133 アンジェの両親
“こんばんわ、あんたはアンジェのお袋で間違いないか?”
マートが40代過ぎと思われる女性に、幻覚呪文でそう声を送ると、その女性はきょろきょろと辺りを見回し、隣に居た男性の袖を引いた。
「知らない人の声がしたよ?あんた聞こえなかったかい?」
「ん?どうしたんだ。いや、儂には何も聞こえなかったが」
「アンジェがどうこう言ってたよ」
「なに?アンジェだと?」
その男はきょろきょろと周りを見回した。
“静かにしてくれ、助けに来たんだ。きちんと話がしたい”
マートは、男性と女性に続けて同じ内容の幻聴を送った。2人は顔を見合わせ、お互いに指で静かにするよう合図した。
“正しかったら、声を出さずに頷いてくれ。あんたたちはアンジェの両親だな”
2人は慌てた様子でうんうんと何度も頷いた。
“じゃぁ、ちょっと、親父さんからみて右手の方向に進んで曲がったところの行き止まりまで移動してくれないか”
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監獄に偽装されたこの魔石鉱山は、抜け道の先にあった砦ほど警戒は厳重ではなかったが、それでも働かされている人間が300人、看守なども100人以上居た。マートは3日ほどかけて、会話などを確認して、ようやくこの2人を見つけ、タイミングを見計い、このように幻覚呪文で空耳のようにして声をかけたのだった。
とはいえ、その途中で別の収穫があった。魔石倉庫や、潤沢な魔石を利用した魔道具の研究室を見つけることができたのだ。脱出の際に利用できそうなものも有ったので、露見しなさそうな範囲で魔道具などを手に入れていたのだった。
マートの指示に従って行き止まりまで来たアンジェの両親は、物陰から姿を現したマートを見て、慌てて駆け寄ってきた。
「俺はマート。リリーの街の冒険者だ。8年前、あんたたちを襲った盗賊団、巨大な鉄槌に捕まっていたエバとアンジェを保護してる。今回、あんたたちの消息がようやく分かってな。助けに来たんだ」
マートは声を潜めて、2人にそう告げた。
「なんと……。なんと……アンジェは無事だったのか……エバも……」
「盗賊連中に引き離されて、とても生きてはいないだろうと……それを……良かった。本当に良かった」
マートの話を聞いて2人は膝をつき、抱きあって涙を流して喜んだ。
「泣くのは再会したときにしてくれ。さっさと逃げるぞ」
その2人の様子を見ながら、マートはそう言った。ここからなら、数人を倒すだけで外に出れる。一緒に盗賊につかまった連中も今のタイミングなら近くに居る。そういう場所とタイミングを選んだのだ。あとは逃げ出すだけだ。
「わかった、だが、ちょっと待ってくれ」
アンジェの父親は、母親を助けて立ち上がらせながら、そう言った。
「ん?荷物なら捨てて行ってくれよ、そんな余裕はないんだ」
マートは周りの様子に気を配りながら、そう言った。
「儂らと同じように捕まった連中が居るのだ。彼らも一緒に」
「ああ、判ってる。近所から一緒に来た4人ならすぐ近くに居る。急いで声をかけてくれたら大丈夫だ」
マートとしては、あと1人、メイドも助けようと思っていたが、1人ぐらいなら幻覚呪文でごまかせるはずなので、とりあえず彼らを先に逃がしたかった。
「4人だけじゃないのだ。儂たちのように捕まってきた連中が他にも10人ちょっと居る。なんとかならないか?捕まってからずっと長い間お互い助け合ってきたのだ」
このタイミングで何を言い出すんだ。命が惜しくないのかとマートは思ったが、懸命に心を落ち着けて話を続けた。
「10人?ちょっと待て。ということはあんたたちも入れると正確には何人だ?歩くのが難しい老人とかも居るのか?」
アンジェの母親は指折り数えた。
「合わせると21人かね。歩くのはみんな大丈夫だ。頼むよ。残していったら殺されちまうかもしれないだろ。元は騎士っていう2人は武器さえあれば戦えるはずだよ。きっと逃げ出すのに力になる」
「そうかもしれないが……」
マートはそう言って考え込んだが、すぐに良い案は思いつかない。彼らの様子では、8年間助け合って生きてきたという絆に説得はすぐには出来なさそうだった。2人だけを無理やり連れて行っても脱出成功はおぼつかないだろう。
「仕方ない、作戦を練り直す。その連中も含めて、誰にも何も言わないでくれ。態度で助けが来るとばれちまうのが怖い。話すタイミングとかも改めて連絡するから、それまで2人も出来るだけ何事もなかったかのように装ってくれ」
「わかった。頼む」
2人は元居たところに戻って行った。心なしか、足取りが軽そうに見える。あまり時間をかけるとバレてしまいそうだ。ここまで来るのにどれだけ苦労したと思っているんだと、一瞬叫びだしたくなったが、その心は押さえつける。やはり魔法のドアノブを使うしかないか。だが、騎士が居るとなるとな……マートは悩んだのだった。
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