3‐6
アリーナは、そのことについては何も言わない。
「この店、変わっているけど良い雰囲気だね。初めて見るものが沢山だ」
丸い窓を見る。アリーナは満足そうに微笑んだ。
「そうでしょう。マルクスだったら、そう言ってくれると思った」
「この窓はどうして丸いんだろう?鍵も無いし、換気のためのものではなさそうだね」
「それはデザインだよ。昔の建物には、そういった「遊び心」があったらしい」
店主が珈琲と焼き菓子を運びながら答える。
遊び心とは何だろう?
それは何かの意味があって、施されるものなのだろうか?
ぐるぐると考え込む、僕の頭の中を読み取ってか、アリーナは教えてくれた。
「意味なんていらないのよ。ただ、なんとなく「良いな」って思えばそれで良いの。それだけのために、その窓は存在しているのよ」
分かるような、分からないような曖昧な表現だったけれど、しっくりくる。
「じゃあ、この木製のテーブルとイスも?」
「そう。普通の椅子と違って固いし、座り心地も良くないけど、なんか良いでしょ?」
「ああ。装飾も綺麗だし、木目や色味が、なんか良いね。優しい感じがする」
アリーナと話していると自然と笑顔になる。
珈琲を一口。
口に含んだ瞬間、珈琲豆の良い香りが鼻を抜ける。
苦みで舌が痺れるが、スッキリとした後味で、何杯でも飲めてしまいそうだった。
砂糖やミルクもいっしょに運ばれてきたが、もったいなくて入れられない。
ブラック派ではなかったが、苦みは一緒に頼んだ焼き菓子で抑えることにする。
「美味しい」
焼き菓子も、とても美味しかった。
一口サイズのクッキーは、サクッと軽い食感で、甘過ぎず、バターの風味とも良く合っていた。
マドレーヌはレモンが入っているのか、甘酸っぱい。
僕の理想の味だ。
思わず、頬が緩む。
「良かった。マルクスったら、幸せそうな顔してる」
「仕方ないよ、事実だし。こんなに美味しい珈琲や焼き菓子を食べたの、初めてだ」
アリーナと一緒に食べているからより美味しい、というのは黙っておく。
アリーナもクッキーをつまむ。
「うん。美味しい」と笑顔で呟いた。
「マルクスは、普段どういった仕事をしているの?」
「高等部生の家庭教師だよ。近くにある「花園女子学院」の生徒とかの勉強を見ているんだ」
「そこ、私の母校よ。懐かしいな」
「そうだったんだ。じゃあ、かなり頭良いんだね」
目を見開いて、小刻みに顔を左右に振る。
その可愛らしい仕草に、つい、吹きだしてしまった。
「違うの?」
「全然でしたよ。私だけいつも赤点だったし、先生にも「よく入学できたな」って呆れられていたんですよね。卒業出来たのが奇跡」
そこまで言うか、とまた笑ってしまう。
ジャルディーノ・フィオリトは、国立の中高一貫校で超エリート校だ。
偏差値が高く、地域からの評判も良く、制服も可愛いことから、親娘揃って「行きたい・行かせたい学校ランキング一位」と何かの雑誌にも掲載されていた。
そんな学校出身で、頭が悪いはずがないのに。
「本当かなー」
「本当ですよ。それに私、芸術推薦で入ったし」
それには納得だった。
赤点が現実味を帯びてくる。
アリーナの描いた絵であれば、多少頭が悪くても合格させてしまいそうだ。
そのくらい、人を惹きつける魅力がある。
アリーナと一緒にいると、時間の流れが速く感じる。
話下手な僕が、こんなに話が尽きないくらい盛り上がるのは、ダヴィードといる時くらいなのに。
とても楽しかった。
他愛もない話が多かったので、特にこれと言って覚えていることは無いけれど、久しぶりにこんなに「楽しい」と思えた。
「あ、そろそろ帰らなくちゃ」
「そうだね。家まで送ろうか?」
「ううん。今日、姉さん家にいるから」
アリーナと一緒に立ち上がる。
会計を済ませて、ドアを開ける。
カランカランと、あの、特徴的な鈴が鳴った。
外はもう、茜色に染まり始めていた。随分と時間が経っていたようだ。
「それじゃあ、ここで。また今度」
元気な挨拶と僕を残して、アリーナは帰っていった。
「また今度、か……」