7.神様と交渉する話(一万年ぶり二回目)
純白の体躯。巨大な膜翼。首と尾は長くしなやかに、きらめく鱗に覆われている。手足には鋭い鉤爪。二本の角の根元に光る赤い双眸、爬虫類そのものの顔にはしかし確かな知性が宿る。
要するにドラゴンだ。
ドラゴン以外の何物でもない。
どうすんだこれ。
「星の御子……! ほんもの!?」
「何故ここに……」
「でも、助かった……!」
助かっ……えっ。
え、なにこの竜さんあんたら側なの? てことは俺は敵? え、でも。嘘だろ。嘘だと言って。異世界に来ていきなりドラゴンを相手にするなんて……あー、割とあるな。そういう話もいくつか読んだことわるわ。
いやいやいやいや無理! 無理俺! 俺には無理! 死ぬ!
「助かった、か。だが大失態だ……貴様ら、まだ気を抜くな。せめて絶対に奴を逃がすな」
忌々しげに唸るシゲさん。あんたはいいよな失態で済むんだから。
逃げないよ。逃げないから逃がして。
なんつってもちろん逃がしてもらえる気配はなく、竜は俺をまっすぐに見据えたままゆっくりと地面に降り立った。振動は意外と少ない。降り立って、降り立ったけど、まだ下がり続けてる。え? ん?
いやこれは、縮んでる? 十メートルぐらいだったのがどんどん小さくなって……あ? ん? 人?
人間に……はい?
目は離さなかった、というか離せなかったのに、よくわからなかった。全身が一旦光に包まれてそれが人型に変形してー、とかそういうのじゃなくて。シームレスっていうのか。とにかく気付いたときにはもう、変わっていた。
白く長い髪に白い服。目は赤。色彩の印象は変わらない。けれど竜は人になっていた。口を開く。
「ちょっと待ってて」
落ち着いた声。女性のような少年のような。見た目も相応に若い。幼い。
「あ、はい」
しかし侮れる感じは全くしない。
『神聖』。
まさにソレって感じ。逆らうことなど考えられない。だからこそ逆に、いけるかも。生存ワンチャンあるかも。希望出てきた。
「さて……状況は、大地と風を通して把握している。君が代表者でいいんだよね?」
「はっ」
俺を脇に置き、シゲさんに声をかける……えっと、竜人? アナちゃんは星の御子とか言ってたけど。じゃあとりあえず御子さんで。
問われたシゲさんはひざまずいて応じる。他の皆さんも同じ姿勢。片膝だけどほとんど土下座だ。
「全命連盟直下時空魔法管理局執行部第二実働分隊第一班班長、シゲナワイト・ナガ一等爪長であります」
長げえ。
てか、シゲナワイトでシゲさんか。おやっさん感が一気に薄まったな。どっちが名字だはどっちだよ。
「うん、丁寧にありがとう。僕のことはウロコでいいよ」
ウロコ。
鱗? 虚子?
「は。星の御子、ウロコ殿下におかれましては、此度のご足労、厚く御礼、並びに心より深くお詫び申し上げます。全ては私一人の失態です。どうか輩下たちには寛大な処分をいただけますよう、伏して誓願奉ります」
「大丈夫。君たちに落ち度はないよ。この件は僕らの不始末みたいなんだ。楽にして」
「……拝命いたします」
「固いなぁ……まぁいいや。じゃあ」
苦笑いを残して、御子さん――ウロコさんがこちらに向き直る。
「あっちの彼と話してくるから。悪いんだけど、黙って見ててね」
「はっ」
寄ってくる。
中性的に整った顔。たぶん女性だと思うけど、そもそも性別があるのかどうか。背中まで伸びた白い髪は絹糸のようにつややかで、くすみ一つない。
着ている白い装束は……これまた、なんだ。高位の聖職者のようでありながら、どことなく魔法少女っぽさもある。露出はほとんどないんだけど神聖さの中に可愛らしさと遊び心が絶妙に同居している感じ。そのせいか威圧感はあまりない。ただ自然に背筋が伸びる。
いや伸ばしてていいのか? 俺もひざまずいた方がよくないか?
迷っていると、黒服さんたちが立ち上がってしまった。足を肩幅にした直立不動の体勢だ。アナちゃんしゃちほこばってるかわいい。今は置いとけ。
えーっと、とりあえず膝はついとこう。
「そのままでいいよ」
「あ、はい」
実はそんな気はしてた。
「だいたいの事情は母さんから聞いてるよ。別の世界の人なんだって?」
「はい! ――え? あ、ん? かあさ、ん?」
「……しゃべるのは苦手かい? なんなら心を直接読むけど」
「あ、おなしゃす」
流しの神様と同じことができるのか。ありがたい提案だ。
「え? いいの?」
「え? はい。そりゃ、もう」
「ふーん……変わってるね」
そうかな。
そういや神様も何かそんな風なニュアンスのこと言ってたけど。
――あれ? ちょっと待って?
神様。星の御子。母さん。星。星の意思。星霊。竜。竜の子。星の子。鱗。
分身。
大いなるものから分かたれた欠片。
連想が一気につながった。ウロコさんが目を見張る。
「へぇ。察しがいいね。説明には手間取るかと思ったんだけど。本当に別の世界から来たの?」
ということは。
「本当なのか。うん、そう。僕はこの惑星に芽生えた意識、その分体。星竜の鱗が一枚。君が出会った神様の、その分身だっていう人とだいたい同じ存在だよ」
おお……助かった。
助かった?
「ははは、どうだろうね。それで、君は……へぇ。ガイアさんのところの。でもだったらどうして…………えー、どれどれ」
え、ガイアを知ってるんですか?
「ん? それは、まぁ。ちょっと遠い親戚みたいなものだから」
マジか。ですか。
「似てるでしょう?」
いえ俺ガイアの顔とか知らないし。
「じゃなくて、環境だよ。向こうの……地球の、空気とか体の重さとかと比べて。違和感はほとんどないと思うけど」
そっちか。
確かに。気が付かなかったけど、言われなきゃ気が付かないぐらい全く同じだ。一年の長さとかはどうだろう。
「三五八日だよ。一日や一時間の長さも微妙に違うみたいだね」
ふむふむ。
ってか、呼び名ってこっちでもガイアなんすね?
「うん? 君たちがそう名付けたんだろう?」
あ、あー。
まぁそうなんですけど。そっか、そういう。
「ま、それはおいといて……悪いんだけど、ここに来た経緯のあたりを思い描いてもらえるかな。別のことに意識を裂かれると読みにくくなるんだ」
あ、ごめんなさい。はい。むんっ。
「ありがとう。…………あー、そうかなるほど。飛来神か……通りで」
ひらいしん?
避雷針、じゃないですよね。なんです?
「ふぅん、同音異義語か。面白いね。いや、飛来神だよ。その名の通り、飛んでやって来る、ただそれだけのカミサマ」
それがあの、流しの神様?
「そう。流れ星とか渡り鳥とかも呼ばれてる。因果の外側にいる存在だから……だからこんな事態になっちゃったわけだ」
むむ。つまり?
「これが、君の移動が星霊の意志のもとに行われたものだったなら、あっちの彼ら、時空魔法管理局の出番はなかったんだ。それは正当な歴史の一部になるわけだからね。実際に星同士が話し合って人材の派遣や交換を行うというのは、割と普通に行われてることみたいなんだ。うちはやってないけど」
なんと。
「だけど彼女、飛来神はどこの世界とも完全に無関係な、いわば部外者だから……言葉は悪いけど、密猟及び不法投棄ってことにしかならないわけだね。取り締まりの対象だ」
なんてこった。
いやマジで何してくれてんのあの野郎。感謝してたのに。
てか、え。彼女? あの人、神様って女性なんですか?
「そこ? ……君の記憶にも大地母神ってあるじゃない。まぁ彼女は星を持ってはいないけど、慣例的に神……星の意思はみんな女性格かな」
なるほど。
あー、で、ところで、その。肝心のというか。
俺は結局どうなるんでしょう?
「そこなんだよね……まず言えるのは、君が思い描いていたようなこの時代での冒険は、させてあげられない。歴史が変わっちゃう」
はい。まぁ。それはわかります。もうだいたい諦めてました。
「そうかい? ありがとう。悪いね」
大丈夫です。残念は残念ですけど。ドラゴンも見られたし。対話すらできたし。まぁ、はい。
それに何をやってもこの世界の人たちにとっては迷惑にしかならないっていうんなら、萎えます。さすがに。
「そう言ってもらえると、こちらとしても助かるよ」
じゃあやっぱり、あの人たち、黒服さんと一緒に未来に? 俺一人程度じゃ歴史に影響がないぐらい発達した時代に。
「うん、ごめん。それも無理」
えっ。
「だってそんな時代なんてないもん」
もんて。
え、いやウソでしょ。あるでしょ。
「ないんだってば。文明というものはいつだって発展を求めている。どれほど発達して強固に築き上げられた社会にも、変革の余地は必ずある。そして君のその膨大すぎる魔力は、どんな時代にあっても起爆剤としては十分なんだ」
言わんとすることはわかるんですけども。俺の魔力? そんなにすごいんですか?
「自覚なしか。僕と同程度って言えばわかる?」
いえあんまり。
「……今のこれじゃなく、さっきの竜の姿で想像してみて?」
え、マジで?
俺アレと殴り合えるの?
「殴り合ったりはしないけど、まぁそういうことだよ。星一つで成り立つ程度の文明じゃあ、それだけのものを飲み込んでしまうのは無理ってことさ」
ええー……確かにそりゃ無理だ。あんなのがいきなり現れたら、七万年後の地球でも大騒ぎだわ。確実に歴史変わるわ。
「七万年後?」
あ、いえ。つまり現在のことです。
流しの神様……飛来神? あいつに引き回されてた時間がそれだけあったってことで。生まれが二十一世紀なもんだから、どうしてもそこが基準になっちゃうんですよね。
「……よく生きてたね」
寝てたらしくて。
「いやいや……まぁ、その魔力量ならわからなくもないかな。ところでそれ、ちょっと見せてもらっていい? 今の地球」
え? あ、ん? んん……はい。まぁ、どうぞ。
「ありがとう。……ふぅん、これが……確かに凄く発展してるね。でもこっちの、んー、八十五竜紀相当ってところかな? 魔法がなかったらこんなものなのかなぁ」
あ、すみません。間違えました。それ地球じゃなくて火星です。地球はこっち。
「えっ?」
地球人類の最先端って意味じゃ間違ってないかな? まぁでも、地球はこっちです。
「え、待って? 火星って?」
隣の星です。地球の。
「……隣の星。地球の。……嘘でしょ? 本当に? 星を渡ったっていうの? 人が、魔法も使わずに!? どうやって!?」
お、落ち着いて落ち着いて。あなたが騒ぐと、ほら、黒服さんたちが。
「あ……ああ、うん。ごめん。――だいじょうぶー、なんでもないからー」
いえいいんですけど。あと申し訳ないんですけど、火星テラフォーミングの方法とかはわかりませんです。聞いてないので。
代わりに……なるかな? アポロ計画っていって、人が初めて月まで行ったときのことなら、神様図書館で仕入れてあります。見ます?
「月に……う、うん。お願い。……えっ。……これ、えっ。何やって……嘘でしょ? 本当に? ……うわ。……うわぁ……よくこんな……えぇー……」
……そんなになんですか?
「だってこれ……こんな加護も付与もない、ただの金属と布だけでなんて、命がいくつあっても足りないじゃない。正気なの、地球の人たちって?」
そんなにですか……正気です、たぶん。あとご覧のとおり普通に何人か死んでます。
「はぁー……すごい。人って魔法がないとこんなこと始めちゃうんだ。ちょっと甘く見てたかも」
一応、もうちょっと先の時代では魂とかの存在は証明されてて、それ関係の技術とかもあるらしいですけど。
「魂術か。確かにあれは魔法の基礎になりうるものだけど、本当に基礎でしかないからね。種火だけあっても肝心の薪がないと、出力もろくに得られないし、できる範囲もごく限られる」
でも、それ使って戦争したって。核兵器――えっと、戦略級の兵器ぐらいの威力を簡単に出せたって。呪詛? のエネルギーがどうとか。
「……」
ぽかーん?
「禁術じゃないか! 本来百年かけて消費する魂を一瞬で燃やし尽くす……! そのぐらいの威力は確かに当然出せるけど、そんなものを野放しにするなんて、ガイアさんは何を考えて……!」
あー、原爆はオナラ何年分みたいな話かな。何年分だっけ……六年九ヶ月分、意外と少ないな。
「ああ、ほらやっぱりほとんど絶滅しかけて……あ、でもそこから復興したのか。だけじゃなくて、星を渡ってさらにあれだけの都市文明を築いた……何をどうしたらそんな……いやもう、こわい。ガイアさんも地球の人たちも、いっそこわい」
おーいガイア―。他所の神様にドン引きされてるぞー。
「いや流石に届かないよ?」
わかってますけど。
「あ、そう?」
はい。
「……」
……ところで、あのー。俺の今後についてなんですけど。
「あ」