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霧深き国の姫  作者: yaasan


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傾国の美女

 「失礼します、呂桜(りょおう)様」


 そんな言葉とともに、夏徳(かとく)は天幕の中に足を踏み入れた。机に向かって何やら書いていた筆を止めて、呂桜はその端正な顔を持ち上げる。左右には天幕の入口同様に、屈強な兵士二名を従えていた。


 さして広くもない天幕の中でご苦労なことだと、暑苦しさを感じながら夏徳はそう思う。


 顔を上げた呂桜は夏徳の顔を見て、一瞬だけ考える素振りを見せた。(よう)の国の帝、緑帝(りょくてい)の三女である呂桜(りょおう)。歳は今年、二十五歳になると聞いている。


 他の姫とは違って、なぜ将軍なんぞの真似事をしているのかは知らない。そもそも、そのような理由に夏徳は興味がなかった。


 夏徳の中にあるのは、姫のお守りなど面倒だという思いだけだった。


「来たか、夏徳。父上、陛下より西方方面の侵攻を早めよとのお達しがあったのだ」


「はあ……」


 夏徳は頷く。その姿を見て呂桜は不快げに眉を顰めてみせた。


 美人が怒ると妙な迫力が出てくるな。

 夏徳は呂桜の顔を見ながら心の中で呟いた。


 もう少し自分が若ければ、一国の姫であるこのような美人と一緒にいられるのは嬉しいことなのだろうか。

 夏徳はそんな場違いのようなことも考える。


 癖のない長く伸ばされた黒色の髪と薄い茶色の瞳。肌の色は戦場に立っているために透き通るような白さというわけではないが、その美を損なうものではなかった。


 甲冑を着ていなければ、傾国の美女といった趣きさえあるのかもしれない。


 そんな心ここにあらずといった夏徳の心情を察したのか、呂桜はさらに深い皺を眉間に刻んだ。それを見て夏徳は心の中で大きな溜息をついた。

 どうやら逃げ場はないようだった。


「失礼しました」


 夏徳は勢いよく頭を下げる。


「丁度、(はしら)の国をどう攻めるか。それを考えておりました」


 夏徳の取ってつけた言い訳に、呂桜は面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「そんなものは、我々西方軍が進軍して飲み込むだけだ」


 まあ、それはそうなのだが。

 夏徳は内心で頷いた。柱の国との戦力差は明らかで、そこに柱の国が策を弄する隙間はない。陽の国としては、何も考えずに兵を進めるだけでよかった。


「それはそうですが、将軍、兵たちにも休息も与えねばならないかと」


「休息だと?」


 呂桜が発する声の高さが跳ね上がった。


(まる)の国を占拠してからすでに三週間。兵たちは十分に休んだと思うが?」


 怒りのためか呂桜の声は少しだけ震えている。

 やれやれだなと改めて夏徳は思う。


 知ってはいたが、何とも好戦的で気が短い姫様らしい。


 姫の身でありながら、他の男兄弟と同じように将軍となって戦場を駆け回る。呂桜のこの思いはどこからきているのだろうか。


 確かに呂桜は側室の子供であり正妻の子供ではない。だが、そんな子供は他にも多くいるはずだった。なので、正妻の子供ではないからといって、陽の国内で蔑まれることもないはずだ。


 そんな夏徳の疑問を知る由もなく、呂桜は言葉を続けた。


「一軍を任されたとはいえ我々は所詮、小国が並ぶ地域を相手にする西方軍だ。我々は勝って当然。制して当然なのだ。その上で我々が優位性、有能性を父上、帝に披露できるとすれば……」


 我々? 私が、の間違いだろうと夏徳は不貞腐れたように心の中で呟く。


「おい、夏徳! 聞いているのか!」


 夏徳は静かに頷く。実際は途中から何も聞いていなかった。


「分かりました。兵站が整い次第、柱の国に向けて出立いたします。期限は三日後までにとします。それでよろしいでしょうか?」


「う、うむ」


 夏徳の言葉に反論の余地はなかったようで呂桜は頷いた。


 柱の国を制した後は、大陸を東西に分けている山脈の麓にある小国とも呼べない村のような国だけだ。夏徳は記憶を辿って、その国々の名前を思い浮かべる。


 (くま)の国……次は(きり)の国だったか? 

 夏徳は心の中で呟くのだった。

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