165 領内 村巡視
領内を空から見ると、街の東には豊かな緑の麦の穂が見渡す限り一面に広がって風に揺られていた。穏やかな光景だ。マートは村人たちには見つからぬように街道に下り、一番手近な村に入っていった。
「よう、こんちわ。村長は居るかい?」
村の入口近くで農作業をしていた男は、そうマートに話しかけられて、怪訝そうな顔をした。
「ああ、家に居るはずだけど、あんたは誰だ?見たところ冒険者みたいだが」
マートの恰好はいつも通りで、軽めの革鎧に剣を2本、背中に軽そうな背負い袋を背負っているだけだ。たしかに冒険者には見えても貴族には見えない。
「ここの領主になったんでな。村長に村の話を聞きに来たんだよ。俺はマート、猫と呼ばれたり、水の救護人と呼ばれたりしてる」
「水の救護人?領主さま?!ちょっと待っててくれ、すぐ村長を呼んでくる」
その男は、大変だ、大変だと何度も叫びながら、村の中心部に向かって走り出した。その声に何が起こったのかと、村人たちがぞろぞろと入口の少し広くなったところに集まり始めた。そのうち、槍を持った男が現れた。
「何事だ?お前は誰だ?」
彼は衛兵の鎧を着ている訳でもないし、槍も制式なものではない。きっと自警団なのだろう。
「新しく領主になった、マートだ。今村長を呼びに行ってもらったんだ。水の救護人と言う名前のほうがよく知られているのかもな」
「水の救護人?あの話はこの間も旅の吟遊詩人が行商人と一緒に来て、唄ってたが、ぇ?本当かよ。水の救護人がこの村の領主さま?」
槍を持った男は半信半疑だ。周りを囲んだ村人連中も不思議そうな顔をしている。
「ああ、この村だけじゃなくて、ウィードの街を含めた一帯を今度治めることになったんだ。細かい事は判らねぇんで、内政官たちがいろいろ指示をしてくれると思うが、とりあえずよろしく頼むぜ」
「へぇ、そうなのか」
村人連中は半信半疑な様子だ。マートはよしと言うと、周囲を見回して、両手を上げた。
『水生成』
“ウェイヴィ、ちょっと楽しそうなのをやろうぜ”
マートは、頭上に色とりどりの水を作り出した。
『水操作』
そう言うと、水生成で作られた水が、垂直に流れ落ちては戻るというのを繰り返し始めた。まるで虹の滝のようだ。それをみて、村人たちが歓声を上げる。
「どうだい?こんな水を操作できるのは、水の救護人ぐらいのものだろ」
『水操作』
今度は、それぞれの水が蝶々の形を取り、ふわふわと空中を飛び交い始めた。大人の影に隠れていた子供たちの前も横切る。手を出した指は蝶をすり抜けてしまう。子供たちは不思議そうに眼を見開いた。もちろん、水操作ができるのは彼だけではなく、水関連の精霊使いであれば可能であろうが、マートもそのあたりは少し大げさに話してみせたのだった。
「わぁああ」
楽しそうな声を上げて、子供たちが蝶を追い始めた。その頃になってようやく、村長らしき男が、最初に大変だと声を上げた男と共にやってきた。妻らしき女性もその後ろで息を切らせながら走ってきている。
「マート男爵様!」
村長はマートの前に滑り込んで座り込むと、その場で頭を地面に擦り付ける様にしてお辞儀をした。その妻も同じようにお辞儀をする。
「男爵様?」
楽しそうにしていた周りの村人たちは再び不思議そうな顔をした。理解が追いついてないのだろう。
「村長?そんな畏まらなくていい。村の様子を教えてもらいに来たのさ。まずは立ってくれ」
「は、はい」
村長も不思議そうな顔をしつつ、地面に擦り付けるようにしていた頭を上げた。マートが微笑んで促してくるのを見て、ゆっくりと立ち上がる。彼の妻らしき女性もそれにあわせて立ち上がった。
「俺は、見た通りついこの間までは冒険者をやっていたんだが、いろいろあって、男爵となり、このウィードの街一帯を治めることになった。治める事になったと言っても、全くの素人だ。ウィードの街には内政官と呼ばれる連中がいろいろ考えているみたいだが、村長の話も教えてもらわねぇと成り立たねぇだろ。まずは挨拶と思ってな」
「成程、先ぶれなど頂けましたら、歓待の用意を致しましたのに」
「いやいや、そんなのは必要ねぇよ。他の村も回る予定だしな。とりあえず、よろしく頼む」
「よろしく頼むなど、恐れ多い。もちろんでございます」
「何か困ったことがあったら、言ってくれ。皆もだ。たまにこうやって村々を回る。何でも出来る訳じゃねぇが、少し位の手助けはする。何かないか?」
にこにこしながら、マートは周りの村人を見回した。村人たちはどうしたら良いのかと顔を見合わせた。
「言ってくれないと、俺は何をして良いかわからないんだ。頼むよ」
マートは重ねてそう言った。囲んでいた村民が最初は恐る恐るだったが、次第に慣れて来たのか口々に今困っていることを言いはじめた
「うちの婆さんの腰が悪くてよ。歩けねぇんだ」
「うちの嫁に子が出来ねぇ」
「税が高すぎて払えねぇ」
「最近暑すぎる」
「雨がふらねぇ」
「ちょっと待て、覚えきれねぇから順番にだ。まずは、ばあちゃんの腰か。そいつは困ったが、俺は神聖魔法が得意ってわけじゃないんだよ。そうだな、5人分ぐらいなら癒しの水を出してやろう。無限にあるわけじゃないから村で話し合って分けてくれ。次に来た時も出してやるから、とりあって喧嘩とかするなよ。もちろん癒しの泉の水で何でも治る訳じゃねぇから注意しろよ。もちろんたくさん飲んだからって良く効くわけじゃねぇ。みんなで分け合って、必要に応じて教会で神聖魔法も頼むんだ。これで、5人分、お前さんが責任をもって分けろよ。集めて金儲けしようとか考えるなよ。どうせ効果は半日ぐらいしかないからな」
婆さんの腰がと言い出した男に、マートは水筒を渡した。
「次の子供が出来ねぇっていうのは、わりぃが俺は何もできねぇな。村の年寄連中と相談しなよ。税については、内政官に言っておくから、そいつに尋ねさせる。あんたの名前は?」
マートは男の名前を聞き、取り出した羊皮紙にメモをした。
「暑すぎるっていうのは、夏だからどうしようもねぇだろうよ。寒かったら麦とかがそだたねぇからな。何をして欲しいのか言ってくれ。雨も、そうだな……俺としてなにができるんだ?毎日水を作って欲しい?いや、さすがにそれは無理だろ。神殿に雨を降らせてくれと頼んでみるか?」
マートはそんな事を言いながらメモを取り続けた。
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マートはそうやって、全ての村を巡り始めた。取ったメモは内政官たちに渡して説明もした。最初、受け取った内政官は、目を白黒させそんな事をすれば大変な事になると心配したが、マートはきちんと言った人の名前も聞いており、あまり期待させ過ぎないように配慮もしていたようだったのでマートの好きなようにさせることにしたらしかった。
そういったことが1週間ほど続いたある日、マートが同じように村に到着したが、その村の付近では麦の手入れなどがあまりされておらず、村々の家もかなり傷んでいた様子で、明らかに他の村と様子が違っていた。
「よう、こんちわ。村長は居るかい?」
マートは他の村と同じように、出会った村人にそう声をかけたが、村長は居ませんと断られたのだった。村長が居ない村などあるのだろうか?マートは不思議に思いながら、村の中に入っていく。村の一番の高台のところに、立派な屋敷が建っていたが、そこは空き家のようで、中に入っても調度品などは全くなかった。
「これはどういう事なんだ?」
マートが近くを歩いていた村人に尋ねると、ここは、村を治めていた騎士の家だが、今年、この村から移動になり、全ての財産を持って去っていったと教えてくれた。せめて次の村長を決めたりしなかったのかと聞いたが、それはそのうち誰かが来るからその人間に言えと言われたらしかった。
「あんたが、あたらしい村長さんか?あんまり期待しない方がいいよ。この村じゃ税が苦しくて、半分ぐらいはもう逃げ出したからね。残ってるのは老人や病人を抱えたりして逃げ出せない連中ばっかりだよ」
その男はマートにそう言った。
「まいったな。そんな無責任な奴が居るんだな。わかった。内政官に言っとくから、安心しな。ちなみに、そいつの名前は」
「ウェイン様です」
マートは羊皮紙にその名前を書いた。ここの村の手当ては大至急と併記しておく。
読んで頂いてありがとうございます。
内政が判らないヒトなので、勝手に聞きまわってしまいました。内政官や村の領主である騎士は頭が痛いと思います。
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