149 水の救護人を探す男
夜が更けると、マートはこっそりと自分の部屋を抜け出してぶらりと下町を歩いた。王都でもアラン侯爵領と同じように物の値段は上がっていたものの、まだ直接戦争に巻き込まれるという感じではなく、それほど治安は悪くなってはいなかった。
以前、鱗とよく行った酒場は相変わらず馴染みの客がくだを巻いており、そこで気分よく酒を飲んだマートは、8番街の方に顔を出すことにした。
その派手な飲み屋では、例によって店の真ん中の一段高いところで蛇の肌をした女が踊っていた。マートは銀貨をチップとして放り投げ、カウンターに座ると少しキツめの酒を頼んだ。しばらくすると、酒と一緒にトカゲが現れた。もちろん魔龍同盟じゃないほうだ。
「やぁ、猫さん。久しぶりだね。前も同じように言った気がするな」
「久しぶりだな。元気にしてたか?」
「ああ、なんとかな。年明けの騒ぎの後、衛兵の連中からの風当たりが強かったけど、大体いつも通りだよ。それよりあんたのほうは大丈夫なのかい。だいぶあんた目当ての連中が流れ込んできてるぜ?」
「へぇ、俺を目当てに?」
「すこし前から、ラシュピー帝国から来た連中で、水の救護人ってのはどこの誰だって聞いて回ってるのが居る。たぶん、魔龍同盟の息のかかった連中だね。あと、最近は、ハドリー王国の連中っぽいのも、水の救護人を探してるぜ。いったい何をやったんだよ」
魔龍同盟で、リッチの前世記憶を持ってるやつの進化を邪魔してバラした、とか、ハドリー王国の最重要戦略拠点を破壊して、研究中の魔道具を奪い、捕まえられていた捕虜を連れ帰った……といったことを言えるはずもなく、マートはそしらぬ顔をして首をかしげた。
「さぁ、わかんねぇな。心当たりは全くない」
「どっちのグループとも、僕たちは戦う気はないよ。もちろん、向こうがちょっかいを出してきたら別だけどね。猫さんも、上手にやってくれると嬉しいな」
「ああ、気を付けるようにしてたつもりだったんだが、上手くは行ってないみたいだな。ということは、今、表に居るのも、そっちの仲間じゃねぇのか?」
マートの言葉に、トカゲは顔をしかめてくびを振った。
「そうか。悪かった。自分がそんな有名人になってるとは思ってなかった。すまん、出直してくるわ」
「助けが要るっていうのなら、相談は受けるよ。ただ、手伝うのじゃなくて、保護って形になっちゃうかもしれない。それでもよかったら……」
「尻尾を巻いて逃げるのは得意なんだ。でも、まぁ、悪いが勝手にやらせてもらうよ」
「そうなんだ。じゃぁ気を付けてね」
「ありがとう。またな」
マートはそう言って、金貨を一枚置き店を出た。トカゲは肩をすくめて、店のスタッフになにか耳打ちをしたのだった。
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マートをつけていた男は1人だけだった。マートが安宿を取るとその男は暫くはその前で見張って居たが、何もせずに待っていると、動きがないと見たのかどこかに帰ることにしたようだった。マートはその男を逆に尾行をし始めた。
マートが、その男の尾行に気がついたのは、鱗とよく行った安酒場からだった。彼の目的からしてよくわからない。マートを知っていたのか、それとも、たまたまマートの瞳に気がついて尾行した、マートが金持ちと思ったのかいろいろな可能性があるが、宿まで尾行してきたとなると、魔龍同盟かハドリー王国のどちらかである可能性が高いだろうと思われた。
男が行き着いたのは、西の城門に近い一軒の立派な宿屋だった。夜中を過ぎているのにもかかわらず、通用口は開いていたようで、そこから男は中に入っていった。マートはマクギガンの街でのハドリー王国の間諜の事もあるので慎重に宿屋の周りを確認して回った。その宿屋は、目立たないようにしているものの石壁が補強されており、さらに何箇所かの窓のある部屋は暗いものの人の気配があって、外を見張っているようだった。
マートは幻覚呪文で自分の姿を透明にし、魔力感知の呪文をつかって魔道具に警戒しながら、屋根に上がった。見張りに気づかれた様子はない。ハドリー王国か魔龍同盟かはわからないが、自分にかかってくる火の粉を放置するのは危険だろう。さすがにハドリー王国内の砦ほどの警戒がなされている様子はない。マートはするりと見張りの居ない窓から中に入り込み、4人部屋で寝ているその男を簡単に見つけることができたのだった。
【毒針】 -睡眠毒
『記憶奪取』
ハドリー王国の間諜砦でやったのと同じ方法だ。その男を毒で眠らせ、記憶を奪う。そして、その男について思い出す。
その男は名前をワイアットと言い、魔龍同盟の一員だった。身体的特徴は、胴体が黒いキチン質のようなものに覆われているというもので、前世記憶は、巨大アリだった。能力は鋭敏嗅覚☆2と肉体強化☆1、爪牙☆1、甲殻装甲☆2であり、魔龍同盟の中では大した能力ではないとされたらしい。魔法の素質もなかったので、ステータスカードの代金を返すために働いているに過ぎないようだった。
そして彼自身は魔龍同盟についてほとんど何も知らなかった。彼の記憶を探ってわかったのは、ここには彼と同じような身の上の者が10人程居て、2ヶ月ほど前にリーダーの指揮のもとにラシュピー帝国から連れて来られ、働かされている事、リーダーは呪術が使え、呪いの呪文によって彼の命令には背けないようにされているという事、ここの宿屋の元住人をリーダーの指示に逆らえずに殺したが、彼はそれを悔いている事、水の救護人を探せと指示されている事ぐらいだった。
マートは、警備状況やリーダーの容貌や部屋などを確認した上で記憶奪取呪文をリバースして彼に記憶を返した。そして、透明なまま、リーダーと呼ばれる男の居る部屋に向かったのだった。
リーダーと呼ばれている男は、顔が病的に青白かった。呪術が使えて顔が青白いとなると、アンデッド系だろうか。とはいえ、以前リッチを前世記憶に持つ者も毒は有効だったはずだ。
【毒針】 -睡眠毒
『記憶奪取』
記憶奪取呪文を使ったが、いつまでたってもその男の記憶はマートの中にやってこず、呪文に抵抗されたようだった。マート自身もそうだが、複数の高い魔法の素養を持つ者に対しては呪文が効きにくい。再詠唱時間を待って、マートはもう一度記憶奪取を試みた。
『記憶奪取』
男はマートが呪文を唱えた瞬間、かっと目を開き、マートをみつめる。記憶はまた奪えていない。
『即死』
「侵入者だっ、敵だ!」
その男はいきなりマートに向けて即死呪文を唱え、続けて大きな声で叫んだ。
マートには即死の呪文は効かなかったが、扉の外でガタンガタンと何人かが立ち上がる音が聞こえた。こちらに向かって走ってきている。おそらく、この宿屋の窓のところで暗い中、外を警戒していた連中だろう。もう余裕はない。マートはそう判断した。
【肉体強化】
【爪牙】
マートの指から生えた爪が、男の肩を抉った。
『記憶奪取』
その爪が男の肩から胴体まで切り裂く。だが、その直前に、再び呪文が唱えられた。マートにはそんな暇はなかった。呪文を唱えたのはニーナだった。彼女が彼の左腕にある文様の中から呪文を唱えたのだ。男は一瞬呆けたような顔をした。
“記憶貰ったよ”
ニーナの念話がマートに伝わってきた。男は床に崩れ落ちた。
それとほぼ同時に、3人の男女が男の扉を開けて中になだれ込んできた。
「待て、こいつはもう倒した。あんたたちがこいつの命令に従う必要はもうねぇぜ」
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