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霧深き国の姫  作者: yaasan


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栓をするように

 「(げん)様、いよいよですね」


 華仙(かせん)の言葉に玄が静かに頷いた。

 その声には少しだけ緊張の響きがあったかもしれない。玄の横には普段と変わることがない様子の威侯(いこう)黄帯(こうたい)の姿もある。彼らの姿を見るだけで、華仙は心強くなる気がしてくる。


 (うみ)の国、七万の兵が華仙たちの眼前に迫ってきているはずだった。ただ、七万の兵を華仙たち(きり)の国の千名が一気に相手をするわけではない。


 玄が殿の陣を置いたのは、左右が切り立った崖と山に挟まれた狭い山道の出口である。その山道は狭く、横に大人が二十人も並べば一杯となる。


 まさにその出口に、玄は扇形に一千の兵を並べたのだ。


「ここで栓をするように、海の国を止められたらいいのだけれど」


 玄の言葉に威侯は苦笑している。


「一千の兵では、その栓が勢いよく弾け飛ぶだけでしょうな」


「まあ、そうだね。仕方がないね。では、上手に弾けようか」


 玄は少しだけ笑って言葉を続けた。


「必ず三人が一組となって逃げること。これは徹底されているよね」


「大丈夫です。我々の背後に広がる森林。そこへ散り散りに逃げる手筈です」


 威侯の言葉に玄が頷いている。(くま)の国の時もそうだし、(よう)の国の時もそうだった。上手く逃げるだの、上手く負けるだのそんなことばかりを言っているような気がする。


 しかし、一方で玄の判断が間違っているわけでもないと華仙は思っていた。地形的に有利とはいえ、七万の軍勢を一千の兵が止められるはずもないのだ。


 なぜ華仙たちが申し出てまで殿を務めるのか。玄の答えは明確だった。ここで功を上げ、陽の国において霧の国だった民たちの地位を向上させたい。それが玄の返答だった。


 分からなくもない。だが、その功のために、七万もの兵を相手にする殿などは危険が大きすぎるのではないか。そう反対する華仙に対して、玄は珍しく厳しい顔をしてみせた。


 霧の国の皆が今後、五十年、百年と陽の国で穏やかに過ごすためには必要だと玄は譲らなかった。結局、華仙と同じく反対していた威侯も最後は玄の言葉に折れたのだ。


 言い出したら頑固なところは小さい時から変わらない。玄がこのような感じになると、華仙はいつもそう思う。


「玄様、もうすぐにでも敵が姿を見せるかと」


 威侯の言葉に玄は頷いた。


「陽の国が殿として伏兵を置くとすれば、彼らが通ってきた山道。もしくはここの他にないと海の国も考えているはずだからね。おそらく敵兵は慎重に進んでくる。その先頭の兵が見えたら一斉に矢を射かける。それも極力派手にね。怯んだ敵が態勢を立て直して再度、前進を開始すると同時に、僕たちは逃げ出す」


「大丈夫です。武器も鎧も捨てて逃げるように周知しております。玄様も逃げる際、私と黄帯、そして華仙から離れてしまうことのないように」


 威侯に言われて玄が苦笑した。


「守られてばかりで情けないけども、よろしくお願いするよ。僕は走るのが得意ではないからね」


 不得意なのは走ることだけではないでしょうに。華仙はそう思いながらも玄の体調に一抹の不安を覚えていた。


 この日、熱がないのは幸いだった。とは言っても、散り散りに逃げ出して呂桜(りょおう)が率いている西方軍本体と合流するまで、最低でも五日はかかるはずだ。


 その間は徒歩での移動と野宿を繰り返すことになる。それも敵から逃れながらの行動。


 海の国が逃げ出した自分たちを深追いするとは考え難いのだが、それでも用心して行動しなければならないだろう。精神的にも肉体的にも負担が増すはずだ。


 そんな華仙の思いを読み取ったように玄が口を開いた。


「大丈夫だよ、華仙。今日はここ最近ないくらいに体の調子がいいからね。敵からの追手も、僕には威侯と黄帯。そして、華仙がいるのだから僕は何も心配していないよ」


 そんな玄の言葉が終わると同時だった。黄帯が右手を高々と上げる。緊張した空気が周囲に走った。

 海の国の兵が姿を見せたのだ。それを見て、華仙自身も矢をつがえて構える。

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