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霧深き国の姫  作者: yaasan


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やる気になっちまって

 「ほら、急ぐんだぞ。(よう)の国がいつに攻めてくるのか、分からないのだからな!」


 華仙(かせん)の横で黄帯(こうたい)がそう皆に発破をかけている。その日、いつもの濃い霧が晴れてから、(きり)の国の民は総出で国を取り囲んでいる城壁の補修をしていた。補修の陣頭指揮は華仙(かせん)と黄帯だった。


「姫様、陽の国は本当に攻めてくるのですか?」


 作業をしていた若い民の一人が、手を止めて華仙に尋ねてくる。華仙はその言葉に頷いた。


「そうね。残念だけど、その可能性は高いみたい」


「そうですか。霧以外に何もないような国を攻めてもしょうがないだろうに」


 尋ねてきた民が嘆くように言う。すると、その横にいた年配の男が口を開いた。


「何、心配するな。霧の国には威候(いこう)将軍がいるからな。陽の国の兵など蹴散らしてくれるさ。わしは若い頃、威侯将軍と()の国を相手に戦ったことがある。その時の将軍は、それはもう鬼神の如き強さだったぞ」


 年配の男の言葉に若い男が顔を輝かせた。


「そうだな。霧の国には威侯将軍がいる。陽の国などに負けはしない!」


 若い男が声を張り上げてそう言うと、周囲からも賛同の声が上がった。


 我が父ながら大した人気だと皮肉に思ったりもする。だが、どちらかと言えば、この状況ではありがたいのかもしれないと華仙は思い直す。


 圧倒的に不利な状況には違いないのだが、士気は高いに越したことはない。


 勝てないまでも、何かしらの抵抗と意地を見せる必要がある。(げん)自身の本心はともかくとして、玄が下した判断が正しいのか正直、華仙には今でも分からない。


 霧の国の民が不必要に傷つくのであれば余計な抵抗などはしないで、陽の国に降ればよいのかもしれないとも思う。ただ華仙としては、その際に玄の身の安全が保障されるという前提があるのだったが。


 何が正解なのかは分からない。だが華仙自身も、このまま何もしないで陽の国に頭を垂れるのは違うような気もする。これが玄の言っていた武人の理屈というものなのか。


 一方でそのような身勝手ともいえる自分の思いで、霧の国の民を傷つけてしまってもよいのか。


 思考は結論が出ることもなく、ぐるぐると同じところを回り続けている。そんな華仙の思考を黄帯の大声が断ち切った。


「ほら、口を動かさないで手を動かせ。この城壁が霧の国の命綱となるのだからな。余すところなく修復するんだ。安心しろ。皆の言う通り、霧の国には威侯将軍がいる。姫様だっている。陽の国の好きなように簡単にはさせぬさ!」


 黄帯の言葉に再び同意の歓声が起こり、霧の国の皆は手を動かし始めた。


 霧の国の皆も、そして玄も傷つかない選択。


 そのような選択などは神でもなければできない。ならば、選んだ選択において玄も皆も傷つかないように、自分は最善を尽くすだけなのだ。


 華仙はそう結論づけると、意志の強さを感じさせる瞳に決意の色を浮かべたのだった。





 「やれやれ、やる気になっちまって。どうしたものかねえ……」


 夏徳(かとく)丁統(ちょうとう)の横で誰に呟くまでもなく呟いた。横で丁統が夏徳の言葉に顔を顰めていたが、夏徳はそれに気づかないふりをする。


 別にこれぐらいの愚痴は言ってもいいだろうと夏徳は思う。何せ夏徳の予想に反して、霧の国は城壁内に籠って徹底抗戦の構えを見せているのだ。


 攻める陽の国の兵は約一万。それに対して霧の国の兵は一千か二千か。いずれにしても陽の国の相手になれるような数ではない。例え守ることに専念して城壁内に籠ったとしてもだ。


 正直、夏徳は面倒なことになったものだと心の底から思っていた。言い方は悪いが、確かに吹けば飛ぶような粗末な城壁だ。だが、それでも城壁には違いない。それを力押しで破るとなれば、こちらにだって相応の被害は出る。


 霧の国にしても全くの無策で城壁内に閉じこもったわけではないだろう。それなりの準備を城壁内でしていると考えてしかるべきだった。


 霧の国のような小国を相手にして兵たちに余計な被害を出せば、本国から何を言われるか分かったものではない。いや、本国よりも姫、呂桜(りょおう)から先に咎められてしまうかもしれない。


 こいつは想定外に困ったことだ。そう思いながら、夏徳は隣の呂桜に目を向けた。呂桜の横顔はどこか嬉しそうに見える。


 女の身でありながらなどと言うつもりはないが、どうしてこうも好戦的なのかねと夏徳は思う。


 黙っていれば、深窓の姫君といった感のある容姿だというのに。推察するまでもなく呂桜は嬉しいのだ。戦えることが。


 これまでに西部で制圧してきた国々は、ほぼ戦う意志を見せずに陽の国の軍門に降ってきた。先の(くま)の国など君主が自縛して現れたぐらいだ。


 それに比して霧の国は陽の国と戦う姿勢を明らかに示していた。それがどれだけ無謀なことであるとしても。


 やれやれだな。

 夏徳は改めて心の中で呟いた。


 呂桜がなぜここまで戦いを好み求めているのかは知らない。正直、大してそれには興味もない。


 ただ、単純に考えれば恐らくは父親の皇帝、緑帝(りょくてい)に向けて何らかの功を誇りたいのだろうとは思う。


 ではなぜ、功を誇りたいのか。兄弟への牽制なのか……。


 ま、興味も、それに関わる気もないのだがね。

 夏徳は心の中で呟くと、そこで思考を止めて呂桜に向けて口を開いた。


「呂桜将軍、ここは力押しを避けるべきかと。小国とはいえ彼らも必死なはず。死兵は古来より厄介なものです。陛下よりお借りした兵を悪戯に消耗させては、将軍への責ともなりますゆえ」


 そんな夏徳の言葉に呂桜は少しだけ考える素振りをみせた。

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