表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第四部 星火燎原(せいかりょうげん)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

122/150

疑心を抱く者と欺く者

「…結局今は、何もできる事はないんですよねえ…」


 気抜けたような声をアレグレットが落としたのは、ユルングルの正体を知ったあの日から二日経った時だった。


 あの日、ソールドール騎士団と第一皇子の間で、密やかに盟約が結ばれた。


 『ソールドール騎士団は第一皇子に従い、いかなる場合でもその助力を惜しまない』____事実上の主従関係を結ぶ誓約に他ならない。騎士団員はおろか、領主でさえ預かり知らぬところで交わされたこの密約に、一番不満を漏らしたのは当事者である第一皇子ユルングルだった。


「主従関係って何だ…!?こんな仰々しいものはいらない…!ただ邪魔をせずに頼みたいことがある時に助力してくれればそれでいい…!」


 そう言って、これ以上にないくらい渋面を取ったユルングルの顔を思い出して、アレグレットは思わず失笑する。


「一国の皇子なのに、あれほど人を従わせることを嫌がる方も珍しいですよね」

「ずっと市井で育ったようだからな。堅苦しい事が嫌いなんだろうさ。…それよりもユルンが皇子だと吹聴して回るなよ、アレグレット」

「しませんよ、そんな事。それほど口は軽くありません」

「どうだかな。口を開けばユルンの話ばかりだろう。…そんなに気に入ったか?」

「あの方をお気に召さない方などいらっしゃらないでしょう?」

「まあ、確かにな」


 くつくつと笑って、ガーランドは同意を示す。


 第一皇子でありながら礼を尽くされることを嫌い、弱々しい病弱な姿とは相反して強固なまでに意志が強い。すべてを見通す瞳で人を射抜くような視線を放ち、こちらが気圧されるような威圧を感じたかと思えば、子供のように不機嫌になったり、ふいに憂いた表情を見せたりもする。その落差が、妙に人を惹きつけた。あれほど綺麗な顔立ちで放つ口の悪さですら、愛嬌があるとアレグレットは思う。


 唯一残念なのは、ガーランドが見たと言うユルングルの勇姿を未だ実見じっけんするに至っていない事だろうか。


(…お体が弱いのだから仕方がないが…)


 あの綺麗な顔で勇ましい姿を見せられたなら、きっと今以上に彼に心酔することだろう。

 思って、あの皇妃の生き写しであるユルングルの顔を思い浮かべる。


「…道理でとても綺麗なお顔立ちをされているはずですよ。帝国で随一の麗人と謳われた皇妃さまのご容姿を、そっくりそのままお継ぎになっておられるんですから」

「…陛下にとっては喜ばしい事でもあり、お辛い事でもあらせられただろうな…」


 最愛の妻の容姿を受け継いでくれた、我が子。ようやく再会できた時のその驚きと嬉しさは、筆舌に尽くし難いだろう。同時に、その我が子と離れて暮らさなければならなかった心痛は、きっと計り知れない、と思う。どれほど悔やんでも失ったこの十数年の時は、もう二度と戻らないのだ。その上、今や皇王の命は風前の灯火となりつつある。ユルングルと一緒にいられた時間は、おそらく思うよりもずっと少ないだろう。


(…陛下のご心痛はいかばかりだろうか……)


 思って自然と目線を上げるガーランドにつられて、アレグレットも同様に上を見上げる。


「…お助けして差し上げたいですね……そしてできれば、ユルングル様と会わせて差し上げたい」

「…そうだな」


 きっとユルングルが救い出してくれるはず____そう言葉に出そうと開きかけた口を、ガーランドは思わず閉じる。


(…口に出せないってのは意外にもどかしいもんだな)


 目に見えない『時の監視者』とやらを欺くためとはいえ、信じているという言葉すら口にできないのは、じれったいを通り越して苛立たしい。そもそも口に出さないだけで、本当に隠し通せているものなのだろうか、という疑問すらある。『時の監視者』という存在がどういうものか明確に理解しているわけではないが、正史通りに時が進むよう監視をしている、という事は、この世界の在り方を調律している、という事だろう。それは言わば神に等しい行為だ、とガーランドは思う。


 その神に、口に出さないだけで心に宿した想いを見抜けられずに済むのだろうか____?


 それを思うと、こうやって思案している事すら筒抜けになっているような気になって、妙に落ち着かない。

 ガーランドは考える必要もない事を無駄に詮議しているこの状況に鬱々としたものを感じて、たまらず大きくため息を落とした。


「…?ガーランド様?お疲れですか?」

「心が主にな」

「…?」


 怪訝そうなアレグレットに自嘲気味な笑みを返して、ガーランドはおもむろに席を立つ。こういう時は、気分を晴らすに限る。


「…ユルンの所に行って来る」

「ではお供いたします」


 にこやかな笑顔ですかさずそう返してくるアレグレットを、ガーランドは渋面を持って迎え入れた。


「……どうして毎回毎回ユルンの所に行くとなるとお前がついて来るんだ?」

「騎士団長をお守りするのも、副団長の務めですから」

「お前に守られた記憶なんてないぞ」

「ああ…!そうでした…!今やお守りする対象は別におられましたね…!主従関係を結んだのです。主をお守りする事は、騎士の本懐ですから」


 晴れやかに、そして堂々と大義名分を掲げるアレグレットに、ガーランドはただひたすら呆れたようなため息を落として、諦観を示した。


**


 ユルングルの所に行ったところで特に何かをするわけでもないが、暇を見つけてはこうやって足を向ける事が、二人の習慣になりつつあった。それは情報を収集するため、というていを作ってはいたが、アレグレット同様ガーランドもまた、それがただの口実であることを自覚していた。


「?…師父、それをお持ちになってどうなさるおつもりです?」


 ユルングルの所に向かう道中、ガーランドの肩にかけられた包みを見つけて、アレグレットは訝しげに問いかける。


「ああ、ユルンの強さの秘密を探ろうと思ってな」

「ユルングル様の強さの秘密……ですか?」

「種も仕掛けもないのに、本当にあれほど虚弱なユルンがこの強弓を扱えると思うか?」


 言って肩の包みを指差すガーランドに、アレグレットは目を瞬く。


「…それは……確かにそうですが……弓を引くのに種や仕掛けがいります?というか仕掛けようがない気もしますが…」


 ガーランドの言う通り、確かにあれほど痩せ細った体躯でこの強弓を扱えるとは思えない。どう見ても病弱な体だ。それどころか彼は自身の足で歩く事すら出来ない。それほど体力がない、という事だろう。あれから何度かユルングルの元を訪れたが、起きている事よりも眠っている事の方が多いくらいだった。


 それを思えば確かにガーランドが言うように種か仕掛けかがあっても不思議ではないが、かと言って種か仕掛けかをどうやって仕込むのかというのも、甚だ疑問だろう。


 そうやって答えの出ない問答をあれこれと思案するアレグレットを、ガーランドは闊達に笑い飛ばした。


「判らんぞ!あいつは策士だからな。俺たちが思いも及ばないような何かがあるかもしれん!」

「…また適当な事をおっしゃって」


 呆れたようにため息を落としたところで、ふとアレグレットの視界に見知った人物の姿が入った。レンガ造りの家屋の外に備え付けられたウッドデッキの傍らに立つ、ダリウスの姿。その腕には大きな鷲だか鷹だかが留まっている。ずいぶんと人に慣れているのか、その鷲だか鷹だかは喉元を撫でるダリウスにされるがままになっていた。


「ダリウス」

「…!師父、それにアレグレット様も」

「…ずいぶんと人懐っこいですね。ダリウス様が飼われておられるのですか?」


 言いながら手を出そうとするアレグレットを、ダリウスはやんわりと手で制した。


「不用意に手を出されると、肉をそぎ落とされかねませんのでお気を付けください」

「…!」


 真っ青な表情を取りながら、ゆっくりと出した手を引っ込めるアレグレットに、ダリウスは微苦笑を返す。


「ずいぶんと物騒なもんを飼ってるんだな」

「これでもルーリーは、クマタカの中でも気立ての優しい子です。…アレグレット様、手を」

「…?」


 小首を傾げながら手を差し出すアレグレットの手のひらに、ダリウスは干し肉を一片ひとかけ置いてみせる。


「決して動かないでください」

「…!え…っ!?まさか…!?」

「ご安心ください」


 にこりと微笑んで、ダリウスはアレグレットの手を指し示して「ルーリー」と短く指示をする。ルーリーは一度ダリウスの顔を振り返ってから、おもむろにアレグレットの手にある干し草に嘴を近付けた。一、二度嘴でそれを軽く突くと、たどたどしくゆっくりとそれを口に運ぶ。その姿は、怖がるアレグレットを気遣っているようにも見えた。


「おー…!!」

「…もっと勢いよくついばむもんかと思ったが」

「まだ力加減がよく判っていない頃、何度か餌を与える際ユルングル様の手を怪我させた事があったのです。ルーリーにとっては嫌な思い出なのでしょう。以来こうやって相手を傷つけないようにゆっくりと食べる事を覚えました」

「…頭のいい子だ」


 ガーランドの返答に満足げな笑顔を浮かべて、ダリウスは腕から肩に居場所を変えたルーリーの頭を撫でる。


「…これから何かあれば、この子が伝達係になります。足にふみを結べば、私かユルングル様の元まで文を届けてくれますので、どうぞご活用ください」

「…陛下とも、その鷹でやり取りを?」


 言って、ガーランドは自身の胸元を示すように、とんとんっと二回軽く叩く。その仕草の意味を悟って、ダリウスは諦観を示すように困惑した笑みを浮かべた。


「…気づいておいででしたか」

「さっき、ちらっと見えたんでな」


 二人の会話に小首を傾げるアレグレットを尻目に、ガーランドはくつくつと笑いを落とす。やはり諸手を上げるように観念したダリウスは、二人の姿を見止めてすぐに胸元に隠した皇王からの文を取り出して見せた。


「…相変わらず目聡いですね、師父は」

「俺の目はお前とは違って節穴じゃないんでな」

「一言多いですよ」


 ガーランドの揶揄を軽く受け流すアレグレットの言葉を待ってから、ガーランドは再びダリウスに視線を戻す。


「俺たちに知られちゃ困る内容か?」

「…いいえ、そういうわけではございません。ユルングル様のお体を気遣われた内容です。それと…決して自分を殺しに来るな、と」

「…!?」


 目を白黒させながら、二人はダリウスが差し出した文を手に取り、内容に目を通す。そこに書かれていたのは確かに、ダリウスが言う通りユルングルの体を気遣った言葉と、そして自分を殺しに来てはいけないと切実なまでに訴える内容が記されていた。


 自分を殺せば、謀反人として追われ最期は断頭台に上がる事になる。ユルングルに殺される事は自分の望みでもあるが、それによってユルングルが死を免れないのであれば到底受容は出来ない。だから決して、殺しには来ないでくれ。


 そう書かれた文に目を見開いて、ガーランドは呆然自失と口を開く。


「……どういう事だ…?……陛下はユルンに殺されると思い込んでおられるのか……?」

「……ええ、むしろそれを望んでおられたようにお見受けいたしますが……」


 文の内容に理解が追い付かないのか怪訝そうに呟く二人に、ダリウスは言葉を言い添える。


「思い込んでおられるのではございません。おそらく教皇様から、ご自分の最期をお聞きになられたのでしょう」

「…!……ならユルンが陛下をしいする未来が実際に存在しているのか…?」

「確定ではございません。教皇様にも未来は二つ見えておられたようです。謀反の黒幕であるデリックに殺される未来か、あるいはユルングル様に殺される未来か____亅

「そんな馬鹿な…!?いくら離れて暮らしていたとは言え実の親子だぞ!?どうして陛下はそんな未来を簡単に信じておられるのだ…!?」


 それにはわずかに逡巡した後、静かに答える。


「…ユルングル様は数か月前まで、陛下とユーリシア殿下を殺したいほど憎んでおられましたから」

「…!?」

「……十九年です。十九年間ずっと、ユルングル様は暗殺者の影に怯えて生きてこられました。その間どれほどこいねがっても、あの方のご家族が姿をお見せになることはなかった…亅


 仕方のないことだ、とダリウスは思う。不用意に会えば、デリックにユルングルの存在を知らせることになる。他ならぬユルングルの為にシーファスが望まぬ決断をした事も、もちろん知っている。それでもそれはシーファス側の事情であって、ユルングルにとってはきっとどうでもいい事なのだろう。


 ユルングルにとって大事な事は、会いに来てくれたかどうか、という事と、自分が捨てられたのか否か、という事の、たった二つだけなのだ。


「…あの方はたった一人で、十九年もの間、耐え忍んでこられたのです。それが憎しみに変わっても不思議ではありません」

「……その情報を、今になって寄越すのか?」


 呆れたように肩をすくめ、幾ばくかの不機嫌を表わして訊ねるガーランドに、ダリウスは眉を八の字に寄せて申し訳なさそうに仄かに笑う。


「…貴方がたの協力を得るためですから」


 言って懐から出したのは、見覚えのある羊皮紙だった。丸められた羊皮紙を開いて見せたそこに記されていたのは、わずか二日前に交わしたばかりの盟約書だ。


「…覚えておりますか?この盟約書の署名は、互いの血を混ぜたインクで記名をいたしました」

「…血の誓約だな」


 誓約を行う正式な書面に名を記す時、決して約束を違えないという信頼の証として己の血をわずかに混ぜたインクで署名を行う事が一般的だった。『血の誓約』という仰々しい名がついたその行為は、あくまで儀式的なもので、それをたがえたからと言って何かしらの報いが返ってくると言うわけではない。当たり前のように行われている、形式的な行為だった。


 そう、それに手を加えなければ______。


「…申し訳ございませんが、この盟約書に魔朱ましゅを施させていただきました」

「…!?魔朱…!?あの現状維持の魔法陣ですか…!?」

「はい、通常魔朱は物の現状を維持する為の陣ですが、誓約に陣を施せば『約束を違えないように維持する』という効力を得ます。それを違えようものなら、インクに混ぜられた血の所有者に制裁が加えられるという事を、ご承知おきください」

「…!?……なぜそのような……」

「先ほども申し上げました。貴方がたの絶対的な協力を得るためです」

「…それはユルンからの指示か?」

「いいえ、私の独断です。ですが、私がこれを実行に移すだろうという事は了承しておられるでしょう」


 ダリウスには似つかわしくない、その強行的な手段にガーランドは訝しげに眉根を寄せる。これではまるで、相手の不信感をわざと煽っているようだ。先ほどのユルングルの話といい、まるで自分たちを信じるなと言っているようにしか思えない。


(…そういう事か)


 思ったガーランドの思考を肯定するように、ダリウスは首肯する。


「大事な事は『疑心を抱く』という事です」


 信じてはいけないのだ。

 どんな時でも、ユルングルが皇王を弑するかもしれない、と心に留め置いていなければならない。

 自分たちはそのために利用されているのだと、疑心を持っていなければならない。

 それらはすべて、『時の監視者』を欺くため_____。


(だから、命を盾に取られて否応なく従っている、というていを作りたいんだな……)


 その考えに至って、ガーランドはちらりと隣にいるアレグレットを一瞥する。同じ考えに至ったのか、同様にげんなりと肩を落とすアレグレットの姿が視界に入って、苦笑を漏らした。


 『時の監視者』を欺くためとは言え、自分の心すら欺かなければならないとは。


「…できれば俺はすっきりとした人間関係の方が好きなんだがなあ」


 信じている相手を信じていないと思い込むのは、かなり骨が折れそうだ、と盛大にため息を落とすガーランドに、アレグレットもまた同意を示す。


「…まったくです。厄介な事この上ない」

「申し訳ございません」


 ダリウスが謝る事ではないが、それでも謝罪がつい口を突いて出てしまうのは、彼の性分だからだろう。こういう彼らの一挙一動が、どうしても好ましく映ってほだされそうになる。信じるなと言うのなら、もっと念を入れて悪役を演じてほしいものだと心中でひとりごちて、ガーランドは仕切り直すように息を一つ吐いた。


「で?お前さんの主は今どうしてる?また眠っているのか?」


 その質問には、これ以上にないくらい不安げな表情を返した。


「…どうした?何かあったのか?」

「……ユルングル様は今、歩く練習をなさっておいでです」

「…!?あの体でか…っ!!?いくら何でも無茶だろう…!?」


 思わず声を荒げるガーランドに、アレグレットも追従する。


「そうですよ…!まだ一日お起きになられるだけの体力すら回復なさってはおられないのに…っ!!」

「一体何があった?」

「……ユルングル様は単身で要塞に乗り込むおつもりです」

「…!?乗り込む…!?一人でか…!!?」


 ダリウスのその言葉に、やはり二人は目を白黒させる。五体満足ならまだしも、肝心のユルングルは歩く事さえままならないのだ。そんな体でできる事などたかが知れていると言うのに、乗り込むなどもってのほかだ。


 そう言わんばかりの怒声を響かせるガーランドに、ダリウスはやはり諦観を示すようにかぶりを振った。


「…ユルングル様をお止めする事はできません。あの方がこうとお決めになられた事は、何があっても決して覆されることはない……」

「……それで?どうしてお前がここにいるんだ?まさか一人で歩く練習をさせてるわけじゃないだろうな?」


 わずかに咎めるような色を載せるガーランドの声音に、ダリウスは困惑した、だけれどもひどくバツが悪そうに顔を背けて返答する。


「……ラン=ディア様とミシュレイ様がついてくださっております。私が傍にいると……どうしても止めに入ってしまいますので…」


 得心と呆れをふんだんに含んだため息を落として、ガーランドはアレグレットに向き直る。


「お前もついていてやれ、アレグレット」


 了承するように首肯を返して、アレグレットは軽く一礼した後、足早に家に入る。それを見届けてから、ガーランドはやはり不安げな表情をやめないダリウスに向かって、おもむろに肩にかけていた包みを放り投げた。


「…!?……これは?」


 目を瞬くダリウスに、ガーランドは闊達な表情でにやりと笑う。


「心が疲れた時は気を晴らすに限るだろう」


**


 家から少し離れた開けたところに居場所を変え、包みを開いたそこにユルングルが使用したという強弓があって、なおさら小首を傾げるダリウスにガーランドは言う。


「ユルンの強さの秘密が知りたくてな」

「…?ユルングル様の強さの秘密…ですか?」

「当然ダリウスもこの強弓を扱えるだろう?」

「…ええ、はい……おそらくは」


 当たり前のように肯定が返ってくるだろうと思って投げた問いかけに歯切れの悪い答えが返ってきて、ガーランドはこれでもかと眉根を寄せる。


「……まさか、ダリウスよりユルンの方が力が強いなんて事はないだろう?」

「…基本的には確かに私の方が力はございますが、ユルングル様は筋力の扱いに長けておりますので」

「…?」


 何やら含んだ言い方に小首を傾げつつも、ガーランドは構わず話を進める。


「…まあ、いい。その秘密を探りに来たからな。…とりあえず弓を射てくれ。射るのは……そうだな」

「師父、申し訳ございませんが動物を射抜くことはできません」


 対象を探すガーランドに、ダリウスはぴしゃりと告げる。それがどういう意味合いなのかを得心できず、ガーランドは目を瞬きながら、彷徨わせていた視線を一度ダリウスに戻した。


「…貴族なら狩猟くらいたしなんでるだろう?」

「…子供の頃に一度父に連れられて狩猟を行った事はございますが、ユルングル様がお生まれになられてからは一度も。あの方は動植物が好きな方ですので、娯楽で生き物の命を奪う事を嫌っておいでですから」


 その返答に、ガーランドは盛大な呆れ顔を見せる。


「………相変わらず、お前の頭の中は弟一色だな」


 ダリウスのような人間を世間一般では、親バカならぬ兄バカと言うのだろうか。

 呆れと同時に、ソールドールに着いてから一度も見えなかったダリウスの兄バカっぷりに妙な安心感を覚えて、ガーランドは苦笑を漏らした。


「…さて、ならどうするか……」


 再び射抜く対象を探して、ガーランドは視線を彷徨わせる。元々、軽く狩猟でもして気を晴らしてやろうと思っていただけに、当てが外れてどうしたものかと悩むガーランドを尻目に、そうとは知らないダリウスは歯切れよく提案した。


「では、こういうのはいかがでしょう?あの木から落ちる葉を射抜くと言うのは?」


 指差したのは二十メートルほど先にある、一本の木。そこからいつ落ちるとも知れない葉を射抜くと容易く口にするダリウスに、ガーランドは目を丸くした。


「…おいおい、簡単に言ってくれるが容易くはないぞ?ここからあそこまでどれほど距離があると思ってるんだ。的は小さな葉だぞ?それも落ちる葉は不規則な動きをして狙いが定まらない。試し撃ちでいいんだ、もっと簡単な___」

「ユルングル様なら、いとも容易く射抜かれます」


 ガーランドの言葉を遮ってにこりと微笑むと、やはり返答を待たずにダリウスはそのまま矢をつがえて弦を大きく引く。ぎりぎり、と重い音とは反比例して、涼しげな顔で軽やかに弦を引き切ったダリウスに、ガーランドは否応なく吃驚きっきょうした。


 そうしてそこから、ガーランドはユルングルの時以上に信じられない光景を目の当たりする事になる。


(………おい、冗談だろ……?……一体いつまでこの状態を維持するつもりだ……?)


 弓を引いて木を見据えたまま、微動だにしないダリウス。この状態になってから、もうかれこれ五分近く経つ。

 普通の弓なら、当然驚く事ではない。だが、彼が今引いている弓は強弓だ。それも筋骨隆々である自分ですら、ようやっと扱えるようになった代物だった。


 その強弓を、果たして自分は五分もの間引いた状態でいられるだろうか____?


 それも脂汗一つ流さず、手や腕が震える事も呼吸が乱れる事もなく、ただ立っている事と同じように涼しい顔で平然と____。


(…いや、無理だ……!いくら何でもこれ以上は……っ!)


 この状態を維持する事がどれほど困難な事であるかをよく知っている。これ以上はダリウスの体に負担がかかると思って、ガーランドは弾かれるように木に視線を移した。


 風は、ない。

 少し前まで吹いていた風は、ダリウスが矢をつがえてからぴたりと止んだ。

 一枚でいい。早く葉が落ちないだろうか。


 弓を引いているダリウス以上に、ガーランドは葉が落ちる瞬間を待ち望んだ。


(…だめだ、もうこれ以上は…!)


 思って口を開きかけた瞬間、わずかにそよ風が吹いて葉が枝から落ちる。と同時に、ダリウスは躊躇うことなく矢と弦を放す。ダリウスの手から放たれた矢は、ひらひらと二、三度身を翻したその葉を見事に射抜いてそのまま木の幹に勢いよく突き刺さった。


「…ふう……。確かにこの弓は、今のユルングル様では持て余してしまわれるでしょう…。よくあのお体で引けたものです」


 一息つくように小さく息を漏らして、まるで軽い運動を終えた後のように涼しげな顔で告げる。そんなダリウスの様子に、ガーランドは脱力したように、あるいは浅はかな自分を苛むように額に手を当てて無言のままうなだれていた。


 ダリウスは「師父」と呼びかけながら、強弓からガーランドを振り返ったところで、目を丸くした。


「え……っと…師父…?どうなさったのですか…?どこかお体の具合でも_____」

「…ああ、忘れていた。お前たち兄弟は常識じゃ計れないんだったな……。念のため聞くが、陛下や皇太子殿下もこうなのか?」

「…?こう……とは?」


 質問の意図が判らず、やはり困惑して訊き返す。自分がどれほど驚くべきことをやってのけたのかという事にまったく思い至っていないダリウスの様子に、ガーランドは呆れと諦観を込めた深いため息を落とした。


「……体は何ともないのか?」

「…?はい、これと言ってどこも」

「一体どこに、この強弓をあれだけ長時間引いて涼しげな顔をする奴がいるんだ。お前の筋肉はどうなってる?」


 渋面を取りながら、まるで諸手を上げるように告げるガーランドの様子に、ようやくダリウスも得心する。


「…ああ、私やユルングル様は筋力だけでこの弓を引いたわけではございません。筋力と言う意味では、ユルングル様はおろか、私ですら師父やアレグレット様には敵わぬでしょう」

「…?…なら何だ?やっぱり魔法でも使ったか?」


 怪訝そうに揶揄するガーランドに、ダリウスは失笑してから答える。


「魔法…そうですね、ある意味間違ってはおりません。我々は、操魔を使っておりますので」

「…!……操魔…?何だ、それは?初めて聞く言葉だが…」

「操魔とは文字通り体内にある魔力を操るすべの事です」

「操る…?体内の魔力をか?……そんなことが出来るのか…?」


 目を見開いて茫然自失と訊ねるガーランドに、首肯を返す。


「操魔をお考えになられたのは、元皇宮医のシスカ様です。…魔力が筋力を補佐し増強してくれる事はご存じですか?」

「ああ、知ってる。だからどうしても高魔力者の方が力は強い……の、はずなんだがな…」


 呆れたようなため息をきながら、ガーランドのその頭の中で思い浮かべた人物を悟って、ダリウスは微苦笑を落としながら説明を始める。


「通常、魔力は万遍なく均等にすべての筋力を補佐します。例えるなら十の魔力があれば、腕や足、腹筋といったそれぞれの筋肉に対して必ず同等の一の魔力が補佐を担っている、という感じでしょう。…ですがもしこれが、他の筋肉を担っている魔力をすべて無にして、両腕の筋力だけに五ずつ魔力を分け与えられたら?」

「…!?……いつもより五倍の腕の力を発揮できる…って事か……?」


 得心したように呟くガーランドに、ダリウスはにこりと微笑んで頷いて見せた。


「そういう事です。先ほど私は腕と胸筋、それに前鋸筋ぜんきょきんに魔力を集中させました。ですから師父が思う以上に筋力を使用してはいないのです」

「……そういう事か…。ならユルンも操魔とやらを使ったのか?だが彼の魔力はダリウスほど多くはないだろう?」


 それにはまた、首肯を返す。


「はい。ですがユルングル様は私以上に操魔と筋力の扱いに慣れております。どのような動作を行う時には、どこの筋肉にどれほどの魔力を込めれば一番効率がいいか、瞬時に計算なさっておられるのです。おそらく瞬間的な筋力であれば、私を超えるでしょう」


 そのダリウスの言葉にガーランドはやはり目を丸くして、だがこれ以上にないくらい闊達な笑いを返した。


「ダリウスといい、ユルンといい、お前たちは相変わらず想像のはるか上を越えて来るな!!」


 いつも以上に闊達な笑い声に目を丸くしながら、ダリウスもまた小さく笑みを返す。

 そして、静かに告げた。


「……師父、これからはここに訪れるのはお控えください」

「…!……なぜだ?迷惑か?」

「…いいえ、貴方がたと我々が懇意にしていると、領主には知られたくはないからです」

「…?領主に…?」


 訝しげにおうむ返しするガーランドに、ダリウスは頷く。


「ユルングル様が仰るには、数日後に領主から打診を受けるようです」

「打診?」

「『ずっと憎んでいた皇王を、自らの手で殺める機会が欲しくはないか』___と」

「…!!?」


 耳を疑うようなその言葉に、さしものガーランドも言葉を失う。

 愚かな領主だとは思っていた。

 前領主には悪いが、これほど人の上に立たせてはいけない人物は他にいないだろう、と。

 だが、これほどまでに愚かだったとは____。


 怒声を上げたい気持ちを何とか落ち着かせて、だが無意識に握った拳だけはそのままにガーランドは話を続ける。


「…つまり、ユルンはその領主の誘いに乗って要塞に入り込むつもりなんだな?」

「はい。その時にできれは、師父やアレグレット様にはユルングル様をさりげなく補佐していただきたいのです。…私がお傍について行く事は叶いませんので……」


 もし第一皇子と自分たちが懇意にしていると知れば、あの領主は委細構わずユルングルから自分たちを遠ざけるだろう。詳細を聞かなくても容易にそれが想像できて、ガーランドは得心したように頷く。


「…判った、今日を最後にここへは来ない。何かあればルーリーで連絡すればいいんだな?」

「はい」


 短く返事をするダリウスを待ってから、ガーランドはやはり深いため息をいた。


 ここに足繁く通うのは、安心を得たいからだ。

 ユルングルが皇王を弑するような人物ではないと、そしてダリウスがそれを受容するような人物ではないと、安心して心を休ませるためだ。


 そして自然とここに足が向かうのは、そんな彼らを好ましいと思っているからに他ならない。


(…だが、信じることはおろか、交流を重ねることすら許されないのか……)


 それが何のための行為かは、重々承知しているつもりだ。決して抱いてはいけない想いでも、疑心という殻を覆わせて、変わらず心に居座り続けている。


 この想いが『時の監視者』に気づかれるほど大きくなる前に、彼らと少し距離を取ることはそう悪いことではないかもしれない。


 何とか自分を納得させる言い訳を思いついて、ガーランドは不承不承と承諾する。

 嫌嫌ながら、だが仕方なく、という気持ちを前面に押し出した顔で向けた視線の先に、申し訳無さそうな、だけれどもひどく感謝をした様子のダリウスと目があった。

 そうして、うやうやしくそのこうべを垂れる。


「どうか、ユルングル様をよろしくお願いいたします」


 その切実なダリウスの様子に、ガーランドは再び諦観するしかなかった。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ