129 パン屋の後始末
男が息絶えて、少し経つと、魔道具の効果時間が切れふたたび魔法が使えるようになった。
マートが魔法感知呪文を使うと、隠し部屋の扉には、魔法装置が仕掛けられているのが判った。それは、魔剣の識別呪文によると、開け閉めされると、なんらかの警報が通知される仕組みだったようだ。しかも、部屋の中に入らないとその装置は見えない位置に設置されており、極めて巧妙な仕組みと言えた。
そして、男が持っていた魔道具は、既に魔石の力が切れていたが、魔剣の識別呪文で調べると、半径3mの距離内の魔法を全て無効にするという強力なものだった。これが有れば、魔法の素養がなくても、簡単に高位の魔術師を圧倒できるだろう。魔法装置としてはこれより大きな効果範囲のものが王座に設置されているのが有名だが、こうやって個人で使うものは初めて見た。
マートは、男の死体、資料などを魔法のドアノブやマジックバッグを使って運び出し、洗浄呪文をつかって血の痕を消した。その後、隠し部屋を出ると、気休め程度にカギをかけなおす。
机に突っ伏して寝ている男は、毒の効果からすると、あと1時間は目が覚めないだろうが、店舗で販売している店員も居るので、どれぐらい時間の余裕があるか判らない。この状況だけで言えば、店舗に忍び込んだ誰かが警備をしていた男を殺害して逃げ出したと言えなくもなく、衛兵に通報されれば、ややこしいことになる。
彼らまで処分するかどうかとマートは悩んだが、それは選択せず、幻覚呪文を再び使って透明になり窓を抜けると、ハリソンの店に戻ったのだった。
幸い、ハリソンは手が空いており、呼び出しにすぐ応じてくれた。マートは、マジックバッグから押収してきた資料の一部をドサドサとテーブルの上に積み上げたのだった。
「ちょっと待ってくれ。あのパン屋を買った連中は、ハドリー王国かどこかの間諜で、そいつらが調べ上げた資料がこれだというのか?」
ハリソンは、驚きの声を上げた。
「ああ、そうじゃなけりゃ、これだけの事を調べようとはしないだろ。信じる信じないは自由だが、きっと、あと30分ほどで眠らせてきた男が目を覚ます。まぁ、既に店に居た連中が気付いているかもしれないけどな。俺もこっそり出てくるつもりだったんだが、1人に見つかってそいつをばらしちまった。殺されそうになったから、仕方ない状況ではあったんだが、そんなことを衛兵に言っても信じてくれないだろう」
「確かにそうだろうな。しかし30分か……急に領主様に面会を求めても会えないな。俺はただの商人なんだぞ?何か勘違いしてないか??」
ハリソンの反応からすると、彼はマートの言ったことを信じてくれているようだった。
「俺の読みが正しければ、あいつらは間諜だから、訴えることはせず急いで逃げ出すはずだ。逆に逃げ出さなければ、俺は間諜じゃないやつの用心棒を単に殺したってことになるが、それは万が一にも無いと思う」
「わかった。とりあえずその連中を追跡をしてくれるか?状況は、冒険者ギルド留めで手紙を残して行ってくれるとありがたい。お嬢なりランス卿なりに追いかけてもらえるよう話をしよう。だが、僕が話ができる相手が捕まらなかったら、その時はその連中を捕まえるのは諦めてくれ」
ハリソンの言葉にマートは頷いた。
「知ってるかもしれないが、このマクギガンの街からハドリー王国に行くとするなら、最短ルートなら花都ジョンソンを経由して、ホワイトヘッドの街を抜けていくことになる。馬でおおよそ10日はかかるだろう。ホワイトヘッドの街から先は俺も詳しくないが、たしか、山岳地帯の険しい山道を抜けてハドリー王国に入るのに、山道に熟練した狩人でも5日ほどかかると聞いたことがある」
マートはハリソンにそう説明を続けた。
「花都ジョンソンまで行けば伯爵、ランス卿、お嬢の誰かぐらい、連絡はできるだろう?あの連中は花都ジョンソンを迂回して行く可能性も高いだろうし、もしそうならかなり遠回りになるだろう。もちろん、アレクサンダー伯爵領以外のルートでハドリー王国に向かうなら、もっと時間がかかるはずだ。伯爵さえその気なら、簡単に追いつけるだろう。その気じゃなかったらどうしようもないけどな」
「確かにな。わかった」
ハリソンはマートの言葉に素直に頷いた。
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ランス卿、その息子のアゼル・ランス、そして配下の従士たちがマートに追いついてきたのは、ホワイトヘッドの街に到着するすこし手前だった。
アゼルは以前マートも関わったアレクサンダー家の後継ぎ問題でメイドに騙されて謹慎していたはずだったが、緊急ということで連れてきたのかもしれない。やたらと張り切っている。
「待たせたな、マート。伯爵にお会いできなくてな。ノーランド男爵の了承を取るのに時間がかかった」
ランス卿の話では、アレクサンダー伯爵は王都に出かけており、留守を任されたノーランド男爵はハドリー王国を刺激することにならないかと心配してなかなか出撃を認めてくれなかったのだということだった。
「いつまでも愚図るので、きちんとやるべき事をしなければ、相手は付け上がるだけじゃ、わしが責任をとる。と一喝したら、しぶしぶ認めよったわい」
「もうそろそろ国境地帯だからな、どうするのかと思ってたよ」
くだけた口調で話すマートに、アゼルは少し怪訝そうな表情をみせたが、ランス卿が一喝する。
「アゼル、お主、まだマートの口ぶりに拘っておるのか?人を見た目で判断するなと何度言わせるのだ。きちんと相手の実力を見る力を養え。もし、それができないとしても、儂の様子を見たらわかるじゃろう。騎士という身分にあぐらをかくでない。それにな、このマートはワイズ・クロス受勲爵士じゃ。本来の身分で言えば儂より上なのじゃぞ」
アゼルは、父親の言葉に驚いたように目を見開き、あわててマートに騎士の礼を取ったが、その様子を見て、マートも慌てて首を振って、その扱いは不要だと主張した。
「いや、勘弁してくれ。そういう柄じゃねぇ」
「マートよ。もう少し、身綺麗な恰好をし、丁寧な口調で話してくれたら、儂も楽なのじゃが」
ランス卿はそう言う。
「そいつは無理だ。丁寧な言葉を喋る人間を演じることはできても、咄嗟にはこうしか喋れねぇ」
「喋れねぇじゃなく、せめて喋られねぇと言えぬのか」
「しつこいぜ。俺には無理だって言ってるだろ」
そう言うマートに、ランス卿は苦笑を浮かべた。
「まぁ、とりあえず、さっさと捕まえてしまおう。マート、そなたも手伝ってくれるな」
「ああ、ここまで来たんだ。手伝うさ。相手は10人、身体の動きからすると、剣の腕はたいしたことは無さそうだが、もしかしたら、魔法を使うかもしれねぇ。捕まえたら自殺するって可能性もあるから注意しなよ。あと、あいつらには聞きたいこともあるんだ」
「聞きたいこと?」
「ああ、あの連中がパン屋を手に入れたとき、元の住民が行方不明になっててな。できればその行方を知りたい」
エバは盗賊の頭目に奴隷商に売ったと聞いていたが、マートはハドリー王国に連れ去られた可能性も考えていた。
「なるほどな。よしアゼル、そなたが先頭じゃ。マートは連中が逃げ出さないように見ておいてくれ」
読んで頂いてありがとうございます。
今更ですが、マートはら抜き言葉を喋るという設定を強調してみました。(※ランス卿が言ったのは、ら抜き言葉の訂正とは違い、さらに古い日本語表現ですが……)崩れた日本語を喋るというので気持ちの悪い読者の方もいらっしゃると思いますが、マートなどの孤児にはあまり教養がないという雰囲気が伝わり易いかと思いそのような設定となっております。ご理解ください。
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2021.9.15 誤記訂正 幻影呪文 → 幻覚呪文