1. ヌン
朝だ。
ヌンは光に向かって背伸びをする。
そして大きな葉を広げ、ふるふるっと震わせた。
ヌンは植物、といっても普通の植物ではない。
通販で売っている子供用の有機系小型宇宙艇だ。
注文すると小さな鉢植えキットが届き、市販の種か苗を植えて水をやりながら育てると宇宙空間を散歩程度に漂える、という教育的な人気商品だ。
ヌンのご主人様は十四歳のヨルク。とはいえこの少年が注文したのではない。
注文したのはヨルクの両親だった。
キットが届いた時、引きこもり少年のヨルクは「両親が自分を外に出すため」つまり「余計なことを」と思ったのに中を開けることにした。人気商品に興味があった。そして「外に出るかどうかは別だけど育ててみるか」と植物センターから苗を取り寄せる。
苗にしたのは取扱説明書に「どの植物でも育てられるが、種より苗がオススメ」とあったから。発芽しなければ商品か種のどちらが悪いか分からないので返品不可となる。
ところでヨルクは植物をよく知らなかった。苗は全て同じに見えるので成長した写真を見て、適当に緑葉に青緑色の模様のあるものを選んだ。
食虫植物も魅力的だったが止めにした。
取説に「子供を食べたりしないが、色々なもの(虫やその他)を集めるので掃除が大変」と書いてあったのを思い出したのだ。
その最後に、
「会話は出来るが植物なので頭は良くない」ともあった。
あくまでも子供用なので高度な要求には答えられない。
それが最後に書かれていたのは、期待度が高過ぎて不良品だと誤解され返品されるのを防ぐためだった。
とにかくヨルクは苗を鉢に植え、ヌンと名付けた。
ヌンは、ご主人様の機嫌が良いと喜び不機嫌になると慌てる愛嬌のあるやつだった。
怒られても、ご主人様が優しい少年だと知っている。
自分が小さい頃、ご主人様は机の灯で温めてくれたし、大きくなると隣りの空き部屋を工房にして移してくれ、いつも一緒にいる。
そうしてヌンは、写真にあった濃い青や緑色の入り混じった美しい流線型の飛行艇に成長していった。
ヌンはご主人様が大好きだった。
さてその日の朝の工房の光は、有機系小型宇宙艇の天井と左右にある窓から中に入り、操縦室の隅々まで照らして・・・
「うーん」
突然、ヨルクの声がした。
ヌンはハッとする。
昨夜、ご主人様が読書したままヌンの中の簡易ベッドで眠ってしまったのを忘れていたのだ。
ヌンは広げていた葉っぱを天窓にかぶせる。葉はピタッと天窓にくっ付くいて平らになり窓は消える。ところが焦ったせいか左右の窓は上手く覆えない。窓からの光はご主人様の顔を照らしたままだ。
「まぶしい・・・」
「は、はーい!」
とヌンは間の抜けた返事をしながらバサバサと窓を覆おうとする、が、上手くいかない。
「もういい」と、ご主人様は起き上がる。
ご主人様の機嫌は悪い。
葉っぱはシュンとうなだれる。
ヌンにとって朝の光はクリームと蜜たっぷりのホットケーキのようなものなのに、朝寝坊のご主人様は朝が好きではない。
ヌンは、なぜご主人様が朝を好きでないのか分からなかった。
「引きこもりのご主人様は朝が苦手」と言われても何のことだかさっぱり分からない。
何年、何十年、時には千年も(引きこもったまま)発芽しない種もあるのだし「何の問題があるのだろう」と思っている。
さてヨルクが立とうとすると、足元でガサッと音がした。
空の菓子袋を踏んでしまったのだ。
「すぐに掃除します!」
「バンカイせねば」とヌンは、壁からヒュッと蔓みたいなものを出し、ご主人様の足首をクルクルッと巻いて持ち上げ、蔓の先っちょで靴底の菓子のクズをパパッと払う。
ところが足を上げすぎたのかご主人様はひっくり返ってしまった。ヌンはベッドを大きなクッションに変えポフッと受け止める。
「も、申し訳ありませーん」
とヌンは慌ててホウキを出し、ゴミをササッと掃いて、ポンッと壁にドアを開けて外へ捨てた。
ホウキはヨルクが工房の隅にある古いロッカーで見つけたものだ。
普通は、お掃除ロボットが掃除するのでホウキはいらない。
いらないホウキを見つけたヨルクは、ヌンの中にある異次元物置にしまっていた。そこには他にも、お菓子などが入っている。
ヨルクはため息をつく。
ヌンに関わってバカを見るのは自分だ。
そしてボサボサの髪をかきながら立ち上がってドアへ向かった。
突然ヌンはドアを閉めた。
閉めるのに手間取っていた窓もサッと閉じ、クッションをさらに大きな肉厚葉にしてご主人様を包み、警戒用の赤ランプを点ける。
次の瞬間、ドドーンと大きな音と共に衝撃があった。ヌンは一瞬浮き、すぐに押し戻されたようにガクンと床を打つ。
「何があった!?」
とご主人様に聞かれてもヌンには分からない。
ヌンは恐る恐る横の窓を開ける。
窓の外には、さっき捨てたはずの菓子袋や工具などが浮かんでいる。工房の重力装置が機能していない。しかも壁が無くなっていた。
壁があったところには透明なバリアが張られ、危険を知らせる赤と黄色の光が交互にバリアのシールドに反射している。
シールドの向こうにあったのはヨルクの部屋だ。だがその部屋はもう無い。粉々に破壊され、全ては掃除機で吸い取られるように外へと吐き出されていく。
ヨルクも、いつものように自分の部屋で寝ていたら宇宙空間へ吐き出されているはずだ。
ヨルクがいるのは宇宙ステーション。
こうして突然に、ヨルクの今までの生活は終わった。