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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第四部 星火燎原(せいかりょうげん)

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それぞれの旅路 ユルングル編・ニ編

「…本当にユルンは大丈夫なの?ダリウスさん」


 発作が起きた時の緊迫した状況を目の当たりにした乗客たちは、当然しばらくこの街に滞在するだろうと思っていたユルングルたちが変わらず馬車に乗って来て、皆一様に驚愕した。


 馬車が出発してもしばらく心配そうな表情でユルングルを見つめ口々にダリウスにそう問いかけたのは、未だ眠ったままのユルングルの顔色がやはり悪いからだ。元々病的な色白さがあった顔からさらに血の気を奪ったような蒼白な表情に、不安が掻き立てられて仕方がないのだろう。

 その上、毛布にくるまれてはいても、そこから時折覗く首や腕が痛々しいほど痩せ細っている事もあって、乗客たち___中でも年配の女たちはもう気が気ではなかった。


「…申し訳ございません。またご迷惑をおかけいたしますが___」

「そういう事じゃないのよ…!ダリウスさん…!!私たちみんなユルンが心配なのよ…!!」

「…こんなに痩せ細って……食事はちゃんと摂れてるの?」

「…旅ができるほどの体力なんてないでしょうに……」

「私たちに出来る事なら何でも言ってね、ダリウスさん…!」


 ユルングルを抱きかかえているダリウスを取り囲んで、まるで問い詰めるかのように女たちは矢継ぎ早に口を開く。その様子が工房の女たちを彷彿とさせて、ダリウスは懐かしいものを見るように目を細めた。


「……ありがとうございます。ユルンが……ユルンがどうしても貴方がたと共に旅をしたいと言うので、無理を承知で旅を続ける事にいたしました。…ご迷惑でなければ、またご一緒させていただく事をお許し願えますか?」

「…!?あらやだ…!ユルンってばそんな可愛い事を言ったの…!」

「やだ…!可愛い…!!私たちなら大歓迎よ…!!」

「……………可愛いって、24の男に言う台詞か……」


 ぽつりと聞こえたその弱々しいながらも不機嫌さをしっかりと表現された声音に、皆慌ててその声の主に目を向ける。起きたばかりだというのに最上級のしかめっ面を見せる姿がいかにもユルングルらしくて、女たちの失笑を誘った。


「…目が覚めたのか?ユルン」


 少し不安そうに、だけれども目が覚めた事で安堵の表情を落とすダリウスを視界に入れて、ユルングルは呆れたようにため息を落とした。


「……これだけ騒がれたら嫌でも目が覚める。………で?…誰が可愛いって……?」

「もちろんユルンの事よ?自覚がないの?」

「……あるわけないだろ、気持ち悪い……。…もっとましな事は言えないのか……」

「その減らず口がなければ、もっと可愛らしいのにねぇ」

「……可愛らしさなんてあってたまるか……」

「ユルンの小さい頃なんて、本当に可愛らしかったんじゃないの?ダリウスさん」

「…!?」


 突然のその問いかけに、ユルングル同様ダリウスも困惑するように目を丸くする。

 その答えはダリウスの中ではもう決まっていたが、言えばユルングルはさらに眉間のしわを増やすだろう事を想像して、何も言えず閉口した。


「……何も言うなよ…!…ダリウス兄さん……!!」


 さらにこう言われれば、もう何も返答のしようがない。

 バツが悪そうに口を抑えて目を背けるダリウスと、慌てて兄の口止めをするユルングルの態度が、もうあからさまに肯定を語っているようで、女たちはたまらず二度目の失笑を漏らした。


 そんなおば様たちの応酬にたじろぐ二人を助けるように、ひときわ大きな声が響く。


「……あ、あの…!!わ、私は…!ユルンはかっこいいと思う…!!」


 そう声を上げたのは、父娘で馬車に乗っているあの娘だ。

 頬を染めていかにも勇気を振り絞って声を上げた様子の彼女に、女たちはその意味を悟って微笑ましそうに、だけれどもこれでもかと興味をそそられて、目を輝かせている。

 対するユルングルは、まるで判っていないのか平然と会話を続けた。


「……そうだぞ…!……こういう事を言えないのか…?……少しはアーリアを見習え……」


 その色気も何もあったものではない返答に、おば様たちから盛大なため息を貰ったことは言うまでもない。


「………ユルンってば、意外と鈍いのねぇ……」

「…………??………何の話だ………?亅


 眉根を寄せて怪訝そうにしているユルングルに、恋愛ごとに疎いのは遺伝だろうか、と苦笑を漏らしたのは、ユーリシアの鈍感さを呆れるほど承知しているラヴィだ。

 そんな心中を察したかのように、隣にいたラン=ディアが呆れたようなため息と共にぽつりと呟く。


「…あのご容姿と性格であれば、女たちが放っておかないでしょうに。…もしや貴方の主もですか?」

「…お察しの通りです」

「…シーファス様もですよ。ファラリス様の想いになかなかお気づきになれなかったと」


(…………やっぱり遺伝か)


 ぽつりと二人に呟くアレインの言葉で、どうやら三人同時にその結論に至ったようだ。


 揃いも揃って眉目秀麗なのにもったいない、と内心で呆れたように嘆息を漏らしながら、ラン=ディアは未だに女たちに囲まれたままのユルングルたちに声をかけた。


「…さあ、ユルン様がお目覚めのようですから、少し診察いたしましょう」


 ラン=ディアのその言葉で、女たちはユルングルたちに一声かけて蜘蛛の子を散らすように各々の場所に帰っていく。寝ても覚めても、変わらずユルングルの周りは人が集まるので、彼を休ませるためにこうやって定期的に彼らを追い払うのがラン=ディアの役目だ。診察という名目を作れば彼らは率先して離れてくれる事を、この四日の旅で学んでいた。


「ご気分はいかがです?どこか体調の優れない場所はございますか?」

「……いや…大丈夫だ……」


 当然、名目だけではなく実際に診察も行う。

 ラン=ディアは問いかけながら、ユルングルの診察を始めていた。


(……脈は正常だな。心音も異常はない)


「…寒いですか?」

「……少し…」


 その返答に一つ頷いて、発光石をユルングルの毛布の中に入れる。


 訊いたのは、ユルングルの手足が冷たいからだ。

 その原因は判っていた。彼が未だに、食事をほとんど摂れていないためだろう。


 ユルングルはまだ、粥かスープくらいしか口にはできない。

 だが、この乗合馬車は基本的に日中どこかに止まることはなく、目的地まで直行する。朝街を出て、夕方に着く目的地の街まで乗りっぱなしなのだ。もちろん短い休憩は挟むが、粥を作るほどの時間があるわけではない。そうなると昼食は必然的に摂れないわけだが、かと言って朝食と夕食は必ず摂れるかと言われればそうではないのだ。

 作る事はできてもユルングルが眠っている事も多く、結局何も食べずに馬車の乗る事も多い。


(……これでは衰弱する一方だな)


 たまらず嘆息を漏らしながら、すっかり痩せ細った彼の手首を視界に入れる。

 こんな調子なので、当然彼の体に熱を保温できる脂肪がつくはずもなく、そもそも食事をする事で得られる体温上昇も期待できない。おかげでこうやって毛布でくるんでダリウスが抱きかかえていても、ユルングルの体は常に冷えているような状態だった。


「…点滴をいたしましょう。それが終われば治療をいたします。眠気がございましたら、いつでも眠っていただいて構いませんよ」


 『治療』というのは、心臓の辺りでどうしても淀む魔力の流れの改善の事だ。

 すでに日課となった日に三度のこの治療は、心臓に補助用魔装具を入れた後もこうして続けられている。


 ユルングルはラン=ディアのその言葉にただ頷いて、もうすでに眠たいのかわずかに恍惚とした瞳を、何とはなしに点滴の準備をしているラン=ディアに向けている。

 ダリウスは一度乗客たちを小さく一瞥してから彼らに聞こえぬよう声を潜めて、そんなユルングルに声をかけた。


「…ユルングル様。シーファス陛下からです」

「…!」


 言って渡したのは、ルーリーからもたらされたシーファスからの血文字のふみだ。ユルングルはそれを無言のまま受け取ってしばらく視界に留めた後、同じく声を潜めて返答する。


「……判った。……夕方、宿についたら返事を書く……。俺が寝ていたら起こしてくれ…」

「でしたら私が___」

「……いや、俺が書く」


 ダリウスの言葉を遮って、ユルングルはぴしゃりと言い放つ。そうして再び、シーファスのふみを視界に入れた。


(……おそらく今は自分を苛んでいるのだろうな……)


 このふみはまだ、この先に何が起こるのかを知らなかった時に書かれたものだ。

 まだわずかばかりの希望が、その文面からも読み取れた。


 だが、今は違う。

 今は絶望と後悔とデリックたちに対する怒り、そしてフォルッシモを助けられなかった自分を苛んで責め続けているのだろう。


(……それでいい…)


 フォルッシモが助かる道は確かにあった。

 だがユルングルはそれをあえて無視した。

 フォルッシモには死んでもらわないと困るのだ。彼の死が、シーファスに苦しみと自責の念を与えるきっかけになる。


(……もっと苦しんで、後悔しろ。不甲斐ない自分を惨めに思って、良心の呵責に苛まれるんだ)


 そうやって、皇王を自死に追い込むのだ____。


 シーファスのふみを見つめたまま、ユルングルは自然と眉根を寄せて渋面を取る。そんなユルングルを怪訝そうに見つめているダリウスの視線に気づいて、ユルングルは一度小さく息を吐いてから取り繕うように軽く微笑みを見せた。


「……起こしてくれれば、兄さんの食事も食べられるだろう……?」


 その言葉にダリウスもまた小さく微笑みを返しながら、だがそのユルングルの態度が妙に空々しく思えて仕方がなかった。


**


 夕刻に次の街に着いたダリウス達は、いつもの通り宿を取って部屋のベッドにユルングルを寝かせた。

 宿はいつも必ず二人部屋と三人部屋の二室、それも二間続きになっている部屋を選ぶ。それは有事の際、互いの部屋をすぐさま行き来できるようにするためだった。当然部屋割りは、言わずもがなだろう。


 相変わらずユルングルは眠ったままだが起こすのは後回しにして、ダリウスはまず宿の厨房を借りて粥とスープを作る。これは起こす起こさないに関わらず、ユルングルがいつ目覚めてもいいように配慮したダリウスの日課だったが、今日は確実に食べてもらえることが判っていた。せっかく起こすのだから、ユルングルが言うように食事を摂ってもらった方がいいだろう。


「…相変わらず貴方は律儀ですね。宿の者に頼めばいいでしょうに」


 ユルングルの診察を終えたラン=ディアが、呆れたようにため息をきながら声をかける。

 ダリウスは背中越しに聞こえたその声に振り返って、困ったように小さく笑みを落とした。


「…ユルングル様は私かご自分で作った物しか口にいたしません。…あの方が幼い頃、暗殺を警戒して必ずそうするよう私がきつく言い聞かせました」


 まだユルングルが七つの頃、ユニと一緒に森を抜けだして近くの村に勝手に出かけた事があった。

 ダリウスと共に買い出しなどで時折村に赴いていたユニとは違って、必ず家に一人残されるユルングルを可哀想に思ったユニが、困惑するユルングルを半ば無理やり村に連れて行ったようだった。


 ちょうどその日は村で祭りが催されていた事もあって、ユニはそんな行動に出たのだろうとダリウスは思う。二人がいない事に気付いて慌てて二人を追いかけたダリウスは、ユニに言われるがまま出店に出されていた物を口にしていたユルングルを見咎めて、思わずきつく叱ってしまったことを思い出す。


 後々その時の事を強く後悔して、年に一度その祭りの時にだけユルングルを村に連れて行くようにしたが、どれほどいいと言っても、彼は決して何も口にしようとはしなかった。

 以来ユルングルは、ダリウスか自分が作ったもの以外は決して口にはせず、それは大人になった今でも頑なに守り続けている。


「…では、暗殺を警戒する必要がなくなれば、ユルングル様は晴れて何でも召し上がる事が出来るという事ですね」

「…!?」


 何やら罪悪感めいた表情を落とすダリウスに、ラン=ディアは呆れたようなため息を落としながら彼を擁護するように告げる。


「もしもの時を想定して警戒する事は、ユルングル様にとって必要な措置ですよ。そうせざるを得ない状況だったのです。何もご自分を責める必要はないでしょう。…シスカもですが、貴方もユルングル様の事になると何でもご自分の所為だと思ってしまわれるのですね」


 やはり呆れたように盛大にため息を落とすラン=ディアに、ダリウスは一瞬呆けた後、小さく失笑を漏らす。

 特に事情を話したわけではないが、それでもその表情から察して気遣ってくれる彼の心遣いが有難い。素っ気ないように見えて周りに気を回すラン=ディアだからこそ、あのダスクも好んで一緒にいたのだろう、とダリウスは思う。


「…ですが確かに、貴方は過保護が過ぎる所はありますがね」


 言って、にやりと笑うラン=ディアに、ダリウスもまた笑みを返して告げる。


「…善処いたします」



 食事を作り終えてラン=ディアと共に部屋に戻ったダリウスは、眠っているユルングルを起こして、まず食事を摂らせた。すぐに眠気が襲ってきてしまうユルングルの事、シーファスへの返事を書き終えてすぐ眠られては困るからだ。


 ダリウスは一人で体を起こせないユルングルの体を支えて、食事を摂れる体勢を整えた。


「……情けないな……食事すら一人でまともに摂られない……」


 起きたばかりの寝ぼけ眼に嘆息を漏らして、ユルングルは自嘲するように告げる。


 腕を動かす事は出来るのだが、体は終始ダリウスに支えてもらわなければならない。ダリウスの体にもたれかかるような形になるので、どうしても体が斜めになって一人で食事を口に運ぶのが意外に難しかった。結局ダリウスに食べさせてもらう事になったのだが、そんな事は幼少の頃以来なので面映ゆいやら情けないやらで、ユルングルはたまらなく嫌だった。これではまるで重病人か介護を受けている老人のようだ、と心中でたまらず悪態をく。


(……まあ、重病人なんだが…)


 その事実は曲げられない。

 再び嘆息を漏らすユルングルに、ラン=ディアは小さく失笑を漏らす。


「早くご自分でお食事を摂れるようになりたいのでしたら、体力をお付けになる事ですよ。とにかく食事はしっかりとお摂りになられてください。まずはそれからです」

「………難しい事を言うな……お前は……」

「何も難しい事ではないでしょう。貴方はいつも他の事ばかりを優先にして、お食事を後回しになさり過ぎです。そうこうしているうちに眠気が来て眠ってしまわれるのですよ。これからは何を措いても食事を優先になさってください」


 耳に痛い事ばかりを口にするラン=ディアに言葉を詰まらせて、ユルングルは閉口する。

 つい先ほども、目覚めた直後食事ではなくシーファスへの返事を優先させようとしたユルングルを、ダリウスと二人窘たしなめて食事を摂らせたのだ。それを思えばラン=ディアのこの説教も無理からぬことだろうか、とダリウスはたまらず苦笑を落とした。


「これからは睡眠よりもお食事を摂られる方を優先した方がいいでしょうね。どうしてもお辛い時は眠っていただいても構いませんが、できるだけ頑張ってお食事を摂っていただきますよ」


 今までは睡眠を優先していたが、正直これでは埒が明かない。

 食事を摂らない事には衰弱する一方なのだ。


 そう言わんばかりに渋面を取るラン=ディアを視界に入れて、ユルングルはいかにも面倒くさそうにため息を落とした。


「……判った、判った……言うとおりにする…」

「お約束ですよ?」

「…必ず守る」


 ユルングルから言質を取った事で満足そうに笑みを落とすと、ラン=ディアは辞去を申し出てそのまま自室に戻っていく。その嬉々とした後姿にユルングルは小さく呟きを落とした。


「………あいつは本当に小姑こじゅうとのようだな……」


 それにはダリウスはただ、苦笑を落とすに留めた。


**


「…綺麗に平らげましたね。もう少し召し上がりますか?」


 ようやく食事を終えて、ダリウスはそう問いかける。それには無言のままかぶりを振っていたが、ダリウスの目からはもう少し食べられそうに見えた。


(…食欲自体はお有りになるようだ。…次はもう少し増やしてみるか…)


 そう内心でひとりごちながら、ダリウスは慣れた手つきで食器を片付け、食事を置いていた場所に今度は紙とペン、インクを用意する。そうして再びユルングルの体を起こして、文字が書ける体勢にした。


「…これでお書きになれますか?」

「……大丈夫だ…」


 小さく謝意を伝えて、ユルングルは緩慢な動きでペンを手に取りインクに付けてゆっくりと紙に落とす。そのわずかな動きすらひどく辛そうにするユルングルを不安げに思いながら、彼の痩せ細った手が綴る文字に視線を移した。


『二日後の夕刻、馬車から出られたらティセオを連れて逃げろ』


「…ティセオ…?…どなたです?」

「……皇王を乗せている荷馬車の二番目の御者だ…」

「…二番目?一番目の方はどうされたのですか?」


 その質問には、一呼吸開けてから答える。


「………死んだ。…皇王の目の前で殺された…」

「…!?」

「……二番目の御者は助ける……。…アレインを行かせるから、後で部屋に呼んでくれ……」

「……一番目の方も、本当は救える道があったのですね?」


 ダリウスの静かな声が耳に届いて、続きを書こうとインクに伸ばした手が止まる。

 返答を待つダリウスの視線が痛いほど身に刺さって、ユルングルは小さくため息を落とした後ペンをゆっくりと紙の上に置いた。


「……彼には死んでもらった……」

「それが、必要な事だからですか?」

「……ああ…皇王を絶望の淵に追いやるためにな………」

「…!?」


 ユルングルは紙に落としていた視線をゆっくりと、目を見開くダリウスに向ける。


「……俺が本当に、憎しみを手放したと思っていたか…?…ダリウス……」


 そう告げるユルングルの声は確かに低く冷ややかだったが、その瞳はなぜだかひどく穏やかな印象を受けてダリウスは眉をひそめた。

 こういう時のユルングルが何を思っているのか、長く共にいたダリウスには判っていたからだ。


 ダリウスは小さくため息を落として、わざと険しい表情を取るユルングルを真っすぐと見据えた。


「……ご自分を責めるのはおやめください、ユルングル様」

「…!?」

「その方がお亡くなりになられたのは、ユルングル様の所為ではございません。…ご自分を罰したいと、お考えにならなくてもよろしいのです」


 ユルングルを慰撫するように、ダリウスは穏やかにそう告げる。

 自分を罰して欲しい時、わざと相手を挑発して怒りを買うユルングルの癖を、ダリウスは承知していた。


 命を取り零さない、と決めたにもかかわらず彼を救えなかった罪悪感が、ユルングルを苛んでいるのだろう。たとえそれが必要な措置であったとは言え、皇王と彼の命を天秤にかけて結果彼を見捨てた事に他ならないのだ。

 それを自分の罪と捉えて罰を与えようと考えるのは、ユルングルの、己の不始末は己で尻拭いしようとする性格を鑑みれば仕方のない事だろうか。


 ユルングルは想像とは違ったダリウスの切り返しに目を瞬いて、バツが悪そうに視線を逸らした。


「………お前は本当に、俺の思い通りの反応をしない奴だな………」

「申し訳ございません。…ですが私を挑発なさっても無駄です。貴方を責める事など決してございませんので、お諦めになってください」


 そう苦笑を漏らすダリウスに、ユルングルは面映ゆさと思い通りに動いてくれないダリウスへの腹立たしさが入り混じったような複雑そうな表情を取って、だが声音だけはやはり変わらず機嫌が悪そうに言葉を続けた。


「……だが、忘れるなよ…。…俺が皇王を手にかける未来はまだ消えていない……」

「……シーファス陛下を救う未来は、まだ見えてはおられないのですか?」

「……まだだ…。……時折かすかに見える事があるが、すぐにまた消える……。…時の復元力が邪魔をするんだろうな……」

「…時の、復元力…ですか?」

「……決まった流れに戻そうとする力の事だ……変えようとすればするほど、反作用が働いて皇王の死を引き付ける……。…おかげで今や皇王が死ぬ未来は146通りに増えた……」

「…!?…146通り……?」


 その思わぬ数字に、ダリウスは目を瞬く。


 この数字はそのまま、ユルングルが未来を新たに作った数だ。

 皇王を救うために時の流れを変えた結果、生まれた未来なのだろう。

 『皇王が死ぬ』という未来は変わらないまでも、ユルングルがどれほど皇王を救うために模索しているのか、その数字が如実に物語っているようで、ダリウスはたまらず驚嘆のため息をいた。


 だが、それでも____。


(…それでも、シーファス陛下を救う未来は作れないのか……)


 未来を作る事が容易ではないと判ってはいたが、この数字が決して皇王の命を救えないと突き付けてくるようでたまらない。今度は嘆息を落としながら、ダリウスは辟易とした表情を見せるユルングルに問いかけた。


「…そのうち、ユルングル様が陛下を殺める未来はいくつあるのですか?」


 いつものように抑揚のない声で淡々と訊ねるダリウスを、ユルングルはこれでもかとめつけるように見返す。

 よくもまあ、そういう答えづらい事を平然と聞くものだと内心で愚痴をこぼして、ユルングルは観念したように小さく息を落とした。


「………113通りだ…」

「…!?……ユルングル様が手にかけられる未来の方が多いのですか…?」


 この数字に、再びダリウスは目を見開く。

 だが返ってきたそのダリウスの返答に、ユルングルは盛大に顔をしかめてみせた。


「………おい、こら……。…手にかけるって言い方をするな………。…俺はお前が『俺が皇王を殺める未来』と訊いてきたからこう答えたんだ………」

「…?…どう違うのですか?」


 正直、言葉が違うだけで意味は同じように思える。

 そう言わんばかりに眉根を寄せて怪訝そうにしているダリウスを一瞥して、ユルングルは小さく嘆息を漏らした。


「……146通りのうち、33通りはデリック側に殺される未来だ……。…それはデリックが直接手を下す未来もあるし、その配下の人間に殺される未来もある……。…まあ、配下の人間に殺される未来の方が圧倒的に多いがな……」

「…では、残りの113通りは?」

「……俺が直接手を下す未来は一つ……あとは全て、皇王が俺を守って死ぬ未来だ……」

「…!」


 皇王を救う未来を作ろうとすればするほど、失敗して殺されそうになるユルングルを守って死ぬ皇王の未来が増えていった。どんな状況でも、どれほど皇王に悪しざまな態度を取っても、皇王は必ずユルングルを守って、そうして自分の前で死にゆくのだ。


「……俺の失態が招く死だ……俺が殺したも同然だろう……」


 直接手を下すのはデリック側なのだから、そちらに加えてもよさそうなのに、あえて自分の方に計上するあたり、いかにもユルングルらしい考え方だろうか。


 ダリウスはそんな相変わらずな主に呆れと安堵を含むため息を一つ落とすと、だが結局何も変わっていない現状に険しい表情を見せた。


「…ではやはり、シーファス陛下をお救いする事は難しい、と言うことですね…?」


 そのダリウスの言葉にわずかに思議するような仕草を見せた後、小さく逡巡してからユルングルは告げる。


「………妙案は、ある…」

「…!」

「……だがその分、失敗する可能性も高い……。……それでも俺は、これに賭けてみようと思う……俺を信じて、ついてきてくれるか……?…ダリウス……」


 少し不安げに、だが確信を得たように強い眼差しを送るユルングルを、ダリウスは見返す。


 元より、ユルングルを疑った事などただの一度たりともない。

 いつも必ずユルングルを信じて、そして彼はその信頼に必ず応えてくれた。

 この愚問には、もう返答すら必要ないだろう。


 ダリウスは一点の曇りもない瞳でユルングルの強い視線を受け取ると、強く頷いて告げる。


「詳しい話を、お聞かせ願えますか?」


**


 夕食を終えた頃にダリウスに呼ばれたアレインは、部屋に入ると珍しくまだ起きたままのユルングルと目が合って、内心怪訝そうにしていた。


「…私に御用がおありなのは、ダリウス殿下ではなくユルングル殿下でしょうか?」


 そのアレインの質問に頷いて、ユルングルは重たそうな口を開く。


「……アレインに、救ってもらいたい人物がいる……」

「……救う…?私が、ですか?…どなたです?」

「……今現在、皇王をソールドールに運んでいる荷馬車の御者だ……」

「…!?…御者…っ!?お待ちください…!!それは…!!敵側の人間を助けろと言う意味ですか…!?」


 思った通り、血相を変えて怒気を露わにするアレインに、ユルングルはたまらず嘆息を漏らす。


 今日はもうずいぶんと起きて会話を交わしている。正直もう眠りに落ちそうなところを何とか踏ん張っている状態だ。できれば何も言わず判ったとだけ言ってくれればいいものを、と心中でぼやいて、ユルングルはひと際億劫そうに言葉を続けた。


「……敵側の人間じゃない……彼は人質だ…。…デリックが用意した…皇王を縛り付けるための鎖なんだよ……」

「…!?」

「……彼は二番目の御者だ……。…一番目の御者は皇王の目の前で殺された……。…彼も放っておけば、二日後の夜には殺される……。…皇王が今何を思い、何を考えているか……アレインなら判るだろう…?」


 判らないはずはない。

 皇王の気質は嫌というほど判っている。


(……ご自分の命に代えても、その御者を守ろうと動かれるだろう……)


 なまじ強いだけに、無茶をする事は明白だった。

 アレインは小さく嘆息を漏らすと、覚悟を決めたようにユルングルに強い眼差しを向けた。


「……私は何をすれば?」

「……二日後の夕刻までに、この場所まで行ってくれ……。…馬はダリウスが用意する……明日の早朝に出立すれば間に合うだろう……」

「…ここに、その御者がおられるのですか?」


 詳しい場所が書かれた紙を受け取りながら問いかけるアレインに、ユルングルは頷く。


「……二日後の夕刻、ここに皇王と共に御者が来る……お前は彼を保護して俺たちとまた合流しろ……」

「…!?…シーファス陛下が共に来られるのですか…っ!!?では、陛下も____」

「…だめだ」

「…っ!」


 他ならぬ己の主も共に来るという事実に声を荒げるアレインを、ユルングルは有無を言わさずぴしゃりと制する。

 それまでひどく億劫そうに弱々しい声音で話していたユルングルが嫌に語気を強く告げるので、アレインはたまらず言葉に詰まった。


「……ここで皇王を連れて逃げれば、もう二度と皇王は助けられない……」

「…!」

「……アレインも御者もその場で殺され、そしてお前が戻らなければ、ラヴィを守る事も出来なくなる………ラヴィを奪われ人質に取られれば、ユーリシアはもう何もできない……あとはもう全員、死を待つのみだ……」

「…………」


 ここは一番重要な分かれ道だった。

 アレインが皇王に対する忠誠心を優先するかしないかで、破滅に進むか否かが決まる。

 こればかりはどれだけ彼に説明しようとも、その時にアレインが耐えられるかどうかにかかっているのだ。


(……難しいだろうな。アレインの皇王に対する忠誠は並じゃない…)


 それが何に起因するものかは知らないが、幾重にも枝分かれする未来の中には皇王を庇って死を迎えるアレインの未来も数多くあった。彼は皇王の為なら、死すらいとわないのだろう。その彼に、攫われた皇王を目の前にしてそのまま放置するのは至難の業と言っても過言ではない。


(…それでも、やってもらわないと困る)


 失敗する要因のほとんどは、ここでアレインが死を迎えるからだ。

 その後どれだけ権謀術数を巡らせて盛り返そうとしても、もう後の祭りだった。

 事の成就は、彼が生きてこそなのだ。


 アレインは半ば心得たように、だが残り半分はやはり不服そうに渋面を作っていた。


「……なぜ……なぜ、私なのです?そのような重要な任務を、なぜ私にお与えに…?」


 迷いの中にあるアレインに、ユルングルは静かに告げる。


「……お前が一番、皇王に忠誠を誓っているからだ…」

「…!」

「……皇王はお前を一番信頼している……御者を託すのがお前なら、皇王は安心して預けられるだろう……。…いいか、アレイン……忠誠を示すのは、必ずしも死だけではない……。…死を崇高なものと捉えるな……死ねば皇王は助けられない……本当に皇王を救いたいと望むのなら、生きろ…アレイン。生きて、忠誠を示せ…!」

「……!」


 力強く告げるユルングルの言葉に、アレインは目を見開く。


 主を庇って死ぬことこそ騎士の誉れだと思っていた。

 それが主を救う、唯一の手段だと____。


(…だが、違う……)


 死ねばそれまでだ。

 その後、一体誰が皇王を守るのだ。

 自分が最後の最期まで、皇王を守り続けるのではないのか。


 無意識にか拳を握るアレインを視界に入れて、ユルングルは小さく笑みを落とす。


「……そう言っておいて何だが…まあ、最終的にどちらを選ぶかはお前に託す…アレイン……。皇王を連れて逃げたいのであれば、そうすればいい……」

「……………え?」


 さっきまでとは打って変わって、さも些事だと言わんばかりに軽く言ってのけるユルングルに、アレインはたまらず目を瞬く。


 いくつもの未来の中で、ユルングルはいつも必ずアレインをたしなめるように、皇王を連れて逃げるなと強く言い聞かせていた。

 だが、これはもう意味がない事をユルングルは承知している。

 アレインがどちらの未来を選ぶかは、本当にその一時のアレインの気持ちの揺れがどちらに傾くか、だけなのだ。


 一応、通り一遍の事だけは言ってみたが、これがあまり重要ではないのならアレインに無駄な重圧をかけたくはない。たとえどちらを選んだとしても、アレインを信じている事に違いはないのだ。


 ユルングルは弱々しい顔ににやりと笑って、揶揄するように告げる。


「…それで全員死んでも、誰もお前を責めたりしない…お前を行かせると決めたのは俺だからな……。…まあ、そもそも、死人に口なしだ……責める口すら利けないから安心しろ……」

「………ユルングル様…縁起でもない事を仰らないでください…」


 くつくつと笑うユルングルをたしなめるように、ダリウスは呆れたように肩を落とす。


「……そう堅い事を言うな、ダリウス……。…あの世で盃を交わすのも、楽しいかもしれないぞ……?」

「……まったく、貴方という方は…」


 どこまでも人を和ますのが上手い、とたまらず失笑を漏らすダリウスにつられて、思わぬ切り返しに呆けていたアレインもたまらず吹き出す。

 責任を一人に押し付けないユルングルの心遣いが有難い。


(…きっとこれが、ユルングル殿下なりの信頼の証なのだろう)


 あえて『信じている』とは言葉に出さない辺り、いかにもユルングルらしい。

 アレインは未だ迷いの中にある心にそれでも笑顔を見せて、敬意を表すように深々とこうべを垂れた。


「…その任務、有り難くお受けいたします」


 短い言葉にユルングルは頷き返して、傍に控えているダリウスに目配せする。

 ダリウスも同じく頷き返すと、おもむろに自身の首の後ろに両手をやって、何かを取る仕草を見せた。そうしてダリウスの首から取られたそれを、アレインに手渡す。


「……これは…首飾り、ですか?」


 鎖の先に水晶が付けられている質素な首飾りだったが、長年愛用している事はすぐに見て取れた。


「…ユルングル様の魔力が宿った水晶です。それをシーファス陛下にお渡しください。それをお持ちであれば、私は陛下の居場所を感知することが出来ます。…それが例え、地の果てであっても」


 十九年前、ダスクがダリウスに与えたあの水晶を加工して作った物だ。

 森を出る際、ユルングルの魔力が移ったこの水晶をそのまま残して行く事が忍びなく、ダリウスは躊躇うことなくそれを持って森を出た。以来、こうやって後生大事にずっと身に着けている。


「…ダリウス殿下は神官と同じ感知能力がおありなのですか?」

「私が感知できるのはユルングル様の魔力のみですが」


 感知能力があるだけでも驚くべきことなのに、何やら申し訳なさそうな表情を落とすダリウスに、アレインもまた困ったような笑みを返して頷く。


「…承知いたしました。必ず陛下にお渡しいたします。…ああ、それと…!」


 その首飾りを大事そうに革袋に入れた後、アレインは思い出したように声を上げて、鞄の中から取り出したある物をダリウスに手渡す。


「宿を探している途中で見かけた物です。よろしければお使いください」

「……これは、水筒…ですか?」

「スープを入れる専用だそうです。保温性が高く四、五時間は温かい状態を保持できるそうですよ。…粥は米が水分を吸ってしまいますので難しいでしょうが、スープを入れておけば馬車の中でもお食事をお摂りになれるでしょう」

「…!…ありがとうございます…!アレイン様…!」


 これは喉から手が出るほど欲しかったものだ。

 昼食を摂れないユルングルの為にどうすれば食事を摂らせられるかと、この四日悩みに悩んだが、その答えは未だダリウスの中には存在し得なかった。その答えが思いがけず手に入った事で、ダリウスは珍しく嬉々とした表情で目を輝かせている。

 これならば、冷えた体も温めてくれるだろう。


 そんなダリウスを見つめながら、本当にユルングルの事になると自我を忘れるのだなと、内心で苦笑を漏らして、アレインは深々とこうべを垂れて辞去した。


「……アレイン様は大丈夫でしょうか…?」


 アレインが去った扉を視界に留めながら、ダリウスは不安を吐露するように呟く。

 そんなダリウスを呆れたように一瞥して、ユルングルはもう微睡みの中にいるような恍惚とした表情を取った。


「……お前が行けたら……一番良かったんだがな……」

「…?…では、そうお命じになればよろしかったでしょうに…?」


 そう、いけしゃあしゃあと心にもない事を口にするダリウスに、ユルングルは最大級の渋面を見せる。


「……お前が…?……俺から離れる事を素直に受け入れるのか……?…お前の中に、そもそもその選択肢はない…!……お前の未来に俺から離れる未来があると思うのか……?」


 ダリウスを説得してアレインの代わりに行かせようとする未来はいくつかあったが、そのどれもダリウスが頑なに拒み続ける未来しかなかった。結局、決して首を縦に振らないので、救出に向かうのは必ずアレインなのだ。

 ダリウスが行ったら行ったで、自分の食事やら何やら色々と弊害があるのは確かだが、それでも行く気もないのによく言ったものだと、ユルングルは内心で愚痴をこぼす。


 そんなユルングルを一瞥して、ダリウスはまさに正鵠せいこくを得たその言葉に口を噤んだまま、バツが悪そうに視線を逸らした。


(……まったく、どこまで過保護なんだか……)


 ダリウスは俺の年齢を把握しているのだろうか、と呆れたようにひとりごちて一度小さくため息をくと、微睡みに任せるように瞳を閉じた。


 アレインの未来は、未だ二つに分かれたままだ。

 どちらを選ぶか、それは二日後の夕刻に判るのだろう。


(………どちらでもいい。アレインが後悔さえしなければ……)


 そのあとはただ、自分が死力を尽くすだけだ。

 その結果敗北したとしても、自分の周りにいる連中は決して責めたりはしないだろう。そういう気性の人間であることは、もう判っている。


 その時は本当にあの世で盃を交わすのも悪くはない、と想像して小さく笑った後、ユルングルはそのまま静かに眠りについた。


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