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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第四部 星火燎原(せいかりょうげん)

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それぞれの旅路 ユーリシア編・ユーリの正体・前編

 ユーリシア達騎士団は、一日限りの休息を得て再び進軍を始めていた。

 たった一日だけの休息ではあったが、どうやら騎士団員たちにわずかな心のゆとりができたのだろう。どこかしら疲弊しきったような面持ちであった彼らの表情が、目に見えて引き締まっているように感じて、ユーリシアは胸を撫で下ろす。


「…どうやらダスク様の妙案が功を奏したようですね」


 馬上で言ったカルリナに、ユーリシアは首肯を返した。


「そのようだな」


 答えながら、だがユーリシアは不安と共に騎士団員たちを視界に入れる。

 そこに映る、小さな違和感____。

 休息前と後で何かが違う。それが違和感となって胸の内に大きく影を落としたが、それが何かが判らない。そのもどかしさが、ユーリシアの心に否応なく不安の種を蒔いた。


(……嫌な気分だ)


 何か良くないことが起きる予感。

 なのに、未来が見通せる兄からの連絡はない。それがなおさらユーリシアの不安を掻き立てた。


(…もうそろそろソールドールに着いていてもおかしくない頃だ。なのになぜ何も連絡を寄越さない…?)


 ユルングルに何かあったのだろうか。だが、その場合でもダリウスからの連絡は来るはずだ。一切の連絡が途絶えたという事は、ユルングルだけではなくあちらにいる全員に何かしらの不測の事態が起きたという事だろうか。父と共に囚われたか、あるいは____。


 考えれば考えるほど嫌な想像ばかりが頭をよぎる。そもそも父の安否すら判ってはいない。生きてはいても、怪我を負っている可能性は多分にある。


 その怪我が命に関わるようなものであれば___?

 その上、兄まで失うような事になるのか。


 音沙汰がないだけに想像ばかりが膨らんでいく。それも、よくない方向にだ。

 ユーリシアはその不穏な考えを払拭するように大きくかぶりを振った。その視線の先に、心配そうな表情で振り返って眺めてくるユーリの姿があって、ユーリシアは目を瞬く。


「…大丈夫ですか?レオリアさん……」

「…ああ、大丈夫だ。心配しないでくれ、ユーリ」


 できる限り笑顔を作って、幾ばくかの安心をユーリに与える。


「…それにしても、ゼオン様のご体調がずいぶん良くなられたようで安心いたしました」


 先ほどの不安げな様子のユーリシアに彼も気を揉んでいたのだろう。カルリナは話題を変え、努めて明るくそう告げる。二人に気を遣わせた事を悟って微苦笑を落としながら首肯し、ユーリシアは馬車の中にいるゼオンに視線を向けた。


 たった一日ではあったが、天幕の中でゆっくり休めた事もあってゼオンの体調はずいぶんと快方に向かった。夕方になるとまだ熱は出るものの、高熱と言われるほどの熱ではない。おかげで食欲も出てきたようで、今朝の朝食は久しぶりに綺麗に平らげたのだとダスクから報告を受けている。


「…いちいち、こっちを見るな。鬱陶うっとうしい」


 しばらく鳴りを潜めていた憎まれ口が出てきた事も、快方に向かっている証拠だろうか。

 たしなめるようなダスクの視線を受けてバツが悪そうに顔を背けるゼオンに苦笑を漏らしながら、ユーリシアはおもむろに視線を宙へと向けた。


「…彼らもひとまず退散したようだな」

「そのようですね」


 ユーリシアの視線を追うように、カルリナも同じく見上げる。その二人の会話を、ユーリシアの前に座るユーリは訝しげに聞いていた。


「……彼ら?」

「ここしばらく、おれ達を監視している者がいたのですよ」


 答えたのはダスクだ。


「…おそらく伯父上の手の者ではないだろう。そうであれば、これほど早く監視を解くはずがない」

「ソールドールの斥候せっこうの可能性が高いだろうな。…どうやら俺たちは、ソールドールを攻め落とすために進軍していると思われているようだからな」


 ゼオンの言葉に、ユーリシア達は首肯する。


 願いの街イーハリーブで、騎士団員のうち数名が噂を耳にしたという。

 『皇太子率いる騎士団が、ソールドールを攻め落とすために進軍している』と。


 当然これを聞いた騎士団員たちは青天の霹靂たる思いだった。謀反人である皇太子を討つために出軍した自分たちが、なぜか討つはずの皇太子の傘下に入っているのだ。それはつまり、自分たちまで謀反に加担していると思われているに等しい。


 その心外な噂に腹を立てる者や自尊心を傷つけられたと憤慨する者もいたが、結局根も葉もない噂だからとひとまずの落ち着きを取り戻した。実際に謀反人である皇太子を討てば、自分たちの身の証を立てられるだろう、と。


(…何とも皮肉な話だな)


 自分が討たれる事でしか、彼らの身の証を立てられないとは。

 内心でそう自嘲しながらも、ユーリシアの中で妙な胸のつかえが取れずにいた。


(…あのデリック伯父上が、こんなまどろっこしい事をするだろうか?)


 あの噂がデリックが故意に流したものだとすれば、彼はおそらく騎士団とソールドールを争わせたいのだろう。だが、その目的が判らない。


 デリックは合理的なものの考えをする人間だ。できるだけ手数を少なく、簡素に目的を果たす傾向にある。彼はもうすでに、最大の目的である皇王シーファスを手に入れているのだ。なのに、わざわざ戦禍を広げるだろうか。


(他に目的がある……もしくは、伯父上の後ろに黒幕が存在しているのか……?)


 あのデリックが、誰かの指示を素直に聞くとも思えないが。


 思ったところで、ふと視線に気づく。こちらを射抜くように見つめてくるゼオンと目が合って、ユーリシアはわずかにたじろいだ。


 彼の情報局統括という肩書は伊達ではない。勘のよさや情報収集能力、そして些細な事象から情報を読み取り推察する能力は、群を抜いて突出している。

 まるで今、心中で考察していたことでさえゼオンに筒抜けになっているような気になって、ユーリシアはたまらず嘆息を落とした。


**


 その日の夕刻、野営地に着いて天幕を設営する彼らから少し離れたところで、ユーリシアは岩に腰を下ろしていた。その手にあるのは、以前ユーリが落とした物を拾ってから、ずっと隠し持っているハンカチ。罪悪感の象徴であったこのハンカチは、今ではユーリシアの心の平静を保つのに一役買っている。


(…なぜだか、このハンカチを見ているとミルリミナを思い出す)


 懐かしく愛しい、の人。

 彼女に無性に会いたくなるときは、こうやってハンカチを見ることで心を落ち着かせる事が習慣になった。 ミルリミナによく似たユーリが一針一針縫ったのだと思うと愛おしく、そこに縫われた自分と同じイニシャルの刺繍が、まるで自分に宛てられた物のように感じて、なおさら恋慕が募った。


(…勝手なものだ)


 そう自嘲しても、きっとこの思いをハンカチに寄せる事はやめられないのだろう。


 特に皇都を出立してからは、不安や心労がかさむせいかミルリミナに無性に会いたくて堪らなくなる。

 彼女が自分の前から忽然と姿を消したのは三か月と少し前。以降は自分が暴走して隠れ家を襲った時、気を失う直前に遠目で微かに彼女を見たきりだ。


(……会いたい、ミルリミナ……貴女の声を聴きたい……)


 せめて彼女が今どこにいるのか_____いや、せめて誰と共にいるのかだけでも知りたい。

 思って、ユーリシアは刺繍で書かれたイニシャルを愛おしそうに撫でる。


 ユルングルが以前教えてくれた、この世で一番安全だと思える人物____きっとそれは、男なのだろう。ユルングルから絶大な信頼を寄せられているであろう人物なのだという事は判ったが、ミルリミナの傍に自分以外の男が常に控えて彼女を守っている、という事実が不安を掻き立てて仕方がなかった。


 そもそもミルリミナの口から、自分に対してどのような感情を抱いているのかは一切聞いていない。嫌いではない、とは言っていたがそれだけだ。彼女が恋慕の情を自分以外に抱いていても、おかしくはない。

 そう考えると、もう平静を保っている事が難しくなるのだ。


(……こんな事を考えている場合ではないのだがな……)


 自嘲するようなため息を落としつつ、それでも考えずにはいられない自分のこの性格が恨めしい。気になる事があると、とにかく考える事をやめられなくなる。父や兄の安否にデリックの思惑、この出軍の行く末に加え、ユーリやミルリミナの事にまで思いを巡らせてしまう。本当に考えなければならない事柄は山積みなのに、この体たらくにユーリシアは再び大きくため息を落とした。


 そうして、やはり考える。

 ユーリは、ミルリミナの傍にいるという人物の事を何か知ってはいないだろうか。


 こうやって考える事が山積みになった時、不安の種を一つ一つ潰していくのが一番いいやり方だと学んでいる。

 まずは身近にあって簡単に解消できるものから手を付けるのが常套手段だ。

 ユーリシアは思うより先に立ち上がって、颯爽とユーリの元へ踵を返した。


**


(…お日様に当てられないのが残念だわ)


 自分たちの天幕の裏で、ユーリは洗ったシーツを干しながらひとりごちる。

 力のない自分では、天幕設営や物を運ぶ事ですら心許ない。一度手伝いを申し出たが結局邪魔にしかならず、自分でもできる事をと考えて騎士団員たちが使うシーツの洗濯を手伝っている。


 一度に全てを洗うわけではない。三日に一度は洗えるように分けて、数人の騎士団員と共にシーツを洗い、最後にこうやって干すのはユーリ一人の仕事だ。数は多かったが狭い天幕の中の寝台にかける物なので、シーツと言ってもそれほど大きくはない。一人でも十分事足りる作業だった。こうやって野営地に着いてすぐシーツを洗い干して、また翌朝取り入れるのがユーリの日課になりつつある。


 だが、こうやって日課になると不満が顔を覗かせるようになるのだろう。せっかく干すのなら日光に当てたいものだと最近欲が出るようになった。夜干しでも十分渇きはするのだが、やはり陽に当てる方が心地いい。

 太陽の匂いがする布団を思い浮かべながら、考えても仕方のない事だと苦笑交じりにため息を落としたところで、突風がユーリを襲った。


「きゃ……っ!」


 思わず小さな悲鳴を上げるユーリの頭上から、先ほど干したばかりのシーツが一枚、風に乗って勢いよくユーリに覆いかぶさる。そのシーツがユーリの首元にある首飾りの鎖を絡め取ったのだろう。風が止むのと同時に、カランっと澄んだ音が下から聞こえて、ユーリは視線を落とした。


 その視界に入ったオパールの首飾りに仰天して、ユーリはシーツがまだ頭にかぶさっている事も忘れて、慌ててそれを拾い上げる。


「やだ…!どうして……っ!?」


 見れば留め具の辺りが強い力で引きちぎられたように変形している。すぐさま直すのが難しい事は明らかだった。


「…………そんな……!」


 ユーリは目を見開いたまま、途方に暮れたように手のひらにあるオパールの首飾りを悄然と見つめる。


 ここが隠れ家ならば、容易く直せたのだろう。あるいは傍にユルングルかダリウスがいれば何も心配などせずに済んだ。この程度の修繕など、彼らには朝飯前だ。だがここには、そのどちらもがない。


 ダスクなら直せるだろうか。あるいはゼオンやアルデリオなら___?

 いや、その前に一刻も早くここから離れなければ。きっと今、自分の姿はミルリミナに戻っているはずだ。誰かに見つかる前に早く天幕の中へ_____。


「…ユーリ?」

「…!!!?」


 目まぐるしく彷徨う思考を遮ったのは、聞き慣れた、だが今一番来てはいけない人物_____。

 反射的にユーリはその声がする方へと勢いよく顔を向ける。シーツの隙間から辛うじて見えた、色黒で白髪の男。彼と目が合ったところで、ユーリはようやく姿を隠さなくてはと慌ててシーツの中に身を隠した。


「…!!?待て…っ!!!?」


 ユーリシアが駆けてくる足音が聞こえる。それ以上に、自身の心臓が早鐘を打つ音の方が耳にうるさい。


 どうにかしなければ。

 ミルリミナと知られるわけにはいかない____いや、もう知られたかもしれない。

 それでも、身を隠さなければ。

 ミルリミナと知れば、きっとユーリシアはここから自分を逃がすだろう。戦場に置いてはおけない、と。

 それだけは嫌だ。それだけは避けたい。

 男になっても傍にいると決めたのだ。

 今さら、彼の傍から離れたくはない_____!!


 ユーリは考えるよりも早く、体が動く。留め金の壊れたオパールの首飾りを、勢いに任せて自身の腕に巻きつけた。これで『身に着けた』というていを装えるのかは判らない。それでもこの方法しか思い浮かばなかった。いや、思い浮かんだというよりも体が勝手に行動したと言った方が的確だったが、それを腕に巻き付け終えたところで勢いよくシーツがはがされた。


 その目前に、目を見開いて茫然自失とこちらを凝視するユーリシアの姿_____。


 彼には果たして、どちらに見えているのだろうか。自分からでは変化した姿が見えないので、判断のしようがない。激しい動揺を表わすように強く鼓動を刻む音がユーリシアの耳に聞こえないかと、ユーリは内心怯えていた。


 そんなユーリの耳に、ぽつりと呟くユーリシアの声が届く。


「……………ユーリ………か……?」


 まるで我が目を疑っているようなユーリシアの様子に申し訳ないと思いつつ、彼の口から出た名前に安堵してユーリは返答する。


「……ど…どうしましたか?レオリアさん……」

「………いや……今…君が一瞬別人に見えて……」

「…はは……別人だなんてそんな事……少しお疲れのようですね……」


 言って、地面に落ちたシーツを拾う。

 その腕にある見慣れた物が視界に入って、ユーリシアは目を大きく見開いた。


「今日は早めにお休みになった方が_______!!?」


 できるだけ平静を装ったユーリの言葉を遮るように、ユーリシアは勢いに任せてユーリの腕を掴む。その腕にある、オパールの装飾品。それが何を意味しているのかを、ユーリシアは承知していた。


 怯えたように見返すユーリに、ユーリシアは強く告げる。

 問い詰めるように、あるいは咎めるような声音で。


「……別人ではない……そうなのだな、ユーリ……!!?…君は____いや、貴女は女性なのか…!!?」


**


 シーツの合間から見えたのは、小柄な女性の姿だった。

 長い黒髪と、それとは対照的な白い素肌。詳しい容姿は判らない。ほんの一瞬垣間見えただけ。それでも目が合った彼女の瞳は、吸い込まれそうなほど大きく印象的だった。覚えているのはそれだけ。次の瞬間には見慣れたユーリの姿に戻っていた。


 実兄に似た姿。

 ほんの数日前に、疑いを持ったばかりだ。血の繋がりがなくとも、これほど似るものなのだろうか___と。


「ユーリ…!!本当の事を教えてくれ…!!貴女は女性なのか…っ!!?」

「ち…違います…!!僕は…!!」

「ならこれは何だっ!?私の持つ変化の魔装具とまったく同じものだろう…っ!!」


 ちょうどユーリの腕を掴むユーリシアの左腕に、きらりと七色に光るオパールが見えた。今ユーリの右腕に巻かれたそれと、まったく同じものだ。


「……そ……それは………!」


 返答に詰まって口を噤むユーリの視線は、その動揺を表わすように宙を彷徨っている。

 言い訳が思い浮かばず、そのまま閉口するユーリに業を煮やしたユーリシアは、腕を掴んだままダスク達がいる天幕へと急ぎ足で向かった。


「ダスク…!!ダスク…っ!!!」


 自身の名を呼ぶその声音が怒気を含んでいるように感じて、ダスクは思わず席を立つ。天幕の中に入って来たユーリシアの剣幕に一瞬たじろいだものの、その後ろに腕を掴まれ今にも涙を流さんばかりのユーリの存在に気づいて、ダスクは目を白黒させた。


「レオリア様…!?一体どうなさったのです…っ!!?それにユーリも____」

「教えろ、ダスク…!!お前はユーリが女性だと判っていて、この戦場に連れてきたのか…っ!!!!?」

「…!!?」


 ユーリシアの言葉に、ダスクのみならずその場にいたゼオンやアルデリオも目を見開く。慌ててユーリに向けたその視線に答えるように、ひどく怯えた様子で彼___彼女は口を開いた。


「……ごめんなさい……ダスク兄さま……!!オパールの首飾りの留め具が壊れてしまって……!!慌てて腕に巻きつけたのですが…!!間に合わなくて…………っ」


 そこまで何とか告げて、耐えきれずポロポロと大粒の涙を流す。あとはもう嗚咽に混じって何を言っているかは判然としない。

 ユーリシアはそんな泣きじゃくるユーリの姿に胸がひどく疼いて、申し訳なさそうに腕をそっと離した。瞬間、ユーリは駆け出して、救いを求めるようにそのままダスクの胸に勢いよく飛び込んだ。


「ごめんなさ………!ごめ……っ!」

「ユーリ……貴女が悪いわけではありません……謝らなくても大丈夫ですから……」


 必死に謝罪するユーリを宥めるように、ダスクはしがみつくユーリの背をさする。見ればユーリの腕に慌てて巻いたであろう首飾りが目に入って、ユーリがいかに狼狽し足掻いたのかを悟った。


(……迂闊だった。一人にするべきではなかった……)


 油断していた。もう長くユーリの姿でいることに慣れていた。心の何処かで、もう大丈夫だと根拠のない安心が住み着いていた。それに、足元をすくわれたのだ。


(……いっそのこと、殿下にはもうミルリミナである事を話した方が……)


 女である事は判ったようだが、それがミルリミナである事にはまだ気づいていないようだ。危惧していた聖女の魔力を奪う力も、もうユーリシア相手には発動しない事も判明している。それならいっそ____そう思って口を開きかけたダスクを、ゼオンは目線で押し留めた。訝しげな表情を覗かせるダスクに、ゼオンが小さくかぶりを振る様子が視界に入って、ユーリシアは不快を表わすように眉根を寄せた。


「…ゼオン殿も知っていたのだな?ユーリが女性であることを」


 鋭い視線がゼオンに向けられる。見逃すつもりはないとその視線から悟って、ゼオンは諦観のため息を落とした。


「…ああ、知っていた」

「私だけか?知らないのは」


 頷くゼオンに、ユーリシアは強く拳を握った。眉根を寄せ、眉間にこれでもかとしわを寄せるユーリシアの表情には明らかな怒気と、僅かな失意が込められていた。


「……なぜだ。なぜいつも私には何も言わない……!!そんなに私は信用できないか…!?それほど頼りないのか…っ!!?」


 慌てて反論しようとしたダスクを、ゼオンはもう一度目線で押し止める。任せろ、と言っているように見えて、ダスクは一つ頷きを返した。


「…確かに黙っていた事は謝る。だがそれはお前を信用していないわけでも、頼りないと思っているわけでもない。……こっちにはこっちの事情がある。言いたい気持ちも判るが、自分の都合だけを押し付けるな」

「…!……その事情とやらは、やはり私には話せないという事か?」

「そうだ」

「いつまで?」

「この一連の騒動が終息を迎えるまで」

「…!」


 ユーリシアは、目を瞬く。


「この騒動がなければ、正直お前に話しても良かったんだがな。だが今はだめだ」

「……なぜだ…?ユーリはこの謀反に何か関係しているのか…?」

「関係しているわけじゃないが…正体が知れれば間違いなく命を狙われる。おそらくデリックが今一番、喉から手が出るほど欲している存在だろうからな」


 未だその所在が掴めない皇太子____その皇太子をおびき寄せるのに、婚約者であるミルリミナの存在はデリックにとってこれ以上にないくらい、おあつらえ向きだろう。

 ユーリシアがどれほどミルリミナを想っているのかは火を見るよりも明らかだ。それはミルリミナが攫われてからユーリシアがどれほど身を削って彼女を捜索したかでよく判る。当然、あのデリックが知らないわけはない。


 ラヴィよりも、そしてユーリよりも、ミルリミナは皇太子をおびき寄せるのに最適かつ有益なのだ。


 皆が内心で得心する中、だがユーリの正体を知らないユーリシアだけは、ゼオンの言葉の意を掴みかねて眉根を寄せる。なぜユーリがそれほど重要なのかが判らず、怪訝そうな顔でユーリを小さく一瞥した。


「……よく判らないが、それならなおさらこんな戦場に連れてくるべきではないだろう…!ここには、あの伯父上の刺客がいつ来てもおかしくはない…!!それなら____」

「お前の傍以上に安全なところなんてないだろうが」

「…!」

「世界で一番魔力を有する皇太子の傍だぞ?これ以上に安全なところがどこにある?」


 言ってにやりと笑うゼオンを、ユーリシアは呆然自失と視界に入れる。

 なぜだか妙に、胸に引っかかる言葉____だが、一体何が胸につかえるのかが判らない。核心に迫るための何か重要な事のように感じるのに、一体何の核心なのかが判らず、もどかしい思いを引きずるように彷徨わせた視線が、泣きはらした目のユーリの視線と交わって思わず狼狽した。


(…何だ、これは……?)


 なぜか妙に気まずく、ユーリシアは慌てて顔を背ける。

 ユーリにどういう顔をしていいのか判らないのは、今しがた彼女を泣かせてしまった事への罪悪感から来るものだろうか。それとも_______。


 思って、その先の言葉を呑み込む。


 ユーリを見ていると、ふつふつと湧いて出てくる、この感情。おそらく、以前から抱いていたものだ。ユーリが『彼』であったから、それは別の感情だと思い込んでいた。だが、『彼』ではなく『彼女』だと判った今、この感情に明確な名が存在している事を、ユーリシアはもう知っている。

 それは、三ヶ月半ほど前にようやく知った感情だ。


 そして、ミルリミナ以外には決して抱いてはいけない感情____。


 違う、と小さくかぶりを振ったところで、ゼオンの訝しげな声が届く。


「ユーリシア、どうした?」

「…!」


 はたと我に返って、弾かれるようにゼオンに向けた視線の先にやはり否応なくユーリの姿が入ってきて、ユーリシアはたまらなく怒りがこみ上げてきた。


「……好きにすればいい…っ!」


 感情に任せるまま突き放すように言い捨てて、ユーリシアは踵を返す。


 なぜこれほど腹立たしく感じるのか。

 なぜこれほどユーリを見ていられなくなるのか。

 そして、この怒りは一体誰に向けられたものなのか。


 その答えが確固たるものとして自分の胸の内にある事を自覚しながら、ユーリシアはまるで逃げるように天幕を後にした。


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