144 シェリーの新領地
「マート殿に乾杯」
シェリーの新領地とされた村を訪れたマートは、本人、そして彼女の父母と弟に大歓迎を受けた。
「ランス卿は苦労していると言っていたが、うまく行ってるんだな」
「先週ぐらいまでは蛮族の襲撃が多くて苦労していたのだが、今週に入って急に減ってくれたので一息つけているところなのだ。だが、今後も来るだろうというので、そなたが来る少し前も弟のフリッツと柵の強化と見張り台について相談していたところだ」
「いつも、姉がお世話になっています」
シェリーの弟と紹介されたまだ若い男が会釈してきた。髪は刈り上げてはいるものの、シェリーと同じ赤毛で目鼻の形もよく似ている。
「よくシェリーから聞いておるぞ。マート殿はかっこよくて、どんなときも頼りになるとな」
そう言って、エールのジョッキを突き出して2杯目をマートと乾杯したのはシェリーの親父さんだった。身長は2メートル近いだろうか。髪にはすこし白いものが混じっているものの、まだまだ声は元気そうだ。その横でシェリーが顔を赤くしている。
「俺はサポート役をこなしただけだけどな。シェリーこそ頼りになる騎士だぜ」
マートはそう答えた。ヘイクス城塞都市のオーガナイトと戦ったときなど、シェリーのおかげで助かった事は多い。
「村は順調なのか?」
「村人たちは、楽しそうにやっているので、大丈夫だと思う。お嬢様には手伝いに来てほしいといわれていて、王都に向かいたいと思うのだが、フリッツがダメだというのだ」
シェリーは少し不満そうな顔でそう言った。
「姉さん、開拓を始めた地域というのは、蛮族が流れ込んで来やすいのです。落ち着くのには3年はかかるといわれています。うちの村は、父さんか姉さんしか戦力がないのですから、我慢してください」
「フリッツ、だから、そなたも鍛えよといっているではないか。いや、話がそれてしまった。お嬢様は今年の春に魔術学院を卒業して、宮廷魔術師になられ、いろいろと仕事をなさっているらしい。ずっと護衛として伯爵様には目をかけていただいていたのに、一番必要な時にお嬢様の御側に居れないと考えるとな」
相変わらず真っ直ぐなシェリーの言葉にマートは苦笑した。
「この後、王都に向かう予定だから、シェリーがそう言っていたとお嬢には伝えておくよ。せっかく領地をもらったんだ。まずはそれを運営しないといけないんだろ?」
「うむ。お嬢様にはよろしく伝えておいてくれ。がんばって1年でこのあたりの蛮族を平らげて助けに行くつもりだ」
「わかった、伝えておく。まぁ、元気そうで安心したよ。知り合いの交易商人には、この村にも寄ってくれと話をしておいたので、そのうち廻ってくると思う」
「それは助かるな。特に辺境にできた村には来る商人が少ないらしいのだ」
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マートはシェリーの真新しい館に1泊した後、一路王都を目指した。とは言え、飛行などで移動すると到着が早くなりすぎるので、今回は敢えて徒歩で移動することにした。
旅はアレクサンダー伯爵領から隣のアレン侯爵領に入るあたりまでは順調だったが、アレン侯爵領の領都に入り、マートはパンなどの値段が高騰しているのに気がついた。季節としては秋ほどではないにしろ、春に収穫した小麦が出回って値下がりしてもよいぐらいのはずだった。市場で交易商などに話を聞くと、北のほうでの戦いで第1騎士団とウォレス侯騎士団が大敗し、ハドリー王国が攻め込んできていて、小麦はおろか、ライ麦、大麦まで全く手に入らないのだという。彼によると、難民達がすでにアレン侯爵領の近くまで流れてきているという話だった。
商人達の噂は信頼度は低いが伝わる速度は極めて速い。どこまで本当なのかわからないが、ハドリー王国との国境である湿地帯に出兵した第1騎士団たちが負けたというのは信憑性は高そうな気がした。商人たちによる食料品の買占めなどは既に始まっており、その結果、食料品は高騰し始めているに違いなかった。
マートは、ライラ姫から預かった通信用の魔道具をマジックバッグから引っ張り出した。そして、戦争の影響がありそうなので、少し遅れるかもしれない、宰相閣下にも伝えてほしいと通信を送るや否や、続けざまにピコン、ピコンとメッセージの着信を示す音が鳴りはじめた。
“マート 今はどこに居ますか?”
“アレン侯爵の領都の市場についたところだ”
マートはこの魔道具に追跡の魔道具が仕込まれているのは知っていたので、ライラ姫がわざわざ聞いてくる意図に首を傾げつつ、返事を返した。
“使者を送りますので、宿屋を取ってもらってその使者を待って頂けますか?宿が決まったらお教えください”
ライラ姫から帰ってきた返事は、さらに不思議だった。王都から急ぎの使者を出した所で数日はかかるだろう。せめて途中で落ち合うのがよいのではと一瞬考えたが、もしかしたら戦場が広がっているのかもしれないとマートは考え、了解したと伝えたのだった。
手ごろな宿をとって、その名を魔道具で告げたマートが、すこし時間は早めの夕食に舌鼓を打っていると、立派な馬車が宿屋の前に止まった。
「ここで、マートという冒険者が待っているはずなのだが」
馬車から降りてきた金糸で刺繍が施された豪華なローブを纏った男が開口一番に宿の店員にそう尋ねた。フードを目深に被っており顔は見えない。ライラ姫に渡された魔道具というのは、極めて珍しいものだと聞いて居たが、先ほど通信した内容に基づいて、ここに使者が来たという事だろうか。先ほどから1時間も経っていないはずだった。
「ああ、俺がマートだが」
ナイフとフォークを脇に置き、マートは立ち上がった。
「宰相閣下、ワーナー侯爵の命でそなたを迎えに来た。出立の準備はよろしいか?」
馬車に乗れという事か。宿屋の亭主に夕食の対価を払うと、マートは彼に近づいた。
「ああ、いいぜ、どこに行くんだ?」
豪華なローブを着た男はマートに手を触れた。彼の身長はマートより頭一つ小さかった。
『転移』
男が呪文を唱えたが、何も起こらない。彼は驚きに目を見開いて、マートを見上げた。
「まさか、儂の呪文に抵抗したというのか……」
「いや、いきなり呪文をつかったら、普通抵抗するだろ?」
マートは不思議そうに男にそう答える。
「宰相閣下が丁重に連れてくるのだという意味がわかったわい。儂は、宮廷魔術師で名をヴァンスという。転移の呪文でそなたを王城に連れてくるように仰せつかっておる。抵抗せずに一緒に転移してもらいたい」
「王城だって?それなら着替えないと」
「いや、着替える必要はないそうじゃ。そなたから連絡が来たというので第四王女ライラ姫と宰相閣下が大至急呼んで参れとわざわざ儂が呼び出された。いかな宮廷魔術師といえど、転移呪文が使える者は10人もおらんのじゃぞ。余程の者を迎えに行くのかと意気込んで飛んできたら、相手はのんびりと夕食を食べておるのでな、いささか意地悪をしてしまった。すまぬ、許してくれ」
「そういうことか。転移という話を聞いていなかったので、誰かが迎えに来るのは早くても数日後だと思っていたんだ。あんたを軽んじたわけじゃないのは理解してほしい。転移を頼む」
マートは豪華なローブの男の謝罪を受け入れた。ローブの男はマートの腕に手を触れ、改めて呪文を唱える。
『転移』
2021.5.24 表現を訂正しました(たぶん関西風の言い方?)
“使者を送りますので、宿屋を取ってもらってその使者を待って頂けますか?宿が決まったらお教えください”
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“使者を送りますので、宿屋を取り、その使者を待って頂けますか?宿が決まったらお教えください”
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