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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第二章 ユーリシア編 第四部 星火燎原(せいかりょうげん)

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それぞれの旅路 ユーリシア編・侵蝕

 ユーリシア達が皇宮を発ったのは、まだ夜も明けきらぬ時分だった。


 騎士団員259人とゼオン一行を合わせて総勢264人の進軍だ。食料や野営の道具などを積んだ荷馬車も一緒のため、その足は遅い。加えて毎日夕方頃には野営の設営準備を行う必要があるので、一日に進軍できる時間にも制限があった。通常ソールドールまでの道のりは乗合馬車で十日ほどの旅だが、この進軍の速さではおそらくもっとかかるだろう。


 この進軍に何の意味もない事を知っていたユーリシアは、この牛歩のような速度に内心安堵していた。


「…ダスク、ゼオン殿の容体はどうだ?」

「…また高熱が出ております。いい、とは言い難いですね」


 馬車の中で嘆息を漏らしながら、アルデリオから冷やしたタオルを受け取ってゼオンの額に置くダスクを、馬にまたがって馬車と並進しているユーリシアは悄然と見つめる。


 未だ肺炎が治らず、夜になると高熱をぶり返すゼオンのために出来るだけいい馬車を用意した。渋るだろうと思っていたデリックが意外にも二つ返事で承諾をしたからだ。どれでも好きな物を、と言われたので、普段自分が使っている物を用意させた。中が広く、ソファも柔らかい。さすがに背丈があるゼオンが完全に横になれるだけの広さはないが、他の馬車よりも休むには適しているだろう。


 大きめのクッションをいくつか背に敷いて、それにもたれるように横になるゼオンの体には、寒くないように厚めの毛布を掛けてある。その向かいのソファには彼を看病するダスクと心配そうな表情のアルデリオの姿。そしてユーリは____。


「…あ、あの…!!や、やっぱり僕がここに座っていては、何かあった時レオリアさんの邪魔になりませんか…!?」


 何やら面映ゆそうに俯いて耳まで真っ赤にするユーリの後姿を、ユーリシアは視界に入れる。

 ユーリがいる場所は、馬に跨るユーリシアの前。小さなユーリは手綱を握るユーリシアの腕の中にすっぽりと納まっている。


「そんな事はない。ユーリは体が小さいから私の邪魔になる事はない」

「…で、ですが…!」

「…怖いか?できるだけ揺らさないようにしているつもりだが…」


 馬に乗ったことがない、と言うユーリを何とか説得して自分との二人乗りを提案したのは、他でもないユーリシア自身だ。


 ユーリシアが用意した馬車は四人乗り。だが、ゼオンが横になることを考えると必然的に三人しか乗れない。

 ゼオンを治療する必要があるダスクとゼオンから離れたがらないアルデリオでもう満員状態だった。どうしても一人あぶれるユーリを自身の馬に乗せようと考えたユーリシアの行動も、やはり必然だろう。


 それが判ってはいたが、ユーリはこの状況にどうしても馴染めなかった。

 あのユーリシアと体は密着するし、ユーリシアが話すたびに彼の吐息が耳にあたって、そのたびに心臓が跳ね上がるように鼓動を強くする。そして、とにかく顔が近い。見える姿はレオリアだったが、その中身がユーリシアと判っているだけに、どうにも心が落ち着かないのだ。


 もう何もかもが赤面せずにはいられない状況で、皇宮を出てからというものユーリの心臓は鳴りっぱなしだった。


(……これでは私の心臓が持たないわ……)

 

 火照った頬を隠すように両手を頬に当てて、無意識にかわずかにユーリシアから体を離す。

 だがそれすら、ユーリシアは許してくれなかった。


「…!ユーリ、あまり私から離れるな。落馬するぞ」


 言って、ユーリシアの大きな手が力強くユーリの体を引き寄せる。さらに体が密着状態になって、ユーリの心臓はもう限界寸前だった。

 そんな顔が赤い状態のユーリを、ユーリシアは怪訝そうに、そして一抹の不安を宿した瞳で見つめた。


「…どうした?ユーリ…。皇宮を出てからずっと顔が赤い。まさか、熱があるのか…?」

「…え……っ!?い、いえ…!!熱はまったく___」

「動くな、ユーリ」

「…!!?」


 言ってユーリシアは、慌てて振り返ったユーリの額に有無を言わさず自身の額を当てる。

 しばらくその状態を維持してから、おもむろに離して安堵したように爽やかな笑顔を見せた。


「…ああ、確かに熱はないな。だがユーリも有している魔力は少ないのだから体には気を付けて_____…ユーリ?」


 顔を真っ赤にしながら放心状態で硬直しているユーリを訝し気に視界に納めて、ユーリシアは小首を傾げる。

 自分の名を呼ぶユーリシアの声に我に返ったユーリは、やはり真っ赤な顔を慌てて隠すように前を向いた。


「は…はい……っっ!!!気を付けますから…っっ!!」

「……??…ああ、そうしてくれると有難い」


 そんな二人の様子を微笑ましさと一緒に温かい目で馬車から見ていたダスクとアルデリオに、ゼオンはぽつりと呟く。


「………あれでユーリの正体に気付いてないなんて信じられるか…?」


 どう見ても男に対する態度ではない、と言外に含ませて、熱で掠れた声で落としたゼオンの呟きに、今度は二人、苦笑を落とすしかなかった。


「レオリア様、今のところ問題はございません」


 ひとしきり和やかな空気が流れた後、後ろから同じく乗馬したカルリナが報告にやってくる。


 命を狙われているであろうゼオンからあまり離れられないユーリシアを気遣って、こちらから何を言うでもなく進軍の進捗状況管理をカルリナは進んで引き受けてくれた。その献身的な態度には頭が下がる思いだったが、何より目を見張ったのは、彼の優れた管理能力だろう。


 この進軍のすべてを、彼は隅から隅まで把握しているようだった。

 進軍の工程や隊の配置はもちろんの事、小さな問題さえ見逃さずすぐさま的確な処置を行う。

 これをほぼ一人でこなしてしまうのだから正直自分の出る幕はない、とユーリシアなどは恐縮するほどだった。


「ありがとう、カルリナ。貴方がいてくれて本当に助かった」

「…恐れ入ります」


 カルリナがいつになく無愛想でこうべを垂れる時は、苦手な賛辞に照れている時だとユーリシアはもう承知している。そんな不器用なカルリナに小さく笑みを落として、ユーリシアは言葉を続けた。


「…この調子だとソールドールに着くのはいつくらいになりそうだ?」

「特に問題がなければ十五日の日程となります亅

「これが通常の速さか?」

「時と場合によります。急を要する事案であれば何よりも速さを重視いたしますが……」


 言って、カルリナは馬車の中のゼオンを一瞥する。


 彼が言葉尻を濁したのは、この出軍が他でもない『急を要する事案』だからだ。にも関わらず、これほど遅い歩みになったのはゼオンの体調をおもんばかっての事だろう。


 二十日で治る、と言われた彼の肺炎は二十日以上経った今でも完治を迎えてはいない。

 その最たる要因は、ユルングルの心臓を補助するための魔装具開発に病身を押して奮励したからだ。一時好転した病状は、この魔装具開発にかかった十日間で振出しに戻るどころか悪化の一途をたどった。そして、ようやく皇宮に戻ってゆっくり休めると思った矢先、この騒動だ。厄介な咳の症状はかなり落ち着いたようだが、それでもやはり発熱だけはなかなか治まらなかった。


 カルリナはそんなゼオンの体調をおもんばかって、ユーリシアに指示されたわけではなく自発的に無理のない進軍の工程を作ってくれた。それはカルリナ自身、この出軍に何の意味がない事を承知していると同時に、ソールドールに着けば否応なくデリックが用意した傭兵たちと剣を交える事になるだろうと、推測しての事だった。


(…おそらく、その戦乱に乗じてゼオン殿の命を狙いに来るだろう)


 その可能性が一番高い。

 だからこそ、その時が来るのを遅くしたのだ。


 一日でも延びれば、その分、彼が体を休める時間が延びる。

 どう考えても有事の際、彼が動けるようになってくれていた方が守りやすい。時間をかければ治ると言ったダスクの言葉を信じて、出来得る限り牛歩の進軍にしたのだ。


「……ソールドールに着くまでに、治ってくれるといいのだが…」

「……はい」


 二人の不安げな視線を受けて、ゼオンはこれでもかと渋面を作る。


「…悪かったな、足手まといで」

「そんな事は言っていないだろう」

「…目が言ってるんだよ、目が」

「…ゼオン、レオリア様に当たるのはよしなさい」


 自分のままならない体を持て余している苛立ちからか、ユーリシア達に絡むゼオンをダスクはたしなめる。

 ユーリシアもそんなゼオンの心内こころうちが判るから、強くは言い返せず困ったように苦笑を落とした。


(…無理もない。ゼオン殿が体調を崩してもうひと月近く経つ。これほど長い間ままならない体を持て余していれば、苛立ちも募るだろう……)


 ユルングルといい、ゼオンといい、低魔力者というのは病に伏す事が多くて心が落ち着かない、と小さく嘆息を漏らしたユーリシアは、だが自分の目前に座っているユーリを視界に入れる。


 目前で揺らめく彼の髪色は、ユルングルとそう大差はない。

 にもかかわらず、彼が体調を崩したところを見たことはなかった。ユーリシアの中のユーリは常に明るくて元気な印象しかない。


(……これほど変わるものだろうか?)


 ユーリシアはもう、低魔力者が虚弱になる理由を知っている。

 瘴気から守ってくれるはずの魔力が少ない事で、常にその体が瘴気に晒されているからだ。だからこそ、魔力量が少なければ少ないほど、瘴気の影響を受けて体が蝕まれていく。その虚弱の度合いは、魔力量と各々の生まれ持った体の強さによるのだろう。


 では、ユーリはその生まれ持った体が強いのだろうか。

 魔力自体はおそらくユルングルとそう大差はない。それでも、常に病に伏している印象の強い虚弱なユルングルとは違って、ユーリは自分の知る限り、病に伏したことはなかった。その要因は体の強さしかないが、ユーリシアは何か釈然としないものを感じていた。


 いくら何でも、体の強さだけでこれほど差が出るとは思えない。

 ユーリよりも明るい髪色のゼオンですら、こうやって一度罹患すると、長い間床に伏してしまう。この差が、体の強さだけでは説明できないような気がしてならないのだ。あるいは_____。


(…あるいは、今私が見ているユーリの姿が、彼自身の姿ではない…か)


 わずかな胸のつかえを覚えたのは、花園から帰還した後、食堂に向かう道中でユーリと出会った時。

 これほどユルングルと似た容姿を持ちながら、彼とは縁もゆかりもなかった。


 そして、この変化の魔装具の存在を知って、なおさらその疑心が大きくなった。

 彼が本当は低魔力者ではなく、中魔力者、あるいは高魔力者であれば病に侵されない理由に説明がつく。だがこれも、ユーリシアの中ではあまり合点がいかなかった。


 彼は確かに病にはかからないが、その力は低魔力者並みに弱い。

 ある程度魔力があれば、筋力がなくても魔力が補ってくれる。だがユーリはどう見ても低魔力者並みに___いや、低魔力者よりも弱いように思えた。


(…考えれば考えるほど、判らなくなるな……)


 ユーリは謎が多い。

 その身分も、出生も、存在すべてが謎に包まれている。

 いずれ必ず話してくれると言った彼の言葉を信じていないわけではないが、何かの折にふとこうやって彼の正体を考察してしまうのだ。


 ユーリシアは抱いてはいけないその疑心を振り払うかのように小さくかぶりを振って、だがどうしても視界に入ってしまう彼の首からわずかに見える首飾りの鎖を見つめる。


(…これが変化の魔装具だったなら____)


「…レオリアさん…?」

「…!?」

「……どうかしましたか…?」


 ずいぶん長く、己の内心を彷徨っていたのだろう。突然かけられた声で急に意識が現実に引き戻されて、ユーリシアは思わず目を瞬く。


 長い考察で眉根を寄せてユーリを見つめていたのだろうか。ひどく不安そうにそう訊ねるユーリを見止めて、ユーリシアは取り繕うように笑顔を見せた。


「…いや、ユーリが元気そうで安心しただけだ。できればユーリは、そうやって病にかからず元気でいてくれ」

「…!?…は、はい…!」


 またもや赤面して慌てて前を向くユーリとユーリシアの姿を、ダスクは馬車の中から眺めながら、だが一抹の不安が胸に静かに影を落としていた。


**


 その日の野営地に着いたのは、予定よりわずかに遅れた宵の口の頃だった。もう日も暮れ、辺りは闇に閉ざされようとしている。


 急いで天幕を設営して食事を作る騎士団員の様子を、ユーリシアは自分たちの天幕の前に焚かれた焚火の前に座って眺めていた。


(…結局私は、ユルンが望むように彼らを掌握できなかったな…)


______『レオリアとして騎士団を掌握しろ』

 そう指示を受けたが、結局できずじまいだ。


 中魔力者の彼らとはある程度交流は出来たが、掌握と言うにはほど遠いように思える。高魔力者たちに関してはその交流すら満足に取れなかった。


 兄からの期待に応えられなかった不甲斐なさでユーリシアは悄然と嘆息を漏らして、その脳裏にミルリミナの姿がよぎった。


(……ミルリミナも、もうこの謀反の報を聞いただろうか?…心配しているだろうな……いや、父を救えなかった情けない私に呆れているだろうか……?)


 肩を落として盛大にため息をいた後、頭を抱えるように額に手を添えたところで胸にわずかな痛みが走る。


「……?」


 いぶかし気に胸に触れると、今度は軽く頭痛までしているような気になった。


(……考え過ぎて疲れているのか…?)


「……レオリア様…?どうなさいましたか?」


 同じく焚き火の傍でゼオンの食事である粥の準備をしているカルリナが、様子のおかしいユーリシアをいぶかしんで声をかけてきた。もうその時には痛みもなくなっている事に気づいて、ユーリシアは心配そうにこちらを見返してくるカルリナに微笑んで見せる。


「…いや、何でもない」

「…お疲れのようでしたら天幕の中でお休みになってはいかがです?後のことは私が_____」

「いや、大丈夫だ。何でもカルリナに押し付けては、彼らからの信頼は得られないだろう。…少し見回ってくる。ゼオン殿の食事の用意は任せてもいいか?」


 何やら申し訳なさそうに落とされたその言葉に、手伝うつもりだったのかとカルリナは目を瞬く。

 元より食事の準備は自分一人でするつもりだった。皇太子に手伝わせるなど不敬もいいところだ。


 そう言わんばかりにすぐさま頷いて、わざわざ立ち上がり恭しくこうべを垂れるカルリナに小さく苦笑を落として、ユーリシアはそのまま騎士団員の元へと足を進ませた。



 

「…ダスク兄さん、終わりました。ありがとうございます」


 謝意を伝えてユーリが出てきたのは、天幕の中に設けられた湯浴みをする場所からだ。


 湯浴みと言っても当然、浴室があるわけではない。桶に湯を張って体が拭ける程度の簡易的な物だ。

 だがこの場所が、これからの長い進軍の中、ユーリにとって何より重要な場所となる。


 ユーリはダスク達三人を除いて、ユーリシア含め全員から男であるという認識だ。だから当然、寝食を行う天幕もゼオン達と同じ場所になった。それはつまり、着替えや体を拭く事も同じ天幕でしなければならない、という事だ。

 正体を知っているダスク達だけならまだしも、ここには何も知らないユーリシアも寝食を共にする。見える姿は男なので問題がないと言えばそれまでだが、やはり女であるユーリからすれば、それでいいという話ではないだろう。


 そう察して、通常仕切りなどを作らない湯浴みの場所に仕切りを作らせたのは、他ならぬダスクだ。

 これからユーリは体を拭く時はもちろんの事、着替える時もここで行う。ユーリシアがいる時にあからさまにここを使うと怪訝に思われてしまうので、今のように天幕の外にいる時を見計らって使うように決めている。


「不便でしょうが、我慢してくださいね」

「いえ、大丈夫です。ダスク兄さんがこうやって見張ってくれますから」


 ゼオンやアルデリオが覗くとは思っていないが、それでもダスクが見張ってくれているというだけで、その安心感は絶大だ。

 ダスクの所為でもないのに何やら申し訳なさそうな笑顔を落とす彼に、ユーリは満面の笑みを見せて気にしていない事を意思表示する。そんなユーリを目を細めて見つめ返してから、ダスクは一呼吸おいてずっと気になっていた事を遠慮がちに訊ねてみた。


「……聖女の力は発動しないのですか?」

「…!?」


 ずっと、気にはなっていた。

 皇宮に来て最初の頃は、ユーリシアがユーリに触れそうになる時は必ず自分が割って入っていた。だがユルングルが倒れ、ゼオンが肺炎に罹患してからというもの、次第にユーリの傍にいる事が少なくなってきた。ユーリシアとユーリが目に見えて接触するようになっていったのは、ちょうどその頃だ。


(…おそらく、おれが知らないだけでもっと接触はあったのかもしれない……)


 それでも聖女の力が発動する気配がない事が、なおさら不気味だった。

 そしてその理由を、他ならぬユーリが気付いているような気がしてならなかったのだ。


 不意打ちを食らったユーリは目を丸くしながら、だが目に見えて不安そうな表情を浮かべた。


「…ずっと、ダスク兄さまにご相談しようと思っていたのです…!でもその矢先にダスク兄さまは工房に戻ってしまわれるし、その後は殿下がずっと私から離れようとなさらなかったので……」


 本当に不安に思っていたのだろう。思わずミルリミナが表に出て縋るような目でダスクを見つめるユーリを視界に入れる。


(……確かに、二人で話す機会がなかった…)


 工房にいる間にユーリとライーザの拉致未遂事件が起こって、以来ユーリシアはユーリに付きっきりだった。そして、この謀反だ。ユーリシアは出軍の準備で騎士団にいる事が多くなったが、自分も出軍に必要な物を色々と準備する必要があったので、ユーリシアと共に行動する事が多かった。これでは相談しようにもできないだろう。


「……すみません、ユーリ。忙しさにかまけて、貴女をなおざりにしてしまいました…」


 一人で不安を抱えていた事にも気付けなかった自分を恥じ入るように、ダスクは謝罪する。

 そんなダスクに、ユーリは慌ててかぶりを振った。


「…!?いえ…!!ダスク兄さまが悪いわけではありません…!」

「…教えてください、ユーリ。一体何が起こっているのです?」

「……それは___」

「…レオリア様……っっっ!!!!?」


 重い口を開こうとしたその時、天幕の外でレオリアの名を叫ぶ声が響いて、二人は慌ててそちらに顔を向ける。そのただならぬ空気を察してすぐさま天幕を出てみると、何があったのか大きな人だかりができているようだった。

 その中心から、カルリナの叫ぶ声が響く。


「ダスク様…っっ!!!ダスク様!!!こちらへ来てください…っっ!!!!レオリア様が……っ!!!!」

「…!!?」


 その声に弾かれるように二人慌てて人だかりの中に入る。視界に入ったのは、不安そうにこちらを見返してくるカルリナの姿と、そのカルリナに抱きかかえられるように倒れているユーリシアの姿だった。


「一体何があったのです…!!?」

「判りません…!!一緒に雑談をなさっておられたのですが、突然頭を押さえて倒れられたのです…!!」


 答えたのは、倒れる直前一緒にいたであろう騎士だ。

 ダスクはその返答を聞きながら、すぐさまユーリシアの様子を窺った。


(……意識はない。外傷はないようだが……脈も正常だ)


 特に異常という異常が見受けられず、ダスクはカルリナを振り返る。


「…とりあえず天幕の中へお願いできますか?そこで詳しく診てみます」


 カルリナは大きく頷き、意識がなく脱力したように動かないユーリシアの体を抱えて、ダスクに先導されながら天幕まで運び込んだのだった。


**


 天幕の中での診察でもやはり異常が見つけられず、ダスクは途方に暮れていた。


(…魔力の流れにも異常は見受けられない……。倒れる要因がないのになぜ……?)


 そもそも異常があったとしても、原始の魔力を有しているユーリシアでは神官治療は施せない。

 だが、ユーリシアの状態はそれ以前の話だった。


 外傷もない。体の内部に出血があるわけでもない。脈も体温も正常で心音にも問題はない。言ってみれば、ただ眠っているだけの状態だ。魔力の流れにすら異常がないとなると、もう倒れた要因を探す事すら出来なくなる。


(……一つ可能性があるとすれば、一時だけ不調が現れた、という事か……)


 持続しない不調、というものも存在する。

 その時だけ症状が出て、すぐさままた健康な状態に戻る。普段は健康なので症状は出ないし、出てもこうやってすぐに健康な状態に戻ってしまうので、その要因を探る事が容易ではない。ほんの一瞬しか症状が出ないので本人もそれほど深刻には思わないし、つい見過ごしてしまって手遅れになる事も多いのだ。


 ダスクは現時点で何も確証が得られなかったので、とりあえずカルリナには疲れがたまった所為だと説明して、動揺している騎士団員の対処を一任した。


 そうしてカルリナを天幕の外に追い出してから、ダスクは何かしら思い当たる事があるのか、不安そうな表情でユーリシアの手を握るユーリを視界に入れる。


「……何を知っているのですか?ユーリ」


 そう静かに問いかけるダスクに視線を向けることなく、ユーリもまた静かに口を開く。


「……原始の魔力が、殿下の体を蝕み始めたのです……」

「…!?」


 そのユーリの言葉に、熱で朦朧としながら聞いていたゼオンも目を丸くした。


「……なぜそう思う?…何かそう思う理由があるのか……?」

「……私の中の聖女が、何も反応を示さないからです」

「……?どういう意味です?ユーリ」

「…最初に私にきっかけをくださったのは、シーファス陛下でした。突然私に抱きつかれて仰ったのです。『どうやら聖女様は私に興味がないらしい』…と。その時は何を仰っておられるのか、私には判りませんでした。…ですがおそらく、陛下はご存じだったのでしょう。…聖女は、もうすぐ死ぬ人間の魔力には興味がない、という事を___」

「…!?」


 最初に疑惑が生まれたのは、ユーリシアに触れても聖女が反応しなかった時だ。

 元々、ユーリシアの命はそう長くはないと聞いていた。それが正確にいつとは判らなかったが、近い将来に原始の魔力に体が蝕まれて命を落とすと告げたのは、他ならぬダスクだった。それが聖女が反応しない事と繋がりがあるようで、ユーリはたまらなく不安だった。


 さらに疑惑が深まったのは、ライーザと共に拉致された時。

 世界のために魔力が喉から手が出るほど欲しいはずの聖女は、やはり高魔力者である彼らに無反応を貫き通し、そして彼らは亡くなった。


 確信に至ったのは、弔いの鐘が鳴ってしばらく経ってからだ。

 ダスクは言った。亡くなればその人の魔力がしばらくは大気を漂う、と。

 それはつまり____。


「もうすぐ死ぬ人間は、わざわざ奪わなくとも放っておけば勝手に魔力が大気に戻る…という事か……」


 ユーリの言いたい先を悟って代わりに口を開いたゼオンに、ユーリは頷き返した。


「…聖女が殿下に何も反応を示さない、という事は、もう原始の魔力による体への浸蝕が始まっているという事…。おそらくこの症状もその初期症状なのでしょう…」


 そのユーリの仮説に、ダスクは意を得たように頷く。


 確かにユーリシアの症状は、普通の病とは一線を画しているような気がした。同じ体を蝕むにしても、瘴気と原始の魔力では根本的に違うのだろう。


 瘴気は毒だ。

 瘴気に体を蝕まれるということは、内蔵などの器官に毒が蓄積されて、少しずつ病魔に冒されるという状態に近い。


 だが、原始の魔力は毒ではない。ただ強すぎる力に体が耐えられないだけなのだ。


 今のユーリシアは例えるなら、大きすぎる力に体がひどく疲弊しきった状態だろうか。その初期症状という事は、体が悲鳴を上げ始めた段階だという事だろう。だから常に症状が出るのではなく、一過性なのだ。


(…どうりで倒れた要因を探っても何も出てこないわけだ……)


 病や不調があって倒れたわけではないのだから、いくら探っても要因など出てくるはずはない。 

 その要因は他でもない、魔力自体にあるのだから。


「……まったく、次から次へと問題が起こるな……。…しかもユーリの話だと、シーファスは自分が死ぬことを知っていたようだな……教皇から予見を聞いていたか………」


 熱で恍惚とした顔に、ゼオンはこれでとかと渋面を作る。知っていて自分に何も言わなかった事が何よりも腹立たしい。


 ダスクも同意するように頷いて、嘆息を漏らした。


「…おそらくそうでしょうね」

「じゃあ、シーファス陛下はどうあっても助からないって事ですか?」

「…いえ、ギーライル様と同じく予見の力をお持ちのユルングル様が動かれているのです。…陛下を救う手立てがあるのかもしれません」

「……あるいは、模索している最中かもな………」

「なら、ひとまずシーファス陛下の事はユルングル様に任せるとして、今はレオリア様ですよ。どうするんです?レオリア様まで倒れられたら進軍どころの話ではないですよ?」


 そう、こうやって敵のただ中に歩みを進ませていると判っていても淀みなく進めるのは、この尋常ではない魔力を保持しているユーリシアがいるからだ。

 彼を欠いては、決してこの進軍は行えない。

 それは、死を意味するからだ。


 たが、現状ユーリシアを救う手立てはない。

 それを模索する前に、この謀反が起きてしまった。

 これから先ユーリシアがどれほど体が蝕まれようとも、ただ指をくわえて見ているしかできないのだ。


 皆それが判って、一様に口をつぐむ。重苦しい空気が流れる中、ダスクだけがひときわ明るい声を出した。


「…確かに現状レオリア様を救う手立てはありませんが、症状を緩和、あるいは遅らせる策はありますよ」

「…!?」

「どうればいいのです…!?ダスク兄さま、どうすれば……!」


 皆思わず目を丸くしたが、中でも強く反応を示したユーリを視界に入れて、ダスクはにこりと微笑む。


「貴女ですよ、ユーリ」

「………………え?……私…?」

「おれには原始の魔力は操作できません。ですので例え魔力の流れに異常があっても神官治療は施せない。おそらくその流れの異常すら、感じ取りにくいのでしょう亅


 神官式の診察は、患者の体内に自分の魔力を流すことで、不調がないかを探る。だがユーリシアの体内では原始の魔力が邪魔をして、思うように魔力が通らないのだ。


「ですが貴女は違う。原始の魔力を扱う方が優れていると言ってもいい。ユーリならば、何の苦も無く行えるでしょう」

「……………それは……つまり………」


 ダスクの言いたいことを悟って、ユーリは無理難題を吹っ掛けられたように呆然自失と言葉尻を濁す。

 そんなユーリにダスクはまるで聖母のような満面の笑みを返して、さも些末なことだと言わんばかりに告げた。


「原始の魔力に原因があるなら、それを正しい流れに戻してしまえばいいのです。大丈夫、ユーリにはみっちり神官治療のやり方を教えてあげますよ」


 この聖母のような微笑みとは裏腹に、彼の指南は常に難易度の高いものを要求されると知っている三人は、ただただ苦笑を落とすしかなかった。

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