決意
威侯は少しだけ考えるような間を置いた後、意外そうな顔を崩そうとはしないままで口を開いた。
「申し訳ございませんでした。事情も訊かずに、少々軽率だったかもしれません。分かりました。玄様がそこまで言うのであれば、娘の責は問わないこととします」
「それだけではない。華仙を叩いたことも謝るのだ。そうでなければ、私はお前を許さぬぞ」
なおも語気を強める玄に、威侯は苦笑めいたものを浮かべた。
「私が娘を叩いたのも早計でした。申し訳ありません」
しかし、意外にも威侯は素直に非を詫びて、玄に頭を下げてみせた。
小国の将軍とはいえ、どのような時でも大きくて強い偉大な父親だった。その父親が君主に咎められたからとはいえ、自分の非を詫びながら他者に頭を下げている姿。それを見るのは初めてだった
そのような父親の姿にびっくりしてしまって、華仙の涙は止まってしまったようだった。それにそもそもで言えば、大人たちに禁じられている裏山に来てしまった華仙と玄が圧倒的に悪いのだ。
頭を下げる威侯を前にしても、玄はまだ納得できていないようだった。
「威侯、謝るのは私にではない。華仙に謝るのだ」
玄は毅然と言い放つ。玄に言われて威侯は華仙に向き直った。威侯のその顔は真剣そのものだった。
「華仙、すまなかった。事情も聞かずに殴ったことは、私が間違っていたな。この通りだ。許してほしい」
父親の威侯が頭を下げる姿に何と言えばよいのか分からず、華仙は慌てて首だけを左右に振った。
「いいか威侯、自分の娘とはいえ、華仙を殴ることなど、今後も二度と私が許さぬからな。例え華仙が悪くてもだ!」
威侯の前で仁王立ちとなった玄は再度、威侯の前でそう告げる。
何か無茶苦茶なことを玄が言っている。
子供心に華仙はそう思いつつも、そんな玄の姿には華仙の胸を打つものが確かにあった。
あの玄が巨大な熊に立ち向かってくれた。そして今、君主の立場とはいえ、鬼瓦みたいな顔をしている威侯将軍に立ち向かってくれている。
あの気弱で泣き虫な玄が、自分のために……。
そう思うと華仙の瞳から再び涙が溢れ出してくる。
思えばこの時からだったかもしれない。将軍家の一人娘として生まれた華仙は、物心がつく前から君主を守るように、君主に尽くすようにと言い含められてきた。
だが、幼い華仙には今ひとつそれがどういうことか分かっていなかった。でもこの時、間違いなく初めて華仙は心から思ったのだ。
こうして玄が自分を守ってくれたように、自分も玄を守るのだと。必ず守っていくのだと。
あれから十余年。華仙は十七歳になっている。
天賦の才もあったのだろう。華仙は女性の身でありながらも武芸を極めることができた。女生とはいえ、華仙に勝てる者は霧の国でそう多くいない。
将軍家に生まれたからということだけではない。この鍛えた武をもって、玄の身は必ず自分が守るのだ。あの時、玄が守ってくれたように。
華仙の中にはそんな確固たる思いが常にあった。
東の狩場へ向かうため、華仙を伴って姿を見せた玄を威侯が出迎えた。威侯は三人の兵を引き連れている。
「玄様、珍しく時間通りですな」
威侯の言葉に皮肉めいた響きはない。単純に感心している響きがあるだけだ。
「そうかな? あまり遅くなると、また華仙が怒り出すからね」
玄も威侯の言葉を嫌味と捉えたような様子は見せずに、飄々と言葉を返している。
それにしても、また怒り出すとはどういうことだろうと華仙は思う。そう言われるほど、自分は玄のことを怒っているつもりはないのだけれど。
玄の横で不満そうな顔をしている華仙を見て、威侯が苦笑を浮かべながら口を開いた。
「玄様、このような軽装で本当に東の狩場へ行かれるのですか?」
威侯の言葉には念を押すような響きがあった。玄はそれに軽く頷く。
「そうだね。もし熊の国の民がいても、このような格好であれば、彼らに余計な威嚇を与えることはないだろうからね。そうすれば彼らに変な疑念を抱かれることもないと思うんだ」
「ほう……」
威侯は肯定とも、否定とも取れるような言葉を返している。
全くもって玄は甘すぎるのだと華仙は思う。以前はともかくとして今、東の狩場は霧の国のものなのだ。そこに熊の国の民がいれば、何らかの悪意を持って彼らがそこにいると思っていい。




