6. 森の中
サーッと軽い音がする。
「雨だ」とヨルクは思った。
雨の音を聞くのは久しぶり、最後に聞いたのはいつだろう、そしてなぜ自分は雨の音を聞いているのだろうと考えていく。
ヨルクはその時、自分がどこにいるのか分からなかった。
辺りはほんのりと明るく、その明るさは少しづつ増していくようだった。
ヨルクは大きな窓の方を見る。すぐに、それは窓ではないと気づいた。
そこは小さな四角の家のようで、天井を支える柱があるのに壁は無かった。
代わりにカーテンのような虫除けの薄い布がぐるりと内側を囲むように掛けられている。
カーテンの裾が風でふわりと揺れた。
家は大小の木々が茂る森の中に建てられていた。
早朝の、霧の様な小雨からの水滴は、葉に降りると雫となってポツポツと音を立てながら低い方の木の葉に落ちていく。
小刻みに震える木々の葉を眺め、雨音と雫の音が混じり合うのを聞きながら、ヨルクは、ぼんやりと、それはオーケストラの様だと思った。
家の中には良い香りがしていた。
香草の燻っている細い煙がまっすぐに、そして時にはゆらりとしながら上へと登っていく。
ヨルクは手で寝床を探った。
木で張られた床の上に、柔らかく薄いマットレスが敷かれていて、感触はサラリ冷んやりとして気持ちが良い。
心地よい音と匂い、そして淡く煙った森の景色に、ヨルクは夢の世界かと思った。
突然、誰かが声を上げる。
ヨルクがギョッとして周りを見ると、横に何人かの少年たちが寝ていた。寝言だと分かる。
そして「ああ、そうだ」と思い出した。
昨日、ヌンが地上に降りた途端に攻撃されたのだ。
ヌンは「攻撃した者たちは迎えに来てくれた子供たちのはずで、なぜ攻撃されるのか分からない」と言っていた。とにかくヨルクは反撃する。
ヨルクにとって迎えに来たのが「子供たち」というのも腑に落ちなかったが「大人」の方が良いという訳でもない。
とにかくヨルクには何がどうなっているのか分からないまま騒動が終わり、子供たちの後を付いてここへやって来た。それから泥だらけの体を洗い、簡素な服に着替え、夕食を食べた。
食べ物は集会所の様な所に準備されていた。
中央に焚き火があり、その周りにたくさんの果物が並べられていて、料理されたものもあった。
種類の豊富さから客を歓迎する晩餐の様でもあるが、そこにいた者たちは客をもてなすと言うより勝手に賑やかに食べていた。
大人は二人しかおらず、母親たちらしくそれぞれに赤子を抱いていた。
他は小さな子供たちばかりなので、田舎の保育園かとも思った。しかも電気機器は一つもない。
とにかくヨルクがここに着いた時は真っ暗だったし、夕食の後は寝床に案内され、そのまま寝てしまった。
ヨルクはその夜、何も話さなかったし、誰から何も聞かれなかった。
「雨か・・・良かった」とヨルクは呟く。
ヌンが火傷していたからだ。
ヨルクはヌンから「百五十年後の未来」と言われても信じていない。
ここは宇宙ステーションの近くの惑星かどこかで、両親に連絡できる方法はないかと探っていたら、どことも連絡が取れないまま三日が過ぎる。
酸素はあったし持ち込んでいたオヤツ、つまり食料もあった。
ところが、水が無くなってしまったのだ。
水を必要とする苗が多すぎた。それで惑星に降りることにしたのだが、ヌンは乾ききっていた。
大気圏に突入すると火傷してしまい、地上に降り立つと急いで根を地面に突き刺し水を吸う。そんな所を攻撃されたのだ。
ヨルクはヌンから離れたくなかったが、水を吸い続けるヌンが回復するのを待つしかない。それで迎えに来たと言う子供たちに付いて来たのだ。
ヨルクは「この雨でヌンも植物たちも喜んでいるはずだ」とホッとしたものの、これからどうしようかと悩んでいた。
空港があるのだとしたら、近くに街があるはずだ。
ヨルクは、ここの住人が、何も聞かないのを不思議に思っていた。かと言って自分の事をどう話せば良いのか分からない。
「宇宙種テーションが攻撃され両親と離れ離れになった」と言って良いのか、ここの者たちが敵か味方なのかさえ分からない。
だから何も聞かれないのは都合が良かった。
とにかく「夜が明けたから何とかしなくては」と思ったのに、あの香りや雨の音が心地良いのか、ヨルクはまた眠りについてしまった。
次にヨルクが目覚めた時は、日がかなり高くなってからだった。
雨は止み、気温と湿度が上がり蒸し暑い。
カーテンは開き、一緒に寝ていた少年たちもいなくなっていたので、それに気づかなかったほど深く眠っていたのだと驚く。
喉が渇いているので外に出る。
そこは何軒かの家が建っている所だった。家はみな同じ形をしていて風通しは良い。戸袋があったので嵐がくれば戸板を立てられるだろう。
ヨルクは、ここが学校の課外授業で行ったキャンプ場に似ていると思った。
そして賑やかな子供たちの声が家々の裏の方からするので、その方へと向かう。
そこには湧き水があった。
小さな洞穴から流れ出ていて、いくつかの段差を滝の様に降りていく。
水は、先ず水飲み用のかめに溜められる。かめの周りには数本の柄杓が置かれていた。
かめから溢れ出た水は下の石作りの井戸に落ちていく。それは自然の冷蔵庫らしく果物が入っていた。
水は絶えず流れており、その下の大きな囲い、洗い場に溜められる。その周りには木の茶碗や皿、鍋などが置いてある。
こうして水は更に下のプールのような広い囲へと流れていく。
そのプールの周りの岩場には、ヨルクが前の夜で見た二人の女性たちがいて、幼子たちが水浴びをするのを見守りながら白い糸の束を洗っていた。
ヨルクは柄杓で水をすくって飲む。水は甘く冷たかった。
そうして柄杓を置きながら下の方の子供たちに目をやってギョッとした。昨夜、母親たちに抱かれていた赤ん坊たちがスイスイとプールで泳いでいるのだ。
「ここの子供たちは歩くより先に泳ぐのか」と思ったその時、後ろから声がした。
「ヨルク?」
ヨルクが振り向くと、そこには自分と同じ年頃の少女が立っていた。前の晩、いなかった子だ。
その子は、小麦色の肌の手足がすらりと長くカモシカを思わせる。走ると早そうだ。髪は赤茶けていて長く、後ろに束ね三つ編みにしていた。着ている服には美しい刺繍がされていて、肩にかけてる薄手のマントにも様々な刺繍が施されている。
ヨルクはその時、初めて、ここの住人が、自分がいた世界とはかなり違うと思った。
「あー、やっぱり。セルク・ヨナはヨルクだったんだ」
とその少女は言ってニコッと笑って白い歯を見せる。
それまでヨルクは、自分がセルク・ヨナと呼ばれるので人違いだと思っていた。
ところが、彼らは自分の名前を知っていた。ではセルク・ヨナとは何なのだろうと思う。
その少女は水に浸かっていた果物の中から二つを取ると、一つをポンとヨルクに投げ、
「わたしはアニタ。ほらこっちの方が冷たくて美味しいよ」
と言って、自分はもう一つにかぶりつく。
果汁がジュワッと出て彼女の手から腕に流れた。そして背負って来た籠をおろし、中に入っていた果物をドバッと水の中に入れる。
ヨルクも果物をかじった。
「アニタ!」
突然、糸の束を洗っていた女性の一人がアニタに向かって叫んだ。
アニタは女性の方を振り向く。
「ヌンの所に連れて行ってあげたら?」
ヨルクは「えっ?」と驚く。「ヌンを知ってる?」
ヨルクは、ここの少年たちが自分を迎えに来たのであれば、自分の名前を知っていても不思議では無いと思った。
ヌンのことまで知っているとは思わなかったのだ。