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霧深き国の姫  作者: yaasan


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理想

「そうだね。いいことばかりではない。でも、やはり悪いことばかりでもない。僕は(きり)の国の皆には、悪いことだけに注目してほしくない。そうなってしまうと、(よう)の国に対してわだかまりしか残らないからね」


 (げん)の言うことは、理屈としてなら分かる。だけれども、いいことだけに目を向ける。簡単に人は、そんな聖人のようになれるわけではない。

 

 やはり玄は優しすぎるのだ。

 華仙(かせん)は改めて玄のことをそう思う。


「長い間、いがみあってきた霧の国と(くま)の国。僕は霧の国と(よう)の国が、それと同じ関係になってほしくないんだ。僕たちの子供や孫。そのまた子供や孫。彼らが未来永劫、誰かを憎み争い続ける姿を考えたくない」


 玄の発熱で潤んだ濃い茶色の瞳が、真っ直ぐに華仙へ向けられている。


 玄の言っていることは、おそらく正しいのだろう。だけれども人間には感情があって、玄が言うように単純に割り切ることはきっと難しい。


「でも、それは殴られても殴り返さない。結局はそういうことだよね」


「それが理想だというのは分かっているつもりだよ。だから、なるべく殴らないようにしようってことなのかな。僕たちは、いい部分をなるべく見て、陽の国に恨みを持ってしまわないようにするべきなのだろうね」


 玄はそこまで言うと、大きく息を吐き出した。熱があるというのに少し喋りすぎたのかもしれない。


「でも、僕は本当にそう願っているんだよ。霧の国と仲が悪いのは熊の国だけで充分だからね」


 最後はそう冗談めかしてた玄だったが、それが偽らざる玄の本音なのだろう。


「そうね。理由が何であれ、私たちの子供や孫までが誰かと、いがみ合うことは考えたくないわよね」


 華仙の言葉に玄は静かに微笑んだ。


「さあ、玄、少し休みなさい。いつ出陣を命じられるのか分からないのだから、早く治さないとね。玄の体調がよくないと、皆も心配するわ」


 玄は素直に頷いた。思っている以上に、玄の体調はよくないのかもしれない。そんな考えが脳裏を掠めて、華仙を少し不安にさせる。


「華仙、大丈夫だよ。少し休めば、きっとすぐに熱も下がるよ」


 華仙のそんな思いを読み取ったかのように、玄は優しく華仙に言ったのだった。





 「夏徳(かとく)様、二千の兵を出陣させるのは本当なのですか?」


 丁統(ちょうとう)にしては珍しく、夏徳にまるで喰ってかかるような物言いだった。


凱鋼代(がいこうだい)将軍からの命令だ」


 夏徳は苦虫を噛み潰したような顔で言う。


 丁統に言われるまでもなく、夏徳自身も怒りを覚えていた。ただそれを表に出さないのは、丁統と違って夏徳が少し歳を取っているだけ。ただそれだけの話なのかもしれないと夏徳自身も思っていた。


「ですが、敵の兵数も分からないのですよね?」


 丁統が言おうとしていることは夏徳にも分かっていた。簡単に言えば、敵の兵力が分からないのに、兵を小出しにするのは愚策だということだ。


「そんなことは凱鋼代将軍も分かっているのだろうさ。目的が別にあるってとこだ」


 投げやり気味にも聞こえる夏徳の言葉に、丁統が怒りの表情となる。


 若いな。いや、若いと言うよりも真っ直ぐだと言うべきなのだろうな。

 どこぞの姫様と本当によく似ている。


 夏徳は以前にも感じたことを心中で呟きながら、丁統の肩に手を置いた。そして、その手に力を込める。


「丁統、これは決定事項だ。俺たちがどう思おうが、今の俺やお前では覆せない。それは例え、姫様でもな」


 夏徳の真剣な顔に丁統は無言で頷いた。


「間違っていると思うなら、お前はこの先、偉くなれ。そして、こんなことを考える奴を偉くなったお前が先々で正していけばいい」


「ですが、夏徳様」


 なおも喰い下がろうとする丁統に夏徳は首を左右に振ってみせた。


「俺はこれから姫様も説得しなければならんのだ。お前までが聞き分けの悪いことを言うな」


 夏徳の言葉に丁統は顔を下に向けると大きな溜息を吐いた。そして、再び夏徳に視線を向ける。

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