二章−3
「で、優姉は今日どうしたの?」
「大学が今日から冬休みなんだ。この時間なられーちゃんも講義の終わってる時間だろうから電話したんだけど。って、でも朗人さんと一緒にたんだよね、ドリンク屋さんに」
あ、やぶ蛇だった。
怜奈の顔がみるみるうちに先ほどとは違った意味で青くなる。
多少なりとも優奈は怜奈の授業のコマを把握しているのだろう、この時点で講義をサボったのがばれてしまった。
一応は今日まで講義があったのだが、明日から休みというのと朗人のこともあってサボったわけなのだが……
「スミマセンデシタ」
逃げ場はないと認めたのか、カタコトの謝罪をする怜奈。
どうしても優奈には頭が上がらないので素直な気持ちで頭を下げていた。土下座で。
それはもうカタコトの言葉とは裏腹に流れるような動作で手をつき、頭を下げていた。
優奈は「おおげさだよ、れーちゃん」とほがらかな笑顔で、怒っているそぶりはかけらも見られなかった。
「朗人さんのことで講義には集中できそうにないもんね。れーちゃん、人を放っておけない子だから」
「わかってくれて嬉しいよ……」
「普通になんの理由もなくさぼってたら怒ってたけどね」
「そんなことしないってば」
「でも遅刻くらいはありそうだよな。人助けをしていたらなんやかんや巻き込まれていく形で」
「それはたまにあるけど」
「れーちゃん? 今後は控えてね?」
苦笑いで「わかってるよ」と言うが、それでも怜奈は脊髄反射で人を助けてしまいそうだな、と優奈も苦笑する。
口ではなんだかんだと言ってしまうが、優奈もわかっている。それだけ怜奈は人としてまっすぐな娘だということを、幼少の頃から知っている。
「ほんと、一緒の大学が良かったなぁ……」
「優姉と一緒の大学はオレの頭じゃ無理だって……」
「そんなことないよ! れーちゃんはやればできる子だもん!」
「学生時代ほぼ満点の人に言われても困るんですが」
「ほぼ満点」
怜奈の言葉に朗人は関心を示したように反応し、自慢げに優奈のことを話し始めた。
「そう。だから高校在学時は常に勉学ではナンバー1だったんだよ、優姉。おまけに美人だし優しいしそりゃ人気もあったよな」
高校時代を思い出す。
思えばいじめられていたのは小さい頃だけで、成長するにつれてその頻度は少なくなっていた。けれども完全になくなっていたわけではない。だからそういう『取りこぼし』を怜奈が優奈にばれないよう処理していたのだが。
その頃から怜奈は今ほどではないが鍛え上げた身体能力でその辺の同級生男子を一対一でならば問題なく倒せるくらいには強かった。
だからだろう、一つ上の学年の女番長のような生徒にすら臆することなく立ち向かった。
優奈の物を隠す、軽度な悪戯ではあったが━━女子生徒の視線をたまたま覗けたからだが━━明らかに優奈に対し敵意を持っていた。優奈の人気が気に食わなかったのだろう。
他にも被害が出ているという噂もあって、怜奈は影から挑んだ。もとより女子生徒も怜奈を優奈の取り巻きと見ていたのか驚くほどに安い挑発に乗り、優奈のいない場所で口論からの物理的な殴り合いに発展させた。
先に手を出したのは女子生徒ということと、男子生徒が一人加担していたということ、そして一部始終を今では廃れてしまったガラケーの録音機能を使い、後遺症が残らない程度に、正当防衛の範囲でボコボコにしたものだ。
その後、優奈に対しての悪戯は軽度なものすらなくなった。
とはいえ、本当に優奈にばれていないのかは別の話だ。怜奈は賢くないので考えるだけ無駄とこの思考は放棄することにしている。
もう一度じっくりと怜奈は愛しい幼なじみを見る。
ゆるいウェーブのかかった黒い長髪。愛らしい表情に、ぱっちりとした優しい目。
どれもこれも怜奈にはないものであり、羨望の眼差しを送るのには十分だった。かといって今の自分に不服があるわけではないのだが、それでもこうやって羨ましい、という感情を持つのは自分も女性的な部分があるのだな、と内心で苦笑する。
困った顔で「そんな人気なんてなかったよぉ」と答える優奈に微笑みを浮かべる。
だから「やっぱり優姉は可愛いなぁ」とこぼす。
「れーちゃんがそう言ってくれるなら嬉しいな。大好き」
ぎゅう、と引き寄せられ抱きしめられる。
柔らかく暖かい、まるでひだまりのようだと安心感に包まれる。
やっぱり、この人はずっと守ってあげたい。
「優姉、大学でなんかあったら言えよ。オレが行くから」
「れーちゃんも心配しすぎだよ。ほら、朗人さんもなにか言ってあげてください」
「ん、邪魔しちゃ無粋かと思ったんだけど……怜奈ちゃん、俺も心配しすぎだと思うよ。仮にも年齢的には大人だしね、あんまり心配しすぎもよくない」
「えー……でもさぁ」
「まず君は自分の心配しろ。怜奈ちゃんになにかあって泣くのは親御さん以外に優奈さんも泣く。少しはそのあたりを考えたほうがいいかもな」
「朗人さんの言う通りだよ。それにこの町も最近、不穏な噂があるし……」
「噂? なんかあったかな」
一年半くらい怜奈はこの町に住んでいるが、不穏な噂など聞いたことはない。むしろ治安は怜奈の活躍も含めてマシに向かって行っていると彼女自身は思っていたのだが……
「なんでも怪物が出るって話だよ」
かなり荒唐無稽な話だった。一体どういうことなのか。
「いや、いくらなんでもそりゃないって」
「でもでもツイットー見てたらそんな話流れてたよ。悪魔憑きだーって」
ツイットー、とはいわゆるSNSで簡単な情報発信ができることで有名なアプリだ。
最近はこのツイットーの画面映えする映像だけとって、食事を食べずに帰ってしまうなどで社会問題にも発展している。
それに加え匿名性が高いので、多種多様な情報が広がっていく。だからなにかしら未確認生命体のような写真が上がったりもするのだが……こと怜奈の住む荒谷町にそんな存在がいるとは思えない。
昨今は画像編集の技術が高いのもあり、捏造も容易いこともありその信憑性は薄い。
ましてや荒谷町は怜奈にとっては庭のようなものである。そのような噂があれば耳にしているはずだ。ましてや悪魔憑きなどという面白い、もとい好奇心をそそるようなワードは聞いた記憶がない。
「少なくともオレは知らないよ。朗人さんは……もとより知らないよなぁ」
「なぜ一瞬聞こうと思った」
「ノリだよ。まぁ細かいことはいいや。で、その噂って?」
「うん、なんでも人さらいする人間とは思えない存在がいるってお話」
「アバウト。超アバウト」
「まぁでも火がないとこに煙は立たないっていうから、なにかしらはあるかもね。悪戯の可能性も大いにあるけど……あ」
「どったの?」
なにかを思い出したように手をパンッ、と両手を合わせる朗人に不思議そうに怜奈は聞く。
少しだけどもったあと、朗人は昼間での影山の言ったことを口に出した。
「ごめん、悪魔憑きには聞き覚えあった。ドリンクバーの店長さんが最近よろしくない噂が立っている、ってその名前出してた」
「え、店長が? 普段なら真っ先にオレに教えてそうなのに」
「面白半分のジョークネタかもね。信憑性がないから、とか」
影山から聞いた話と今の話で本格的に怪しい。
「ま、悩むほどではないだろ」
「そうかな……? ま、いいか。ご飯食べようぜー。優姉なんか食べたいのある?」
「安くてお腹いっぱいにしたいよねぇ。でも」
「そうだな」
ちらり、と二人は朗人の方を見る。
未だ傷が癒えきっていない朗人のことを考えれば、肉がいいだろう。何事も肉を食べれば元気が出る。
ということで、二人の脳内では歓迎ではないが食事会を開いてもいいかもしれないという考えがよぎった。
「よし、焼肉食べに行こうかれーちゃん」
「そうだね優姉。今ならドンドコドン焼肉亭が食べ放題の値段安いからそこにしよう」
「お? どゆこと?」
「出かけるってことだよ。ほら、さっさと準備して」
「あ、はい」
なにを言っても無駄だろうと悟った朗人は素直に首を縦に振った。