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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第四部 星火燎原(せいかりょうげん)

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休息ー紐飾の願いー・中編

 新しい御者は、ティセオと名乗った。


 フォルッシモが死んだ夜、彼の代わりにやってきたその御者は、捕らわれているシーファスに躊躇いがちに挨拶をした。そうしてフォルッシモと同じように、捕らわれていると判っていながらこの仕事を受けたと謝罪をしたティセオを、シーファスは怒りをむき出しにして大いになじった。


 怯えて逃げてくれればと思ったが、そのあとすぐに馬車が動き始めたところを見ると結局彼は生存できる唯一の道を捨てたらしい。

 ガタリと音を立てて動き始めた馬車に、シーファスは悄然と肩を落として落胆の色を濃くした。


 結局シーファスはその夜、一睡もすることができなかった。

 力なく干し草にもたれながら、小窓から見える移り行く景色を何とはなしに見つめて、だが頭の中はフォルッシモと交わした会話ばかりが何度も何度も頭をよぎった。


 フォルッシモの笑い声、すすり泣く声、朗らかな声、そして自分の名前を呼ぶ声____。


(……結局、お前の顔を見る事は出来なかったな……フォルッシモ…)


 思い出すのは声ばかりで、その姿はない。

 人生の最期にできた友人は、その姿すら自分の記憶にはないのだ。その事実が、腹立たしく恨めしい。


 今、この馬車を動かしているティセオも、フォルッシモと同じ運命を辿るのだろう。

 それが二日後なのか三日後なのかは判らない。だが必ず、自分の目の前で殺されるのだ。


 助けなければ、と思う。

 なのに気力が湧いてこなかった。

 あんな思いはもう二度と御免だと思う気持ちの裏で、もうどうでもいいと自暴自棄になっている自分がいた。


 どうせ、ここからは抜け出せない。

 正直にこれから起こる事をティセオに告げれば、間違いなくその場で彼は殺されるだろう。かと言って、先ほどのようにこちらが辛く当たっても、彼はこの仕事を放り投げて逃げるつもりはないようだった。


 考えれば考えるほど、足掻く事の無意味さを否応なしに突き付けてくる。

 彼を救う手立てがないように思えて、もう考える事さえ億劫だった。


(……情けない王だな……)


 自国の民を救う事すら出来ない。

 たった一人の民すら守れないのだ。

 こんな愚かな自分が、王なのか。


 自嘲気味な笑みを落とすシーファスの耳には、今も死にゆくフォルッシモの声だけが鳴り響いていた。



 空がようやく白んできた頃、馬車が止まって外で火を起こす音が聞こえてきた。

 時折響くおきがはぜる乾いた音と、食欲を刺激する匂いがシーファスの元まで届く。


(シーフさん、今日は何が食べたいですか?)


 耳の奥で何度も聞いたフォルッシモの声が聞こえる。


「……何でもいい……お前が作ってくれるものなら何でも……」


 茫然自失とかすれた声でそう呟いた時、外から遠慮がちな声がかけられた。


「……あ、あの……朝食が出来たのでよかったら____」

「…いらない」

「…!で、でも…!お腹が空いたでしょう?俺そんなに料理得意じゃないけど____」

「いらない…っっ!!!!!!!」

「…!?」


 最大級の怒気を含んだ怒鳴り声に驚いたのか、外で食器が盛大に落ちる音が聞こえる。ティセオのものと思われる小さな悲鳴が聞こえた後、その食器を片付ける音が続いた。

 その手が、おそらく震えているのだろうか。必要以上にカチャカチャと鳴り続ける音が嫌な想像ばかりを駆り立ててくる。


「…もう二度と、私に話しかけるな…!!」


 そう突き放しながら、人の厚意を無下にするのはひどく気分の悪いものだと、たまらず嘆息を落とした。


 しばらくして再び走り出した馬車の中で、シーファスは懐に入れていた紐飾りのお守りを大事そうに取り出した。

 深紅に染められた紐で作られたお守りを小さく揺らすと、耳に心地いい澄んだ鈴の音が荷馬車の中に響き渡る。


(…今の私を見たら、フォルッシモはどう思うだろうか…?)


 ティセオに辛く当たりたいわけではない。

 嫌になって逃げてくれれば、という思いもあったが何よりも強く思ったのは、フォルッシモと同じように、ティセオに心を開いた直後にまた彼を失うかもしれない、という恐怖心だった。


 どうせ助けられないのなら、せめて自分が傷つかない道を____愚かにも、そう思ったのだ。


(……自分勝手なものだ……)


 自分の心を守るために、彼に辛く当たって彼を遠ざけている。

 どれだけ彼を遠ざけたところで、彼が殺されれば否応なく自分の心は傷つくと判っていても、それをせずにはいられないのだ。


(…どのみち、もう私に話しかけてくることはないだろう…)


 あれほど強く怒鳴ったのだ。

 もう怯えて、進んで話しかけようとは_____。


「鈴の音ですか?綺麗な音ですね」

「…!」

「知ってますか?鈴の音は場の空気を和ませてくれるだけじゃなくて、心も癒してくれるんですよ。リーン…って澄んだ音を聞くと、心が洗われていくようですよね」

「…………」


 なぜ、まだ話しかけてくるのだろう。


 そう怪訝に思いながらも、シーファスは再び鈴の音を鳴らす。

 フォルッシモが死んで以来、胸にぽっかりと開いた空虚な心に、鈴の澄んだ音が染み入るように入り込んでくる。それが妙に温かく、まるで荒立った波が鼓動に合わせて穏やかな流れに戻っていくような感覚を覚えた。


 そうして、もう一度鈴の音を鳴らす。


「………ああ、本当だ……。…まるで、潮騒のようだな……」

「…!……ふふっ、詩人ですね」


 その返答に、シーファスは自分でも気づかぬうちに笑い声を落としていた。



「…今度はちゃんと、食事を摂ってくださいね?」


 言って、干し草の開いた空間から盆に乗せられた昼食が出てきて、シーファスはわずかに逡巡した。

 彼を突き離そうとしたはずなのに、なぜか彼は自分の思惑通りには動いてくれない。どれほど冷たくあしらっても、彼は変わらない態度で話しかけてきて、シーファスはもう根負けしたような形だった。


 たまらず嘆息を漏らした後、シーファスは観念したように告げる。


「……判った」


 盆ごと受け取って、一日ぶりの食事を口に入れる。

 彼自身が言うように野菜の切り方などを見る限り、いかにも男料理だったが味は悪くない。フォルッシモと比べると当然味は落ちるが、料理人と比べては酷だろう。


「…え…っと…食べられそうですか…?」


 何やら申し訳なさそうな声が耳に届いて、シーファスは彼に聞こえないように失笑を漏らす。


「……ああ、悪くない……」

「…!よかった…!!」


 嬉々とした声を上げるティセオの声を聞きながら、シーファスは小さく笑みを落とした。


(…低魔力者というのは、どうして揃いも揃って気持ちのいい人達ばかりなのだろうな……)


 ゼオンやユルングルはその態度が邪魔をしているが、気性自体はどちらも穏やかで優しい。

 魔力量で性格が決まるとは思っていないが、それでもやはり自分が今まで出会った低魔力者たちは皆総じて心根の優しい者たちばかりだった。


(…デリックは、その事実を知っているのだろうか?)


 知れば、彼の考えは変わってくれるのだろうか。

 そんな淡い期待を抱いて、すぐにかぶりを振る。


 デリックに期待を持つのは無意味だ。

 異常なほど魔力至上主義に固執している彼が今さら考えを変えるはずもないし、何よりも彼を許す気にはなれない。もう、何もかもが遅いのだ。


 シーファスは再び表出した怒りを抑えるように、ゆっくりと瞳を閉じた。


**


 荷馬車の中に差し込む茜色の光に目覚めを促されて、シーファスはゆっくりと瞼を開いた。


 いつの間にか寝入ってしまったのだろう。昨日は一睡もできなかったのだ。

 シーファスは気怠そうに体を起こして、ふと気づく。あれほど耳にうるさかった音がない。絶え間なく聞こえてきた蹄と車輪の音が止んで、シーファスの周囲は静寂だけがあった。

 そうして、シーファスの心に嫌な既視感が訪れた。


 これはまるで、昨日の再現だ。

 こうやっていつの間にか寝入って夕日に目覚めを促され、そうしてフォルッシモが殺されたあの瞬間に続くのだ。


 そう思った時、シーファスはたまらなく焦燥感に駆られた。


「ティセオ…っ!!?ティセオ…!!どこにいる…!!?返事をしろ…っ!!!」

「……わ…っ!!?は、はい…!!どうしました…!?」


 突然呼びかけられた事に驚いて、ティセオは慌てて返事をする。


「…ティセオ…っ!?大丈夫か…!?」

「……?え、ええ…はい。…すみません、俺眠ってて……」

「……え?」

「…できるだけ夜に馬車を走らせろと指示を受けているんです…。昨日は寝ずに走ったから……」


 何が起こったのか訳も判らず、それでも申し訳なさそうにそう告げるティセオに、シーファスは安堵のため息をついて勢いに任せて立ち上がった体を脱力するように再び座らせた。


(………神経が過敏になっているのか……?)


 もう一度大きく安堵のため息を吐いて、自身を落ち着かせるように額に手を当て、ゆっくりと口を開く。


「………そうか…。…すまない、睡眠を邪魔したな……」

「いえ…!どうせもうそろそろ起きる時間でしたので」


 責めないティセオの心遣いが嬉しい。


 ティセオは起き上がって御者台を降りると、いつものように食事の準備を始める。

 その間も、シーファスは彼らが再び来るのではないかと心中穏やかではいられなかった。



 結局夕食を摂った後も何事もなく、そのまま再び馬車が動き始めて、シーファスはようやく緊張を解いて干し草にもたれかかった。


(……これでは身が持たないな……)


 脱力したように息を吐いて、小窓から見える空に目を向ける。


 もう逢魔ヶ時を過ぎて、外は完全な闇だ。

 今日はもう彼らが来ることはないだろう、と安堵する一方、彼らが常に夕刻に来るというわけではない、と自身の中で絶えず警告が鳴っていた。それは白昼かもしれないし、今この時にも冷たい嘲笑を浮かべながら、弄ぶような殺意を持ってこちらに向かっているのかもしれない。

 それを思うと、安心できる時など一瞬たりともないのだ。


 きっとこの不安は、いつまでも拭えずに胸の中でくすぶり続けるのだろう。そしてティセオが殺されて新しい御者がやってきても、この不安が自分をずっと苛み続けるのだ。

 それはまるで果てない地獄が続いていくようで、シーファスはたまらず嘆息を落とした。


(……いっそ殺してくれればいいものを………)


 心中でそう自棄的な言葉を落としたところでシーファスの耳に聞き慣れた羽音が飛び込んできて、弾かれるように小窓を覗く。


「……ルーリー……っ!」


 御者台のティセオに聞こえないように、声を潜めて名を呼びかける。シーファスは前回と同じように小窓から腕を伸ばしてルーリーが止まる場所を作ると、彼女の足から文を取り外した。


 そうして、逸る気持ちを抑えきれないように慌てて文を開く。

 そこにはシーファスが夢に見るまで待ち望んだ、そして淡く抱いた期待通りの内容が書かれていた。


『二日後の夕刻、馬車から出られたらティセオを連れて逃げろ』


 その後に続く詳細が書かれた内容を、シーファスは食い入るように読み進める。

 そうして文に目を通し終えたシーファスは、たまらずユルングルからの文を握りしめて、まるで神に感謝を示すように額に当てた。


(………ユルングル……っ!!!)


 もしかしたら、と淡い期待を抱いていた。

 未来が見えるユルングルならば、ティセオを救う道が見えているかもしれない。

 自分を恨んではいても、ティセオの命だけは拾ってくれるのではないか___そう、願っていた。

 抽象的な内容でもいい。わずかな光が欲しい。縋るように願ったそれは、だが蓋を開けてみれば想像以上のものだった。


 そこには、ティセオを救える道が詳細に書かれている。どこに向かって誰にティセオを託せばいいのか、迷う暇さえ与えないほどつぶさに書かれていた。


(…ティセオの名まで知っているのだな……)


 感嘆の息を漏らしながら、もう一度息子からの文に視線を落とす。


 これは希望だ。

 闇に閉ざされた自身の心に差した、まばゆいばかりの光。

 勝負の時は二日後の夕刻。おそらくその直後に、彼らがティセオを殺しにやってくるのだろう。

 馬車から出る術は書かれていないが、その未来が見えているという事は必ず馬車から出られる術があるのだ。


(…今度は必ず、守り抜く)


 もう二度と、誰にもフォルッシモのような運命を辿らせやしない。


 一度絶えたはずの気力が再び湧いて出てくるのを自覚したシーファスの耳に、突如鈴の音が届く。


(…!)


 鈴の音に促されるように視線を下に落とすと、足元に落ちた紐飾りのお守りの深紅が視界に飛び込んできた。


(……?落ちた…のか…?…おかしいな、落ちるようなところに入れた覚えはないが……)


 紐飾りのお守りは必ず、落として失くしてしまわないように懐の深くに入れてある。

 決して落ちるはずのないお守りが落ちた事を訝し気に思いながら、シーファスは屈んで紐飾りのお守りに手を伸ばす。巾着の部分を持って持ち上げたその手に何やらカサカサと適度に硬い物が当たるその触感に、シーファスは再び眉根を寄せた。


(……?…何だ…?…巾着に何か入っているのか……?)


 訝し気に思いながら、シーファスは巾着の紐を緩めて中を確認する。

 そこに入っていたのは折りたたまれた一枚の紙。それをシーファスは、おもむろに取り出して開いてみた。

 そこに書かれた、見慣れない文字____。


『シーフさんが、いつか息子さんと仲直りできますように』


 シーファスは目を見開いて、紐飾りのお守りを貰った時の事を思い出す。


(息子さんと仲直りできますようにって紙に書いて、巾着に入れてみてください)


「…………書いて入れてみろと言ったくせに、お前が先に入れてくれていたのか……フォルッシモ……っ」


 かすれるような小さな声でそう呟いて、シーファスは苦笑とも泣き笑いとも取れる笑みを一つ落とす。


 シーファスが願い事を書かないと思ったのだろうか。あるいは囚われの身であるシーファスが、満足に願い事を書ける環境にない事を思慮したのかもしれない。どちらにせよ、ここには確かに死んだはずのフォルッシモの心が存在していたのだ。


 その心に優しく触れるようにフォルッシモの文字を軽く指でなぞった後、紙を優しく両手で包んで胸に抱く。


(……見ていてくれ、フォルッシモ。私が必ずお前の仇を討つ)


 刺し違えても、あの男だけは自分の手で殺す。

 どのみち自分の命はそう長くはないのだ。ならば躊躇う事は何もない。

 そうして敵を討って、胸を張ってあの世のフォルッシモに会いに逝くのだ。


(…その時は、お前の顔を拝ませてくれるか?…フォルッシモ)


 彼との再会を夢見ながら、シーファスはあの男への殺意と覚悟を願うように、フォルッシモの紙と一緒に巾着の中へと納めた。

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