苦難の道
「呂桜将軍、この後は?」
「何、牙城砦を陥落させる功。それを兄上に譲るだけだ。我々西方軍には治安維持ということで、再び西方地域に戻るようお達しが出るのだろう」
夏徳は呂桜の言葉を聞いて、軽く眉間に皺を寄せた。確かにこの戦いで七万にも及んだ海の国の兵の半数近くを討ち取ることができた。
だが、それだけで牙城砦を落とせると考えるのは、夏徳が思うに早急と言わざるを得なかった。
ま、俺には最早、関係ない話なのだが。
夏徳は心の中で呟くと、それ以上に懸念していたことを口にした。
「丸の国と柱の国に関しては国が考えていたように、その力を削ぐことができました。ですが、功を上げた霧の国を始めとして、西方地域にあった主だった国々の元君主や、兵の多くはまだまだ健在です」
夏徳の言葉に呂桜は頷いた。
「国が、父上がその国々の力を削ぐために、別の手を打ってくると?」
「恐らくはそうなるのでしょう。そもそも、あのような旧小国たちを恐れる必要などないと私は思います。ですが、国はそう考えた。一度そう考えたのであれば、簡単に考えを変えないのが国というものでしょうから」
今度は呂桜が夏徳の言葉を聞いて、眉間に深い皺を刻み込む。
「分かった。西方地域に戻ったら一度、帝都へ帰還する申し出をしてみよう。父上と話す必要がある。夏徳、お主も同行してくれ」
夏徳は頷く。
だが、呂桜の意見が国の意向に対して、どれほどの抑止力となるのだろうか。
冷たいようだが、夏徳にはそう思わざるを得なかった。
可哀そうだが旧西方地域の諸国には、まだまだ苦難の道が続くか……。
夏徳は心中でそう呟いたのだった。
海の国との戦いから半年が過ぎ去ろうとしていた。未だに考えるのだが、誰ひとり欠けることなく、無事にこの地に帰ってくることができるとは華仙も思っていなかった。
負傷者はいたものの、死者を出すことなく華仙たちは霧の国に再び戻ることができたのだ。
まだ霧が残る大気に安堵の息を吐き出しながら、華仙は玄がいる宮殿へと足を急がせていた。
あの戦いの後、呂桜と夏徳は西方地域に戻ったのだったが、王都へ帰還する西方軍の将兵とともに帝都へ向かって行った。
結局、治安を維持するとの名目で、霧の国に残った陽の国の兵は総勢五百。陽の国が併合した西方地域の各国にも、同程度の兵数が置かれているらしい。五百という数は、国を支配するには少しばかり兵の数が足りない気がする。
玄の言葉を借りるのであれば、陽の国は併合した西方地域各国の反乱等を直近では考えていないようだった。
玄はといえば、帰還してから発熱する日が多くなってきていた。高熱を発するわけではなかったが、微熱が続く日が多い。
その続く微熱が徐々に玄の体力を奪っていってしまうようで、それが華仙を不安にさせていた。そのことに思いを馳せると、どうしても華仙は足早となってしまう。
王宮といっても粗末なものなのだが、玄はかつての王宮に再び居を構えている。呂桜たちが帝都へ帰還した後、玄は以前と同様に王宮へ住むことが許されていた。
その日、華仙は丁統と偶然に王宮で出食わす格好となった。丁統は西方軍の軍師、夏徳の副官だった人物だ。現在、霧の国に駐在する陽の国の兵はこの丁統が率いている。
「おはようございます、姫様」
いつからか丁統も霧の国の皆と同じく、華仙のことを姫様と呼ぶようになっていた。陽の国の中央に位置する人間から姫様と呼ばれる謂れはないのだが、嫌味で言っている感じでもないので、華仙はそれを素直に受け入れている。
もっとも、姫という敬称で言えば、華仙は王族の娘などではなくて、単に将軍家の娘でしかない。霧の国の人々が将軍家の娘に敬愛を込めて姫と呼んでいただけの話なのだ。
「おはようございます、丁統殿」
華仙は丁統に黒色の瞳を向けた。正確な歳を華仙は知らないが、丁統はまだ二十歳をいくつか越えているだけのように見える。玄や自分と大して年齢は変わらないのかもしれない。
その歳で軍師の副官を務めていたのだ。出自も含めてきっと優秀な人物なのだろう。
「玄殿のご様子はいかがでしょうか?」
「ありがとうございます。昨日、発熱したと言っても高熱ではなかったので、ご心配するようなことはないかと思います」
「そうですか」
丁統は頷くと少しだけ考える素振りをみせて、再び口を開いた。
「以前から考えていたのですが、帝都であれば優秀な医者もおります。玄殿には一度、帝都の医者に診てもらうのもよいかもしれませんね」
丁統の言葉を聞いて、華仙は確かにそうだと思う。陽の国の進んだ医療であれば、発熱の原因も分かるかもしれないし、玄の症状に有効な薬だってあるかもしれない。
そう思いながら華仙はゆっくりと丁統に頭を下げた。
「ありがとうございます、丁統殿。その際は是非ともご相談させて下さい」
「姫様、堅苦しい礼儀は不要ですからね。その際は是非、ご相談下さい」
丁統はそう言って爽やかな笑顔を華仙に見せたのだった。




