320 城塞都市ヘイクス
マートが精霊魔法の飛行を使い、アマンダたちの居る集落からヘイクス城塞都市まではおよそ1時間ほどであった。道中アマンダから聞いていたワーモンド侯爵家の騎士団が野営していたが、兵数はおよそ3千といったところであろう。少なくとも上空はあまり警戒していないのかマートにはまったく気づいていない様子である。騎士団は特に調査の必要がないだろう、マートはそう考えてその上を素通りしたのだった。
その野営地を超えるとすぐにヘイクスの巨大な城壁が見えてくる。蛮族の住む荒野と人間の住む平原との境界、東西に連なる山脈の中で唯一南北に抜けることのできる峡谷に作られたこの城壁は東西に3キロメートルに及ぶ巨大な城壁に囲まれた都市。それがヘイクス城塞都市だ。
その城壁には200mから300mごとに敵台とよばれる拠点が設けられており、さらにその上には見張り台が設けられていた。マートはその見張り台に居ると思われる見張りの目を盗み、幻覚呪文で姿を消してヘイクスの中に入り込んだのだった。
入り込む途中、空から見た市街地はかつて蛮族が支配していたころからあまり復興が進んではいないようだった。大通りは一応石が転がっている様な事は無くなって馬や馬車が通れるようになっていたが、城壁や建物の壁には蛮族が描いた悪趣味な落書きのようなものが残っていたし、道端には壊れた家具の残骸やゴミが散乱したままであった。もちろんゴブリンやオーガ、オークといった蛮族の姿は無いが、人間の姿もまばらで活気がなく服装もくたびれた感じのものが多い。
調査の主眼はもちろんヘイクス城内であるが、その前に少し都市内の様子を探っておこうとマートは考えた。住民たちの状況などを知っておかないと判断が独りよがりになってしまう可能性もある。
今のマートの服装は決して華美なものではないのだが少し場違いな印象を与えそうだった。仕方なく変身呪文で旅芸人をしていた13才の頃の自分の姿になることにした。旅芸人の一座で襤褸に近い服を着て芸をみせて稼いでいた頃で、丁度今のヘイクスの雰囲気には合っていそうだったのだ。情報収集に必要そうな小銭を忘れずに用意した。
都市の中でしばらくマートは声を頼りに少しは人間が集まっていそうなところを探しながらうろうろと歩き回った。そしてようやく薄汚れたテントが並ぶ市場らしいところにたどり着いた。マートはその中の一つ、野菜などを売ってる屋台の店主らしい中年の男に話しかけた。
「よぉ、その小さい芋は幾らなんだ?」
「そっちは銀貨1枚だよ。その横の大きいのは銀貨2枚と大銅貨4枚だ」
その男はマートの方をほとんど見ずにぶっきらぼうに答える。赤ん坊の握りこぶしぐらいの大きさの小さい芋が1個で銀貨1枚? マートはその高さに思わず絶句しそうになり、あわてて言葉を継ぎ足した。
「高っ…うわぁ、また高くなったのかよ」
「仕方ねぇだろ、ん? おめぇ……」
店の男はようやくマートの方を向いた。最初は普通に話し始めたのだったが、すぐに何かに驚いた様子で急いで手招きをするような仕草をした。マートは怪訝な顔をして顔を近づける。
「お前、魔人じゃねぇのか、隠せ」
店の男は周りには聞こえないほどの小さな声でマートにそう囁いた。そうか。ここは……。マートは慌てて掻き上げていた自分の前髪を垂らした。彼の前世記憶持ちとしての特徴は目だけなので、前髪で瞳は見えないようにすれば、気づかれることは少ない。昔はよくやっていた手だ。最近彼の周りでは前世記憶持ちへの偏見が薄くなっていたのですっかり忘れていた。
「ああ、そうしておいたほうが良い。その様子だとここにきたばかりか?」
マートが頷くと店の男はやっぱりなと呟いた。
「この街じゃ、魔人ってだけで魔龍王国のスパイだろうって牢屋に放り込まれちまうんだ。悪い事は言わねぇ、さっさとどこか違うところに行きな」
マートは苦笑を浮かべた。以前ここの貴族と話した時には魔人への偏見がきついとは思ったが、そこまで酷い事になっているのか。しかし……
「ありがとう、助かった。そこまでとは思わなくてよ」
マートは声を潜めてそう話した。そういう状況で庇ってくれるとは何か事情がありそうな気がする。さっと彼に近づき、すぐ傍らにしゃがみ込んだ。
「どうしたんだ。さっさと逃げろって言ってるだろ」
「そう言うなよ。ようやく人のいるところまで逃げてきたと思ったらこんな様子だ。このままじゃ野垂れ死んじまう。なぁ、芋を買うからちょっとだけ話を聞かせてくれよ」
マートは周囲を警戒するようにしながら小銭を入れた財布から銀貨1枚を取り出した。男は苦笑をうかべる。
「ちっ、しかたねぇな。ほらよ」
マートは男から小さな芋を受け取った。
「何を聞きたいんだ?」
何を聞いたら、今回のワーモンド侯爵家の騎士団の狙いを理解する手がかりになるだろうか。マートは頭を巡らせながら質問を考えた。
「そういうおっちゃんはどうして逃げ出さずに暮らしてるんだ? かなり苦しそうな生活じゃねぇか」
マートの質問に店の男は詰まらなさそうに答え始めた。
「そりゃぁ、お前、俺の出身地はここだし、ここ以外ほとんど知らねぇから仕方ねぇじゃねぇか。とは言っても、今住んでるのはここの郊外の農園だがな。ここには収穫された野菜を売りに来てるんだ」
魔龍王国が侵攻してきた頃、男はこの場所の近くにあった市場で野菜を売って生活をしていたらしい。そして絶対に破られないはずの城門が破られ、蛮族が都市の中に雪崩れ込んで阿鼻叫喚の坩堝となったあの日は自宅で震えていたのだという。皆殺されるのだと覚悟していたが、すぐに魔龍王国のテシウス王と名乗る化け物のように大きな男が、ここの中心にあるヘイクス城のテラスでここは魔龍王国の支配下に置かれたと大声で叫んだ。すると何故か蛮族は暴れるのを止めたらしい。おかげで生き延びることができたのだった。
そうしてしばらくは通りを歩く蛮族におびえつつ商売を続けていたものの、そのうちこの都市は魔龍王国の王都ということになった。すると魔龍王国の幹部たちが暮らすようになり蛮族の数も増えた。その結果、細々と営業していた店は魔龍王国に接収されてしまい、男は仕方なく野菜を仕入れていた近くの農場に身を寄せることにしたらしい。この時にはどこか違う町にでもと考えたりもしたのだが、この都市付近には町はなく、一番近くでも2、3日かかるところになる。とても行けないと考えたのだという。
その農場では2年ほどを過ごしたが、ついにこの地方では人狩りが始まった。人間を捕まえてどこかに連れていくというやつだ。男は農場に居た仲間たちと共に山中深くに逃げ込んだ。山中での生活はさらにおよそ2年続いたのだという。
ようやく魔龍王国が撤退した後、男は山の中で暮らしてきた連中と共にこの都市に戻ってきた。それがつい3ヶ月ほど前の事だったらしい。
だが、男はこの都市にたどり着いて愕然とした。自分の店があった場所は瓦礫の山になっていたのだ。仕方なく一緒に戻ってきた連中と以前にやっていた農園の跡地に身を寄せて農業を始めた。今は少しずつだがようやく出来上がり始めた農作物を売ることができるようになり、塩や着るもの、農具といった生活に必要なものを手にいれられるようになり始めたところなのだそうだ。
「頑張ったんだな。でもそれだったら、どうして俺みたいな魔人の肩を持ってくれるんだ?」
「実は俺には弟が居たんだ。魔龍王国が攻め込んできたとき、丁度お前ぐらいの年だったよ。顔が半分緑色でよ。そりゃぁ周りからも色々あってそれはそれは苦労した」
マートは頷いた。しばらく間が空く。
「その弟は?」
「さぁ、わからねぇ。魔龍王国を手伝うんだって喜び勇んで出てったんだがな。今はどこにいるんだろうな。生きてるのか死んでるのかもわからねぇ。占領された直後しばらくここで暮らしてたのは、行くあてもなく、店があることもあったが、弟が居たというのも理由の一つだった。お前を見てつい弟を思い出してな」
「一応名前を聞いていいか。どこかで会うことがあったら……」
「いやいい、もう半ばあきらめてるんだ。第一帰ってきても食わせてやれるかどうかもわからねぇ……」
「そうか、わかった。それにしても人が少ないな」
男は頷いた。どうなったかは判らないが、あまりの過酷さにここで生活するのを諦めて、ここから離れて行ったものは多いのだという。衛兵たちは威張っているだけで困っている人がいても助けようとはせず、復興はほとんど進んでいない。炊き出しなども行われてはいないらしい。まだ暖かい季節だから良いが、これから寒くなる季節だ。農園にもぐりこめた彼は幸せなほうで、そういうのにありつけない連中は餓死するしかない。
そうなると、新しい魔龍王国から解放された人間は居るはずだがそいつらはどうしてるんだとマートは続けて尋ねた。だが、彼はそういう話は聞いたことがないらしかった。アマンダのところには毎日のようにジュディが手伝いに行っていたし、大きな蛮族の農場を開放して一時に1万人近い人数が一気に解放されたこともあったと聞いた記憶はあった。それにこのワーモンド侯爵領は攫われた数も多いはずなのでいないはずはないのだ。マートは首をひねってしつこく聞いてみたが、男は本当にそんな話は聞いたことがないという。
騎士たちが北に出陣している理由についてもそれとなく聞いてはみたが、その事実すら男は全く知らなかった。マートの記憶ではここの侯爵はおそらくあの若い少年だろう。彼の父の救出の依頼で会ったことがあったが、あまり良い印象はない。
「わかった。ありがとよ」
マートは立ち上がった。そろそろ夕方になる。アニス経由でアレクシアにワーモンド侯爵領の人間が全く取り戻せていないのか調べてもらっておこう。軽く腹ごしらえをしてから、本命のヘイクス城内での調査だ。
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