15. ナタリへ
洞穴から雪は見えなかった。
サライからエルナトへは二、三日ほどかかる。
最初の夜は洞穴に泊まり、そのまま進めば次の日か、遅くても二日後には目的地に着けるはずだった。
崖崩れは土地の人間なら周辺を迂回できるが、ヨルクには難しいとユーリスは思った。
ユーリスが選んだ雪の道は、エルナトの北側の山を超えるルートだ。
他にも湖を回れる道があったが、エルナトまで十日以上はかかる。
途中でヨルクが病気になったり怪我などすれば、さらに遠くなる。
さてヨルクたちは、洞穴を出ると東の方へ向かった。
その道は小さな川ばかりで、丸太や吊り橋がかけられ、さほど険しくない。
ヨルクは「初めからこっちを通れば良かったのに」と思ったほどだ。
東への道から北への道を取り、いよいよ山道を登って行く。
雪の道の始まりだ。
とはいえまだ先は長く、その日は森の中で野営することにした。
ヨルクはテントを張るのだと思っていたら、テントは無いと言われた。
ユーリスが小川の上の平たい場所に野営地を決めると皆は動き始める。
ユーリスとワルトは二枚の大きな布の四隅に小石を包んで紐で縛り、紐の反対側は周りの木の枝にくくりつけて屋根にする。
そして張られた二枚の布の間の下に焚き火を起こす。
その頃にはダンたちが木の実やキノコなどを取って戻ってきた。
食事が終わり、皆は焚き火の周りにゴロリと横になって眠る。
風がそよそよとそよぎ、森の木々の葉はこすれ合う静かな音を立てる。
ヨルクはキャンプ地で泊まったことはあったが、管理されてない自然の中での野営は初めてだった。
子供たちだけでこんなことが出来るのかと、少しワクワクする。こんな風に夜を過ごせるのかと驚いたのだ。
自然に接してこなかった者が、自然に親しめる様になるには時間がかかる。
急に便利な社会から自然に連れて来られても、戸惑うばかりで、自然が素晴らしいと感じる余裕はない。
ヨルクは、次第に、自分の体が自然に慣れていくのを感じていた。
次の日の朝早く、いつも通り小雨が降った。
張られた布のおかげで皆は濡れることなく、焚き火に木の枝がくべられると炎が舞い上がる。
焚き火の脇には茶葉が入れられた鍋があり、良い香りが漂っていた。
皆は簡単に朝食を取り、雨が病む頃には出かける準備を終え、野営した場所は元どおりにして出発した。
そうして午後に、やっと雪のある所までやって来た。
雪は、初め、森の中の木々の間、くぼんだ所に水たまりのようにあちこちに散らばっていた。
次第に木の種類も変化し、上に登るほど細くて低い木になり、雪のある場所も増えていく。
花も咲いていた。
雪の中からニョキッと茎が出て咲く花もある。
ヌンは、相変わらずオレンジ色の花にラブコールを送るが振られっぱなしだった。
そうして登っていくと、木はまばらになり、雪の平原が現れ、遠くに集落の屋根が見えて来た。
それがナタリだった。
突然、ヨルクの片足はズボッと雪の中に埋まった。
「道の脇は踏み固められてないんだ」とニケはケラケラと笑う。
「お前だってさっきハマッたじゃないか」とダンが呆れながらニケの頭をガツンと叩く。
雪の上を踏み固められた道はあるのだが、一歩踏み外すとそこは柔らかい雪しかなく足が取られてしまう。
「道が分かりにくいな。それに眩しいし」とワルト。
「アニタ、ゴーグルを皆に配ってくれないか」
とユーリスが言ったので、アニタは背負っていた籠を下ろしてゴーグルを取り出す。
アニタは雪の道行きが決まった日、近くの集落からゴーグルを借りてきていた。
ヨルクもゴーグルを受け取る。
ゴーグルは古いものだったが良く手入れされていた。
それからヨルクは、踏み固められた道から出ないように言われた。
雪の平原は何も無いように見えるが、雪の下にはいくつかの川があった。
川には手すりのある橋がかけられているが、雨季になると雪は手すりを超えて積もり、どこに橋があるのか見えなくなる。
乾季の終わり、雪が振り始める頃になると、川の水は少なくなり、すぐに凍って雪の中にうもる。
そして乾季に雪が解け始めると、川の水かさは増す。雪はどんどん解け、橋の手すりも見える様になる。
その雪の解け方が問題なのだ。
川を覆っている雪が解けるのはもっと後だ。何も無い様に見えるのに、雪の下では水が流れている。
もし一歩でも踏み外すと、落とし穴の様に水量の増えた川に落ちてしまうかもしれない。
そうなったら命の保証はない。
ヨルクはその時、自分は皆に守られているのだと知った。
今まで舗装されてない道を歩くのは嫌だったが、その割には問題なくやってこれた。
ユーリスはヨルクに「エルナトから迎えに来た」と言っていた。
この少年少女たちは、ヨルクを無事にエルナトに連れていくことに集中していたのだ。
さてナタリの集落の周りには、雪の上に布や植物の束のようなものが広げられていた。
様々な色の布が作る幻想的な光景にヨルクが見とれていると、ひょろっとした人が立っているのに気づく。
それはヨルクが初めて会う大人の男性だった。
その初老の男性の名はレンキ。
黒くて長いローブを着ているので、ヨルクは修道僧かと思ってしまった。
彼の右手には、義手が嵌められている。
レンキは少年たちを見るとニッコリし、更に少年の一人がヨルクだと知って喜び、
「ずっと会いたいと思っていましたよ」と言った。
ヨルクは、レンキの目の奥に、何か底知れないものがあるのを感じた。