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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第四部 星火燎原(せいかりょうげん)

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それぞれの旅路・ユーリシア編 終五編

「人の形をした魔獣…!?」


 一際大きな声を上げるダスク達に、ユーリシアは思わず慌てる。


「頼むからもう少し声を潜めてくれ…!彼らの耳に入れば余計な混乱を生む…!」


 ダスクとアルデリオは慌てて自身の口元を手で覆い、そんな二人にゼオンだけが呆れたため息を落とした。


 時刻はまだ夜も明けきらぬ早朝。騎士団員のほとんどはまだ眠っている所為か、洞窟内にはおきが爆ぜる音だけが、静寂の中に仄かに響いている。その静寂を破るように二人が声を上げたのは、見張り番の交代要員にその場を託し、ユーリと共にほらに帰ってすぐさまダスク達を叩き起こした時の事だった。


 ユーリシアは、ただ一人吃驚する事なくいつもと変わらぬ様子のゼオンに視線を向ける。


「…その様子だと、ゼオン殿は予想していたのだな?」


 思えば昨日、魔属性の魔法を持つ魔獣の話をしていた時、ゼオンは何かを考え込むような仕草を見せていた。この中で一番、人型の魔獣の情報を持っている可能性が高いゼオンに自然と視線が集まる中、当の本人は不本意だとばかりに顔をしかめた。


「俺を見るなっ、俺をっ!!いくら俺でも魔獣の情報はない!!何でもポンポンと答えを出すユルングルと一緒にするな…!!」


 あの天才と一緒にされてはたまらない____そう言いたげに、がなるゼオンにも構わず、やはり全員いかにも答えを欲するような視線を送ったままだ。


「それでもこの中で一番、答えに近い場所にいるのはゼオン殿だ」

「そうですよ。もう何かしら思い当たるものがあるのではないですか?ゼオン」

「出し渋っている場合じゃないですよ、統括」


 まるでゼオンの周囲の外堀を埋めるように逃げ場を奪う三人の言いように、さしものゼオンもたじろぎつつ、それでも抗うようになおさら渋面を深く刻んで見せた。


「…あのな…!俺は確かに人型の魔獣の存在は予想していたが、あくまでそれだけだ…!それ以上の情報は逆さに振っても出てこないぞ…!!」

「…それでも人型の魔獣の存在は予想していたのだな?」

「結局、出し渋ってたんじゃないですか、統括」

「人が悪いですよ、ゼオン。大事な事を隠すだなんて」

「お前らな…!」


 彼らのやり取りを聞きながら、ユーリはまだリュシアの街に来て間もない頃、工房の女たちが同じようにユルングルを揶揄って遊んでいた時の事を思い出す。素直ではない人物はこうやって遊ばれる運命にあるのかと、ユーリは内心でひとりごちてたまらず苦笑を落としたところで、ダスクが「冗談はここまでにして」と仕切り直した。


「聞かせてもらえますか?なぜ貴方が人型の魔獣の存在に気づいたのか」


 やはり答えを欲するような視線の集中砲火を受けて、ゼオンはようやく降参するようにため息を落とした。


「…あくまで俺の私見だぞ?確証はないから、話半分で聞け」


 そう前置きをして、話を続ける。


「…魔獣には知能がない。あくまで魔『獣』だからな。獣に知能がないのは当たり前だ。奴らはただ本能に任せるまま、人を襲う。…だが、昨日会った魔獣はまるで統率されているような動きを見せた」

「…それで、統率者がいるとゼオン殿は思ったのだな?」

「ああ。統率できるとしたら魔属性の魔法を持つ魔獣しかあり得ない。だが、歴史上確かに魔属性の魔法を持つ魔獣を確認したという文献はいくつか存在したが、魔獣が統率の取れた動きを見せたという話は存在しなかった。…まあ、当然だろうな。獣に統率を取るという考えはまずない。ただでさえ魔獣は、普通の獣と違ってその思考が支離滅裂だと言われているからな。狂ったように鳴き叫んで、狂ったように人間を襲う。奴らの頭にはそれしかない」


 ゼオンの話に皆、首肯する。

 これが全世界共通の魔獣に対する認識だった。

 だからこそ魔属性の魔法を持つ魔獣が現れても、統率の取れた動きを見せたと言う文献はどこにも見当たらないのだ。


「…ならなぜ統率の取れた動きが出来たか?考えられるのは一つしかない。統率者に、知能がある、という事だ」

「…!……魔獣に、知能がある者が現れたという事か……?」

「それも最悪な事に、魔属性の魔法を持つ奴にな」

「…なるほど、それで貴方は人型の魔獣の存在を怪しんだのですね?」

「ああ、獣だから知能がないんだ。知能がある、という事は、知能を有している生物___人間しかありえないだろう」


 ゼオンのその言葉に、小首を傾げて遠慮がちに「あの…」と小さく手を上げたのは、ユーリだった。


「それは…人間の魔獣が存在している、という事ですか?それとも人型を模した魔獣がいる、という事ですか?」

「…!」


 その質問に、皆同様に目を瞬く。

 この二つは似ているようで似て非なるものだ。前者であれば、人間が魔獣になる可能性がある、という事。後者であれば、あくまで人型を模しているだけでその性質は魔獣と変わりはない、という事だ。


 これはおそらく、魔獣が生まれる起源に迫るものだろう。


 再び答えを欲するようにゼオンに集中砲火される視線に気づいて、ゼオンは三度みたび眉根を寄せた。


「まてまて…!!俺にそこまでの答えを要求するな…!どうやって魔獣が生まれるかも判ってないんだぞ…!!何千年も謎のままの魔獣の生態が俺に判るわけないだろうが…!!」

「…まあ、さすがに統括でもご存じないですよねえ」

「…仕方がないだろう、こればっかりは……」

「…何でも判るわけではないですしね」

「………いちいち反応が腹立つな」


 判らない、と言ったのは自分だが、こうもあからさまな落胆を見せられると腹立たしい事この上ない。

 ゼオンは不快気にため息を落としつつ、自分には荷が勝ちすぎるこの難題に答えが出せるのは、おそらくこの世で一人しかいないだろう、と口を開いた。


「…こういう類の質問は俺じゃなくユルングルにしろ。あいつならきっと即座に答えを出す」

「…いくら何でもそれは無理ですよ、統括。いくらユルングル様でも___」

「判らんぞ?アル。あいつの知り合いには神獣がいるからな」

「…!!?」


 ゼオンの言葉に皆仰天して目を白黒とさせ、ただ一人ダスクだけが頭を抱えるように額に手を当てた。


「………貴方と言う人は、一体どこからそういう情報を仕入れてくるのです?」

「さあ?どこだったか覚えはないな」


 にやりと笑ってはぐらかすゼオンに悄然とため息を落とすダスクを視界に入れて、三人はなおさら目を瞬いた。


「………本当の事なのか……?……ユルンの知り合いに神獣が……?亅

「…一応お伝えいたしますが、あの方はご自分が何者かはもう忘れたとおっしゃっておられましたので、正確に神獣かどうかは定かではございません」

「ダスクお兄さまも、その神獣とお知り合いなのですか?」


 ゼオンの大げさな物言いのせいで、彼らの中では神獣であるという事は確定事項のようだ。


「…一度お会いしたきりです。ユルングル様もご幼少の頃、短い期間を共に過ごされただけでゼオンが言うほど親密なご関係というわけではありませんし、何度も言いますが神獣かどうか定かではありません」

「でも『おっしゃった』という事は人語を操る事ができるって事でしょう?だったらやっぱり神獣じゃないですかね?」


 どうやらどうしても神獣にしたいらしい。


「…少なくとも魔獣ではないでしょうね」


 辟易したようなため息交じりで、ダスクはそう返す。

 あの銀の獣からは禍々しさが微塵も感じられなかった。昨日魔獣と遭遇した時に感じた、背筋を冷たいものがぞわりと這うような感覚はまったく感じられなかったし、何より意思疎通ができた時点で魔獣ではないだろう。


 だがダスクには、彼を神獣だと言うには何かが足りない気がしてならなかった。


「そもそも、神獣と言うのは本当に存在しているものなのか?」


 ユーリシアの問いかけに、皆一様に首を傾げる。


 神獣という存在が本当に存在しているかどうかは、定かではない。

 かつて大陸にいたと言う精霊や獣人の存在は、様々な文献や伝承から確実にいたであろうという結論に至っているし、他でもない太陽王の兄、英雄王の傍に常に控えた獣人がいたことは、あまりに有名な話だ。だが神獣に関しては創世神話に出てくるだけで、その存在を見たと言う確固たる伝承はない。神獣の存在は、創世神話に出てくる神と同様、その存在を証明する根拠の提示が難しい『空想上の存在』なのだ。


「だが人語を操る獣が他にいるか?」


 言ったのはゼオンだ。


「……東の国では長く生きた獣が人語を操るという言い伝えがあるそうですよ」

「それは妖怪だ。それこそ御伽話に出てくる空想上の生き物だろうが」

「判りませんよ。本当にいないとは誰も言えないでしょう」


 何やら頑なに神獣であるという事を認めようとしないダスクに、ゼオンは眉根を寄せる。


「…何だ?その獣が神獣だと困るのか?」

「……困るわけではありませんが、おれにはどうもあの方が神獣であるような気がしないのです」


 確かに神々しさはあった。

 だが神獣と呼ぶには、その荘厳さや威厳がほぼないに等しい、とダスクは思う。

 彼を言葉で表現するならば、そう____。


「そうですね…例えるなら……狼をそのまま大きくして人の言葉を話させただけの、ただの獣___でしょうか?」

「…………例えもへったくれもないな」

「…………まんまですね」

「…………その上、身も蓋もない」


 三者三様、呆れたように突っ込みを入れる様子に、ユーリだけが苦笑を漏らす。


「…仕方がないでしょう。本当にそういう感じのお方なのですから」

「その割にお前は礼を尽くすんだな?ただの獣に」

「当然でしょう。ユルングル様の命の恩人ですし、もう千年も生きておられる方だそうですから」

「千年…!!?」

「獣と言うにはかなり長生きですが、神獣と言うには年若いでしょう?」


 創世神話に出てくるという事は、この世界が生まれ落ちた時から存在しているという事だ。だとすればその年は万を超えていてもおかしくはない。


 ゼオンは得心したように頷いた後、ぽつりと呟く。


「…なるほど、どちらにせよ得体が知れない獣と言うことか」


 害があるなしに関わらず、その正体が掴めないという意味では、人型の魔獣もその千年生きたという獣も同じような存在だろうか。


「…とにかく警戒を怠らないようにするしかない。人間が魔獣に変化した者だろうが、魔獣が人型を模している者だろうが、遭遇すればまた厄介な事になるからな」


 できれば遭遇しない事が一番いい。


 誰しもの念頭にその言葉が思い浮かんで首肯する中、ただ一人ユーリだけが胸中をよぎる不安を噛み殺すように、人知れず拳を強く握った。


**


「…今日は小雨で助かったな」


 頭に被った外套のフードの端を手で持ちながら、ユーリシアは空を見上げる。鈍色にびいろの雲はまだ見えるものの、降る雨は弱い。こうやって外套を羽織っていれば、昨日のように全身が濡れて体温が奪われるという事はなさそうだった。


 あの洞窟を出たのは、空が白んで日がそれなりに高くなり始めた頃。

 本当は早朝に出立して早々に森を出たかったが、霧がそれを大いに阻んだ。結局、霧が晴れるのを待ちに待って出立した形だ。


「…奴らが進んだのは、逆の方向なんだな?」


 騎士団員たちに聞こえないよう、ゼオンは声を潜めてユーリシアとユーリに問う。


「…ああ、間違いない」

「彼らが方向を変えていなければ、出会うことはないと思います」

「方向を変えていなければ、な……」


 ぽつりと呟くゼオンの言葉に、皆一様に不安に駆られる。

 この森は彼らの庭なのだ。どこでどのように遭遇しても、不思議ではない。今この瞬間も、こちらを窺って襲って来てもおかしくはないのだ。


 それを改めて念頭に置かせて、ゼオンは後ろにいるダスクを振り返る。


「…今、奴らの気配はあるか?」

「……いえ、今のところは何も」

「魔獣にも魔力感知が効くのだな」

「いいえ、まさか」


 ユーリシアの言葉にかぶりを振るダスクに、皆動揺を示すように慌ててダスクを振り返った。


「魔力感知できないのか…!?」

「できるわけないでしょう。彼らには固有の魔力がないんですから」

「知るか、そんな事…!!俺は神官じゃないんだぞ!!」

「獣には固有の魔力がないから感知できないと、ずいぶん昔に貴方には教えたはずですよ?」

「覚えがないぞ!!」

「おや、珍しい。さしもの貴方も病身の枕元で囁かれた事までは覚えていられないようですね」


 溜飲を下げるように、くすくすと笑って揶揄するダスクは実に楽しそうだ。

 仲が良いものだと内心で苦笑を落としながら、ユーリシアは訊ねる。


「…固有の魔力、と言うのは何なのだ?」

「…人間の魔力には、獣とは違って性格が出るのです」

「性格?魔力にか?」

「ええ。例えば…ダリウスの魔力は穏やかですがとても強い光を放っております。ユルングル様の魔力は仄かに光ってとても暖かい。…我々神官はその些細な違いを読み取って魔力で人を判別するのです」

「…獣の魔力には性格が出ないんですか?先生」

「出ませんね。獣の体内にも当然魔力はありますが、彼らの魔力は大気の魔力と何も違いがない。それは魔獣も同じで、彼らの居場所を魔力感知で探る事は出来ません」


 だからこそ、遠い昔幼いユルングルを探しに森に足を踏み入れた時、ハクロウの存在を察知する事が出来なかったのだ。


(…これひとつ取っても、ハクロウ様が神獣である可能性は低い……。であれば、あの方は一体___?)


 これほどハクロウの事が嫌に頭に浮かぶのは、この森がハクロウが棲みついていたあの森によく似ているからだろうか。


 そんな事を何とはなしに考えていたダスクの耳に、今度は訝しげなユーリの声が聞こえた。


「でしたらダスクお兄さまは、どうやって魔獣たちの気配をお読みに?」

「ああ、それは____」

「恐怖心、だな?」


 代わりに答えたユーリシアに、ダスクはにこりと微笑む。


「恐怖心?」

「…彼ら魔獣には底知れぬ恐怖心を強く呼び覚ます何かがあるようです。おそらく彼らが本能のままに人間を襲うのと同じで、我々人間にも彼らを本能的に忌避するようにできているのでしょう。おれはただ、その恐怖心に素直に従っているだけ」

「何だ、それは?わけが判らん。恐怖心で魔獣の居場所が判るなら好きなだけ怯えてやるぞ、俺は」


 先程のダスクの揶揄が未だ尾を引いているのか、いかにも機嫌が悪そうにゼオンはダスクの言葉を否定する。それに苦笑を返しつつ、彼ほど第六感という不確かなものと縁遠い者はいないだろう、とダスクは内心で思う。


 ゼオンの直感は、頭の中に存在する情報と経験則から導き出されるものだ。根拠のないものに彼の直感が働くことは、まずない。それ故、彼の直感ほど確かなものはないのだが、そんな彼にこの感覚を理解しろというのは、あまりに無理難題だろうか。


「とにかく、今はダスクのその恐怖心を信じて進むしかない」


 昨日、魔獣をいち早く察知したのは、他でもないダスクなのだ。おそらく彼以上に魔獣の気配を読める者はいないだろう。


 それが判って皆同様に首肯を返し、黙々と足を進める。怪我人を馬に乗せて、歩ける者はその馬を引きながら、決して足場がいいとは言えない獣道をひたすらに進む。雨はわずかに強さを増したものの、昨日に比べればそれほど苦ではない。外套のおかげで、軽く湿りを帯びる程度で留まっている。昨日に比べればまだまし___それでも、その足取りは重かった。


 森に入ってから、もう一日半。魔獣と遭遇してから森の中を彷徨い歩いた時間は、昨日と合わせて三時間ほどだ。雨の中、ぬかるみに足を取られながら馬を引いて歩くのは、思いのほか体力が疲弊した。おまけに、あの魔獣とも一戦交えている。後ろを見れば、皆一様に不安と疲労が濃く映った顔色を俯かせていた。


(……ひどい有様だな。今、魔獣と遭遇すれば、間違いなく窮地に追いやられるだろう……)


 その時はダスクに皆を預けて、自分一人で魔獣を引き受けるしかない。


 そう人知れず心中でひとりごちたユーリシアの耳に、ひどく弱々し気な、だがそれ以上に申し訳なさが窺える声が聞こえた。


「……申し訳ございません……レオリア様……我々が不甲斐ないばかりに……」


 声を掛けてきたのは、レオリアが引く馬に乗る騎士だ。腕と顔の左半分に巻かれた包帯が痛々しい。


「謝るな、貴殿らは何も悪くはない。……責められるべきは、指揮官の私なのだ」


 雨が降ると判っていながら、それでも森に入ると決断したのも、そしてその結果、怪我人を出したのも、すべては指揮官である自分のせいなのだ。軍を率いて行軍した経験もなければ、大勢で隊列を組んでの戦闘にも不慣れだ。強すぎる力のせいで一人で率先して戦う戦闘にばかり慣れて、協力して戦うという事を知らない。


 何もかもが、経験値の少ない自分のせいなのだ。


「……不甲斐ない指揮官ですまない……!」


 悄然と肩を落として、苦虫を潰したように唇を噛む顔を俯かせているユーリシアの頭に、大きな手がポンっと置かれる。


「指揮官が容易く謝るな」


 驚いて振り向いたユーリシアの視界に入ったのは、ゼオンの姿。


「すぐに頭を下げる指揮官は、下の者に不信感を抱かせるぞ。どれほど自分が悪いと思っても任務の最中は頭を下げるな。謝るのは最後の最後だ」

「………だが、私は……」

「初めての行軍ですべて上手くいくはずはありません。そもそも百戦錬磨の指揮官ですら不測の事態というものは付き物ですからね。初陣であればなおさらでしょう」

「始めっから成人したばかりのひよっ子に、何でもできると思っちゃいない。いちいち気負うな」


 判らない事は、学べばいい。

 不慣れな事は、慣れればいい。

 そうやって、経験を積めばいいのだ。


 そう言われているようで、ユーリシアは肩の荷を下ろして面映ゆそうに笑う。


「…二人には気を遣ってもらってばかりだな」

「…気を遣う?この男がですか?」


 じとりとした視線を寄越すダスクに、ゼオンはさも不本意そうに眉根を寄せる。


「相談には乗ってやったぞ」

「あれは相談って言うより揶揄いに行ったって言う方があってる気がしますけどね」

「否定はしないな」


 呆れたように告げるアルデリオの言葉に当の本人も同意を示しながら、くつくつと笑う姿にユーリシアとユーリはちらりと視線を合わせて、申し合わせたようにくすりと笑う。


 ____これだから、彼らの傍にいるのは心地がいい。


 つい数か月前には、こんな感情を抱くなど思いもよらなかった。

 皇太子なのだからと己を律し、すべてを完璧にこなさなければならないと己を戒めた。

 すべてを一人で背負う事が皇太子たる姿なのだと思っていた自分に、人に頼ってもいいのだと最初に教えてくれたのはミルリミナだ。そして、弱い自分を受け入れる事を教えてくれたのは、きっとユーリだろう。


 そんな弱い自分を、ダスクやゼオン、アルデリオも受け入れてくれていると思っている。そしておそらく、ユルングルやダリウスも____。


(…強くなければならない。だがそのためには、弱い自分をまず受け入れる事だ)


 他でもない、彼らが受け入れてくれているのだ。ならばこれほど心強いことはない。


 改めて思って、ユーリシア達は歩を進める。体は疲弊していったが、心は存外軽かった。暗い顔を俯かせている騎士たちの士気を上げつつ、思いのほか順調に進む事に皆が安堵したのは、ようやく工程の四分の三を過ぎた頃だった。


「あと、どれくらいですかね?」

「そうだな……この歩調であればあと二時間と言ったところか」

「はあ…ようやく終わりが見えてきましたねえ」


 明確な数字を挙げられて、アルデリオはようやく人心地ついたように胸を撫で下ろす。


 正直、この森にいる間ずっと生きた心地がしなかった。いつ魔獣に襲われるか判らない中での行軍は、とにかく精神が擦り減って仕方がない。おまけに洞窟を出てからというもの、弱いとは言っても絶え間なく雨に打たれて、さすがに外套だけでなく服も湿り気を帯びて重たくなってきた。ぬかるむ泥に足を取られる事もあって、心も体も疲弊していく中で明確な終わりが見えた事に、皆一様に安堵のため息を落とした。


「…カルリナ達は無事、森を出ただろうか?」


 そう呟いたユーリシアの言葉がダスクの耳に入ったのと同時に、背筋を言い知れぬ悪寒が走った。


「…しっ!!!静かに……!!!」


 慌てて小声で皆を制して、辺りを窺うような仕草を見せる。そのダスクのただならぬ様子に、一瞬にして凍えるような空気が彼らの心に恐怖と言う名の緊張感を漂わせた。


「……いるのか?」


 声を潜めて、ユーリシアはダスクに問う。


「……はい。まだこちらには気づいておりません。ですが時間の問題でしょう」

「距離は?」

「後方四百メートルほど先です。ゆっくり歩いているようですので、ここに来るまでに早くとも五分はかかるでしょう」


 魔力感知が効かないのに正確かつ詳細に彼らの居場所を把握しているダスクに感嘆しつつ、ユーリシアは覚悟を決めたように頷きを返す。


「…ダスク、彼らを託す。無事森の外まで連れて行ってくれ」

「…!」

「私が囮になる」

「何を仰っているのです…!?貴方お一人で魔獣を相手にするおつもりですか…!?」

「残念ながら今の私は隊を組んで戦う術を知らない。ならば一人の方が自由に動けていい。周りを気にする必要もなくなる分、まだましだろう」

「ですが…!」

「大丈夫だ。まともにやり合うつもりはない。彼らの注意を引きつつ、ダスク達から引き離したと確信が得られれば彼らを撒いてすぐに後を追う」

「…なら俺を連れて行け。俺なら奴らの弱点が判るかもしれん」


 言ったゼオンに、今度はアルデリオが目を白黒させる。


「統括…!?何をおっしゃって…!!」

「だめだ、先ほども言った通り、私一人のほうが動きやすい」

「俺は足手まといという事か?」

「端的に言えばそうだが、本当に統率者が存在するならば、まず真っ先に狙われるのは貴方だ、ゼオン殿」

「…!!?」

「優秀な参謀を真っ先に叩くのは兵法の基本だからな。…さあ、もう時間がない。ダスク達はこのまま道を進め。ユーリは魔獣たちがこの道を通れないように、できるだけ大きな結界を張るんだ」


 言って、承諾を待たずにその場を去ろうとするユーリシアの腕を、ユーリはがしりと掴んだ。


「私も行きます…!レオリアさんの指示通りここに結界を張りますので、ダスクお兄さまたちは安心して進んでください…!」

「…!?ユ、ユーリ…!!聞いていなかったのか…!?私は一人で行くと言ったのだ…!!」

「でしたら私も一人で行きます…!レオリアさんの後ろを勝手について行きますのでお構いなく…!!」

「そういう事では…!!」

「彼がついて行くのなら、我々もご一緒いたします…!!低魔力者がついて行くと言うのに、高魔力者の我々がおめおめと背を向けて逃げるわけには参りません…!!」


 言って、ぞろぞろと前に出てきた騎士団員たちの姿に、さしものユーリシアも頭を抱える。一人の方が動きやすい、と言った言葉はどうやら黙殺されたらしい。


 前に出てきた騎士は総勢七名。そのうち一番前を陣取って真っ先に名乗りを上げたのは、昨日ユーリにつっかかっていた三人だった。


 呆れたようにため息を落として、反論しようと口を開いたユーリシアを制したのは、苦笑を漏らしていたダスクだった。


「…ユーリが貴方の傍にいてくれれば安心です。彼が貴方を、ひいては彼らを守る鉄壁の盾になる」

「…!」

「…さあ、時間がありません。彼らはもうすぐ傍まで来ています」


 その言葉で、ユーリシアは諦観すると一つ頷く。


「…ダスク、彼らを頼む」

「レオリア様もユーリを頼みます。…ご武運を」


 皆、覚悟を決めたように頷き合って、ダスク達がまず先を急ぐ。その背を見届けてユーリが結界を張り終わると、残されたユーリシア達もまた駆け出した。できるだけ魔獣たちの注意を引き付けるように、そして彼らが無事、森から出られるように祈りながら。


**


「…魔獣たちはこちらに来ていないようだな」


 後ろを振り返りながらぽつりと呟いたのは、険しい顔を取ったままのゼオンだ。

 彼がダスクの決断を快く思っていない事は明らかだった。彼らと別れてからずっと不機嫌そうに、眉間のしわを深く刻んだままだ。

 そして彼が何より一番不満に思っている事は、他でもない足手まといの自分にある事をダスクは判っていた。


 そんなゼオンにため息を落としたところで、彼らの耳に聞き慣れた鳥の鳴き声が届く。


「…!?ルーリー…っ!!?」


 見上げれば、雨が降る鈍色にびいろの空に大きく羽ばたく鷹が一羽、円を描くように飛んでいる。ダスクは止まり木を作るように腕を高く上げると、ルーリーは心得たようにゆっくりと高度を下げて、その腕に身を預けた。


「ルーリー…!貴女を待っていたのですよ…!ユルングル様からの文は……」


 言ったダスクの視界に入ってきたのは、文ではなくルーリーの足に結ばれた一つの革袋。怪訝に思いつつ、一つしかない腕をルーリーに取られているダスクは、革袋を取れと促すようにゼオンに視線を送る。ゼオンはその視線に渋面を返して、思わず身を引いた。


「…!まてまて…!俺は嫌だぞ…!!アル!!」


 向けた視線の先には降参を示すように両手を上げるアルデリオの姿。その情けない二人の姿に、ダスクは嘆息を落とした。


「ルーリーは革袋を取るまで決して攻撃はしませんよ」

「そんなこと判らないだろうが…!!」

「……貴方は本当に臆病者ですね。…では、代わりに腕を貸してください。ルーリーを貴方の腕に乗せて、おれが革袋を____」

「判った!!!俺が革袋を取る!!!!」


 どうやらルーリーを腕に乗せる方が嫌らしい。


 ゼオンは恐る恐る手を伸ばすと、ルーリーの足に絡みつくように結ばれた革袋の紐を、渋面を刻んだ顔で不承不承と取る。その間も何やら革袋の中から鈴の音が聞こえる事に小首を傾げて互いに視線を交わしつつ、訝しげに革袋を開けて中の物を取り出した。そのゼオンの手にある物が何かを瞬時に悟ったのは、やはりゼオンだった。


「魔獣避けの魔道具…!?」

「…!?」


 ゼオンの怒気を含むように告げたその言葉に、ダスクとアルデリオは目を瞬く。


「魔獣避けの魔道具…!?今更ですか…!?」


 ゼオンは苦虫を潰したような顔で、アルデリオの言葉に同調するように手にあるそれを強く握りしめた。


「ああ…!今更だ…っ!もっと早く寄越していればこれほど苦労する事も、レオリア達が囮になる事もなかったんだ…!」


 今まで何一つ音沙汰がなかったのに、まるでユーリシア達と別れた時を見計らったように送られた魔獣避けの魔道具。これが決して偶然ではない事を、ゼオンだけではなくダスクやアルデリオも知っている。それがいかにも弄ばれているようで、ひどくゼオンの癇に障った。


 その憤るほどの怒りを表すように、ゼオンはなおさら握る手に力を込める。


「一体どういうつもりだ…っ!!ユルングル…!!!」


 その声音には、わずかな失意が込められていた。


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