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霧深き国の姫  作者: yaasan


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全知全能

(げん)様……」


 威候(いこう)の口調には重い響きがあった。


「玄様のお考えは素晴らしいと思います。君主とは、民に対してどこまでも慈悲深くなくてはならない。私は常にそう思っておりますし、今までに玄様にお教えしてきたつもりでもいます。ですが、その慈悲を向けるのは自国の民に対してのみです。相手が他国の民や、他国の国自体となると話が違ってきます」


「威侯、こうなることが分かっていたと?」


 威侯は首を左右に振った。


「こうなる可能性はあるとは思っておりました」


「ならば、なぜそれを言わなかった?」


 玄の言葉に怒りの成分が多く含まれていることに華仙(かせん)は気がついた。玄が他者に対して怒りをあらわにすることは珍しいことだった。


「あの時、私がそれを言って玄様をお止めしたところで、玄様はそれを聞き入れなかったでしょう」


 確かに威侯の言う通りだった。あの時、玄が威候の言葉を受けて、それに素直に従ったとは思えない。しかし、だからといってそれを一言も言わないのは、人が悪すぎるのではないだろうか。


 いや、違うのか。

 華仙は思い直した。もしもそうしていたら、あの時に威侯が言ったにもかかわらず、玄が威候の言葉を聞き入れなかった。そういった話になってしまったかもしれない。そうなれば威侯はともかくとして、配下の者でこの結果に不満を抱く者も出てくるかもしれない。


 威侯の言葉に苦渋の色を顔に浮かべて黙り込んだ玄に向かって、威侯は再び口を開く。


「どうされますか? このままでは東の狩場は(くま)の国に奪われるかと」


 どうするも何もないと華仙は思う。東の狩場を奪われてしまえば、今度は(きり)の国の食糧事情が一気に悪化してしまう。田畑の収穫にもよるが、下手をすれば今後は餓死者だって出るかもしれない。


「こちらも兵を出す。威候、今すぐに揃えられる兵はどれくらいだ」


「すぐにとなると、およそ二百かと」


 その言葉に大きく頷くと、玄は勢いよく立ち上がった。その顔には、幼少の頃にあった泣き虫で気弱なものは少しも感じられない。


「行こうか」


 短く言い放った玄の言葉に威侯は大きく頷いたのだった。





 瞬く間に東の狩場を占拠して、簡易的とはいえ柵を設置する。一連の出来事は熊の国において、予め計画されていたものといってよさそうだと華仙は考えていた。


 となれば、あの時に捕らえた熊の国の民にしても、純粋な民ではなかったのかもしれない。東の狩場にあえて侵入して、それによる霧の国の反応を伺っていた可能性だってある。


 狩場を荒らして捕らえられた熊の国の民を無条件で許した霧の国の君主。その行為を霧の国自体が弱腰となっていると判断し、それに乗じての熊の国による東の狩場占拠ということなのかもしれない。


 玄の好意を無下に踏みにじった。そんな怒りが華仙の中にはある。


 しかし、そんなことよりも、自身の判断が誤って霧の国の民に被害を及ぼしてしまったこと。それを自分自身で責めている玄のことの方が華仙には心配だった。


 今、玄は華仙の隣で熊の国が設置した木の柵を無言で見つめていた。


「玄、大丈夫?」


 華仙は普段通りの砕けた言葉使いをする。近くに父親の威侯がいないので怒られる心配がないのだ。そして、それだけの言葉で、華仙が何を言おうとしているのかが玄には分かったようだった。


「大丈夫だよ、華仙。何もかもが分かっているような顔をするのは、僕の悪い癖だね。僕はまだまだ君主として、学ばなければならないことが沢山あるのだから」


 その言葉を聞いて、華仙は少しだけ胸を撫で下ろす気分だった。玄の行為は確かに霧の国の民が犠牲となり、東の狩場も占拠されてしまった。


 でも、それはある意味では結果でしかなく、あの時点でこれらのことまで全て見通せというのは酷すぎるのではないだろうか。いくら君主といっても、全知全能であるはずもないのだから。

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