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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第四部 星火燎原(せいかりょうげん)

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アレイン=シュタイン

 アレイン=シュタインはこの国が嫌いだった。


 騎士の家系である伯爵家に生まれ、幼い頃より国に忠誠を誓い弱き者を助けよと教えられたアレインは、それを苦に思う事もなく、むしろ誇りと矜持を胸に抱いて生きてきた。


 それが変わったのは、彼が六歳の頃。

 六つ下の妹が生まれたその時から、周囲からの扱いががらりと変わった事を今でも鮮明に覚えている。それは生まれた妹が、低魔力者だからだった。


 当時まだ六歳だったアレインには、なぜ今まで一緒に遊んでいた友人が自分から離れ、周囲の大人たちがまるで汚いものでも見るような目で見るのかが判らなかった。その理由が年を重ねるにつれ妹にある事を理解した時、アレインは自分に向けられたものと同じ目で妹を見た。___見ていた事に、気づいてしまった。


 あれほど嫌悪し不愉快に思っていた目を、自分も持っている。その事実にアレインの中の誇りと矜持は、脆くも崩れ去る事になる。兄として守らなければならない妹を、侮蔑を含む目で見ていたのだ。自責の念と羞恥心、そして罪悪感がアレインの心を大いに苛んだ。


 当時、彼はまだ十歳。

 わずか四歳の小さな妹に彼らと同じ目を向けていた自分を大いに恥じ入り嫌悪した。同時に、低魔力者を侮蔑する感情を疑うこともなく当然のように抱かせたこの国にもまた、同じように嫌悪の感情を向けた。


 以来、アレインはあれほど誇りに思った騎士の家系の生まれを、呪うことになる。


 忠誠を誓うものなど何もない。

 この国にそれだけの価値はない。

 そしてこの国を作った皇王にすら、侮蔑と嫌悪を抱いた。


 皇王が魔力至上主義を捨てて久しいが、この国は何一つ変わっていない。

 無能な皇王。

 口先だけの皇王。


 その感情は彼が十七の時、最愛の妹がわずか十一歳でこの世を去って、さらに大きく膨らんでいった。


 アレインは忠義を失ったまま、ただ力だけを求めて剣術の鍛錬に没頭した。

 守るものなど何もない。忠誠を尽くすものもない。心の伴っていない力に次第に虚しさを覚え始めた頃、腹立たしくも騎士団の中で選ばれた者だけが就ける近衛騎士団に推挙された。それは最年少での抜擢だった。


 近衛騎士____皇族の傍近くに控え守護する名誉を与えられた騎士。


 それを名誉となぜ思えるのだ。

 皇族は低魔力者を侮蔑する者たちの吹き溜まり。

 皇族どころかその筆頭である皇王すら、守る価値などない。


 周りがアレインに賛辞を送れば送るほど、彼の中でそれがいかにくだらない事かをまざまざと突き付けた。

 アレインにとって近衛騎士と言う栄誉は、忌むべき者を守らなければならない地獄に等しい場所だった。

 だからこそアレインは、近衛騎士になるつもりなど当然なかった。


 近衛騎士団に推挙されても、すぐに入れるわけではない。

 入団前に、必ず皇王と謁見する。そこで為人ひととなりを吟味され、不適当と判断されれば容赦なく落とされた。

 これは言わば、入団試験なのだ。


 アレインはこの入団試験を、真面目に受けるつもりなどなかった。

 皇王に気に入られたいとも思わないし、何なら不興を買って騎士団から追放されてもいいとさえ思っていた。


 そんな自暴自棄な気持ちで挑んだ謁見の場で、皇王は開口一番にアレインにこう訊ねた。


「もし私が低魔力者に剣を向けたら、お前はどうする?」


 はらわたが煮えくり返るようだった。


 一体どの口が言うのだ。

 魔力至上主義を捨てると宣言したその口で、目の前の男は低魔力者に剣を向けると言う。

 結局皇王に低魔力者を救う気などないのだ。

 低魔力者たちの支持が得たかっただけなのか。それとも物珍しい事をした王として歴史に名を残したかったのか。


 無能な皇王。

 口先だけの皇王。

 低魔力者を侮辱し、剣を向ける皇王。


 死んだばかりの妹の顔が脳裏に浮かんで、アレインは怒気を含む声で躊躇うことなく答えた。


「迷わず貴方を殺します」


 謁見の間に凛と響いたその返答に皇王は一度目を見開いた後、にやりと笑ってめつけるような視線を寄越すアレインを見据えた。


「…そうか、よく判った」


 謁見の場で皇王と会話を交わしたのは、たったこれだけだった。


 本当は、適当に受け流して皇王の不興を買うだけのつもりだった。

 だが思わぬ質問が飛んできて、長くアレインの中に居座り続けた不満と怒りが我を忘れさせた。

 だが怒りに任せて出たその言葉に、アレインは一片の後悔もなかった。


 謁見の間で他ならぬ皇王に『殺す』と宣言したアレインは、不敬罪に問われることを覚悟して沙汰を待った。

 だが、使者が告げたのは意外な言葉だった。


『アレイン=シュタインを、皇王シーファス=フェリシアーナ陛下直属の近衛騎士に命ず』


 この時の絶望は、筆舌に尽くしがたいだろう。


 皇王は近衛騎士を採用しても決して自分の傍には置きたがらない事で有名だった。

 なのに他ならぬ自分が、あれほど忌み嫌った皇王直属の近衛騎士に任命されたのだ。

 これからは常にあの男の傍に控え、守りたくもないあの男を守って生きなければならない。その事実が重くのしかかり、果てしなく続く地獄のようにも思えた。


 いっそ不敬罪で処刑してくれればいいものを、と一時途方に暮れたが、自分が皇王に対していい感情を持っていない事を悟った皇王が、意趣返しに処刑に変わる罰を与えてきたのかもしれないと思うと、絶望よりもなおさら怒りが先に立ってこの上なく腹立たしかった。このまま皇王の思い通りに事が運んでは、正直面白くはないだろう。


 アレインは感情を押し殺して、不承不承と近衛騎士の任に就いた。

 だが、皇王を守るつもりはまったくなかった。


 仏頂面でただ皇王の後ろに控え、声をかけられても簡単な返事だけを返して、そして彼が襲われても守るふりだけを貫き通した。いずれ皇王が襲われた際、怪我でもしてくれれば責任を問われ近衛騎士の任を解かれるだろう。それを期待したが、皇王は想像以上に強かった。


 何度襲われても、彼は赤子の手をひねるように容易く凶賊たちをあしらうのだ。

 正直、守るふりさえ必要のないほどの強さだった。


(…これだけ強ければ近衛騎士など必要ないだろうに)


 そう心中でぼやきながら、なぜ皇王が自分の傍に近衛騎士を置きたがらないのか、その理由を得心した。

 不用意に傍に置けば、足手まといになりかねないのだ。


 その考えに至ると同時に、アレインの中で疑問が頭をもたげた。


(なぜこれほど、お命を狙われておいでなのだ…?)


 確かに王と言うのは常に命を狙われる立場にあるものだ。

 だが皇王の場合、その頻度が異常だった。

 アレインが近衛騎士になって一か月。その間に彼が襲われた回数はもうすでに両の手で数えられる数を超えている。


 これほど命を狙われる理由を、アレインは知りたいと思った。

 おそらくこれが、アレインが初めて皇王に興味を抱いた瞬間だろう。


「…お命を狙われる理由に、お心当たりはないのですか?」


 たまらずそう問いかけたのは、十三回目の凶賊を皇王が倒した直後だった。


「…珍しいな、アレイン。お前から話しかけてくるのは。…初めてではないのか?」


 そう軽くアレインを揶揄した後、皇王はバツが悪そうに渋面を作るアレインに失笑して、どうでもいいことのように軽く告げる。


「…私は嫌われ者だからな。お前も私を嫌っているのだろう?」


 もとより隠すつもりはないが、面と向かって言われると何とも居心地が悪い。

 アレインは苦虫を潰したような渋い顔を見せると、呆れたようにため息を一つ落として答えた。


「…それがお判りなら、なぜ私をお傍に置かれたのです?」

「お前が私と同じ志を持っていると判ったからだ」

「……?……それは、どういう……?」


 言葉の意を取りかねて小首を傾げるアレインに、皇王はくすりと笑みを落として、わずかに目線を下げる。


「私はな、アレイン。この国が嫌いだ」

「…!」

「この国は私から息子を奪った。それだけはどうしても許せない」


 息子、と口の中で小さく反芻しながら、アレインの脳裏に幼いユーリシアの姿がよぎる。


(…?ユーリシア殿下のことか…?)


 皇王の息子は一人しかいない。

 だが『奪った』という表現が彼には当てはまらずアレインはなおさら訝しげな表情を強くしたが、それに構わず皇王は言葉を続けた。


「魔力の差で序列を作る事がそれほど大事か?魔力があるという事がどれほど偉いのだ。低いと人とさえ扱われないのか?生まれる事すら許されないのか?…何とも狭量な国だな。私の治める国は、そんな心の狭い者たちで溢れかえっている」


 その言葉に、アレインはある情景が脳裏をかすめた。


 皇王にはもう一人、息子がいなかっただろうか。

 生まれる事すらできなかった、低魔力者の第一皇子。

 当時アレインはまだ六歳だったが、皇妃の腹に宿った低魔力者をひどくなじって、産もうとする皇妃に批判的な言葉を吐き出していた大人たちの姿を訝しげに思った記憶がある。結局それが皇妃の心労に繋がったのか、流産した事を声高に喜ぶ大人たちの姿を、幼心にも異常だと感じて恐怖に似た感情を抱いた。


 それはちょうど、妹が生まれた直後の出来事だった。


「…彼らは私が低魔力者を擁護しようとするのが気に入らないらしい。彼らにとって低魔力者は虫けら以下の存在だからな。その低魔力者を守る私は愚か者だそうだ。…愚かな皇王、無能な皇王、私に様々な呼び名を付け、侮蔑と怒りを宿した目で私を見る。それだけでは飽き足らず、こうやって私の命を狙うのだ。……お前の目にも、彼らと同じ侮蔑と怒りが含まれているな、アレイン」

「…!」


 目を見開くアレインの脳裏に、十歳の頃の苦々しい記憶が後悔と嫌悪と同時によみがえった。


 幼い妹に対して、彼らと同じ目を向けていた愚かな自分。そんな自分を恥じ入り、後悔し、嫌悪した。

 騎士としての誇りも矜持も捨て、代わりにもう二度と彼らと同じ目を持たないと、そう心に誓ったはずだった。

 だが____。


(…結局また、私も彼らと同じ目を陛下に向けていたのか……)


 無能な皇王。

 口先だけの皇王。


 彼らと同じように侮蔑を含んだ名で皇王を呼び、彼らと同じように侮蔑と怒りの目を向けた。

 もう二度と同じ轍は踏まないと固く誓った自分は、だが知らず知らずのうちにまたあれほど忌み嫌ったはずの彼らと同じ行為を繰り返していたのだ。皇王の心内など、何一つ知ろうともしないで____。


 アレインは再び表出した嫌悪と後悔から逃げるように、皇王から目を背けた。

 あれほど忌み嫌った皇王。

 憎しみすら抱いた皇王。

 だがその皇王は、自分と同じくこの国を嫌い、何度命を狙われても低魔力者側に立とうとしてくれた。

 その事実がいたたまれない。


 きっと皇王は、そんな自分を戒めるために傍に置いたのだろう。

 そう自嘲したアレインは、だが想像とは違った皇王の続く言葉に再び目を見開くことになる。


「…だが、お前のその侮蔑と怒りは、彼らとは全く異なるものだ」

「…………え?」

「お前は言ったな。低魔力者に剣を向ける私を、迷いなく殺すと」

「…!それは…!」

「それでいい」

「…!」

「お前の侮蔑と怒りは、低魔力者を害する者に対する憤りから来るものだ。決して彼らのように、人としての尊厳を軽視する行為から来るものではない。…私がお前を傍に置いたのは、例え相手が王であっても守るべき者を守ろうとする騎士としての誇りと矜持がお前にあるからだ」

「…!」


 手放したと思っていた、騎士としての誇りと矜持____。

 それらを捨てたのは、もう遠い昔だ。

 忠誠を誓うものも守るものも持たず、ただ力だけを求めて無為に過ごしてきた。

 そんな自分に、まだ騎士としての誇りと矜持が残っているのか____。


「アレイン、決してそれを手放すな。自分を戒めるように常に胸に留め置け。そしてもし、私が剣を向ける相手を間違えたその時は、言った通りその剣で私を殺せ。お前にならそれが出来ると、私は確信している」


 強い眼差しを寄越す皇王の言葉に、アレインは息を呑んだ。


 皇王は自分を守らせるために自分を傍に置いたのではない。

 低魔力者を守るために、自分を置いたのだ。

 決して道を踏み外さないように常に監視し、そして踏み外した時はそれを止める役目を、自分に授けたのだ。


 アレインはおもむろに、自身の手に視線を落とす。

 この手にはもうないと思っていた、騎士としての誇りと矜持。そして、忠誠心。

 かつて捨てたはずのそれらは、今こうして自身の中に再び芽生えた事を自覚している。


 忠誠を尽くす相手も、守るべき者も、もう定まった。

 惜しむらくは、その相手を殺す役目まで担ってしまった事だろうか。


 アレインは自嘲するように小さく笑みを落として、自身の中に芽生えた誇りと矜持、そして忠誠心を抱え込むように拳を作って告げる。


「…残念ながら、今の私にはまだ貴方を殺せるほどの力がございません」

「…!」


 思わぬアレインの切り返しに、皇王は目を瞬いて吹き出すように笑い声を上げた。


「お前は本当に面白い男だな!…なら私を殺せるくらい強くなれ、アレイン」


 晴れやかに告げる皇王を一度しっかり視界に留めて、アレインは忠誠を誓うように深々とこうべを垂れる。

 この日が、騎士アレイン=シュタイン誕生の日となった。



 あれから十四年。

 アレインは片時も皇王から離れず、ずっと傍について忠誠を示すように彼を守って生きてきた。

 そんな自分に恐れ多くも皇王は信頼を寄せ、第一皇子の存在も明かしてくれた。それはアレインにとって、何よりも光栄で名誉な事に他ならない。


 自分には誰にも負けないほどの、皇王に対する絶対的な不変の忠誠心があると自負している。

 それは誰にも負けたくはないし、譲りたくもないものだ。


 だからこそ、もし皇王が道を踏み外した時、自分は躊躇いもなく皇王を殺せるだろう。

 他ならぬ皇王と約束を交わしたのだ。

 どれだけ手が震えても、敬愛している皇王を失うと判っていても、涙を流しながら彼との約束を果たすのだ。

 それがおそらく、彼に示せる最期の忠誠心だと思うから____。


 それでも、とアレインは急いで馬を駆けながら思う。

 果たして、皇王を目の前にして助けずにいられるだろうか。


 この十四年間、ずっと傍に控え片時も離れなかった。

 離れたのはたった一度。そのたった一度で、皇王は連れ去られ自分から奪われたのだ。

 その皇王を目の前にして、理性を保っていられるのだろうか____。


 信頼を寄せてくれたユルングルを裏切りたくはないと思う反面、皇王を求める自分を抑えられる自信がない自分も、そして抑えるつもりもないかもしれない自分も確かに身の内にある事を自覚しながら、アレインはただ皇王がいるであろう場所へと急いだ。


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