ガーランド=シルフォード・二編
アレグレットは昨晩ガーランドに指示された通り、早朝から数人の騎士団員を編成して森に向かわせ、自身は門へと足を進ませていた。その道すがら、不承不承とピアーズ=ガーデンに背を向け意気消沈と執務室に戻った昨晩の事を思い出していた。
「……私はお伝えしようといたしましたよ?」
「……ああ、判ってる。冷静さを失って聞こうとしなかったのは俺の落ち度だ。…すまんな」
猪突猛進なところがある割に、自身の非に関しては素直に認めて謝罪するあたり、上司としては申し分ないとアレグレットは思う。
「…また扉が壊れましたかね?」
とりあえず心が落ち着くようにガーランドに紅茶を出して、アレグレットはちらりと扉を振り返る。
蝶番が役目を果たしていないのか、左側の扉は見て判るほど斜めに傾いていた。おかげで上手く閉まらないので、執務室の扉は開いたままだ。
「…建物が古いからな」
「……いえいえ、師父が___ガーランド様が手加減なさらないからでしょう?」
「……お前もこだわる奴だな。師父だろうがガーランドだろうが呼び名なんてどっちでもいいだろ」
「そういうわけにはいきませんよ。立場というものがあるんですから」
何でも大雑把なガーランドには、アレグレットのこういう四角四面な性格が時折、窮屈に感じて仕方がない。呆れたように大きくため息を落として、ガーランドは扉が閉まらないものかと奮闘しているアレグレットの背に声をかけた。
「……お前が見たというその咎人……本当に皇王陛下だと思うか?」
「…!……自分から話を振っておいて何ですが、確証はありませんし、正直、自信もありません。……ただ、皇王陛下かもしれない、と思うと妙に胸にすとんと落ちる感じで…」
「……もしその咎人が本当に皇王陛下であらせられたとしたら、どうなると思う?」
「どうもこうも、それが本当ならこのソールドールは謀反に加担したと取られるでしょう。それこそ騎士団総出でこのソールドールを取り囲みますよ」
言って、はたと気づく。
「まさか…!今こちらに向かっているという騎士団は皇王陛下を救出するために……?」
「それはないだろ。だったらなおさら牛歩の速度で行軍なんかするものか」
「それは……確かにそうですよね…?」
小首を傾げて、アレグレットは返答する。
どうにも、一つ一つの情報に繋がりがなさ過ぎて、どれが真実でどれが嘘なのかが判断できない。何か一つが腑に落ちても、他の情報が邪魔をしてどうしても確証が得られないのだ。突き詰めれば突き詰めるほど、矛盾が出て思考を塞ぐ。それは、ガーランドも同じだった。
(…一体何がどうなってる?まったく状況が把握できん…)
その苛立ちを表現するように、ガーランドの指が規則的に卓を叩く音を奏でている。
唯一、判っている事は、騎士団がソールドールに向かっている、という事だけだ。その目的を窺い知る事は出来ないが、この街が戦禍に巻き込まれるという事だけは確実だろう。
思った師父の脳裏に、ユルンの言葉がよみがえる。
_____(無関係ではいられないだろうな)
(…ああ、確かに無関係ではいられないな)
未来が視えるというあの青年が言っていた事がこの事ならば、確かに無関係ではいられない。だとすれば、彼らもこの一件に大きく関わっているという事だろうか。
ガーランドは大きくため息を吐くと、未だに小首を傾げたままのアレグレットを視界に入れた。
「…とにかく今は戦の準備だ。ここに向かっている騎士団とやり合う準備を整えておけ」
「…!やり合うおつもりですか…!?」
「当然まずは話し合いの場を設けるように交渉はする。だが、だからと言って相手が必ずそれに応じるわけじゃないだろうが」
「…それは、そうですが……」
「…まあ、あちらさんが本当にやり合う気なのかも疑わしいところだがな。…それともう一つ、あの最上階に捕らわれている咎人が本当に皇王陛下かどうか、何が何でも確認しろ」
「確認って……どうやって入るんです…!?先ほども御覧になったでしょう…!!あそこから入る事は出来ませんよ…!?」
「正攻法ばかりに捉われるな。どんな手段でもいいから______」
言いかけて何かに思い当たったのか、ガーランドの口と卓を叩く指がピタリと止まる。そうしてわずかに思案するような仕草を見せて、呟くように言葉を続けた。
「……いや、そっちは俺が何とかしよう」
「…!…何か、お心当たりがおありで?」
その問いかけに、ガーランドは今までの苛立ちを払拭するように、にやりと笑う。
「何でも知っている奴がいるからな」
やけに自信満々にそう告げたガーランドの顔を、一夜明けた今でもアレグレットは鮮明に覚えている。
基本的にガーランドは冗談を口にしないし、冗談を口にする人間を信頼したりもしない。あの闊達な人柄から勘違いされることも、ままあるが、人を揶揄する事はあっても冗談はどちらかというと嫌いな方だった。根本的に彼は根が真面目なのだ。だから彼は冗談を嫌うし、手を抜くという事ができない。何でも全力で事に当たるから、人からは豪快だ猪突猛進だと評される。ガーランドは事あるごとにアレグレットを四角四面な性格だと呆れ顔をするが、アレグレットに言わせれば彼ほど愚直で、だからこそ手に負えない人物はいないだろう、と常々思っている。
そんなガーランドが口にした事は、やはり冗談ではないはずだ。特にあれほどの自信を見せるという事は、彼なりに確かな根拠があるのだろう。
だが、それでも思う。何でも知っている人間など、本当にいるのだろうか。
(…何でも知っている人間なんていたら、それこそ世界がひっくり返るだろうな……)
きっと世界から罪を犯そうと思う人間などいなくなるだろう。どんな悪事の算段を付けたところで、筒抜けならば成就することはないのだから。そもそも本当にそんな人間がいたのなら、今回の謀反すら起こらなかったはずだ。だが起きたという事は、そんな人間など存在しない確固たる証拠になる。
それを思うと、ガーランドが柄にもなく信じてはいけない誰かを信じて騙されているような気がしてならなかった。
(……まさか、ね。あの師父がそう容易く騙されるなんて……)
苦笑を交えつつ内心でひとりごちる副団長の姿を見止めて、入街検査を行っていた門兵たちは慌てて威儀を正し敬礼する。あれこれ思案している間に、どうやら目的地に着いたらしい。アレグレットは必要ない意を示すように、軽く手を上げ動きを制した。
「…ああ、いい。気にするな、続けてくれ」
首肯して再び作業に戻る門兵たちを一瞥して、アレグレットはまだ早朝だというのにもう列をなしている入街検査待ちの行列に目をやる。何かを探しているのか目を細めるアレグレットを、訝しげに眺める門兵が声をかけた。
「…珍しいですね、副団長がわざわざこちらにいらっしゃるなんて。どなたかお探しですか?」
「ん……ああ、そうだな。…もしかしたら、もうここを通り過ぎたのかもしれないな」
少なくとも、今こうやって門から行列を見る限り、目当ての人物は見当たらない。
「どういう方です?」
「…やたら綺麗な顔をした黒髪の青年と、その彼を抱きかかえている長身の金髪の男を見かけなかったか?」
「いえ…見た覚えはありません。お話を聞く限り、ずいぶんと目立つ方々のようですので記憶に残るかと存じますが……いえ、お待ちください。抱きかかえている…という事はその方は病弱でいらっしゃるのですか?」
「心臓が悪くてかなり病弱だと聞いたが……思い当たる人物がいたのか?」
「いえ…実は昨晩、ガーランド様がお連れして来られた乗合馬車の乗客たちから『ユルン』という名の病弱な青年とそのお連れの方々がまだこちらにいらしていないとお聞きしまして…ガーランド様もいたく心配されておいででした。…それでわざわざ副団長がお迎えに?」
「……半分そうで、もう半分は個人的興味だ。あの師父がその病弱な黒髪の青年をいたく気に入ったらしくてな。…信じられるか?あの師父がその青年に対して『手荒に扱うな、丁重に扱え』と言ったのだぞ?」
それには入街検査を行っていた門兵たちも手を止め、目を白黒させてアレグレットを振り返る。
「こんな話を聞かされたら、どんな愚鈍な奴でも興味を惹かれるだろう?」
笑い含みにそう告げてこちらに視線を寄越すアレグレットを、門兵もまた同調を示すように笑って見返す。
「私も、その謎の人物に昨日から興味を惹かれて仕方がなかったのです。…それほど病弱なのであれば、この列に並ぶのはさぞお辛いでしょう。どうです?丁重に扱え、とのことですし、私と共に彼の人物を探してみるというのは」
**
「……ユルンちゃん、全然起きないけどさ。本当に大丈夫なわけ?」
もう六度目となるミシュレイの問いかけに一同は苦笑を漏らし、ラン=ディアだけが渋面を取った。
「……しつこい」
「だって、こうやって騒いでても起きないんだぞ…!!おかしいだろ、普通…!?こんなに痩せてんのに朝飯だって食ってねえし!!それで体がもつのかよっ、ラン=ディアの旦那!!!」
「もう何度も説明しただろう…!ユルン様は薬用酒を飲まれた!当分はお目覚めになられない…!何度説明すれば理解できるんだ、お前の頭は!!?亅
ユルングルが薬用酒を飲んだのは、まだ夜が明けきらぬ頃。夜中に一度目が覚めてダリウスとひとしきり会話をした後、すぐさままた眠りに落ちたユルングルは明け方前に再び目を覚ました。問えば、体の痛みで目が覚めたと答えたので褥瘡かと問うたところ、どうやら違うようでユルングルは頭を振った。
腕が鉛のように重く、わずかでも動かそうものなら肩や腕の筋肉が悲鳴を上げるように突き刺す痛みが来るという。同様に胸筋と脇のすぐ下にある前鋸筋、そのさらに下の腹斜筋までもが悲鳴を上げて仕方がない、と言ったユルングルに、ダリウスは苦笑を落とすしかなかった。
つまりは、筋肉痛である。
もうひと月以上、寝たきりなのだ。つい最近まで自分で食事を摂る事さえ難しかった。それほど弱り切った体で強弓など扱えば、それはそれはひどい筋肉痛が体を襲うであろう事は目に見えていたはずだ。おまけにわずかばかり回復した体力まで使い果たしたので、元の木阿弥になった。なのに筋肉痛でゆっくり眠る事も出来ない。困り果てたダリウスはラン=ディアを起こして相談し、結局最後の薬用酒を飲ませる経緯に至ったのだ。
森で朝を迎えて皆が起きる中、なかなか目覚めないユルングルを訝しげに思ったミシュレイにも当然そう説明をした。だが、当分は目覚めないと教えたにもかかわらず、ミシュレイは森を出た後も、そして今こうやって入街検査を待つ列に並んでいても、やはり目覚めないユルングルが心配でたまらないようだった。
ダリウスはその心情が痛いほど判って、渋面を取るラン=ディアを宥めるように声をかける。
「…ラン=ディア様、ミシュレイ様もユルンを心配しているだけですので……」
「…存じ上げておりますよ。…まったく、貴方以上に心配性な人間を初めて見ましたよ…!」
呆れてものも言えない、と言った風のラン=ディアの言葉にどう返したらいいものかと返答に窮して、ダリウスは苦笑を落とすに留める。代わりにミシュレイに向き直って、声をかけた。
「ミシュレイ様。ユルンは今、体力を回復させるために深く眠っておられるのです。夕方頃にはお目覚めになるでしょうから、どうかご心配なさらず」
「………そんなに、体力がねえの?」
「…残念ながら」
困ったように微笑みながら返答するダリウスに、ミシュレイはバツが悪そうに息を漏らす。一番心配しているのは兄であるダリウスだろうし、何より体力を回復するための眠りだと聞かされれば、もう何も言えない。
不承不承と納得したふりを見せるミシュレイに小さく微笑みを返した後、ダリウスは話題を変えようと、城門まで並ぶ行列を視界に入れた。
「…それにしても、まだ早朝だというのにずいぶん大勢の方が並ぶのですね」
見たところ、傭兵希望の者と商人らしき者が半々といった感じだろうか。それにはミシュレイが得心したように返答する。
「…ああ!ソールドールはさ、商人の街だから」
「…商人の街、ですか?」
「商いが盛んって意味じゃなくてさ、ソールドールの東にサザネの港があるだろ?皇都の西にある一番大きなフィーネの港とは違って、こっちは商人がよく利用するんだけど、他国に買い付けに行く商人や、逆に帰国した商人が必ずソールドールに立ち寄るんだよ。この辺りは街がねえから、ここで一泊して準備を整えるんだ」
商人たちがフィーネの港よりサザネの港を優先させるのは、この辺り一帯が冬の厳しいフェリシアーナ皇国の中で一番暖かいからだ。冬になればこのフェリシアーナ皇国は雪に閉ざされ、交通が途絶える。当然船は動くが、下船したところで皇国の中はどこもかしこも雪が積もって、馬車はおろか馬さえ歩けない。雪を掻いても、掻いたそばから積もるので、ほとんど意味を為さなかった。
だが、フェリシアーナ皇国の一番南に位置するソールドール周辺は事情が違った。雪は積もるが、そもそも量が違う。雪を掻けば馬車が動く程度には交通が回復する。街から街に移ろって商いをする者たちにとっては、それが非常に有り難かった。当然、皇都周辺などに行く事は出来なかったが、それでも冬の間、南に位置する街々で商いが出来る。金に困っていない商人などは冬に商売はしないと決め込んで冬ごもりをする者たちもいるが、ほとんどの者が商いをしないと冬を越せない。だからこそ、そんな商人たちの間では、サザネの港が重宝された。
「特に今は冬前だろ?普段はこれほど商人の姿はねえんだけど、冬が来ると移動が厳しくなるから、今のうちに南に移動してくるんだよ」
加えて未だに傭兵希望の者が後を絶たない。おかげでいつも朝早くから列をなすものだから、街に入るだけでも一苦労だ、とミシュレイは呆れたように愚痴をこぼした。
それに、なるほど、と小さく呟いて、再び城門まで至る列に視線を向けたダリウスの視界に、騎士団員らしき男と門兵らしき男の姿が入る。その騎士団員らしき男とふと目が合うと、門兵らしき男と何やら会話を交わし、嬉々とした様子でこちらに歩み寄って来た。
「ユルン殿とそのご一行でいらっしゃいますか?」
訊いてきたのは、門兵らしき男だ。自然と警戒し、抱きかかえているユルングルを隠すように身構えるダリウスと、同じくダリウスと彼らの間に割って入るアレインを見止めて、門兵は狼狽したように手を振った。
「警戒なさらないでください…!我々はガーランド様のご指示でお迎えに上がっただけですので…!」
「…?ガーランド……?」
聞き覚えのない名に眉根を寄せるダリウスに、門兵の後ろにいた騎士団員らしき男が答える。
「師父、と申し上げればお判りいただけますか?」
「…!?」
「師父から貴方がたには入街検査は必要ない、とご指示を受けております。そして弟君がとても病弱である、という事も。…そのお体で、この時期に列にお並びになるのは大変なご負担になるでしょう。どうぞこちらへ」
促すように、指を揃えた手のひらで先を指し示すその騎士団員に、ダリウス達は逡巡するように互いに顔を見合わせる。そんな彼らを尻目に、ただ一人ミシュレイだけが躊躇いもなく歩みを進めた。
「…?何してんの?アレグレットがいいって言ってんだから行こうぜ」
「…!…お知合いですか?ミシュレイ様」
目を瞬いて訊ねたダリウスの言葉は、だが不快を大いに表した、アレグレットと呼ばれた騎士団員の言葉にかき消されることになる。
「……待て、ミシュレイ。私はお前まで招いた覚えはないぞ?」
「だって俺もユルンちゃんご一行だもん」
「嘘を吐くなっ!嘘をっ!!」
「嘘じゃねえよっっ!!お前たちと一緒にするなっっ!!」
「私がいつお前に嘘を吐いたっ!!?」
先ほどの礼節正しい姿とは一転して、まるで子供のようにむきになってミシュレイと応酬を繰り返す二人の間に、ダリウスは困惑した様子で割って入る。
「……お二人共、とりあえず一旦落ち着きましょう。ミシュレイ様も少し落ち着いて。…よろしいですね?」
諭すように言われて、ミシュレイは不承不承と口を噤む。ラン=ディアならまだしも、このダリウスに止められては、聞かないわけにはいかない。力づくで止められようものなら自分では太刀打ちできないのだ。ミシュレイの中ではもうすでに力関係が出来上がっている。
不本意ながらも押し黙るミシュレイを見止めて、ダリウスは次にアレグレットに顔を向けた。
「……アレグレット様、とお呼びしても?」
「…!……ええ、はい」
訊ねてくるダリウスに、アレグレットは軽く狼狽して首肯する。
「アレグレット様、不本意なお願いかと存じますが、どうかミシュレイ様が我々と共に来ることをお許し願えませんか?彼にはご恩があるのです」
何ひとつ悪くもないのに、ひどく申し訳なさそうにそう告げられて、アレグレットはバツが悪そうにため息を吐いた。非礼を働いたのは自分なのに、こうも謙虚にお願いをされては承諾しないわけにはいかない。何やら罪悪感でひどく胸が疼いたアレグレットは、一度睨めつけるようにミシュレイを一瞥した後、仕切り直すようにダリウスに向き直って深々と頭を垂れた。
「…お見苦しいところをお見せしてしまい、大変失礼をいたしました。心から謝罪いたします亅
言って、アレグレットはもう一度ミシュレイに不快気な視線を向ける。それはいかにも本意ではない、と言いたげな視線だった。
「……今回だけだからな、ミシュレイ」
念を押すアレグレットに、ミシュレイは鼻を鳴らして答える。そんなミシュレイを不満そうにもう一度睨めつけてから、アレグレットは改めて一行を促し城門へと足を進ませた。アレグレットを先頭に城門をくぐって入街検査を行う門兵たちの横をすり抜けた後、アレグレットは一行を振り返り、胸に手を当てもう一度深々と頭を垂れる。
「ご挨拶が遅れてしまい、大変申し訳ございません。私はソールドール騎士団副団長のアレグレット=ヴァーンズと申します。以後、お見知りおきを」
それを皮切りに、ダリウスたちも簡単な挨拶を済ませる。やはり茶々を入れようとするミシュレイの脇腹にラン=ディアが肘打ちを食らわしたところで、アレグレットはダリウスの腕の中で毛布に包まれて眠る黒髪の青年を視界に留めた。
(……師父がおっしゃった通り、ずいぶん綺麗なお顔をされているな)
眠っていても判る。はっきりとした目鼻立ちに斜め上に伸びた眉、まるで彫刻を思わす整った容姿をさらに際立たせているのは、病弱なまでに青白いその素肌だろうか。毛布から覗く痩せ細った首元と肩の厚みが薄いその体躯が彼の存在をさらに儚げに見せて、より一層、綺麗に見える気になる。自分も優男だとよく言われるが、彼と並び立ったならきっとかすんで見える事だろう。
(……本当にこの方が、あの強弓を……?)
彼を抱えているダリウスという男なら、まだ辛うじて、あり得てもおかしくはない、と何とか自分を納得させられる。彼の髪色は輝かんばかりの金色だ。一見すると筋骨隆々というわけではないが、自分と同じで着痩せするのかもしれないし、自分のさらに上を行く純然たる高魔力者なのだから、可能性としてはなくはない。
そうやって色々と理由を付ければ納得できそうだが、黒髪の青年には何一つ納得できる材料が見当たらなかった。むしろ彼を見れば見るほどガーランドの言葉が嘘に思えて、アレグレットは自然と眉根にしわを寄せた。
そのアレグレットの険しい表情に、ダリウスは訝しげな顔を覗かせる。
「……あの、弟が何か?」
たまらず問いかけたダリウスの声に我に返って、アレグレットは慌てて頭を振った。
「ああ…!いえ…申し訳ございません…!無作法をいたしました…!……実は、ガーランド様から弟君があの強弓を見事に扱ったのだとお聞きいたしまして……失礼ですが、彼の細腕ではずいぶん難儀したのではないかと……」
「…ああ、はい、そのようです。おかげで今朝方から、ひどい筋肉痛に悩まされて眠れないのだと困り果てておりました」
困惑気味な顔をしながら笑い含みにそう返答されて、アレグレットと門兵は目を白黒させる。
「…………………筋肉痛……だけですか?」
「…?…はい」
「化物弓だと文句をおしゃっておられましたがね。下手をすれば骨が折れておりました。…まったく、こんなお体になっても無茶をお止めにならないので、気が休まりませんよ」
「……申し訳ございません、ラン=ディア様」
「貴方が謝罪なさってどうするのです。少しユルン様を甘やかし過ぎですよ」
何やらダリウスに対する説教に移行しそうな彼らのやり取りに、アレグレットはただ呆けて「はあ…」と気のない返事を返す。どうやら話を整理するにガーランドが言ったことは間違いがないようだが、何より驚くべきことは、この痩せ細った病弱な青年が強弓を扱う事を、彼らはさも当然だと思っている事だろうか。
(…彼らにとっては当たり前の事なのか)
それを思うと、なおさら黒髪の青年に興味が惹かれて仕方がない。
(……ユルン殿が眠っておられるのが、非情に残念だな)
できれば言葉を交わしたかった、と小さく笑みを落として、アレグレットは改めてダリウス達に向き直った。
「…ガーランド様から最大限の便宜を図れと命じられております。宿がまだお決まりでなければ、こちらでご用意いたしますが?」
「…いえ、こちらに兄がおりますのでお気遣いは無用です」
「…!…兄君が、ですか?…では、そちらまでお送りいたしましょう。初めての街では勝手が判らぬでしょうから」
「…助かります。では、低魔力者たちの集落の傍に居を構えている、キリア=ウォクライという____」
「…!?ウォクライの旦那…っ!!!?」
ウォクライの名を出した途端、目を見開いたアレグレット以上に反応を示したのが、つまらなさそうにずっと口を噤んでいたミシュレイだった。
「兄貴って……え…!?じゃあ、病弱な末の弟ってユルンちゃんの事……っ!!?」
ウォクライから何度も聞かされた、心臓を患ったという末の弟。ひと月ほど前には昏睡状態に陥って、数日前に心臓の手術を行ってすぐに皇都を発ったと聞いていたのに、今の今までユルングルと結びつかなかったのは、きっとウォクライから聞かされた人物像と印象が異なるからだろうか。
(…何が『警戒心は強いが話せば気さくで、よく気のつく優しい子』だよ)
いや、優しくないとも気さくではないとも言わないが、ミシュレイの中では奴隷商人に向けた殺気を放つユルングルの姿が、かなり印象深い。潜むように殺気を押し殺して獲物が来るのを待ち構えるさまは、まさに野生の獣のそれだろうか。
ウォクライから末の弟の話をされてミシュレイの頭の中で作り上げられた人物像は、『口が悪く少し気難しいけれど、病弱で弱々しく優しい弟』だった。だがそもそも、ミシュレイの中のユルングルの印象に、『弱々しい』という言葉はない。彼は例えるなら、野生の獣そのものだ。野生の獣に弱さなど存在しない。弱さを見せれば死に直結する彼らは、決して己の弱さを見せたりはしないのだ。確かにユルングルのその外見は、病弱で弱々しいの一言に尽きるのだろう。だが、それはあくまで表面上の印象だ。彼のその内面は、野生の獣のような何者にも屈しない孤高の強さがある、とミシュレイは思う。彼を形容するのに『弱々しい』は決して相応しくはないだろう。
(…もっと正確に伝えろよな、ウォクライの旦那)
これだけ印象が違えば、例え類似点があっても彼と結びつくのは至難の業だろうか。
憮然とため息を吐くミシュレイを訝しげに見つめて、ダリウスは声をかける。
「…ミシュレイ様、兄をご存知なのですか?」
「知ってるも何も俺の隣に住んでるし、散々世話になったし……………………ってか、全っっっっ然、似てなくね?」
あの無骨な外見のウォクライと、この繊細そうなユルングルが同じ血を継いでいるとは到底思えない。そもそも年齢があまりに離れすぎている。弟というよりも、まだ息子と言ったほうが座りがいいだろうか。どちらにせよ、似ていないものは似ていないが。
ダリウスはミシュレイの的を射た言葉に苦笑を漏らして、取り繕うように言い添える。
「……血は繋がっておりませんので」
その返答に何やら得心したのか、ふーん、と声を漏らしてユルングルを一瞥すると、踵を返してそのまま他の者を置いて一人足を進ませた。
「…?ミシュレイ様…?ご一緒に行かれるのではないのですか?」
「ウォクライの旦那の家に行くんだろ?だったら先に行って待ってるよ。アレグレットと肩並べて歩きたくねえし」
ひらひらと手を振って、振り返ることなくミシュレイは足早にその場を立ち去っていく。
その嫌にとげとげしい言葉に渋面を取るアレグレットと、立ち去るミシュレイの背を互替わりに見つめながら、ダリウスは二人の間に確執めいたものを感じて困惑したため息を落とした。




