レオリアの持つ剣は次第に氷の属性付与が強くなり始めたのか、冬の外気よりも大幅に低い冷気を纏い、冷やされた細かい水滴が周囲に煙のように立ち込め始めていた。


「…なら彼らを優先して守ってくれ」

「…!レオリアさん…!?」

「…!?レオリア様…!!我々は____」

「いいから、聞け。私はあの人型の魔獣を狙う。余裕があればガロウも討つつもりだが、間違いなく仕留め損ねる者は出てくる。アラン達は私が取り零したガロウの処理を頼む。ユーリは彼らの援護と、そして私の氷魔法から彼らを守ってやってくれ」

「…!?」

「…私の氷魔法は、敵味方関係なく周囲を凍り付かせるからな」


 告げると同時に、レオリアは魔獣目がけて駆け出す。それが判っていたかのように、人型の魔獣もガロウに命令を下すように手を大きく払った。それに従うように数匹のガロウが飛び掛かったのは、レオリアが駆け出した時とほぼ同時。


 レオリアを目標に定めて飛び掛かるガロウ達と、そのガロウの奥にいる人型の魔獣だけを見据えて駆け出したレオリア。両者の間にまだ距離があるうちから、レオリアは勢いよく剣を薙ぎ払った。瞬間、凍えるような冷気を纏った突風が周囲を包む。レオリアを中心に巻き起こった冷気の風は、その通り道に鋭利で巨大な氷柱を無数に築きながら、レオリア目がけて飛び掛かるガロウたちへと神速の速さで突き進む。そのまま彼らの腹部を切り裂き、それだけでは飽き足らず氷柱が彼らの体を幾重にも貫いていた。


 どさりと重々しい音が聞こえて、身悶えする事も忘れたガロウ達の体が無造作に凍り付いた地面に転げ落ちる。それでもやはりガロウ達には目もくれず、人型の魔獣だけを視界に捉えているレオリアの周囲には、氷の結晶が陽の光を浴びた湖面のように小さな光を灯していた。


「………凄い……!!」


 誰からともなく、驚愕の声を上げる。

 レオリアに言われた通り、咄嗟に結界を張ったユーリ達の周囲は、その結界の形を象るように氷柱が綺麗に弧状に並び立っていた。雨はいつの間にやら雪に変わり、季節は一気に真冬になったように寒気が周囲を取り囲んで、驚愕の声と共に漏れた吐息は、淡く白んでいる。


「……あれほど手を焼いた魔獣たちが……たった一振りで……」


 強い、とは思っていた。

 あの一トンもする馬車を軽々と持ち上げた事といい、決して常人では計り知れない力を有していると予想してはいた。それでもまさか、あれほど苦戦を強いられた魔獣たちを、たった一振りで軽く殲滅できるほどの実力があろうとは____。


(……どうりで、お一人で行くと仰ったはずだ……)


 悔しいが、これでは確かに自分たちは足手まといだと言われても仕方がないだろう。強すぎる力があるが故に、皮肉にも味方がいればその力をふるう事すら出来ないのだ。


 勇んで名乗り出たにも関わらず、この体たらくに自然と皆、渋面を取る。そんな彼らの心中などお構いなしに、レオリアの涼しげな声が届いた。


「…怪我はないか?」

「…!大丈夫です…!」


 答えたユーリの言葉に安堵のため息を小さく落として、自身の手に持つ剣を視界に入れる。


(…やはり紺碧の剣に比べると、威力が弱い)


 父から下賜された紺碧の剣は、氷と風の魔法と非常に相性が良かった。自身の持つ魔法の力を何倍にも高めてくれる上に、その強い魔力を宿せる程の許容量があった。


 今、所持している剣も決して質が悪いものではなく、むしろかなり希少な剣ではあったが、やはり太陽王が使ったとされる紺碧の剣とは比ぶべくもない、という事なのだろう。


(…それでも、やるしかない)


 レオリアは剣を握る手に、力を込める。


「…一気に片を付けるぞ」


 そうして再び人型の魔獣を目標に定めて、レオリアは勢いよく駆け出した。人型の魔獣は幾度となくガロウを操ってレオリアに襲い掛かったが、その度に剣先を薙ぎ払い殲滅していく。二匹ほど取り零したが、高魔力者の騎士七名とユーリの結界があれば、問題はないだろう。


 そしてようやく人型の魔獣と対峙できる距離まで、レオリアは間合いを詰めた。相手に反撃の時間を与えないように、すぐさま跳躍して大きく振りかぶったその時____じっとレオリアを見据えるだけだった人型の魔獣の瞳が、どろりと血の色を濃く濁ませた。


 瞬間、レオリアの背筋を冷たいものがぞわりと這う。


(…!?魔法か…!!?)


 それも、これほどの近距離で____。

 もう避けるほどの間合いはない。魔法を放たれると同時にレオリアに直撃する___それほどの距離だった。


「レオリアさん…っっ!!?」


 ユーリはすぐさまレオリアの周囲に結界を張る。耐えられるかは判らない。それでも、ほんの一瞬でもレオリアに当たるのを遅らせる事ができれば、きっとその隙をレオリアは逃さないだろう。___そう、願ったのだ。


 レオリアが剣を振り払うのが先か、あるいは人型の魔獣が魔法を放つのが先か____そのわずかな時間を制したのは、人型の魔獣だった。一瞬のうちに現れた魔法陣から、森の中で見たあの黒い稲妻が怒号と共にレオリアに放たれたのだ。


「…!!!?」


 パン…!!と弾けるような音が響いたのは、ユーリが張った結界が耐えきれず割れた音だ。その音を聞くや否や、ユーリは瞬時に結界を張り直す。そのかん、時間にして一秒にも満たないほどの刹那の時間。


 これほど早く結界を張り直せるようになったのは、他でもないダスクの容赦ない訓練の賜物だろう。馬車に張った結界に少しでも隙があると、ダスクは容赦なく結界を壊してその度に結界を張り直した。おかげで今や結界を張り直す事は、それほど苦痛ではない。


 レオリアに届くまでの短い距離の間に、ユーリはいくつもの結界を張り直す。幾度目かでもう張り直す余裕がないほど間合いを詰められて、レオリアはようやく剣をひと薙ぎした。レオリアと黒い稲妻の間に巨大な氷柱が幾重にも姿を現して、轟音と共に突風と煙が立ち込めた。


 そのあまりの衝撃に、ユーリ達はたまらず腕で顔を庇う。すぐさま静寂が訪れて、周囲を煙が包んで視界が奪われる中、ユーリ達は呆然自失とレオリアの安否を固唾を呑んで見守っていた。その彼らの耳に、小さく息を吐く声が届く。


「…何とか耐えられたか」


 次第に薄くなる煙の中から、まず姿を現したのは、片膝をついたレオリアだった。その少し先に、以前と変わらぬ場所に変わらぬ姿で立つ、人型の魔獣の姿。

 あれほど近距離まで間合いを詰めていた二人の距離は、あの衝撃で弾き飛ばされたか、あるいはあえて自分から後ろに跳躍し間合いを取ったのか、一定の距離を保っている。


 レオリアは人型の魔獣を見据えたままゆっくりと立ち上がって、小さく剣を払った。


「…助かった、ユーリ。何度も結界を張ってくれたおかげで、威力がずいぶん弱まった」


 そうでなければきっと、薙ぎ払うことは不可能だっただろう。今頃はあの黒い稲妻に飲み込まれて、決して無事では済まなかった。

 レオリアはやはり人型の魔獣から視線を外すことなく、だが少し顔を綻ばせてユーリに謝意を告げる。


 そうして再び戦意を奮い起こして剣を構えたその時、人型の魔獣の様子が一変した。


「…!!?」


 何の予備動作もなく唐突に上げたのは、耳をつんざくような激しい咆哮。まるで地響きが起きているのかと錯覚するほどの咆哮に、皆たまらず耳を塞いだ。


「一体何だ……っ!!?」


 その咆哮につられてか、ガロウ達も遠吠えを上げ始める。なおさら耳が痛んで、塞ぐ手に自然と力を込めた。そうしてしばらくののち、ふっと唐突に静寂が訪れた。


「………?」


 なぜか微動だにしない、魔獣たち。

 まるで先ほどの咆哮で魂を飛ばしてしまったかのように、抜け殻の如くただ立ち尽くしている。___その様子が、なおさら不気味だった。


 何が____?

 誰からともなくそう呟こうとした刹那、先ほどの咆哮で耳鳴りに似た音が耳を支配する中に、わずかな音をレオリアは拾った。草木を踏みしめる音。それも一つや二つではない。相当数の何かが、ここに集まって来ている音を、レオリアの耳は拾ったのだ。


「…!気を付けろ…!!何かが近づいて来ているぞ…!!」


 レオリアはユーリ達を守るように、咄嗟に後ずさって彼らを庇うように前に立つ。それと同時に森から姿を現したのは、無数の獣____魔獣たちの姿だった。


「……そんな……っ!!!」

「…あれは全て魔獣なのか…っ!!?」


 その数は優に百を超えているだろう。それだけの数の魔獣がひしめき合って、この空間を完全に包囲していた。それは同時に、隙を突いて逃げるというわずかな可能性さえ、奪われた事になる。


(くそ…っっ!!!あの咆哮は仲間を呼んでいたのか…!!!)


 心中で吐き捨てながら、レオリアは周囲をくるりと見渡す。

 どう見ても、逃げ場はない。どこもかしこも隙間なく魔獣がひしめき合っている。さすがにこれだけの数になると、自分一人の力で突破口を開くには無理があるだろう。かと言って命を賭して逃げ道を作ったところで、ユーリ達が素直に逃げるとは思えなかった。


 目まぐるしく思考するレオリアを嘲笑うかのように、魔獣たちはじりじりと逃げ場を奪うように次第に距離を縮めてくる。まるで袋小路に入った鼠をいたぶるかのように、あるいは真綿で首を締める様な行為を楽しんでいるかのように、緩慢な動きで進むのが、また忌々しい。


 レオリアは内心で舌打ちをして、視界の端で後ろを捉えた。

 逃げ場のない恐怖に強張った表情を落とす彼らの後ろにあるのは、ぽっかりと口を開いた崖だけ。唯一、魔獣がいないのはこの崖だけだが、落ちればまず助かる事はない。魔獣たちに噛み殺されるか、崖から落ちて死ぬか、選べるのはこの二択のみだ。


 それを悟って、騎士たちは絶望の声音で言葉を落とす。


「逃げ場がない……っっ!!!」

「……どちらにせよ、死ぬのか……!!」

「こんなところで……!!」

「…っ!!!諦めるな……っ!!!諦めなければ道は必ず見つかる……!!!!」


 死を覚悟し始めた騎士たちを鼓舞しようと、レオリアは声を上げる。こんな、その場しのぎの言葉しか出てこないのは、きっと他ならぬ自分でさえ死を覚悟しているからだろうか。


 レオリアは苦虫を噛み潰したような渋面を取って、歯を食いしばる。どれほど手立てを考えても、出てくるのは焦りばかりで有益なものは何一つ出てこなかった。


 それでも____

 それでも彼らの命だけは救わなければ____。


(…やはり、私の命を代償に道を切り開くしか___)


 そう考えたレオリアの耳に何一つ迷いのない声が届いたのは、いよいよ覚悟を決めた時だった。


「逃げ道はあります!!!」


 弾かれるように、レオリアはその声の主を振り返る。視界に入ったのは、やはり諦めの色をわずかも覗かせてはいない、ユーリの顔。それどころか、むしろ確信を得たように強い眼差しを送ってくるユーリの様子に、レオリアは訝しげな、だけれどもわずかに希望が差したような表情を返した。


「ユーリ…!!?何か考えがあるのか…!!?」

「はい!!!ですが時間がありません…っ!!何も訊かずに、崖から飛び降りてください!!!」

「!!!!?」


 思いがけない言葉がユーリの口から出てきて、騎士たちのみならずレオリアまで目を白黒させた。


「何を言っているっっ!!!!?この崖から飛び降りろだとっっ!!!?」

「よく見てみろっっ!!!!この高さから飛び降りて助かるとでも思っているのかっっ!!!?」

「まさか自害しろとでも言うつもりじゃないだろうな…っっ!!!?」

「待てっっ!!!!!落ち着けっっ!!!!!」


 まるで今の状況がユーリの所為だと言わんばかりの勢いで、高魔力者たちは低魔力者を責め立てる。怒りに任せてユーリの胸ぐらを掴む勢いを見せる彼らを、レオリアは慌てて制して両者の間に割って入った。


「…ユーリ。考えがあるんだな?」

「はい。私が必ず皆さんを下まで無事に下ろします」

「…この高さだ。何をするかは判らないが、本当にできると確信があるんだな?」

「はい…!!」


 重ねて問うたその質問にも、ユーリは一切の迷いを見せず、ただ強い眼差しだけを返す。そのユーリの様子をわずかに視界に留めて、レオリアは一つ頷いた。


「…判った。従おう」

「…!!!!?レオリア様…!!?こんな戯言を信じるおつもりですか…っっ!!!?」

「…なら、これに代わる案が出せるのか?」

「…っ!!……それは……っ!」

「出せないのならば素直に従え。もう時間がない。ここで言い争う暇はないんだ」

「ですが…!!…レオリア様にとってはご友人かもしれませんが、彼は低魔力者です…!!!なぜ高魔力者である我々が従わなければならないのです…!!!?」

「…!この期に及んでまで、まだ低魔力者だ高魔力者だとくだらない事を言うつもりか…!?」

「他国ご出身のレオリア様には判らぬでしょう…!!この国では何よりもそれが重んじられるのです…!!!」

「…っ!!!」


 レオリアは思わず目を見開き閉口する。

 そう、この国では何よりも高魔力者の矜持が優先されるのだ。こんな瀬戸際でさえも____。


(……馬鹿げている……っ!)


 レオリアは自然と拳を強く握る。

 他国出身どころか自国の皇太子である自分でさえ、やはりこの思考は理解できなかった。


 そんな憤りを見せるレオリアに構わず、騎士たちは興奮冷めやらぬ勢いで侮蔑の言葉を続けた。


「そうです!!!彼が皇族だと言うのでしたら嫌々でも従いましょう…!!ですが、たかが他国の貴族___それも低魔力者に従うわけには参りません!!!」

「高魔力者の我々に手立てがないのに、低魔力者にそれを打開する事などできるはずが____」

「皇族であれば従うのだな?」


 言葉を遮って、レオリアは凛とした声音で告げる。その声音の中に多分に含まれた怒気を悟って、騎士たちは思わず口を噤んで体を強張らせた。


 ただ一人ユーリだけが、レオリアがこれから何をするのかを察して、慌てて止めに入る。


「…!レオリアさん…!?ダメです…っ!!!」

「…いいや、もう我慢ならない。…他国出身には判らない?…ああ、理解できないし、理解したいとも思わない。きっと私が本当に他国出身であれば、何ともくだらない国だとお前たちを侮蔑の目で見ていただろうな」

「…!!?」

「だが私にも、これほど愚かな国を作ってしまった責は多少なりともある」


 それが例え自分自身の行いによるものではなくとも、国を執政する皇族という立場である以上、決して逃れる事の出来ない責任だ。


 レオリアは彼らを強く見据えながら告げる。言いながらレオリアは、手に握っていた剣を鞘に納めて、代わりに自身の左腕できらりと七色の光を放つ腕輪を握った。


「今一度問おう。お前たちは私を前にしても、まったく同じことが言えるのか?」


 言って、その勢いのまま腕輪の鎖を引き千切る。

 瞬間、色黒で白髪の男は見慣れた、だがあまりに恐れ多い姿に変わって、アランたちの目をこれ以上にないくらい見開かせたのだ。


「…!!!?ユーリシア殿下…っっ!!!!?」


 思考する暇もなく、アラン達は条件反射のように跪く。

 今から討伐するべき相手であった事すら念頭から消え去ったのは、おそらく彼が謀反を起こした首謀者ではない、と瞬時に悟ったからだろう。


 ユーリシアがレオリアであったのなら、皇王が弑されたとされる時間帯は紛れもなく自分たちと行動を共にしていた。時同じくして別々の場所に存在する事は物理的に不可能だ。そして彼が、無実を証明するため姿を現さなかった事も頷けた。姿を現せば、例え無実だろうがそれが証明されるまでは拘束されるだろう。だからこそ、レオリアの姿のまま屈辱に耐えたのだ。本当の謀反人を欺き、自らの手で皇王を救うために_____。


 そこに思い至って、彼らは今までのレオリアに対する己の態度を振り返る。

 低魔力者と行動を共にするレオリアに、侮蔑の言葉や視線を向けなかっただろうか。『裏切り者』と、最初に通りすがりに言葉を投げたのが誰だったかは、もう記憶にない。それに便乗して同じ行動を取った自分が、今さらながらに恨めしい。知らなかったとは言え、これは不敬罪に問われても言い逃れは出来ないだろう。知らなかった、では済まないのだ。


 そして極めつけは、先ほどの暴言____。

 自国の皇太子に向かって、『他国ご出身の貴方には判らない』と言い切ってしまった。そして間違いなく、その言葉が目前の皇太子の不興を買ったのだ。


 沙汰を待つような面持ちで体を強張らせる彼らを一瞥して、ユーリシアはすぐさま告げる。


「騎士に二言はないな?」

「……?」

「皇族ならば従うのだろう。ならば今すぐ立て。もう時間はない」


 言いながら視界の端に魔獣の群れを捉える。

 じわりじわりと間合いを詰めてくる彼らとの距離は、もう幾ばくも無い。それを察して、アラン達も躊躇いながら立ち上がった。


「……本当にこの崖を飛び降りるのですか?殿下……」

「怖気づくな。高魔力者なのだろう?」

「…!お、怖気づいているわけでは…っ!!」


 軽く揶揄を含んだ口調で、ユーリシアはくすりと笑みを落とす。


「大丈夫だ、ユーリがどうにかしてくれる」


 言ってユーリシアは、正体をさらけ出してしまった彼を困惑気に見つめるユーリを振り返って歩み寄る。そしてそのまま、その軽い体を苦も無く抱きかかえた。


「…!ユ、ユーリシアさん…っ!!?」

「少しの間、我慢していてくれ。…さすがにこの崖を飛び降りるには勇気がいるだろう?」

「ひ、一人でも大丈夫です…!!高いところは怖くありませんから…!!」


 それよりも、こうやって抱きかかえられる方が心臓に悪い。

 そう言わんばかりに顔を赤らめるユーリに、ユーリシアは笑い声を上げる。


「だそうだ。低魔力者のユーリが平気だと言うのなら、当然お前たちも平気だろう?」


 騎士たちを焚きつけるように、ちらりと一瞥して、ユーリシアは躊躇う事なく崖の縁に立つ。

 見下ろせば、その底は果てしなく遠い。たとえ高魔力者である自分でも、決して無事ではいられない高さだ。

 それでも恐怖が湧いて出てこないのは、他ならぬユーリが何ひとつ恐怖を抱いていないからだろう。


(…本当に強い女性だ)


 未だ顔を赤らめたままのユーリに小さく微笑んで、ユーリシアは後ろでようやく覚悟を決める騎士たちに告げる。


「…遅れを取るなよ」


 そうしてそのまま、逡巡することなく崖下へと飛び降りたのだ。


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