功教
自国の文化を大陸中に広める。それが陽の国の帝、緑帝の望みだった。
根底には陽の国の国教に定められている功教の宗教的な考えがあるのだが、夏徳はそれに対して特に思うところはなかった。宗教も含めて、自国の文化を外に広めたいのであれば好きにすればよいと思う。
それがある意味、国としての宿命なのかもしれないとの達観したような思いもある。自分は武人の端くれとして、命じられたことはやろうと単純に夏徳は思っているだけだった。
それに熱心な信者というわけではないが、宗教に関して言えば夏徳自身も功教の信者だった。夏徳にとっても功教は生まれた時から周囲にあるもので、人々の生活に根差した宗教だった。その教え自体にも、それほど不都合を感じるものではないと夏徳は思っていた。
ここ数年の間に併合していった国々の人々を除けば、今は陽の国の人々の大部分が功教の信者と言ってよかった。もちろん陽の国の帝、緑帝は功教の熱心な信者である。
「夏徳、お主は元々、我が国の精鋭が集まる東方軍の軍師だったと聞いている」
「まあ、そうですね」
東方軍の中で序列最下位の軍師だったが、東方軍の軍師であったことは嘘でも間違いでもない。
「私は期待しているのだぞ」
呂桜は端正な顔を夏徳に向けている。その顔つきは真剣そのものだった。
期待されると言われて、不快になることはない。それも、絶世の美女と言って差支えのない呂桜に言われているのだ。だが、小国しかない西方地域を平定するにあたって、何を期待するのだろうかと思う気持ちもある。
それとも、西方地域を平定したあとは、その小国群の背後にある大陸を分断している山脈を越えて、さらに西方へ攻め入ろうとでも考えているのだろうか。
いやいやと夏徳は思う。仮に陽の国がこのままの勢いで、山脈で断たれている大陸の東部すべてを平定できたとしても、山脈を超えて大陸の西部へ攻め入ることは無謀でしかないだろう。
まあ、これ以上は考えても致し方ないと夏徳は思い直した。
出自としては農民の子弟でしかなかった自分だ。そのような自分が、たまたま学べる機会を得て運よく軍師になれただけなのだ。これ以上のことを考えるのは、分を超えていると言うべきなのだろう。
運よく軍師になれただけとはいえ、この地位でそれなりの経済的な恩恵を受けてきた。また一介の農民では、決して享受できないような経験も得ることができた。
となれば、これまでに陽の国から受けた恩恵を多少でも返さなければ、罰があたるというものだ。珍しく殊勝にそう思いながら、夏徳は呂桜に向かって頷いた。
「承知致しまた。偉大なる呂桜将軍。この夏徳、非才、不祥の身ではありますが、崇高なる呂桜将軍のために、ご恩に応えるためにも粉骨砕身精進させて頂きます」
装飾語が多すぎて最早、何を言っているのか分からんな。ま、口ではこのような感じで、何とでも言えるのだがな。
夏徳は心の中で呟くのだった。
その時、玄はかつて見たことがないほどの厳しい顔を周囲の者に見せていた。だが、それも無理のないことなのだと華仙は思う。
柱の国が陽の国によって滅ぼされた。その報せが届くとほぼ同時に、今度は熊の国が陽の国に攻め入られているとの報せが届いたのだった。
以前に父親の威候が言っていたこと、懸念していたこと。それが現実として目の前に差し出されてしまったのだ。威候と陽の国の脅威について話した時から、まだ二か月も経っていない。
「陽の国の将兵は約一万とのこと。熊の国も長くは保たないでしょうな」
威侯の言葉に玄は無言で頷き、少しだけ考えるような素振りをみせた。一万の敵に攻められれば、熊の国などはひとたまりもないだろう。攻め寄せる敵兵が熊の国にいる住民の数よりも多いぐらいなのだから。
でも、それは霧の国も同じことが言えるのだと華仙は思う。霧の国の住民も五千人程度しかいない。一万の将兵で陽の国に攻め入られれば、それに抗う術があるはずもない。




