斬り込み
長剣を手にして勢いよく梯子を降りた夏徳だったが、武芸に関しては全くと言ってよいほどに自信がない。実際に戦場も含めて剣を抜いたことなど、数えるぐらいしかなかった。
戦場で敵兵と斬り合ったことなどあるはずもない。それでもないよりはましだろうとの思いで、夏徳は長剣を片手に呂桜を探す。
あの時、呂桜は動きの鈍い前線の兵を叱咤激励するとか何とか言っていたはずだった。よりによって間が悪いと夏徳は思う。
その時、前線でどよめきが起こった。見なくても分かる。城門から出てきた先程の騎兵が突撃してきたのだろう。
相手が少数とはいえ、虚を突かれて最前線は混乱に陥っているはずだった。
呂桜はどこにいるのか? もし、最前線にいたら。もしも、突撃してくる威侯の前に呂桜がいたら?
夏徳の背を冷たい汗が流れ落ちていく。
「おい! 呂桜将軍は?」
土煙が上がり騒ぎが起きている前線に何事かと視線を送っていた兵長がいる。その者の襟首を夏徳は乱暴に捕まえた。
「お、おい? 貴様、何をする?」
兵長は尖った口調で言葉を放ったが、すぐに相手が軍師の夏徳であることに気がついたようだった。
「軍師殿、一体?」
「呂桜将軍はどこだ?」
兵長の言葉には取り合わず、夏徳は同じ言葉を口にした。
「は、はあ……将軍はおそらくこの先に。最前線で激励をすると仰せでした。それよりもこの騒ぎ、何なのでしょうか。軍師殿は何かご存知ですか?」
兵長はどこまでも呑気なようだった。
最前線で激励。どこまでも好戦的な姫様だと夏徳は思う。
「おい貴様、配下の兵は何人いる?」
「はあ、五名ですが……」
何を言われようとしているのかが分からないようで、兵長の反応は鈍い。
「よし、そいつらを連れて、俺を呂桜将軍が向かった方に連れて行け!」
「は、はあ、一体、何が?」
「いいから、早くしろ! 叩っ斬るぞ!」
夏徳の剣幕に尋常でないことをようやく感じ取ったのだろう。兵長は短く返事をすると、配下の兵を求めて左右を見渡す。
いずれにしても呂桜を見つけることが、まずは優先すべきことだった。そもそも突撃してくる者が威侯だとは限らない。
遠目から見たあの大柄な男が本当に威侯だとしても、威侯が突撃する先に呂桜がいるとは限らないのだ。全ては無用の心配であるのかもしれない。
理屈では分かっているが、先程から嫌な予感と嫌な汗が止まらない。偶然は時に信じられないことを起こす。だからこそ偶然と言うのだ。そのことを夏徳は知っていた。
夏徳は表現し難い嫌な予感を感じていたのだった。
「父上、威侯将軍!」
結局、勢い余ってついてきてしまった。
馬上の華仙は心の中でそう呟いていた。背後から追ってきた娘を見て、威侯もさすがに少しだけ驚いた顔をしている。
華仙、心配ならばついて行くといい。ただし、無茶は駄目だからね。危ない真似をしてはいけないよ。
玄に言われた言葉が華仙の中で蘇ってくる。まるで、子供を諭すような言葉だったと華仙思っていた。
そもそも、ここは戦場なのだ。危ない真似以前の問題である気がする。
「華仙、玄様のお傍になぜいなかった」
馬上で声を張り上げて威侯はそう言ったものの、華仙を強く非難する響きはそこになかった。その目はわずかに笑っている。
「私も霧の国、将軍家の者です。霧の国の威を示すのであれば、私にもその一翼を担わせて下さい」
その言葉に威侯は面白そうな笑い声を上げた。
「一人前のことを言うようになったものだ。最早、子供ではないということか。いいだろう、華仙。同行を許そう」
威候は次いで、隣りで馬を並走させていた黄帯に顔を向けた。
「黄帯、華仙の傍にいてくれ。華仙に何かあれば、玄様に面目が立たぬ」
黄帯は無言で頷いている。そんな二人の様子を見て、結局は子供扱いじゃないと華仙は思う。
「姫様、頬が膨らんでおりますよ」
また子供扱いして。
黄帯の指摘に華仙はそう思い、黄帯を軽く睨みつける。黄帯はそんな華仙の反応を受けて馬上で苦笑を浮かべるのだった。




