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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第四部 星火燎原(せいかりょうげん)

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ガーランド=シルフォード・三編

「あんたがキリア=ウォクライか?」


 そう問われたのは、騎士団長の使いだと言う者に呼ばれて向かった、要塞にある彼の執務室でのことだった。

 初めて顔を合わせるその騎士団長の表情から察するに、何かしら叱責を受けるのではないかとウォクライは内心辟易していた。


 それと言うのも、ウォクライが領主の執務室に呼ばれるたび、領主に対して臆することなく進言するからだった。進言するたび領主の不興を買って、いつも領主館を出る直前で彼の後ろの控えていた騎士から、くどくどと注意を受ける。見たところ、その騎士たちも領主に言われて不承不承と忠告をしているように見受けられたが、忠告をした事にして見逃すという事をしない辺り、彼らも余計な事をして自分たちの手を煩わせるなと言いたいのだろう。


 その彼らの上司に当たる団長が出てきたのだから、当然ウォクライのその行動が目に余って咎めるために呼んだのだろう、と彼は思っていた。


 ウォクライは団長の質問に首肯する代わりに、呆れたようなため息をひとつ落として見せる。


「……領主から私を叱責するように仰せつかったのですか?」

「……?何の話だ?」

「……?…領主に食って掛かる私にいつも騎士たちから小言を頂戴いたしますので、今回もその件に関して呼ばれたものかと……違うのですか?」


 ウォクライのその言葉に、団長の表情はみるみる不快と怒りを表わしていく。


「…誰だ?その騎士は」

「…お名前は存じ上げませんし、いつも顔触れが変わりますのでお答えでき兼ねますが、彼らも領主に言われて仕方がなく、と言った風ではございましたよ?」

「領主に言われたからと何でもほいほい聞く奴があるかっ!!」

「まったくもって同感です。ここの騎士は何かにつけてあの領主を甘やかし過ぎです。…いえ、甘やかす、というよりも皆、諦観して進言をする事を無意味だと悟った気になっているようですが、誰かが咎めなければあの領主はどんどんつけ上がるだけですよ」


 団長の怒声にも臆する事なく、ウォクライはずけずけと彼に騎士たちの在りようを咎める。そのあけすけな物言いと気概さに、団長は一度目を瞬いてから豪快な笑い声を上げた。


「なるほど…!!さすがはあのユルン達の連れと言ったところか!!!」

「…!?…弟を、ご存じなのですか?」

「…!…また『弟』か。あいつは一体何人兄貴を作るつもりだ?」


 その呆れたような団長の言いようで、もうすでに見せかけだけの兄弟だという事を承知しているのだと、ウォクライは悟る。


「……それは、ユルングル様から直接お聞きになられたのですか?」

「…!……そうか、あいつの本名はユルングルと言うんだな?」

「…!」


 失言をした事を悟って慌てて口元を手で押さえ敵意を示すように眉根を寄せるウォクライに、団長はできるだけ人好きのする笑顔を向ける。


「そう心配するな。公言するつもりもないし、ユルン達の敵になるつもりもない。むしろ助けが欲しいのはこっちの方だからな」

「…?……助け、ですか?」

「…紹介が遅れたな。俺は騎士団長のガーランド=シルフォードだ。とは言ってもユルン達は俺の事を師父と呼んでいるから、あんたもそう呼んでくれ」


 そう前置きしてから、師父は本題に入る。


「あんたを呼んだのは他でもない。今すぐにでもユルンに会いたい。仲介を頼む」

「…!……それは、出来かねます。私の一存で決めていい事ではございません」

「…意外と頭が固いな」


 アレグレットといい勝負だろうか。


「なら言葉を変えようか。ユルンが俺に会いに来いと言ったんだ。自分はこの要塞に入れないだろうから、あんたが会いに来いと言った。…主の言葉なら従わざるを得ないんじゃないのか?」

「ユルングル様は私の主というわけではございません。……ちなみにその言葉の信憑性を、私はどうやって判断すればよろしいのです?」

「……面倒な奴だな」


 前言撤回。いい勝負どころか、さらに上を行くようだ。

 師父は面倒臭そうにため息をつくと、おもむろに三つの鞄を取り出し卓の上に置いた。


「…?それは…?」

「ユルンから預かった物だ。これを返さなきゃならん。ないと困るだろうからな」

「…それがユルングル様の物だとどう証明なさるのです?」

「中を改めるなり何なり好きにすればいいだろ」


 さすがに皇族であるユルングルやダリウスの荷を改めるわけにはいかない。


「俺が盗んだと言うのは勘弁してくれよ。金目の物なんて入ってないだろうし、そもそも盗みを働かなきゃならんほど困窮していない」


 それは確かにそうだろう。曲がりなりにも騎士団長を務める男が金に困っているとも思えない。見れば彼の服装は一見すると質素に思えるが、その素材はかなり上質な物を使っている事が判る。彼を盗人呼ばわりするのは、あまりに失礼極まりない話だろう。


「それとな、勘違いしているようだから言っておくが、俺はユルンがどこにいるかは把握している」

「…!?」

「…あんたはずいぶんと忙しいようだな。領主の相手に、魔獣討伐に関する騎士団との打ち合わせ。傭兵の世話に加えて、こちらに向かって来ているという皇太子殿下率いる騎士団討伐まで領主から命ぜられたらしいな。ほとんど家を留守にしているあんたは知らんだろうが、今朝がた早くに入街検査の列に並んでいたユルン達を部下に迎えに行かせて、あんたの家まで送り届けた。当然、場所はもう知っている。それでもあんたから承諾を得ようとしているのは、あんたの顔を立てるためだ。礼を尽くしている、と思ってくれ」


 こう言われては、もう承諾するしかない。どうせ嫌だと言ったところで、場所が判っているのなら彼は一人でも向かう事は出来るのだ。それならば、まだ自分が連れて行く方がましだろうか。

 思って諦観のため息を落とすウォクライに、師父はもう一度問いかける。


「…どうする?あんたが連れて行くか、俺一人で行くか、さっさと決めてくれ」

「……ひとつ、お伺いいたします」

「何だ?」

「貴方の部下に迎えに行かせたのは、ユルングル様の所在を把握するためですか?」


 だとすれば、まだ警戒を怠らない方がいい。敵ではないとは言っても、味方でもないのだ。何よりユルングル自身の口から彼に関する事は何も聞かされてはいない。特にここは敵陣だと言ってもいい。何のために会いたいかは別にしても、ユルングルの所在を把握したいと思う者にろくな者はいないだろう。


 そう訴えるような視線を寄越すウォクライに、師父はきまりが悪そうに額を小さく掻いて答える。


「…結果的に、そうなっちまったがな。……だが、あいつは低魔力者だろう?この街は他に比べて魔力至上主義者は少ない方だが、全くいないわけではないし、何より今はあの馬鹿領主の所為で傭兵崩れが多いからな。いらん争いごとに巻き込まれてあいつが怪我でもしたら事だと思って配慮したつもりだったが……不快に思ったのなら、すまんな。…慣れない事はしない方が良かったか」


 気を配るのは苦手なんだ、とぼそりと呟いた、その見るからに豪快そうな男に目を瞬いて、ウォクライは思わず吹き出すように笑う。面映ゆそうな顔をごまかすように渋面を取る師父をもう一度笑って、ウォクライは深々とこうべを垂れた。


「承知いたしました。ユルングル様の元にお連れいたします、師父」


**


 日が大きく傾き始めた頃合いに、ラン=ディアは湿布と包帯を持ってユルングルの部屋に入った。それはユルングルの為の物ではない。彼の褥瘡じょくそうの手当てはもうすでに終えている。

 それは、この家に着いてからずっとユルングルの部屋に居座っている、ミシュレイの為の物だった。


「…よく飽きもせずに何時間もユルングル様の寝顔を見ていられるな」


 扉を開くなり、椅子を逆に座って背もたれに頬杖をつきながらユルングルを見ているミシュレイの姿が真っ先に視界に入って、ラン=ディアは呆れたようなため息を落としながら声をかける。


「何で?ユルンちゃんの寝顔、可愛いからいくらでも見てられるだろ?」

「………お前はダリウス様と気が合うかもな」

「あーっ!!ダリウスの兄貴は溺愛って感じだもんなっ!!」


 お前もそう変わらんだろう、と内心でひとりごちながら、ラン=ディアは手に持つ湿布と包帯を卓に置いて、空いている椅子をミシュレイと向かい合わせになるように置いた。


「馬鹿な事ばかり言ってないで、さっさと服を脱げ」

「…!治療はもういいってば。大したことねえし」

「なら腕を上げてみろ」


 言われてミシュレイはバツが悪そうに苦笑しながら目を背ける。


「上げられないのか?」

「………ラン=ディアの旦那って性格悪い…!!」

「お前が判り切った嘘をくからだろう。文句を言う暇があったらさっさと服を脱げ」


 不満そうに頬を膨らませながら、言われるがままに服を脱ぎ始めるミシュレイは、やはりその動作でさえ痛みがあるのか軽く顔を歪ませる。明らかにやせ我慢をしていた事は明白なミシュレイの様子に、ラン=ディアは再び呆れたため息をいた。


「…痛みがひどいんだろう?肋骨にひびが入っているからな。ダリウス様の手前、大した治療ができずにいたが、よく平然としていられたな?」


 森でミシュレイの診察と治療をしている間、終始ダリウスは申し訳なさそうに眉根を寄せて見守っていた。彼に素直に診察結果を告げれば、なおさら彼は自分を責めただろう。それが目に見えているからラン=ディアはどうしても言えずにいたし、満足な治療を行う事も出来なかった。結果としてミシュレイに我慢を強いた形になった事を、ラン=ディアはわずかに後悔している。だからこそ、ようやくダリウスがユルングルから離れたその隙を突いて、こうしてミシュレイの治療にやって来たのだった。


「…まあ、怪我には慣れてるからさ」


 言ったミシュレイの体には無数の傷跡が残されている。小さな傷は当然の事、大きな傷もそこら中にあって嫌でも目を引いた。そのどれもが治療の痕がない事に、ラン=ディアは自然と渋面を取る。


「……悪いな。すぐに治療してやりたかったが…」

「いいってば。いつも怪我しても治るまで放置してるんだからさ。治療してもらえるなんて、俺初めてだよ」


 ラン=ディアがダリウスに気を遣った事はミシュレイも理解している。それに関して文句を言う気もないし、むしろそんな中でも、最低限とは言えきちんと治療してくれたラン=ディアに感謝しているくらいだ。何より、ダリウスに対して行ったラン=ディアの心遣いが、ミシュレイには好ましく映った。


「…これからは、ちゃんと治療しろ」

「誰がしてくれるのさ、低魔力者の治療なんて」

「俺がいる間は俺に言えばいいだろう。…ほら、手を貸せ」

「手?」


 包帯を巻き終わってから何やら手を催促するので、ミシュレイは小首を傾げながらも手を差し出す。その手を握って目を閉じたラン=ディアを訝しげに見つめていたミシュレイは、だがすぐさま、その手から温かな何かが体の中を流れる感覚を覚えて、目を見開いた。


 特にずっと鈍い痛みが続いていた肋骨の辺りが一番温かい。柔らかい温かさに包まれれば包まれるほど、その鈍痛が引いていくのが判って、ミシュレイはさらに目を白黒させた。


「…っ!!…すっげえ…っ!!!痛みがなくなった…!!!何これっ!?魔法!?」


 その子供のようなミシュレイの反応に、ラン=ディアはくすりと笑みを落とす。


「いや、魔法じゃない。神官治療だ。痛みが和らいでも、まだ治ったわけじゃないから勘違いするなよ」

「神官……治療?」

「………お前は本当に治療された事がないんだな」


 今度はラン=ディアが目を瞬いてミシュレイを見据える。


 神官の治療費は、言うほど高くはない。当然、平民でも十分払える金額だし、それすら払えない貧しい者には無償で治療を施す神官も普通に存在した。神官のいない土地は別にして、貧富の差に関わらず神官の治療を受けた事のない者など、おおよそ存在しないだろう。


 『皆に等しく治療の権利を』___それが教会の掲げる信念であると同時に、神官一人一人が堅持しなければならない基本的な心構えだからだった。


 だからこそ、これだけの傷跡を持ちながら、ただの一度も神官治療を受けたことのないミシュレイの存在に、ラン=ディアは驚天動地の思いがした。


「…この街にも神官がいるだろう?」

「いるけど、ここは魔獣がよく出るからさ。そのたびに傭兵たちから何人も怪我人が出るから、常に人手が足りないんだよ」

「それでもしてもらえるだろう?」

「してもらえるけど俺はいらない」


 きっぱりとそう告げるミシュレイに、ラン=ディアは訝しげな視線を向ける。


「俺は、神官は信用しない」


 言葉を重ねる頑ななその態度に、ラン=ディアは心当たりがあった。この態度を取る者は総じて、ろくでもない神官に当たった者だ。当然、滅多にはいないが、金に目が眩んで本当に治療すべき者に治療を施さない不届き者が一定数存在していることを、ラン=ディアは知っていた。


「……神官運がなかったか」

「ろくでもない奴だったよ。金払いがいい奴しか治療しないんだ。…親父がどれだけ頼んでも、弟の治療をしてくれた事なんて一度もなかった。…結局さ、親父は高い治療費が必要な医者を頼るしかなかったんだ。…そりゃ辛いと思うよ、うちに金なんてなかったんだからさ」

「………だが、そういう神官はすぐさま地位を剥奪されるだろ?新しい神官は来なかったのか?」

「来たさ。いい神官だったけど臆病でお人好しな性格が祟って高魔力者に散々利用されてさ、低魔力者を診る時間がなかなか取れなくて、それでも眠る時間を割いて診てくれてたんだけど、結局最後は過労でぶっ倒れた」

「…………本当に、神官運のない土地だな」


 呆れたようにラン=ディアはひとりごちる。

 一度、神官運がなくなると、不思議な事にそれが続くことが、ままある。不運な事にミシュレイの住んでいた土地は、それに当たったらしい。ラン=ディアは治療の終えたミシュレイに服を着るよう促して、片付けをしながら軽くミシュレイを一瞥した。


「…神官を信用しない割に、俺には素直に診せるんだな。判っているとは思うが、俺も神官だぞ?」

「え、だってラン=ディアの旦那、診せなきゃ殺す勢いで怖かったんだもん。有無を言わさず無理やり診察始めるしさ」

「…人聞きの悪い事を言うな…!」


 確かに無理やり診察をしたかもしれないが、鬼のような形相で迫った覚えはない。


 「まったく…っ」と大きなため息を落としながら、不機嫌そうに再び包帯を丁寧に直すラン=ディアを、ミシュレイはちらりと視界の端に入れた。

 今まで何人かの神官を見てきたが、皆、義務感に順じて治療を施している感じだった。当然、拒否する人間に無理強いをする神官など見た事はない。ラン=ディアのように、治療を拒む者にあれほどの怒りを示す神官も、押し倒さんばかりに無理やり服を脱がせて診察する神官も、見たのは初めてだった。


「………ラン=ディアの旦那があの街の神官だったら、弟は死なずにすんだのかな……?」


 あのお人好しな父親も、泣きながら自分たちを捨てたりはしなかったのだろうか。

 そうすれば今でも、親子三人仲良く暮らせていけたのだろうか。


(………今さらそんな事言っても、仕方がねえけどさ……)


 それでも、思わずにはいられない。彼のような神官の存在を、知ってしまったのだから。


 ぽつりと呟かれた小さな小さなそのミシュレイの呟きは、ラン=ディアの耳に届く前に外の風が木々を揺らす音に虚しくかき消される。わずかに入ったミシュレイの声らしき音だけが辛うじてラン=ディアの耳をかすめて、彼は怪訝そうにミシュレイを振り返った。


「…?…何か言ったか?ミシュレイ」


 普段なら気にも留めないような事で感傷的になるのは、きっと弟と同じく心臓を患ったユルングルが目の前にいるからだろうか。


 思ってユルングルを一瞥し、くすりと笑みを落とすと、ミシュレイは小首を傾げるラン=ディアに小さくかぶりを振った。


「……別に、何でもない。…俺、治療してもらうのはラン=ディアの旦那だけって決めよっかな」

「それは残念だな。ユルングル様よりもっと美人な元神官がいたんだが」

「…!?まじで…っ!!?前言撤回っ!!俺その人に診てもらうっ!!!」

「…………一応言っておくが、男だぞ?」

「男でも美人なら大歓迎!!」

「………節操のない奴だな」


 呆れたように渋面を取ったところで、部屋の扉を叩く音が二人の耳に入る。


「……おや?ずいぶん賑やかですね」


 微笑ましそうに笑むダリウスの姿が開いた扉から入って来て、ラン=ディアは心得たように、騒ぐミシュレイの脇腹を軽く肘打ちする。


「…ミシュレイ、少し静かにしろ。ユルングル様がお目覚めになる」

「ああ、いえ…!そういうつもりで申し上げたわけではありません。どのみち、そろそろお目覚めの頃合いですから」


 言って、暮れなずむ空をダリウスは眺める。

 もう夕刻だが、肝心のこの家の主が帰ってこない。早朝にこの家に着いた時から、彼は不在だった。食事時には帰ってくるだろう、と思われた彼は、夕刻になる今でもまだ帰宅することはなかった。どうせすぐに顔を合わせる事になるだろう、と思ってルーリーに文を託すのを怠った自分が忌々しい。


 そんなもどかしい思いを吐き出すようにため息をくダリウスの心情を察して、ラン=ディアは声をかける。


「…ウォクライ卿はまだ帰ってこないのですか?」

「…ええ」

「いっつもは、もう家に帰ってる頃なんだけどなあ。…あの領主に余計な仕事回されてなきゃいいけど」


 ミシュレイの言葉に、ダリウスは小さく眉根を寄せる。

 彼にはずいぶんと面倒な任務を任せてしまった。必要な事だったとは言え、やはり申し訳ない。そう思うと、なおさら彼が帰ってこないのが不安でたまらなかった。


 ダリウスはもう一度、夕刻の空を眺める。

 つられるように、二人も暮れなずむ空を眺めた。


**


(…ずいぶん遅くなってしまったか)


 思って、ウォクライは陽が西に大きく傾いた空を仰ぐ。もう冬も間近だ。日に日に、陽が沈む時間が早まっていた。まだそれほど遅い時間というわけではないが、陽が沈み始めると、ずいぶん遅くなったような気になる。それはきっと、あの家で待つダリウス達も同じだろうか。心配性なダリウスの事、帰りが遅いのを不安に思っていないといいが、と思ったウォクライの背に、後ろに追従している師父が声をかけた。


「…あんたを説き伏せるのにこれほど時間がかかるとは思っていなかった」


 どうやら自分と同じく、この夕暮れの空を見上げていたらしい。


「ずいぶんと警戒するんだな?それほどユルンは重要と見える」


 その問いかけには、答える代わりに小さな一瞥をくれる。


「ユルンは一体何者だ?お前ら全員、揃いも揃ってユルンに礼を尽くしている。兄貴だと言うダリウスもそうだし、主ではないと言ったあんたもそうだ。大司教のラン=ディアですら、ユルンには最大限の礼を尽くしていた。…それほど重要な人物だという事か?」

「…それにはお答えでき兼ねます」

「…一体お前たちは何をしにソールドールに来た?皇太子殿下の謀反とやらと何か関わりがあるのか?」

「…それも、私がお答えする権限はございません」


 何を訊いても一瞥をくれるだけで頑なな態度を取るウォクライに、師父は呆れ返る。これでは埒が明かない、とため息をいて、軽く思案する仕草を見せた。


「……なら、あんたの事について訊いてもいいか?」

「…お答え出来る事ならば何なりと」

「あんた、騎士だろう?」

「…!」


 そこで初めて、ウォクライは完全に師父を視界に入れた。

 その態度に確信を得て、師父はにやりと笑う。


「それも神殿騎士だ。違うか?」

「……なぜ、そうお思いに?」

「神殿騎士ってのは剣の腕はもちろんの事、何よりも重んじられるのがその立ち居振る舞いだ。あの神に近いと言われる教皇に仕えるんだからな。決して粗相があっちゃならん。言葉遣いはもちろん、立ち居振る舞いからその表情一つでさえ、品行方正を絵に描いたような人物でなきゃ務まらん、と聞いた事がある。…あんた、傭兵にしちゃ立ち居振る舞いも言葉も綺麗すぎる。長年の癖はなかなか取れないんだろうな。無骨な顔の割に、そうやって歩く姿ですら整い過ぎてるんだよ」


 師父のその言葉にわずかに沈黙を見せて、ウォクライは観念したようにため息を落とした。


「……ですから、私には傭兵の真似事など無理だと申し上げたのです」

「ユルンに無理強いされたか」


 その憮然としたウォクライの様子に、師父はくつくつと笑う。


「お前さんが神殿騎士ってことは、主はラン=ディアか?」

「…いえ、別の方です」

「そうか……。実はな、ユルンの正体について、あれこれ考察してみたんだが聞いてくれるか?」

「……色々と熟考されるのがお好きな方ですね」

「それが俺の仕事だからな。まだ家に着くまでには時間があるだろ。暇つぶしだと思って耳を貸してくれ」

「…お聞きいたしましょう」


 その返答に満足そうに頷き返して、師父は言葉を続けた。


「…初めはな、ダリウス達がユルンに礼を尽くすのは未来が視えると言う稀有な能力があるからだと思った」


 その師父の言葉に、ウォクライは気づかれないほど小さく目を瞬く。

 未来が視えているのではないかとある程度推測をしてはいたが、はっきりと断言された事で確信に変わった。同時に、それさえ知っている師父の存在にウォクライは内心で驚きを隠せないでいた。それを伝えている、という事は、それほど信頼に足る人物だという事だろうか。


「あの力は唯一無二の力だ。変な奴に悪用されないように見張る必要があるし、危険にだって巻き込まれるだろう。ユルンを保護し守る存在が必要になる。お前さん達はそのための組織なんだと思った。でも、その考えは妙にしっくりこない。引っかかったのが大司教であるラン=ディアの存在だ。あいつが絡んでるって事は教会もユルンの存在を承知してるって事だ。そう思った時、未来が視える者を守護するもう一つの組織がある事に気付いた」


 ちらりとこちらを振り返るウォクライを待ってから、一呼吸置いて師父は続ける。


「…他でもない、教会だ。現教皇にもユルンと同じく未来を視る能力がある。そしてその教皇は今、死の淵だ。今、中央教会では次期教皇を誰にするかで、大わらわだそうだな。…だが、本当はもう見つけたんじゃないのか?次期教皇を」

「…それが、ユルングル様だと?」


 言ってもう一度振り返ったウォクライの表情を見て、師父は一瞬目を見開いた後、得意げな顔に落胆を表わした。


「………あー…やっぱり違ったか。…あんたが神殿騎士だと判って少し期待したんだがなあ……。ダリウスのあの慇懃いんぎんな態度も神殿騎士だと思えば合点がいったんだが。………まあ、そうだな…あんな口の悪い教皇がいたら世も末だろうしな」


 それには内心で大いに____いや、わずかに同調したが、ウォクライは思うに留める。


「…残念でしたね。そもそも教皇になるための条件に未来が視える事は必須ではございません。現に歴代教皇さまの中で未来がお視えになるのは、ギーライル様だけです」


 くすくすと笑うウォクライに、師父は憮然とした表情を返す。


「おかげで持て余した暇を潰せたようですよ。後のことはユルングル様に直接お聞きください。あの方がお話してもいいと判断されれば、きっとすべてをお話なさるでしょう」

「……時間切れか」


 舌打ちと共に落としたその言葉にくすりと笑みを返して、ウォクライは軽く会釈をする。


「ダリウス様にお伺いを立てて参りますので、しばらくこちらでお待ち下さい」


 そのまま踵を返して家に向かうウォクライの背に、師父はぽつりと呟きを落とした。


「……ダリウス様、ね」


 やはりダリウスにも礼を尽くそうとする彼らの在りようを訝しく思いながら、師父は己の考察が無意味であったことにため息を落として、家に向かうウォクライの背を忌々しげに見つめていた。


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