プロローグ
気付いたら空を飛んでいた。
いきなり何言ってんだって感じかも知れんが、当事者にしてみれば何がどうなってんだって感じだった。
いや、そんなことを思う余裕さえなかった。
「――は?」
間抜けな声がただ出ただけだ。とにかくいきなりすぎた。
今年から通い始めた大学からの帰り道を、ただ普通に歩いていた、はずだ。
いつものように一人で講義をやり過ごして、所属しているちょっとお堅めの文学サークルに顔を出して、けどやっぱりいまいち空気に馴染めなかったからすぐに抜けて。帰路についた。
本当はもうちょっと緩いアニメ漫画系のとこに入るつもりだったんだけど、直前になってなんとなくやめちゃったんだよな。あえて外したくなっちまったんだ。後悔しかない。
じゃなくて。
ともかくそうして、歩いてた。
いつもと同じ、ごく普通の幹線道路。そのわきの歩道。おかしなことなど何もなかった。そのはずだ。
なのに今、ふと気が付いてみると、空を飛んでいる。
周囲は青くて、下の方には街並みが広がっていた。ネットの3Dマップで見たのと同じような光景が、ものすごい速さで流れていった。
「え、ちょ……え!? なに!?」
混乱している間にも景色はどんどん遠ざかり、小さくなり、見えなくなった。雲の向こうに消えてしまった。
そう思った次の瞬間には、あたりはもう真っ黒になっていた。
『真っ黒』であって『真っ暗』ではない。すぐそばに大きな光源があるからだ。
黒の中にくっきりと浮かび上がる、青い円。
地球だ。
ああ……外から見たら、本当にこんな姿をしてたんだ……
だけどやっぱりそんなふうに思う間もなくその光源も見る見るうちに小さくなって、周囲に散らばる無数の星々の中に紛れて消えてしまう。今度こそもう、本当に真っ暗だ。
一応、星……なのか? 星だと思う。
小さな白い光の点が全周囲にきらめきながら流れているので、暗いかといえば暗くはないのかも知れないが。でも自分の姿もろくに見えない。
いや、見えない、というか……ない?
触れない、どころか、触るための手がまずない。手だけじゃなく、全身の感覚がない。目は見えているが、瞬きはできない。少なくともできている感じがしない。これってつまり身体が、肉体がどっかいっちまったってことか?
超高速幽体離脱。
そんなフレーズが頭に浮かぶ。
幽体――精神とか魂とかそんな感じのものが肉体から離れて、そして重力のくびきからも解き放たれたので、公転する地球についていけずに宇宙に放り出されてしまった、みたいな。
なるほど、この状況とぴったり合致しているかも知れない。
いや待て。確か魂には二十一グラムとかそれぐらいの重さがあったはず。軽いっちゃ軽いが質量がゼロでないのなら、慣性の法則がどうとか、こうとか。よく知らんがとにかく放り出されるってことは、ないんじゃないかな。ないと思うんだけどな。三流大学生の知識量よ。
でも実際はこうなってる。なぜだ。
よく考えてみたら二十一グラムなんてのはそういう説があるだけの、限りなくオカルトに近い話だった気もする。というか完全にオカルトの範疇だろう。科学的に証明されたなんて話は聞いたことないし。
つまり、本当は魂に質量なんかなかった。ゆえにこうなった。証明終了。
「……って! 納得できるか!?」
思わずわめく。
はっとした。
声は出た。
いや、出たか? わからない。
あー、あー、とさらに声を張ってみるが……しゃべっているという感じがしないではないけど、耳には聞こえないし、唇の感覚もない。発声ではなく発信というか、テレパシー的な。
じゃなくて。
そんなことはどうでもいい。今するべきはそんな検証なんかじゃない。
すぐに思考が先走る、俺の悪い癖だ。
こんなだからもうすぐ二十歳になるというのにまともに人と話せないコミュ障で、家族を除けば同じようなオタク趣味の友人たちぐらいにしか相手にしてもらえないんだ。できることなら俺だってテニサーとかに入って合コンで可愛い女の子に話しかけられてえー私もラノベぐらい読みますよーへーそーなんだーじゃあ今度さーってだから違う!
今すべきは!
考えるべきは! この状況をどうするべきか! ……なんだけども。
改めて周囲を見渡してみる。
これが、どうにか、なるのか?
できるのか?
魂。うん、魂と仮定しよう。それがここにあるとして、だったら肉体の方は?
普通に考えれば地球に置き去りだろう。
どうにかする――つまりこの状態からの回帰を願うなら、そっちとの合流が第一条件だろう。いや、最終目標か?
どっちにしても、できる気がしない。なんせ全く動けない。周囲の星々が相変わらず一方向に流れ続けていることから見て、現在進行形で逆に遠ざかり続けているのだろうから、なおさら無理だ。
そもそもだ。なぜこうなった?
なぜ魂が肉体を離れた?
直前のことを思い出そうとしてみるが、いくら考えても心当たりはない。
大学からの帰り道を、一人で歩いていた。周りにはそれなりに人がいたけど、特におかしな様子は何もなかった。例えば通り魔がいたとかトラックが突っ込んできてたとか、そういった物騒な気配だ。何もなかったと思う。
前触れがなかったというのなら、後ろからいきなり刺されたとか自転車にひかれたとか、上から鉢植えが降ってきたとかか。それでも少なからず衝撃を受けるだろう。その覚えもない。
と、いうか。
考えたくはないのだが。
もしかして、これが『死』なのだろうか。
ショックで覚えていないだけで、実際は車にひかれるなりなんなりして。
で、そうやって死んでしまったら、人は『こうなる』ものなのではないのか。世界に幽霊がいないのは、みんなこうやって放り出されてしまったから、とか。
だとしたら。
「……終わり、なのか……これで」
絶望。
そう言うほかない。
……いや。
まだ、ある。
まだ終わってない。俺の意識はここにある。
ここからだ。
問題は、ここからどうなるか、だ。
どこかの星に行きつくとか、霊感のある宇宙人に拾ってもらえるとか、そんなアホみたいな奇跡の可能性を除けば――除きたくはないけど現実を見据えるためにあえて除いてしまえば、考えられるパターンは二つ。
一、いずれ意識が続かなくなって完全消滅。
二、いつまでも存在しつつけで最終的に発狂。
……どっちにしても、終わりなんじゃねーか。
「くそ……」
どっちのがマシなんだろうな。
わかんねぇや。
はじめまして。
いわゆる異世界ものですが、しばらく宇宙空間での話が続きます。