9. 過去も未来もない
ヨルクはここでも引きこもってしまった。
ヌンから百五十年後の世界へ来たと聞いても信じなかったが、そうじゃないと言えなくなってきたのだ。
ヨルクの時代では、時間を超えて過去や未来へ行くのは不可能とされていた。
過去はすでに消えて存在しておらず、未来も一瞬一瞬が進む先は無いので、存在しているのは現在だけということだった。
ただ、時間や空間そして距離などが一緒に存在する所、もしくは未来と過去が同時に存在できる膨大なエネルギーがある所では可能かもしれない、ということだった。
どちらにしても十四歳の少年には何のことだかさっぱり分からない。
だから自分に何が起こっているのか皆目見当もつかないでいた。
こんな状態では、虫除けのカーテンを閉めただけの家にこもっても、中が透けて見えるので、ヨルクにとってこの上なく居心地が悪かった。
宇宙ステーションでは全て揃って便利だった。会話しなくても困らなかった。ところがここは水を飲んだり、トイレに行くのでさえ外に出なければならない。
突然、ヨルクの中に「これは両親が企てたのでは」という考えが起こった。「自分が引きこもれないようにされたのかもしれない」と思ったのだ。
すると怒りが募ってくる、と共に、気が楽になるのも感じた。
「これは自分のせいではない」「自分が何かしたからこんな事になったのではない」と考える。
こうして他人のせいにする方が楽なのだ。
「あいつ、どーするよ」とダンがヨルクのこもる家を見ながら言った。
ダン、ワルト、ティアとニケは、木陰で座ったり横になったりしていた。
気温が上がると、小さな子供たちには危険になるので、カーテンを開けた家の中で昼寝をする。
「時間がかかるんじゃない」とワルト。
「そうだけど、あいつを置いてエルナトへ戻るか?」
「ヨルク次第だね」
するとニケが、
「ヌンはずーっと雄しべのままなの?」と心配そうに言った。
ティアがうーんと考え、重々しく口を開く。
「雄しべは花と一緒に終わるんだけど…」
「え?じゃあヌンも終わるの?」
「ヌンは普通の植物とは違うし、もう花から離れているから…」
「そうだな」ダンとワルトも頷いた。
「とにかく、ヌンが雌しべを探すのに、ここにいても仕方ない」
「うん、オレも協力するって約束したから、他を探した方がいいよ」
するとティアがニコッとした。
「じゃあヌンのお嫁さん探しだね」
そこへユーリスが戻って来た。
「ヨルクはどうしてる?」
「家の中だよ」
ダンが家を指差す。
「家の中?カーテンが閉まっているけど?」
皆はハッとする。昼中にカーテンを閉めると中の温度は上がる。それを忘れていたのだ。
「しまった!」
突然、カーテンがばっと大きく開きヌンが飛び出して来た。
「ご主人様が!ご主人様が!」
皆が慌てて家の中に入ると、ヨルクはぐったりして倒れていた。
「熱中症だ!」
「プールに突っ込め!」
ヨルクを皆で担ぎ上げると、ワワワッと泉のプールへ向かい、ザブンッとヨルクを投げ入れる。
「何をするんだ!」
とヨルクは水面に上がると叫んだ。
皆はハーッと安堵の息を漏らす。
「良かったね」
「危なかった」
「うっかりしてたよ」
「死んだかと思った」
「今日は特に暑いんだ」
「ご主人様ー!ご主人様ー!」
それぞれが言っていると、騒ぎを聞きつけたアニタや他の者たちが集まってヨルクの事をあれこれ言う。
そんな様子を見て、ヨルクは惨めだった。
「なんでこんな目に合うんだ」と情けなく思う。
「こんな所にいたくない、早く戻りたい」と思っても助けは呼べない。
ヨルクは、再び水の中に潜る。泣きたい気持ちを抑えて、いや、水の中で泣いていた。
ヨルクが潜ってしまったので、ヌンが驚いて「ご主人様ー!」と叫ぶ。
すぐにユーリスとダンがプールに飛び込みヨルクを引き上げた。
ヨルクは水を飲んで咳が止まらない。
「殺す気か」と思ったとヨルクだったけれど、
「こんな状態でも生きたいと思うんだ」と可笑しく思えたりする。
ヨルクは家へ連れて行かれて寝かされ、カーテンが開けられた。
すると、そよ風が家の中へ入ってきた。
ヨルクは少し落ち着き、ここへ来て初めて、自然の風は心地良いと思った。
宇宙ステーションでは自然の風はなかった。キャンプに行った時も風が吹いたのを覚えていない。
今まで自然に興味は無かったけれど、ここは自然しかない所だ。
ヨルクは、自然を感じ始めていた。
ユーリスが、
「僕たちはエルナトへ戻るけれど、君はここにいてもいいんだよ」と言った。
ヨルクは、ユーリスたちがエルナトから来たと聞いていたが、自分は空港へ行くことばかり考えていたので、エルナトがどんな所なのか注意して聞いていなかった。
そして今、ユーリスたちがエルナトへ戻ると聞き、心細くなる。
「もう少しここにいてくれても良いのに」とさえ思ったりする。
ヨルクは、彼らに会ってまだ一日も経っていない。
それなのに別れを不安に感じてしまう。
とはいえ彼らに従うのに、ためらいも感じる。
助けてもらいたくても、それを素直に言い表せないでいる。
ヨルクの口から出た言葉は、
「エルナトへは行かない」だった。