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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第四部 星火燎原(せいかりょうげん)

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星火燎原

 デリックは、ここが夢の中だという事を自覚していた。それは、ここに来るのが今回で三度目のおとないだったからだ。


 すでに見慣れた景色を、デリックは一望する。

 見渡す限りの色とりどりの花____。様々な色の、様々な種類の花が、まるで絨毯のように敷き詰められている。空は青く晴れ渡り、それを遮る雲は一つもない。風が吹けば色とりどりの花弁が青一色の空に目が覚めるような鮮やかさを添えた。


 普通ならこれを綺麗と言うのだろう。筆舌に尽くしがたい光景だと感動に震える者もいるのかもしれない。だがデリックにはそもそも、それらを愛でる心がなかった。


 花は、ただの花だ。空が青い事に、何を思う事がある。色鮮やかな光景はただ目に痛いだけ。これを有難がる者の気が知れない。花も、空も、色鮮やかな光景も、ただそこにあるだけだ。物と同じ、違いが判らない。


 そもそも自分には心というものが欠落しているのだろう。父は、心を育てるという事をしてはくれなかった。愛情をかけるよりも、常にその成績だけに重きを置いた。『無能は死ね』と何度言われただろうか。


 生まれた子供の髪色が、中魔力者程度の魔力しか有していないと判る髪色だった事に、父は目に見えて落胆した。落胆して、父である事を放棄した。以来、少しでも能力が劣っていると判断すると、父は容赦なく暴力を振るった。それはまだ何もできない赤ん坊の頃から始まり、幼少の頃には暴力から逃れるように必死に勉学に励んで、十になる頃には痛いと思う心を手放した。母はそんな自分を忌み嫌って、さっさと領地に引っ込んだ。それ以来一度も会っていないし、何年か前に死んだと報告を受けたような気もするが、よく覚えてはいない。そもそも父の暴力を容認していたのだから、母とは名ばかりの見知らぬ赤の他人だ。そんな女の生死など、正直どうでもいい。


 そんな心に、一体何が芽吹くと言うのだろう。

 感動とは何だ?笑うというのはどうすればいい?人を愛する?慈悲を与える?馬鹿馬鹿しい。自分が与えられてもいないものを、なぜ自分が施さなければならない。


 _____デリックの世界にあるのは、常に黒一色だった。何もかもが色褪せ、どんなものも次第に黒に染まっていく。他の色など知らないし、知りたいとすら思わなかった。


 そんな黒一色の世界に初めて色が登場したのは、デリックが十三になったばかりの頃だった。


「デリックの髪は太陽に当たると金に輝くのだな。私と同じだ」


 初めて顔を合わせた金の髪を持つ四つ下の従兄弟は、屈託なく笑いながら、父があれほど嫌った自分の髪色を褒めた。以降、黒一色だったデリックの世界に、彼は様々な色を落とす事になる。


 皇太子シーファス=フェリシアーナ____彼は、齢九つでありながら歴代のどの皇王よりも切れ者で才能に満ち溢れていると言われていた。どれほど凄い人物なのかと尻込みしたが、出会った彼は年相応にころころと表情の変わる、とても愛嬌のある少年だった。


 愛想がなく、表情も乏しい自分とは対極にあたる存在____大人たちからさえ不気味だと言われたデリックに、シーファスは特に気にする事もなく普通に接した。デリックとの他愛のない会話を楽しみ、普段から彼をよく連れ回して、大人たちに悪戯をしては逃げ回るような決して褒められたものではない遊びにまで彼を付き合わせた。そうやってお腹を抱えて笑い転げる彼からは、鮮やかなほど様々な色が満ち溢れていた事を今でもよく覚えている。


(……こんな作り物の世界よりも、もっと鮮やかで綺麗だった)


 以来、あれほど無感動だったデリックの心は、シーファスの事にだけ強く揺れ動くようになる。

 『感情』というものも、シーファスを見て覚えた。どういう時に、どういう表情を取るのが一番適しているのか、それらすべてを表情豊かなシーファスを見て学んだ。


 正直、笑うという事がどういう事か今でもよく判ってはいない。自分が学んだものは表面上のものだ。それでもシーファスといると、自然とその表情に笑みをたたえている事があった。これが『笑う』という事なのだろう、と漠然と思っている。


 デリックが魔力至上主義に傾倒したのも、シーファスが高魔力者だったからだ。彼を慕い、心酔する理由をそこに求めた。おそらくシーファスが低魔力者であれば、デリックは魔力至上主義者を敵視する側に立っていただろう。デリックにとって何よりも大事なのは、魔力の有無ではない。シーファスがどちら側の人間であるかだけだ。シーファスと同じ存在を養護し、違う存在を敵視した。


 あれほど忌み嫌った自分の髪も、シーファスに褒められて以来、数少ない誇れるものの一つになっている。シーファスを守ってついた腹部の傷跡も同様だ。年を取るにつれ、自分を象るすべてのものがシーファスに由来するものに変わっていった。


 デリックにとって、シーファスこそが全てだった。


 そんなデリックに女は、シーファスを手に入れなさい、と囁いた。心を手に入れられないのなら別のものを手に入れればいい、と言った女に、デリックは迷わずシーファスの命を選んだ。


 それが、デリックと聖女の初めての邂逅だった。


 デリックは空々しい花園を見渡しながら歩を進める。少し歩いたその先に微笑みを浮かべる聖女を見つけて、デリックは足先をそちらの方に向けた。


「…話が違うぞ、聖女よ。ことごとく邪魔が入る。助力をしてくれる話ではなかったのか?」

「…私は貴方がたの世界に深く干渉する事は出来ません。あくまで助力をするだけ、それも私が直接手を出す事は出来ない。私が出来るのは助言をする事、それだけです」

「…ふん、頼りにならないのだな。聖女とは名ばかりか」


 鼻を鳴らして不遜な物言いのデリックに対しても、聖女は微笑みを崩さない。デリックはこの貼り付けたような聖女の微笑みが好きではなかった。まるで自分を見ているようで、虫唾が走るのだ。心は何一つ笑ってなどいないのに、仮面をつけたように事務的に『笑む』という行為を行っている。心の伴っていないその行為が、癪に障って仕方がない。そして自分もまた同じように、周囲の人間にそう思われていたのかと思うと、なおさら腹立たしかった。


 デリックはその苛立ちから逃れるように、聖女に向けていた視線をふいと背ける。

 初めて聖女を見た時も、底気味の悪い女だと思った。なのになぜか、この女が聖女だと判った。彼女は何一つ名乗ってはいないのに、彼女を呼ぶ時、自然と『聖女』と口が動いた。以降ずっと聖女と呼んでいるが、彼女は一度も否定も肯定もしないので、デリックの中では彼女はもう聖女なのだと確信している。


「…それで?また私をこの花園に呼んだという事は、その助言とやらを与えてくれるのだろうな?」


 デリックのその小馬鹿にしたような物言いにすら、聖女は変わらず微笑みを返した。


「貴方の邪魔をしているのは、第一皇子です。彼は教皇と同じく未来が視えています。貴方の思惑も行動も、すべて彼に筒抜けだと思ってください」

「…!!?…第一皇子が…未来を…っ!!?………くそ…忌々しい…っ!!低魔力者の分際で一体どれだけ私の邪魔をする気だ!!さっさと死ねばいいものを……っっ!!!!」


 デリックの中で怒りが沸々と沸き起こる。体裁を顧みず怒声を上げ、歯を食いしばり、握った拳が怒りで震えるのを自覚した。


 何度殺そうと画策しても、しぶとく生き残ってきた第一皇子。低魔力者であるという事実ですら腹立たしいのに、彼の暗殺に失敗した事で、現状自分がこれだけ四苦八苦しているのかと思うと、憎らしくて仕方がない。


「………死ねばいいのだ、第一皇子など……。低魔力者に生きている価値などない。……そうだ、まずは第一皇子を殺して____」

「いけません」


 聖女がいるという事も忘れて独白を落とすように一人呟くデリックを遮って、聖女はぴしゃりと言い放つ。


「…!?……なぜだ…!?第一皇子がいるから上手く事が進まないのだろう…!?ならば先に奴を片付けないと、いつまでも邪魔が入るのだぞ…!!」

「彼を殺そうとしてはいけません。第一皇子はまだ死ぬ運命にない。それを覆す事は出来ません。無理に彼の命を狙えば、因果律いんがりつが邪魔をしてなおさら上手く事が進まないでしょう」

「……因果律…?」

「人の運命は生まれた時すでに決まっています。因果律は、その運命が捻じ曲げられないように見張る時の監視者です。それを変えられるのは、黒獅子だけ」

「……?……一体、何の話をしている……?」

「貴方が理解する必要はありません。最初に助言をしたはずです。第一皇子の命は狙わない、それが絶対条件だと」


 怪訝そうに眉根を寄せるデリックに、聖女は初めて微笑みの仮面を脱ぎ捨てて、冷ややかな視線を向ける。納得がいかず食って掛かろうと開いた口は、その冷ややかな視線に押されて思わず閉口した。


「…確かに第一皇子の存在は厄介です。ですが殺さずとも、彼を黙らせることはできる。彼の体は今、とても弱っています。彼の代わりに他の者が手足となって動いている。ならば彼を孤立させればいいだけのこと。…第一皇子を他の者から引き離しなさい。彼を一人にしてしまえば、無力化することが出来るでしょう」

「…!……なるほど……孤立か……!」

「…安心なさい。貴方が欲する皇王シーファスの命はすでに貴方の手の内にある。彼の死は、すでに確定しています。何も恐れる必要はありません。貴方はただ、事を大きくして戦火を広げるだけでいい。この戦火が広がれば広がるほど、貴方の望みは必ず叶うのです」


 そうして恍惚とした瞳で異様なほど陶酔しきった微笑みをたたえる聖女の姿が、デリックに再び冷静さを取り戻させた。


(…この女は、一体何を企んでいる……?)


 『聖女』と呼びながら、彼女が真の聖女ではない事をデリックは知っている。聖女は万物に慈悲を与える存在なはずだ。だが今目の前にいる女は、聖女とは思えぬ残酷な言葉も平気で口にした。


 初めて聖女と相まみえた時、彼女はデリックの願いを叶える代わりに、自分の望みを叶えろと言った。


 聖女の望みは____戦火を広げて、より多くの命を奪う事。


 契約を交わすなら手を取れと言われて、デリックは迷わずその手を取った。その時自分が契約を交わしたのは、聖女などではなく、まごうことなき悪魔なのだろうと理解している。それでも手を取ったのは、シーファス以外の命など虫けらも同然だからだ。そんなものでシーファスの命が手に入るのなら、いくらでも捧げる。聖女の思惑など関係ない。向こうがこちらを利用するのなら、こちらもただそれを幸運と思って利用するだけだ。


 デリックは未だ恍惚とした表情を取る聖女に、念を押すように告げる。


「…約束だぞ。戦火は広げる。その代りにシーファス様のお命は私が頂く。契約を決して反故にはするな」


 強く見据えるデリックの視線に、聖女は再び能面のような微笑みを作って、ただ静かに頷くだけだった。




(………愚かな男)


 デリックが去って一人花園に残された聖女は、まるで滑稽なものを見るかのように、冷たい瞳を歪ませている。

 その瞳には何も映してはいない。花も、空も、自身が作り上げたこの異様に美しい世界ですら映してはいなかった。映っているのは、愛しい世界を蹂躙していく、滑稽なほどに愚かしい人間だけだ。


(……そう、人間は愚かだ)


 どれほど高潔な人間でも、いとも容易く信念が揺らぐ。心のどこかで常に疑心を抱き、妬み嫉みを捨てられない。どれだけ満ち足りていても決して満足できず、不満を抱き、他者に恨みを抱かずにはいられない、そんな愚かな生き物。それゆえに、弱い。少し耳元で囁やけば、容易く籠絡ろうらくできるのだ。それは時に欲望であったり、嫉妬であったり、恨みであったり、あるいは、愛情であったり_____。


 デリックも同様に、愚かな人間の一人だった。彼は、己の中に未だシーファスへの敬愛の念がある事を知らない。

 誰にも愛された事のない男は、それ故に愛し方も、そして己の中に愛情という心がある事すら判ってはいないのだ。

 彼は愛し方を間違えた。それに気づくのは、彼がシーファスの命を奪った瞬間。自分がその手で奪ったものが決して奪ってはいけない唯一無二の存在であったと判った時、あの男の心はきっと脆くも崩れ落ちるのだろう。壊れて闇に落ち、狂って多くの者の命を奪い、最後に自害するのだ。


 そして最愛の父を殺されたユーリシアもまた、闇に落ちる。

 あの皇太子は、心が弱い。再び耳元で囁けば、容易く籠絡できるだろう。以前は第一皇子に対する嫉妬を利用した。今度は憎しみと怒りを利用しようか。傀儡として使い、無辜むこの民を手にかければ、あの皇太子の心はさらに闇に落ちるだろう。そうして最後は、彼の身の内にある原始の魔力を奪って死を与えればいい。


 では、第一皇子はどうだろうか。

 まだ己が獅子であると自覚していなかった頃、彼の夢に花園を繋げて囁いてみた。


 ____貴方の復讐を手伝ってあげましょう。


 彼の心は、両親と弟に対する憎しみでいっぱいだった。にもかかわらず、第一皇子は誘惑に決してなびかなかった。


 彼はおそろしく意志が強い。自分に対する絶対的な自信があるからか。彼は決して選択を誰かに委ねない。自分の目で見て、自分の耳で聞いた事しか信じなかった。目の前に現れた聖女の是非を見極めようと、心の奥底まで見透かすような視線で精査していた彼の姿を、今でも覚えている。


 彼は決して疑心を抱かないだろう。彼を欺くことは不可能に近い。籠絡する事はできないと思った方がいい。物事の本質だけを捉える事の出来る目に加えて、彼には未来でさえ見通すことが出来る。


(……本当に、厄介な存在…)


 因果律がなければ、デリックと同じように真っ先に彼を葬りたかった。

 だがそれは出来ない。因果律を超えられるのは黒獅子である第一皇子だけ。聖女であってもそれは超えてはならない禁忌だ。


 唯一の弱点は、体がひどく弱い事だろうか。あの屈強な皇太子の兄弟だけあってその体自体は強いが、瘴気から庇護してくれる魔力が極端に少ないおかげで、年々瘴気に冒されている。特に今は動く事さえままならない。彼の周囲で手を貸している者たちを引き剥がせば、もっと言えば幽閉してもいい。彼を孤立さえしてしまえば、どれだけ先が見えても何もできなくなる。


(……いえ、彼を幽閉するのは危険だろうか。体があまりにも弱すぎる。幽閉がきっかけで彼の命が脅かされれば、因果律は彼を捕らえておく事すら容認しないだろう)


 本当に厄介な存在。その弱い体でさえ、邪魔でしかない。


 それでも、戦火は刻一刻と広がっている。一人、また一人と無辜むこの民が死んでいくのだ。戦火がもっと広がれば、より多くの者の命が散っていくだろう。そうして彼らの魔力は、この愛しい世界に還っていく。そうやって、この愛おしいほど美しい世界を救うのだ。


 聖女の恍惚な瞳に映るのは、愚かな人間が起こした戦乱の火種によって、無様に死んでいく滑稽な人間たちの姿。その星火燎原せいかりょうげんを、聖女は心待ちにしている。


 だが、聖女は知らない。

 その行いが、他ならぬ世界の意志に反している事に。

 人間が死に絶えれば、世界もまた死に絶える事に____。


 愚かしい自分に気づくこともなく、聖女はただ恍惚とした笑みをたたえていた。


**


 皇王の訃報がソールドールに届いたのは、皇都で弔いの鐘が鳴った四日後の事だった。


「皇王陛下が亡くなられた…!?一体どういうことなのです…!?」


 領主であるベドリー=カーボンの執務室で、ウォクライの声が響く。

 その日、突然領主から呼び出しがあって、執務室に入った途端、開口一番に皇王の訃報を聞かされたのだ。


「うるさいな…声を上げるな、耳が痛い」

「いつの事なのですか…!?」


 煙たがる領主を尻目に、ウォクライは構わず再び声を上げる。それに嫌悪を示すように、領主は右耳だけを指で塞いで、ことさら面倒くさそうに返答した。


「…四日前だ。皇太子が謀反を起こしたらしい」

「…!?皇太子殿下が…!?あり得ません…!!あの方がそのような事…!!」

「…何だ?皇太子と面識でもあるような言いようだな?」

「…あの方が清廉潔白で正義感のお強い方だという事は周知の事実です。殿下の為人ひととなりはカーボン閣下もご承知でしょう」


 そう取り繕った返答に得心したのか、領主はわずかに眉根を寄せた顔を元に戻して鼻を鳴らす。


「……ふん、お前のような奴が一国の皇太子と面識があるはずはないか。…以前にも言っただろう。皇都できな臭い噂が絶えんと。謀反が起きるやもと警戒していたが、私の推測は当たっていたらしい」


 嫌に得意げで優越感に浸るような視線を向けながら、領主は言う。


「…その皇太子が、このソールドールに向かっているらしい」

「…!?ここに…ですか?」

「実を言うとな、傭兵をいつもよりも多く雇うように指示をしたのは皇太子なのだ。なぜだろうと怪訝に思ってはいたが…どうやら謀反を行うための私兵にするつもりだったようだな。いち早く察した私は皇太子に傭兵は渡せないと拒んだのだが、それがどうも彼の逆鱗に触れたようだ。騎士を伴ってこのソールドールを攻めると宣言してきた。…まったく、清廉潔白とはよく言ったものだ。父王をしいしただけでは飽き足らず、脅迫まがいの事まで平気でやるとは…一国の皇太子とは思えん」


 小馬鹿にするように、そしてひと際呆れたように肩をすくめる領主の言葉に、ウォクライは内心で怒りを感じながらも何とかこらえてただ押し黙った。それでも表出した怒りに、握った拳がわずかに震えている。


(…よくもそんな根も葉もない事を……っ)


 皇太子に謀反を起こす理由がない事を知っている。ましてや敬愛している皇王を弑するなどあり得なかった。領主の言葉はすべてが嘘で塗り固められている。それは判っているのに、異を唱える立場にない事がことさら忌々しい。

 それは、相手が領主だからという意味ではない。ここに寄越したユルングルが、こうなることをすべて見通していたと判ったからだ。


(……ユルングル様はすべてを見通された上で、私をここに向かわせたのか)


 だから、自分だったのだ。

 あの中で一隊を率いて指揮した経験のある者は自分しかいない。自分だけが、この任務を遂行できると彼は判断したのだ。


 ユルングルは言った。できれば領主の信頼を得よ、と。その言葉通り、今自分は領主の執務室に入る事のできる立場にあるし、傭兵たちを指揮する立場にもある。これは絶対的に必要なものだ。失うわけにはいかない。


(…いくら鈍い私でも判る。ユルングル様はこちらに向かっているという騎士たちと傭兵たちの戦いを阻止なさろうとしておられるのだ)


 その推測を裏付けるかのように、領主は思った通りの言葉を吐く。


「そこで、だ。お前には傭兵たちを率いて、皇太子率いる騎士たちを討伐して欲しい。魔獣を相手にするよりも簡単だろう?」

「…お言葉ですが、騎士たちは訓練を受けた手練ればかりです。その上、あの皇太子殿下が率いておられるともなれば、彼ら傭兵たちだけでは手に余るでしょう。…可能であれば、閣下直属の騎士団を借り受ける事は____」

「ならんっっ!!!!!!それだけは絶対にダメだ……っっ!!!!あいつらがいなくなれば一体誰が私を守るのだっ!!!!!」


 ウォクライの提案に慌てて立ち上がって、領主は人目もはばからず卓を手のひらで打ちつけながら怒声を上げる。その姿に心底呆れかえって、ウォクライは盛大にため息を落とした。


「…貴方は領主なのでしょう。ご自分の身の安全よりも守らなければならないものがあるのではありませんか?」

「うるさいうるさいうるさいっ!!!あの男と同じことを言うなっ!!!せっかくあの男を外に追い出したのに、これでは意味がないではないか…っ!!!」

「……?あの男…?一体どなたの事をおっしゃっているのです?」

「…!」


 怪訝そうに訊ねたウォクライのその言葉で、怒りに任せて失言をした事に気付いたのだろう。我に返って領主は慌てて口を噤む。取り繕うように咳払いする姿は、いかにもバツが悪そうだった。


(…この馬鹿な領主をいさめる方が、以前はおられたという事か……)


 おそらくその人物が実質的にこのソールドールを取りまとめていたのだろう。でなければ、こんな無能を絵に書いたような領主の下で、まともな領地運営ができるとも思えない。


 再び呆れを全面に出したようなため息を落とすウォクライを威嚇するように、一度、卓を大きく叩いて領主は不機嫌そうに告げた。


「…とにかく!!やるかやらないかだ!!お前がやらないと言うなら他の者に命じる!!それだけだ!!」


 そう言われれば、もう返事は一つしかない。


「…謹んで、お受けいたします」


 言ってウォクライは形ばかりの敬意を示すように、うやうやしくこうべを垂れた。



(…まるで教皇様のようだな)


 領主館を後にして、ウォクライは思う。

 もともとユルングルの勘は神がかり的に鋭かった。それはあらゆる情報から推測して先を読んでいるものだと思っていた。あるいは、その天才的な頭脳が常識では測れない閃きを呼び起こしているのかもしれない。そう思っていたが、ウォクライが得心を得るには少し足りなかった。


 彼は本当に、先見の明で先が見えていたのだろうか。

 この疑問は、ここソールドールに来てなおさら強くなった。ここに来てからと言うもの、ユルングルがウォクライに伝えた事は、ことごとく的中した。そしてこの謀反までもを、彼は的中させたのだ。確かに中には彼が情報から推測を出したものもあっただろう。だがソールドールに行く人選にあえて不器用な自分を選んだのは、それだけでは説明が出来ないような気がしてならない。その説明が出来ない確信が、まるで未来が視えている教皇と重なるのだ。


(…あの方はきっと、こうなる事を予見しておられた)


 この結論が、ウォクライの中では一番座りがいい。

 だとすれば、ユルングルが望む事をするだけだ。


 ようやく自分がすべき事を理解したウォクライは、何かが吹っ切れたように淀みなく足を進ませる。


 ここに向かっているという騎士団は、いつ頃ソールドールに着くのだろう。

 そもそも皇王が崩御したと言うが、本当だろうか。それをあのユルングルが看過するとは思えない。だとすれば、おそらく皇王は生きているのだろう。そうなると、騎士団と傭兵の戦いは回避するよりも、戦っているふりをする方が無難かもしれない。真の黒幕がいるのだとすれば、思惑通り事が進んでいると思わせた方がいいだろう。そうやって欺いている間に、どこかで生きているであろう皇王を助ける____ユルングルが思い描く筋書きは、概ねこんなところだろうか。


(…ようやく、私の本業に戻れるな)


 あれこれと考える事はたくさんあるが、やはり戦略を考える事の方が性に合っているらしい。くすりと笑みを落としたウォクライの脳裏に、今はここにいない友人の顔が掠めた。


(…ミシュレイは今どの辺りにいる?できれば騎士団がここに来るまでには帰ってきて欲しいが…)


 傭兵たちの信頼を得られたとは言っても、ウォクライはやはり新参者だ。古参のミシュレイが自分に従ってくれるからこそ、傭兵たちも不満を抱かず従ってくれている部分が大きい。ミシュレイが意に賛同してくれれば、それはそのまま傭兵たちの賛同を得られた事になる。


 たとえそれがなくとも、ミシュレイの強さは欠かせなかった。領主にも言った通り、向こうは訓練を施された手練れなのだ。烏合の衆である傭兵たちには荷が重すぎるだろう。戦うふりをするにも、騎士団側が賛同してくれるとも限らない。当然、領主には気づかれないように接触を試みるつもりだが、その人選すら信頼に足る人物が必要なのだ。


 そこまで考えたところで、ウォクライは自分がどれほどミシュレイに信頼を寄せていたのかを自覚して、思わず目を丸くした。


(…驚いたな。私はこれほど、ミシュレイを頼りにしていたのか……)


 思えば、このソールドールでは彼に世話になってばかりだった。それは魔獣討伐や傭兵たちとの事に限らず、日常生活においてもだ。彼なくしては、きっとこれほど上手く立ち回る事は出来なかっただろう。


 出会った頃の彼を煙たがっていた自分を思い出して自嘲めいた笑みを落とすと、ウォクライは心中で友人に詫びと謝意を伝えて、唯一無二の友人に出会えた天の采配に心から感謝した。


**


「……この街ですか?」


 アレインに抱きかかえられるように馬を降りたティセオは、少し不安が入り混じった声音でぽつりと呟く。


 皇王と別れてから約半日、馬を駆けて着いた街は、街というよりも村と言った方がよさそうなほど手狭で深閑しんかんとしている。それはまだ夜が明けきらぬ早朝だからだろうか、と心中でひとりごちるティセオを軽く一瞥して、アレインは頷いた。


「…そのはずですが……」


 言いながら、アレインは街の中に足を踏み入れる。ティセオもその後を追いながら、前を歩くアレインの背を視界に入れた。


(……アレイン様……大丈夫かな…?)


 皇王と別れた直後、吹っ切れた様子ではあったが、それでもやはり後ろ髪を引かれる思いであの場を後にした事は、その表情からよく判った。渋面を取って、不安を押し隠すように歯を食いしばっていた様子のアレインを思い出す。それでも自分と目が合うと、不安を与えないように笑顔を見せた彼はきっと心の優しい人物なのだろうと、この短い旅でティセオは理解していた。


 そんなアレインの足が一つの家屋の前でピタリと止まる。


「……ここですか?」

「ええ。……大丈夫ですか?ティセオ」


 頷きながら、不安げに眉根を寄せるティセオの様子にアレインは訊ねる。命を狙われた上に、よく知りもしない自分と一緒では安心など得られないだろう。特に自分は饒舌というわけではない。言葉で場を和ませたりできればよかったのだが、あいにくそれが出来る達者な口は持ち合わせていなかった。


 その上、彼の外見がどうしても幼く見えるので、なおさら罪悪感が疼いて仕方がない。ユーリシアと同い年だと頭では判っていても、怯えたように身を縮ませるその姿が彼の幼さをさらに強調して、まるで小動物を苛めている気分になって仕方がないのだ。


 問われたティセオは、心配していた相手から心配されていた事に気付いて、慌ててかぶりを振った。


「お、俺は大丈夫です…!!アレイン様がいてくれた___じゃなくて、いてくださった……?から……?」


 慣れない敬語に四苦八苦するティセオに、アレインは小さく笑みを落とす。


「私に畏まった言葉は必要ありません。ティセオが話しやすい話し方で構いませんよ」

「……すみません」

「いえ、お気になさらず」


 恥じ入るように俯くティセオに笑顔を向けて、アレインは扉を叩こうと腕を上げる。その瞬間、叩くよりも先に扉が開いて二人は思わず目を瞬いた。


 中から姿を現したのは、異様なほど色の白い女。透き通るような、と言えば聞こえはいいが、どちらかというとユルングルと同様に病的な青白さと言った方がいいだろうか。かと言って彼女の髪色を見る限り、低魔力者というわけでもなさそうだった。


 彼女の髪色は桜を思わせる白に近い淡い桃色。どう見ても高魔力者だろう。なのにひどく儚げで弱々しい。見える腕はユルングルを彷彿とさせる細さだった。


 アレインは、妙にユルングルと印象の重なるその女に一瞬目を奪われた後、慌てて我に返って声をかけようと口を開く。その声を、女は静かに手を上げて遮った。無言のまま扉を開けて中に入るように促された二人は、軽く目を見合わせた後、部屋に入った。


「…来るかどうか判らないとユルンは言ってたけど、どうやら杞憂に終わったようね」


 前もって用意していたのだろう。卓に置かれた盆の上には、お茶が入れられた湯呑が二つ用意されている。なのに、なぜか淹れたばかりのように湯気が立っているその温かいお茶を差し出しながら、女は言った。


 その声が、また儚げだった。いや、儚げに聞こえるほど落ち着いた声だと言ったほうが正鵠せいこくを得ているだろうか。柔らかでありながら凛としたその声音は、やはりユルングルを彷彿とさせた。


「…リーチェ=スキルフォード様でいらっしゃいますね?私はアレイン=シュタインと申します。…こちらがユルングル様からの文です。お受け取りください」


 言って差し出された文を、リーチェと呼ばれた女は無言のまま受け取って封から取り出す。そこに書かれた文字だけを見るや否や、リーチェはその青白い顔に深く渋面を刻んだ。


「ユルンはまた倒れたの…!?容態は…!?」

「…ご安心ください。少し体調を崩されただけです。ご心配には及びません」


 この返答はダリウスに指示されたものだ。余計な心配はさせたくないからと言われたが、リーチェはその返答に満足がいかないのか、怪訝な表情をやめなかった。


「…ダリウスは?」

「…………え?」

「ダリウスはどうしてる?」


 その質問の意を取りかねて言い淀むアレインに、リーチェは質問を重ねる。


「ダリウスはユルンの無茶を容認してる?それとも諌めてる?」


 改めて問われて、アレインは再び返答に困って視線を泳がせた。


 これには何と返答すれば正解なのだろうか。ユルングルの体調は問題ないと告げたにもかかわらず、彼女の質問はまるで容態が芳しくないのに無茶をしている事が前提のように感じる。とはいえユルングルの無茶は周知の事実だ。少し体調を崩しただけでも、そこを心配するのは当然の事のようにも思えた。


 返答を待つリーチェには、それ以上の言葉を添えるつもりはないようなので、アレインは少し逡巡した後、躊躇いがちに口を開いた。


「…………容認してるように、私にはお見受けいたします」


 その答えで何かを察したのだろう。リーチェは軽く目を見開いた後、小さく嘆息を漏らして特に何を言うわけでもなく、そのまま再び文に目線を落とした。その一挙一動が、やはり察しのいいユルングルを彷彿とさせて仕方がない。


(……おそらく今の短いやり取りだけで、ユルングル様の体調がお悪い事に勘づかれたのだろう……。一体彼女は何者なのだ?ユルングル様とはどのようなご関係なのだろうか……?)


 怪訝そうな瞳を向けるアレインを尻目に、リーチェは一通り文を読み終わると、もう一度、今度は呆れたようにため息をいて、卓の上に文を静かに置いた。


「まったく、相変わらずユルンは人使いが荒いんだから。…それで?彼をリュシアの街に送って行けばいいのね?」

「あ…!は、はい…!ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします…!!」

「…ふふ。ずいぶんと可愛らしい同行者さんね」


 言ってたたえたその笑みですら儚げだった。

 ティセオはその笑顔に思わず頬が紅潮して、たまらず顔を俯かせる。


「…あ……あの……こう見えても俺、一応……」

「知ってるわ、成人してるのよね。……そうね、言葉を選ぶべきだったわ、ごめんなさい」

「え……!?い、いえ…!!そ、そんな謝らなくても……っ!!」


 ひどく恐縮するティセオに、リーチェはくすくすと笑みを落とす。そんなやり取りを傍から見ていたアレインは、まるでユルングルとティセオのやり取りを見ているような錯覚に陥って、たまらず意を決して口を開いた。


「…リーチェ様はユルングル様とどういったご関係なのですか?私には、貴女とユルングル様がとてもよく似ていらっしゃるようにお見受けいたします」


 真っすぐ見据えてくるアレインの視線を受けて、リーチェはにこりと微笑む。


「…縁戚関係にあるのかという質問なら違うと答えておくわ。でも…そうね、ダリウスも私とユルンはとてもよく似ていると言っていたかしら」

「………ダリウス様も?」

「…だけど失礼だと思わない?確かに私は言いたい事があれば遠慮なく言う性質たちだけど、ユルンほど口は悪くないつもりよ。あの毒舌と一緒だと思われるのは心外だわ」


 その台詞自体、ユルングルに対して失礼ではないだろうか、と内心で思いつつ、アレインは苦笑するに留める。不本意そうに顔をしかめているところを見ると自覚はないようだが、その口の悪さもやはりユルングルに似ていると告げれば、目の前の彼女は青白い顔に盛大な渋面を刻むだろうか。


 そんな事を何とはなしに思っていると、アレインを急かすようにリーチェはおもむろに立ち上がった。


「…さあ、もうそろそろ行った方がいいわ。あまり長居をすると間に合わなくなるわよ」

「…!…リーチェ様は一体どこまでご存じなのですか?」


 リーチェと話していると、自分やユルングルの置かれている状況をつぶさに把握しているような気になって仕方がない。ユルングルはどちらかというと、どれだけ信頼していても、そういう内情をダリウス以外にはあまり口外しない印象が強いだけに、リーチェの達観した様子が不思議でならなかった。


 訝しげに首を傾げるアレインに、リーチェはただ無言でユルングルからの文を差し出す。逡巡しながらもそれを受け取って目を通したアレインは、なおさら判らなくなって盛大に眉根を寄せた。


 そこに書かれているのは、ただティセオをリュシアの街に送ってほしいという簡素な文章だけだ。追われている可能性があるので、できるだけ目立たないように、といった留意点はいくつか書かれてはいるものの、概ね書かれているのはその一点に関するものだけだった。


 意を得ず渋面を取るアレインに、リーチェは静かに言葉を添える。


「…彼の文字が弱々しいでしょう?ユルンの文字はいつも、彼の意志の強さを表現するかのように凛としている。文字を書く事すら億劫なのね。それに宛名書きはダリウスの文字だわ。いつもなら宛名も必ずユルンが自分で書くのに、ダリウスに任せてるという事は、それすら書けない状況にあるという事。……かなり悪いのね?」


 心配そうに眉根を寄せるリーチェに、アレインは軽く逡巡した後ただ頷く。


「…そんな状態なのに、あのダリウスが無茶を容認しているのは、そうしなければいけない状況なのね。…皇王が崩御なさったという報が流れているところと見ると、きっと無関係ではないわ。ユルンの暗殺を画策していた首謀者が謀反でも起こしたのかしら。…そんな最中さなかに、わざわざ私に彼を保護してリュシアの街まで送れと指示があった。そして、その彼を連れてきたのが騎士の貴方」


 言って、立ち尽くしたままリーチェの推察を聞くアレインに視線を寄越す。


「貴方は見たところ、皇王付きの騎士かしら?そんな貴方とユルンが共に行動しているという事は、皇王はきっとご存命なのね。共闘して皇王を助けに向かってると見るのが一番自然だわ。黒幕がユルンの暗殺を画策していた者だとすれば、助けに向かっている貴方たちを、ただ黙って見過ごすかしら?ユルンの容態がかなり悪いのなら、きっと歩けない。あのダリウスならずっとユルンを抱えて旅をしているでしょうね。だとすれば、彼らを守る人が必要になる。…その役割は、貴方が押し付けられたのかしら?」


 揶揄を含んだようにくすりと笑みを落とすリーチェに、アレインはただ目を見張った。


「………この文だけで、そこまで読まれたのですか?」


 この物事を見通す真贋もまた、ユルングルを思わせて仕方がない。


「どんな些細なものにも、多くの情報が隠されているわ。あとはユルンの出自や彼らの性格、置かれている状況に加えて、情勢を考慮すれば簡単に答えは出る」

「…ユルングル様の出自までご存じなのですね」

「彼とダリウスから直接聞いたわ」


 ユルングルは自分の出自を、あのライーザにすら直接は伝えなかった。それを彼女には伝えたところを見ると、ダリウスが言ったように、彼女はユルングルにとって大事な存在なのだろう。


「…どうかしら?私は彼を預かるに足る人物だった?」


 どうやら怪訝そうにしていたのは、信頼できる人物かどうかを見極めるためだと思ったらしい。そのつもりはなかったが結果的にそうなってしまったので、アレインは否定する事もなく頷く。


「…ユルングル様がそれほど信頼を寄せているのでしたら是非もありません。どうかティセオを、よろしくお願いいたします」


 深々とこうべを垂れるアレインに、リーチェはただ微笑みを返した。



「…アレイン様、お気をつけて…!!」


 馬に跨るアレインを視界に入れて、ティセオは幼い顔に眉根を寄せる。その不安と心配を払拭するように、アレインは笑顔を見せた。


「ティセオも道中気を付けて。…リーチェ様、相手は狡猾な人間です。追っ手を寄越すかもしれません。どうか___」

「大丈夫。ずっと旅暮らしだもの。誰も知らない小道も知っているし、追っ手を撒くのは得意よ。私の居場所が判るのはルーリーだけ。………でも、どうして今回はユルンに居場所が判ったのかしら?」


 ルーリーが届けてくれたユルングルからの文には、始めから自分がこの街に滞在している事が判っていたようだった。どれだけ考えても、その理由に思い当たる事がなくて、その青白い顔を傾げるリーチェをアレインは苦笑と共に視界に入れた。


(…未来が視えておられるという事は、まだリーチェ様にはお伝えしていないようだな)


 内心でそうひとりごちて、アレインは手綱を握る。「では」と言いかけたアレインを遮って、先にリーチェが口を開いた。


「ユルンに伝言をお願い。大好きだと伝えて」

「…!……それは……」

「だから、決して無理はしないで。貴方が死ねば、私は生きてはいないから、と」

「!?………それは……お気持ちは判りますが、穏やかではありませんね……」

「…仕方がないのよ。そうなるんだもの」


 言ったリーチェの顔は変わらず青白い。薄暗く、よく見えなかったリーチェの体躯は、朝日を浴びてユルングル以上に線が細い事がよく判った。


 リーチェを見て必要以上に不安が掻き立てられるのは、ユルングルの痛々しい姿を見た時に沸き起こる感情と同一のものだろう。儚げで弱々しく、脆く崩れ落ちそうな不安があるのに、どこか凛とした佇まいで、何者にも屈しない強さがある____そんなところが、やはりユルングルの印象と重なる。


(…きっとダリウス殿下も、リーチェ様のそういうところがユルングル様に似ていると思われたのだろう)


 リーチェの返答の意を掴み兼ねたアレインは、小首を傾げながらも了承の意を示すように頷く。


「…必ず、お伝えいたします。ではどうか、お気をつけて。ご無事を祈っております」


 それだけを言い残して、アレインは振り返ることなく二人を残して馬を駆けた。

 今日の夕方には、ユルングル達が乗る乗合馬車が賊に襲われる。それまでに間に合うだろうか。


(…そういえば、お二人のご関係を聞き忘れたな)


 いや、はぐらかされたと言った方が正確かもしれない。

 あの受け取った伝言を鑑みるに、リーチェがユルングルを慕っているのは明白だろうか。だとすれば、面映ゆくて言いづらいのも当然だろう。と思いつつも、あれだけ公然と大好きだと告げる彼女が、そんな些細な事を気にするとも思えなかった。どちらにせよ、二人が親密な仲にあるのは間違いないだろう。それとも、あれだけ似通っているだけに、互いに親近感を抱いているのだろうか。


 もしユルングルが女性だったなら、きっとリーチェのような女性なのだろう、と取り留めもない事を思いながら、アレインはひたすらユルングルの元へと急いだ。


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