解放そして急転
「玄様、私は威候将軍の意見に賛成です。私には彼らを見逃す理由が見当たりません」
華仙の言葉に玄は一瞬だけ表情を曇らせた。
「そうか。威侯と華仙の意見は分かった。だけれども、この者たちを殺すことは、僕が許さないよ」
なおも頑なに言う玄に向かって威侯が口を開く。
「玄様の言われることは分かりました。それでは、そう言われる理由をお聞かせ願えますか?」
「この者たちをここで殺せば、禍根を残すからね。ここで彼らの罪を問うたとする。そして、彼らを殺したとしよう。そうしてしまえば、殺された彼らに近しい者がその罪を問うた者に恨みを抱くだろう。そして、恨みを抱いた彼らが、いつかは霧の国の民の誰かに害をなすかもしれない。今度はそれをまた恨みに思って……」
玄はそこで言葉を切って、ひと呼吸を置いた。
「霧の国と熊の国は、そうして遥か昔から互いにに憎み合ってきた。憎しみの連鎖だね。そして、その連鎖の中でぼくの父も熊の国に殺された。その恨みは正直、僕の中に今もある。だけども、僕はその連鎖を断ち切りたいと思っている」
確かに玄の父親、先代の君主は熊の国との戦いで受けた傷が原因となって亡くなっている。そして、玄が言おうしていることが華仙にも分からないわけではなかった。だけれども、華仙の中にある感情が玄の理屈に追いついていかない。
華仙の周囲にも親類などの近しい人を熊の国に殺されてしまった者、殺されないまでも直接的な被害を受けた者が数多くいる。それらの何もかもを忘れてということはできそうにもなかった。
「なるほど……玄様のお考えは分かりました。納得などではきませんが、玄様がそう言われるのならば、従うほかにはないでしょうな」
威侯は長剣を鞘に収めると、熊の国の二人に視線を向けた。父親の威候が大した反論をすることなく剣を収めたことが、華仙にはいささか意外でもあった。
「よいか、二度とこの狩場に姿を見せるな。ここは霧の国の狩場なのだからな」
そんな威侯の言葉とともに解放された彼らは、安堵の表情を浮かべる。そして、玄たちの気が変わらないうちにといった様子で、そそくさとこの場を後にする。
「玄様、本当にこれでよかったのでしょうか?」
一目散に逃げ出していく彼らの背中を見ながら華仙は口を開いた。
「どういう意味かな?」
「国として毅然とした態度を取らなくてもよかったのでしょうか?」
「毅然とした態度を取るために彼らを殺す。そして、恨みを生み出したその結果、僕たちの誰かが傷つき殺される。僕はその繰り返しを終わらせたいだけなんだよ」
玄の言葉に華仙は、やはり単純に頷けなかった。でも、玄の言葉が絶対に間違っていると否定できないでもいた。
華仙は父親の威侯に視線を向ける。威侯は厳しい目つきで、逃げ出して行く彼らの背を見つめていた。
その厳しい視線に華仙は、なぜか得体の知れない不安を覚えたのだった。
東の狩場での出来事からわずか四日後のことだった。小さな霧の国に激震が走った。知らせを聞き、華仙は父の威侯とともに玄の宮殿を訪れていた。
謁見の間には沈黙が満ちていた。誰もがその報せを信じられず、ただ冷たい霧のような静寂だけが流れている。そこに座る玄の顔色は完全に血の気が引いているように見え、このことで玄が受けた衝撃の大きさを物語っていた。
「東の狩場を占拠している熊の国の兵は約三百。すでに簡易的な柵を設置しているようです」
威侯の言葉に玄は頷いて口を開いた。
「こちらの被害は?」
「当時狩場には三名がおり、その内の一人が即座に斬られたとのこと。他の二人は、それを見てすぐさま逃げ出したために無傷なようです。最初に斬られた者は生死不明ですが、生存は厳しいかと」
玄の顔に苦悩の色が浮かぶ。
「斬られた者の名は?」
「英田です」
英田。
華仙も見知った顔で、四十歳を少し過ぎたばかりの狩人だった。代々狩人の家系であり、華仙たちと同年代でまだ二十歳前の息子もいる。その息子もまた狩人のはずだった。無傷で逃げてきたという者の中には、その息子が含まれているのかもしれない。
華仙の胸に焼けるような痛みが走った。目の前で父親が殺される姿を見てしまったのかもしれない。
そんな息子の気持ちを思うと、華仙の中で熊の国に対する怒りと憎しみが湧き上がってくる。




