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霧深き国の姫  作者: yaasan


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間一髪

 気がつけば華仙(かせん)たちの前方には、逃げて行く(よう)の国の将兵が迫っていた。


 攻める時と同様に、逃げる時にもやる気が見えないと華仙は改めて思う。彼らからは鬼気迫るような必死さが伝わってこないのだ。


 (げん)たちが言うように、やはり陽の国は何らかの策を実行しようとしているのか。この攻め方、そして逃げ方でさえもその布石なのだろうか。

 

 華仙がそう考えていると、先頭を走る威侯(いこう)が華仙たちに向かって声を張り上げた。


「斬り込むぞ。皆で固まれよ。深追いをする必要はない。一番偉そうなやつを捕まえて戻ってくればよいのだ」


 各々がそれぞれの言葉で返事をする。威侯の指示は単純で明確だった。


 これから少数で敵陣に斬り込むというのに、気負った感じ、臆する様子も皆にはなかった。それこそ、近くの山に皆で狩にでも行くといった感じである。


 (きり)の国は長い間、熊の国と小競り合いを繰り返してきた。戦いの規模自体は小さなものなのだが、それでも戦いに違いはない。霧の国の兵たちはそういう意味で、戦うこと自体には慣れているのだ。


 背を向けて逃げる陽の国の兵たち。その最後尾を走っていた兵が背後の異変に気がついた。


 何事かと背後を振り返ったその兵を一刀の下に威侯が斬り伏せる。


「邪魔だ!」


 威侯が吠えるように叫ぶ。そこには慈悲の欠片もなかった。


「よく聞け! 我が名は霧の国の将、威侯! 威候なり! 死にたくなければ、道を開けよ!」


 威侯の名は絶大だった。逃げるにしても、逃げ方にすらやる気が見えない。それまではそのような印象しかなかったのだが、それが威侯の出現で一変する。


 陽の国の兵士たちは恐慌をきたしたように、我先にとばかりに必死で逃げ出し始めた。


 もしかすると神話級の化け物であるかのように、霧の国の外では威侯の名が語られているのかもしれない。もっとも、顔の作りは神話級なのかもしれないけれど。

 

 それまでとはがらりと変わって、必死に逃げ惑う陽の国の兵たちを視界に入れながら、華仙はそんなことを考えていた。


 威侯を先頭にして馬に乗った華仙たちは、威候の名を聞いて逃げ惑う兵たちの間をひと固まりとなって駆け抜けて行く。


「あやつだ! 立派な甲冑を着てる! 捕らえよ!」


 先頭の威侯が再び吠えた。相変わらず威候の指示は明確で簡潔だった。そして、戦場ではそれが有難かった。余計なことを考える必要がなくて、瞬間的に体を動かせばいいのだ。


 威侯が指し示す方を見ると、確かに周囲の兵士とは異なる甲冑を着た小柄な者の姿がある。銀色に鈍く光る甲冑は、明らかに周囲の中で異彩を放っていた。


「御免!」


 何が御免なのか華仙には分からなかったが、威侯が長剣を馬上で振り上げた。刃は下を向いていなかったので、峰打ちをするのが明らかだった。


 異彩を放つ甲冑を着た小柄な者は、威侯のそのような姿を見て表情を凍らせていた。その腰には装飾が施された立派な長剣があったが、それに手を伸ばすこともできないようだ。


 それが威侯だとは知らなくても、急に眼前に現れた鬼瓦のような顔をした大男が馬上で長剣を振り上げているのだ。そんな姿を見れば、誰もがそうなってしまうのかもしれない。


 それにしても綺麗な顔立ちをしている。豪勢な甲冑を身に着けているぐらいだから、陽の国の王族にでも連なる者なのだろうか。

 華仙がそんなことを思った時だった。


 小柄な男の横手から飛び出してくる影がある。その影は小柄な男の腰を飛び込みながら両手で抱えると、ともに大地へともつれ合うようにして転がった。


 結果として威侯の長剣は空を斬ることとなった。小柄な男にしてみれば間一髪というところだっただろう。


 もっとも峰打ちなので、威侯に殺すつもりはない。だが、瞬時にそれが相手に分かるはずもないのだろう。


 小柄な男はその勢いで大地に転がったままだったが、飛び出してきた影はすぐに体勢を整えて立ち上がった。そして、果敢にも自分の腰にある長剣を抜き払った。

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