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銀の皇太子と漆黒の聖女と  作者: 枢氷みをか
第一章 始まり 第一部 皇宮編

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リュシテアの協力者

 逢魔時が近づく頃、街は茜色に染まっていた。


 それはここ、皇都フェリダンの中心街から外れた西に位置する小さな教会も例外ではなかった。白いはずの教会の外壁はオレンジ色に染まり、その影は時を追うごとに濃く長くなっていく。

 空を見上げれば青から藍色に移り行く途中で、雲は紫色に染まっていた。もうすぐ闇が世界を支配する。夜を迎えるまでの、この短い幻想的な空間が、ユルングルはたまらなく好きだった。


 被っていたフードを取り、後ろに控えているダリウスに目配せする。ダリウスは軽くうなずくと教会の扉をゆっくりと開けた。


 薄暗い礼拝堂の中に夕日が差し込み、まるで世界と隔絶されたような空間を作り出している。郊外に位置する小さな教会のせいか司祭もいない様子で閑散としていた。


 その礼拝堂に一人、同じくフードを被った人物が膝をつき祈りを捧げていた。

 あれが密会の相手なのかとユルングルは認識する。


 魔力の供給を主とする大きな教会とは違って、各地に点在する小さな教会は簡素で礼拝堂のみの場合が多い。司祭が管理する事もあるが、この教会のように郊外に位置すると司祭もなく祈りを捧げる人間も皆無に近い。こういう教会は密会に最適だとこれまでの経験で学んでいた。

 ユルングルは静かに祭壇に近づき、隣に並んで同じように祈りを捧げ始める。


「…ずいぶんと長い祈りだな。何を祈っているんだ?」


 ユルングルは目を閉じたまま問いかけた。相手も同じく目を閉じ祈りを捧げながら答える。


「皇国の未来を憂いているのです」


 その答えを聞いてユルングルはにやりと笑みをこぼす。


 これは符帳だ。リュシテアの協力者は意外に多い。家族や知人に低魔力者がいるため、協力する高魔力者も少なくない。これは仲間かどうかを判断するための合言葉なのだ。


 祈りを捧げていた人物は立ち上がってフードを取り、ユルングルに向き直る。夕日に染まって髪の色は判断がつかないが、染まるという事は色が薄いのだろう。華奢な印象があったが、立ち上がると背も高く男だという事が判った。


「お初にお目にかかります。ダスクと申します。御尊顔を拝し恐悦至極にございます、閣下」

「…閣下はよしてくれ。寒気がする」


 心底嫌そうに身震いするユルングルを見受けて、ダスクと名乗った男はくすくすと笑みをこぼした。


「ダリウスから聞いた通りですね。元気にお育ちのようだ」


 まるでずいぶん年上からの言葉のようで、ユルングルは不快感を露わにする。


「…あんたと俺はそう年は変わらないだろ?」

「ユルングル様。彼は私よりもだいぶ年上です」

「……は!?」


 傍に控えていたダリウスがたまらず口を挟んできた。

 確かダリウスは今年で35になったばかりだ。そのダリウスよりだいぶ年上だという事は少なく見積もっても40は超えているだろう。だがその外見はどう見ても20代半ばにしか見えない事に、ユルングルは驚きを超えて畏怖に近い感情を向けた。


「…あんた化け物だな」

「よく言われます」


 そう言って屈託のない笑顔をユルングルに返す。笑うとさらに若く見えるばかりか、華奢な体型も相まって女に見えない事もない容姿に、ユルングルはおぞましさを感じた。

 そんなダスクからの舐め回すような視線を感じて、さらに悪寒が走る。


「…何だ、その視線は」

「…ふむ。失礼」


 一瞬考え込んだようなそぶりを見せた後、ダスクは一言添えて突然体中を触り始めた。


「おい!やめろっ!ダリウスっ、こいつは何なんだっ!」

「…ダスクさん。ユルングル様で遊ばないでください」


 見かねたダリウスがため息交じりで止めに入る。ユルングルはたまらずダリウスの後ろに隠れた。


「…おや?今でもダリウスの後ろにお隠れになるのですね。お懐かしい」

「…なに?」

「ああ、そういえばお小さい頃はよくダスクさんに遊ばれて私の後ろにお隠れになっておられましたね」

「……は?」

「おれも貴方のおむつを替えさせていただいたのですよ。あの頃は可愛くてダリウスは貴方を離しませんでしたね」

「いえ、ユルングル様が私をお離しにならなかったのですよ」

「よせっ、やめろ…っ!」


 よく親戚の叔父叔母が自分の小さい頃の話題を始めると居心地が悪くなると聞いた事はあるが、それがこれほどまでに寒気が走るとは。ユルングルはたまらず身震いした。


 どうやら全く記憶にはないが、このダスクという男とは昔会った事があるらしい。ならば当然自分の出自などもすべて把握しているのだろう。古くからの知り合いだとダリウスから聞いていたが、そういう事だったのかと合点がいった。


「…どうやらダリウスから聞いた通り、操魔の技術も問題なさそうですね。少々痩せ気味ですが筋肉のつき方もいい。ダリウス、よく指導してくれました」


 言われたダリウスは軽くうなずきユルングルに向き直る。


「ユルングル様。操魔の技術を作られたのは彼です。鍛錬による筋力増加を提唱されたのも」

「…!」


 操魔とは魔力操作のことだ。通常、魔力を操作しようなどとは思わない。魔力は体内で絶えず決まった道を流れていくもので、自分の意志で動かせるとは思わないからだ。例えるなら体内を流れる血液を自分の意志で動かせると思う人間などいないのと同じだろうか。


 だがその考えに至ったばかりか、その方法まで見つけてしまうダスクは間違いなく天才と称される部類なのだろう。それは称賛に値する。


「…そうか。知らぬ事とはいえ無礼をした。貴殿の操魔の技術は大いに役立っている。感謝する」

「…頭をお上げください。おれは平民の出です。貴方が頭を下げていい身分ではないのですよ」

「…俺は貴族ごっこをするつもりはないぞ」

「それでも越えられぬものがあるのです」


 ダスクは困ったように笑顔を返す。


 これだから、とユルングルは思う。自分の出自を知っている者は皆やたらと態度が固い。ずっと傍にいるダリウスでさえそうだ。他の者ならなおさらだろう。

 だがあくまで身分が高いのは出自だけだ。今の自分はその身分ではない。他でもない親が捨てたのだ。捨てられた人間にどんな身分があるというのか。


「俺はただ礼を尽くしただけだ。それも許されないのなら、身分など俺が壊してやる」

「!」


 腹立たしそうに声を荒げるユルングルに、ダスクは一瞬目を丸くしてすぐに腹を抱えて笑い始めた。


「…何と豪胆な…!これもダリウスの教育のたまものですか?」

「ご冗談を。これは紛れもなくユルングル様のご気質です」


 あまりに長い爆笑っぷりに、ユルングルは少しずつ気恥ずかしくなり居心地が悪くなる。これだから年寄りと話すのは嫌なんだと不機嫌そうに頭を掻いた。


「もういいっ。いい加減本題に入れ!」

「…ああ、これは失礼いたしました」


 笑いすぎて出た涙を拭いながらダスクは改まってユルングルに向き直った。


「聖女がようやく教会に身柄を移すそうですよ」

「…!…ようやくか…っ!」


 聖女が降臨してから約ひと月半。皇宮にいてはさすがに手が出せない為、ずっと機会を伺ってきた。教会に身柄を移す話が出ているとダリウスから聞いてはいたが、なかなかその話が進まずやきもきしていた頃だった。


 そしてそれと同時に、ダリウスが皇宮に忍ばせておいた間者がダスクなのだとようやく思い当たる。

 平民の出だというが、よく皇宮に出入りできるものだとユルングルは怪訝に思った。


「明日、皇宮医の診察を受けた後、教会に向かうそうです。教会に行けば今よりは警備が甘い。神殿騎士がいますがそちらはおれが何とかいたしましょう。手筈はおれが整えます」

「…教会に詳しいのか?」

「ええ、貴方よりは」


 何かを含んだような笑顔でダスクは答える。


(……何とも得体のしれない男だな)


 平民の出だというがそうは見えない。物腰が柔らかく、貴族だと言われた方がまだ腑に落ちる。夕暮れの意味合いを持つ『ダスク』という名前も偽名なのかもしれないとユルングルは内心で勘ぐった。


 だがあのダリウスが絶大な信頼を寄せているのだ。信じて間違いはないだろう。この男にはこの男なりの目的があるような気がするが、おそらくはダリウスも了承済みなように見受けられた。


「…判った。あんたに任せる」

「私たちは準備を急ぎましょう」

「ああ」

「決して失敗のないようお願いいたしますね。おれも露見すればただではすみませんから」


 それだけの地位にいるのだろうとユルングルは察する。了解の意を示して再びフードを被り直した。


「では詳細が決まり次第またこちらからご連絡いたします」


 ダリウスの言葉にダスクは無言で頷くと、二人はそのまま教会を後にした。




 外はすでに逢魔時を過ぎ、長い夜の時間が始まろうとしている。


(…夜は嫌いだ)


 嫌な事ばかり彷彿させる。眠れなくなったのはいつ頃からだっただろうか。

 その頃から人を騙す事にも抵抗を感じなくなった。おそらく自分の心はすでに壊れているのだろう。


 皇宮医の事を信じて疑わない聖女の顔が脳裏に浮かぶ。よもや皇宮医が自分を拉致する算段をつけているとは夢にも思わないだろう。


 だが忘れたはずの罪悪感が疼くのはなぜだろうか。

 聖女の笑顔が、かつて失った少女と重なる。

 その笑顔が歪む瞬間が、怖くてたまらない。


「……申し訳ございません、ミルリミナ様…」


 暗闇に閉ざされた教会の中で、ダスクの消え入りそうな懺悔の声だけが虚しく響いていた。


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