二章−2
目がさめると怜奈の部屋の天井が視界に映った。
とっさに起き上がると、見知った顔、大事な幼なじみの怜奈がすぐに映った。
「優姉! よかった……気絶するからびっくりしたよ」
「あ、ごめん……っじゃなくて!」
優奈は怜奈の肩を掴んで真正面から見つめる。
……互いに恥ずかしくなって目を逸らした。
「……なんのコントだよ」
と、優奈の知らない声が聞こえ、かばうように怜奈を抱きしめて声の主に視線をとばす。
呆れたような顔をしている先ほどの男性が鍋を持って二人を見ていた。
「……あなた、誰ですか」
きつく問い詰めるような声音。温和な彼女しか知らない怜奈にとってはそれが予想外でとっさに動けなかった。
対して朗人はいたって冷静に答えを返した。
「名前を、と言われれば八神朗人(仮)としか言えない」
「(仮)ってなんですか? ふざけてるんですか?」
「ふざけてないよ。そもそも俺自身が名乗ったらしいけど記憶がないから(仮)としか言えないんだよ」
怪しい、と数秒で断定する。そもそも記憶がないということが怪しい。
だが、もごもごとあがく怜奈のことに気づきすぐに解放する。
「ご、ごめんねれーちゃん」
「い、いや大丈夫。あ、あのさ……優姉は信じてくれないかもしれないんだけどさ、この人はオレを助けてくれた人なんだ」
「……え?」
優奈の目が丸くなる。どういうことだと言わんばかりだ。
「オレが危ないところを助けてくれたんだ。まぁ本人もぼんやりとしか覚えてないけど」
「え? え?」
「それに昨日の時点で一緒に過ごしたけどなにもされなかったし……むしろまだ怪我が治ってないからオレがしばらく居候したらいいって提案したんだ」
「じ、じゃあなんで電話でそのこと教えてくれなかったの?」
「いやぁ、まさか優姉が今日来るとは思ってなかったから……動揺しちゃって」
心底申し訳なさそうに謝る怜奈。優奈は平静を装うとするものの隠しきれず一度思考を停止して情報だけを頭に並べる。
男性、八神朗人は怜奈を助けた。
怪我を負っていたから怜奈の厚意で泊めることにした。
そこに自分が急遽来たことで怜奈が焦って説明できずに慌てて帰宅。
ざっとまとめると怜奈の状況はこういうことだった。
それにそもそも怜奈が優奈に無駄なウソをつくこともないである。ただ急すぎたために慌てざるをえなかっただけ。
つまるところ、今回は優奈の早とちりというわけであり……
「ご、ごめんなさいぃ!」
涙目になりながら大声で謝罪することと相成った。
「とまぁ、詳しく説明するとこんな感じになるね……って優姉! 笑顔が怖いし目が笑ってないよ! 勘弁して!」
落ち着いてから一通りの説明を受けた後、優奈の怜奈に対する圧がすごかった。
具体的には本気で怒っている。付き合いの長い怜奈が完全に萎縮していることで朗人にもわかる。というか、朗人自身も優奈から発せられる怒気は伝わっていた。ただ怜奈の場合は朗人が感じている以上に恐怖を肌で感じているのだろう。
勝気である怜奈が完全に気後れしているのは付き合いの長さからくるものだと推察は簡単にできる。が、思った以上に怜奈は完全に頭が上がっていないようだった。
「れーちゃん、私よく言ってるよね? れーちゃんには危ないことしないで欲しいって」
「で、でも……」
「でもじゃないよ! 朗人さんが通りがかってなかったられーちゃんはきっと一生消えない傷を負うことになってたんだよ!? それにお巡りさんを連れてきたらいいでしょ! いつまでも自分で危ないことに首を突っ込んじゃメッ!」
「あうぅ……」
シュンとなって落ち込む怜奈。
さすがにかわいそうだと思ったのか朗人は「それくらいにしてやってくれないかな」と助け船を出すことにした。
「む、なんですか」
露骨に敵意を見せられ少し怯みそうになるが、それを表面に出すことなく朗人涼しげな表情で「まぁまぁ」とおどけた様子を演じる。
「結果論だけど怜奈ちゃんはこうやって無事だし、俺も彼女に助けられた形になるから、そう叱られているのは見ていて忍びないんで」
「れーちゃんが人助けする癖は昔からありますし、確かにそうなんでしょうけど……それでれーちゃんが危ない目にあっちゃ元も子もないでしょう!」
温和そうな見た目とは裏腹に声を荒げる優奈。
ああ、心底怜奈を心配しているのだということが直接会話しているとよくわかる。
旧交が家族レベルであるために部外者には立ち入ってもらいたくないのも本音だろう。
けれどもそれはあくまで優奈の感情だ。あいにくと朗人は優奈ではない。その真意を推察こそできるが、わかってあげるつもりはない。
ただ朗人は朗人自身の意思でこれから怜奈を弁護することを決めていた。
「確かに怜奈ちゃんが無鉄砲であることは俺にも弁護しようがないことは認めよう」
「朗人さんのっけから裏切ってる!?」
涙目の怜奈が漫画であれば『ガーン!』効果音がつきそうな叫びをあげる。
だが別に裏切っているわけではない。これは朗人から見ても、というよりも他の人間から見ても彼女の正義感が行き過ぎているように見えるがゆえの答えだ。
事実、朗人と出会った日の事件は一介の女子大生が首を突っ込んでいいものではない。警察が介入してしかるべき事件だった。
けれども怜奈は『そういう事件』でも迷わずに踏み出せる勇気と決断力があった。
これは人間としての正道であり、王道、善性だ。その正道を貫こうとするだけの芯の強さも持ち合わせているからこそ彼女の肩を持ってしまう。たとえ側から見て間違っていようとも、怜奈自身の意思を尊重させたかった。
助けたと言ったからといって、見ず知らずの自分を治療してくれた怜奈への感謝をこめて。
「電話がかかってる間、怜奈ちゃん御用達のドリンク屋の店長から聞いたんだけど、怜奈ちゃんはすごくいい子だ。周囲からも評判というか有名らしいし、それはこんな不審者を受け入れてくれることでもわかる」
「当たり前です! れーちゃんは昔からいい子だったんですから!」
「そう。いい子だ。だからこれからもきっと彼女はそうあり続けると俺は考えてる」
「私だってそう思いますけど……でも、心配なのは」
変わらない、そう言いきる優奈。守られ続けてきたからこそ、放っておけない。放っておけるはずがない強い想いだった。
であれば、朗人も自分の想いをしっかりと伝えた。
「俺が怜奈ちゃんを守るよ。幸い守れた実績もあるしな」
ふっと、表情が緩む。
これがどういう意味を持つのか自分でもよくわかっていないが、優奈の方はしぶしぶと言った表情で「わかりました」とつぶやいた。
これでひと段落したな、と考え優奈と握手をする。
「……あの、肝心のオレが蚊帳の外になってないかな……というか、あの……そんな、ちょっと……」
肝心の怜奈は今の状況をどうしたらいいかわからず、困惑していた。